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352.手紙と笑顔と困り顔


「お帰りなさい!朝食の準備出来てますよ!」

「お前は新妻かよ」

「あはは、折角ならと思ったんですけど」


穴を掘る作業はレンドルフに任せて先に戻ったオスカーとオルトは、白いエプロンをしたショーキに出迎えられた。わざと軽くおどけたように迎えたショーキに、笑いながらオルトがクシャリとショーキの頭を撫で回した。

テーブルの上には神殿の厨房から用意してもらった食事が並んでいるが、おそらく足りないだろうと持ち込んだ保存食も一緒に並べてあった。居住棟の中にも、簡単にお茶などを淹れたり出来る小さなキッチンが備えられているので、ちょっとした調理くらいなら可能だ。


「あれ、レンドルフ先輩は」

「神官の頼まれごとを引き受けてな。そう時間も掛からんだろう」

「じゃあまだパンは焼かない方がいいですね」

「そうだな。少し待とう」


並んでいる朝食は、根菜をよく煮込んだ塩味のスープと、少し固めのパンとチーズ、そして近くの牧場から運んでもらっているミルクだった。そしてパンの脇には茹でた卵も添えられている。大抵の神殿はスープとパンに寄付次第でそこに一品付く程度の朝食なのだが、現役騎士の為に気を遣ってくれたメニューのようだ。それでも足りていないのでショーキが保存用のパンとスライスした薫製肉とピクルス、干したイチジクなども添えてくれている。他にもレンドルフが持参している粉末のスープやハーブ塩の瓶も置かれていた。


「頼まれごとってなんですか?」

「ゴミを埋める用の穴を掘って欲しいってさ。年寄りにはキツいだろうしな」

「なるほど。それでレンドルフ先輩が行ったんですね。あ、オスカー隊長、ミルク温めます?」

「ああ、頼めるだろうか」

「了解です」

「俺も頼んでいいか?」

「いいですよ〜」


牧場の絞りたてミルクなので、王都で口にするものよりも濃厚で甘みが強い。初めての食事で提供された時、紅茶やコーヒーに入れていたのだが、あまりの美味しさに皆そのままミルクだけで飲むようになっていた。朝は少々冷え込むので、レンドルフ以外はホットミルクにして飲んでいた。元が暑がりだからなのか北の出身だから寒さに強いのか、レンドルフにはまだホットミルクという感じではないそうだ。


「あれ?雨か?」


ふと窓の外を見たオルトがそんな声を上げた。


「雨なら装備を変えないとならんな」


オルトに釣られてオスカーも窓の外に顔を向けた。しかし空はよく晴れていて、雲一つない。


「そこ、虹が出てるんです」


怪訝な顔になったオスカーに、オルトは少し上の方を指差す。そこはちょうど神殿の建物がある方向で、その屋根の上に僅かだが虹が出ているのが見えた。


「通り雨ならば少し出発を遅らせるだけで済むな」

「まだこっちは降ってないみたいですけど…何だか慌ただしいな」


地面に目をやると、石畳も畑の土も乾いていて雨の気配はなかった。離れたところで局地的に降っているのかもしれないと覗き込むように晴れた空を見上げていると、窓の外を神官達が数人慌てて走って行くのが見えた。走っていると言っても老人なのでオルト達の早足よりもずっと遅いが。


「洗濯物でも取り込むのに慌ててるんですかね?だったら手伝って来ましょうか」

「いや、まだ朝の祈りが終わったばかりだろう。洗濯は食事の後の筈だ」

「あれ、レンドルフ。あいつなんであんなに…」


神殿の方向からレンドルフが走って来るのが見えた。しかしどうも様子がおかしい。オルトが首を傾げていると、あっという間にこちらに来てドアが開いた。


「レンドルフ先輩!?どうしたんですか!」

「すまないが、何か拭くものを取ってもらえるか」

「は、はい!」


開いたドアの向こうには、頭からボタボタと雫を垂らしたレンドルフが立っていた。そのまま入っては部屋を濡らしてしまうので、ショーキに頼んでタオルを取って来てもらう。取り敢えずそのタオルで顔と頭を拭いたが、全身ずぶ濡れでシャツも体にぴったりと貼り付いて、少し足踏みをすると靴の中がガボガボと音を立てている。


「一体どうしたんだよ」

「いや、話の前に着替えて来た方がいいだろう。いくらレンドルフでもこのままでは冷えてしまう」


そのままでは入ることもままならないので、レンドルフは仕方なくその場で靴を脱いで外に向かって逆さにする。すると予想以上にジャバ、と大量の水が玄関のポーチの石畳の上に落ちた。このまま自分の部屋まで引き返すと床が大変なことになってしまうところだった。タオル一枚程度ではどうにもならないとすぐに判断したらしいショーキがリネン室からバスマットを持って来て、手早く足元に敷き詰めた。そして小脇には洗濯物を入れる為の籠も抱えられている。


「このまま部屋へ行くと途中が大変なことになるので、ここで服脱いじゃってください!脱いだものはここへ!」

「あ、ああ…すまない」


両足裸足になったレンドルフは、複数敷いてもらったバスマットの上にそろりと乗った。ショーキは取り敢えずレンドルフの背後に回って開け放っていたドアを閉めた。神殿にいるのは男性神官だけなので視線を気にすることはないが、朝の空気はそれなりに冷たい。

レンドルフがシャツとスラックスを脱いで籠に入れると、相当水分を含んでいたのかベシャリという音がした。さすがに玄関先で下着まで脱ぐのは憚られたので、手渡されたバスタオルでサッと体を拭いて下着の上から腰に巻き付けた。


「うっわ!重っ!子供一人分くらいありそうですよ」

「それは後で自分でやるから」


濡れた服を入れた籠を持ち上げたショーキが目を丸くしていた。体が大きい分布量が多いので、必然的に濡れればそれだけの水分を含んでいるのだ。


「ひとまず着替えて来ます」

「レンドルフ、きちんとシャワーを浴びて来なさい。風邪を引いては任務に差し障る」

「はい、オスカー隊長。お言葉に甘えます」


また半分濡れた髪を顔に貼り付けたまま、レンドルフは眉を下げてペコリと頭を下げると二階にある個室へと階段を登って行った。その姿は、どこか雨に濡れそぼった大きな犬を思い起こさせた。


「一体穴を掘るだけで何をやらかしたんだ…?」


ポツリとオルトが呟いたが、その場にいた誰も答えを見付けられなかったのだった。



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部屋のドアをノックして返答を聞いてから、ティーワゴンを押してミリーが部屋に入ると、ユリは机に向かって微かに肩を震わせていた。一瞬泣いているのかと思ってミリーはギクリとして動きを止めたが、振り返ったユリは頬を紅潮させて笑いを堪えている顔をしていた。


「どうなさいました?随分とご機嫌がよろしいようですが」

「う、うん…だって可笑しくて」

「レン様からのお手紙ですか?」

「そうなの!」


机の上にはシンプルな白い封筒と見慣れた文字が見えた。そしてユリの手元には数枚の便箋が握られている。いつもレンドルフからの手紙が届くとユリは幸せそうに微笑んでいることが多いのだが、こんな風に笑いを堪えているのは初めてだった。


「内容をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「いいわよ!と言うより聞いて欲しい。あのね、レンさん、温泉掘り当てたんですって!」

「は…?温泉、ですか?温泉て、あの?」

「他に何があるのよ。何かね、頼まれてゴミを埋める穴を掘ったら、そこから…ふふふ…温泉が湧いたって…引きが良すぎるでしょ」


その場所はずっと穴を掘ってゴミを埋めてを繰り返していた場所で、レンドルフもそのつもりでそこまで深く穴を掘るつもりはなかったらしい。しかし強運にも、何故かその場所から温泉が吹き出して、周囲が大混乱になっているそうだ。その文面からもレンドルフの困惑する顔が想像出来てしまって、ユリはつい笑いが堪えられなかったのだ。そのせいで「頭からずぶ濡れになった」という文章だけで、水に中に落ちでションボリしている大型犬の姿が浮かんでしまい、レンドルフに悪いと思いつつもしばらく一人でクスクスと笑ってしまった。


「それで、本来の任務をレンさんだけが外れて、露天風呂を作ってるみたいよ」

「ええと…レン様は騎士だったのでは」

「それはそうよ。でもご実家にいた頃に何日も遠征に出てた時に、浄化魔法だけでは追いつかないらしくてよく魔法で露天風呂を作ってたんですって。レンさんは土属性だから、大活躍だったみたい」

「さすがクロヴァス辺境領の方ですね。やることが豪快と言いますか」



クロヴァス家専属の騎士団は、日々北の森の魔獣討伐に赴いていると言っても過言ではない。それは領主だろうと領主子息だろうと関係ない。強い者が弱い者を守る、という至極単純な理由で成り立っている。

討伐に行く者は基本装備として浄化魔法が充填された魔石を持参するが、絶え間なく襲って来る魔獣の血に塗れ、泥を被り、汗だくになる度にいちいち使用していたら一日程度で空になってしまう。その為、感染症にならないように傷口周辺の血の汚れを落とす以外は放置されていることが多い。さすがに共にいる仲間にすら距離を置かれる程臭くなれば使用するが、だんだんと全員鼻が慣れてしまうと臭さがある一定から急に加速する。だがそのまま帰還すれば留守を預かっている女性陣から逆に森に追い返されることもあって、数日に一度は水浴びをするように心掛けるようになっていた。

しかし冬の長い北の土地であるので、冷水を浴びたことが原因で体調を崩しては元も子もない。その為、基本的に火属性の使い手が多いので、水に火魔法を撃ち込んで露天風呂にすることにしたのだ。だが、うっかり湖に特大の火魔法をぶち込んで棲息していた魚を全て煮魚にしてしまったり、適当に粘土質の場所で穴を掘ってお湯を入れたので見事な泥風呂を作り上げたりと色々とやらかしも多かったらしい。


そんな中、領では非常に珍しい土属性のレンドルフが討伐に出られるようになってから、露天風呂事情が一気に向上したそうだ。土魔法で固めれば、単純に穴を掘った時のように時間と共に湯が濁って泥風呂にならずに済むし、周囲に高い壁を作れば魔獣の襲撃も防げるのでゆっくりと湯に浸かれる。レンドルフのおかげで実に快適な風呂が楽しめるようになったのだ。むしろ景色の良い場所に作って、星を眺めながら酒を楽しむことを目当てにする者まで出て来た。その利便性に気付いてしまった騎士達は、レンドルフが領地から離れた後もそれが忘れられずに、土属性の魔石を必ず持参するようになったという。



今回温泉を掘り当ててしまったレンドルフは、その土地の責任者から湯が出る限り有効利用したいと請われて、土を固めたり別の場所から石を運んだりして生活の場の近くまで湯を引いて溜めておける簡易な貯水槽のような物を作ったらしい。それを鑑定魔法の使える者が確認したところ、どうやら打ち身や切り傷、神経痛などに効能のある泉質だった。ついでに源泉も見てもらったところ、到底量を見極められない程の豊富な湯が湧いているようで、それならば浴槽も作ってもらえないだろうかと頼まれてしまったそうだ。


結局、隊長からも許可が出て、レンドルフは何故か土木作業を中心に行う任務に就くことになってしまった。


「ねえ、温泉の名前はどうなるのかしらね。大体掘り当てた人物か、家の名前が付くわよね。クロヴァス温泉?レンドルフ温泉かしら」

「レン様なら、ご辞退してその土地を治めている方にお任せするのではないですか?」

「それもそうね。でもレンさんの名前がついたなら行ってみたかったわ」


ユリの特殊魔力を抑える為の魔道具を体に負担がないように使用する為には、王都内にいることが必要になっている。一日程度なら王都を離れてもギリギリ保つかもしれないが、それも楽観的な予測に過ぎない。それこそ王都が壊滅でもしない限り、ユリは王都から離れられない。今回レンドルフが掘り当てた温泉は王都からそこまで離れていないらしいが、それでも王都ではない。ユリは行きたいと口に出しても、心の中では絶対に行くことはないと理解していた。


「それなら今度、別邸の庭に掘っていただきましょうか」

「それもいいわね。肩凝りと眼精疲労に効く温泉がいいわ」


ミリーはティーワゴンに乗せたポットからカップに茶を注いで、そっとユリの前に置いた。途端にフワリと甘酸っぱい香りが周囲に広がった。これは疲れ目などに効くフルーツとハーブを使用したハーブティーで、リラックス効果もあるので夜に出すことが多い。


「ありがとう。これも温泉並みの効果があるわね」

「それでも、夜更かしすれば効果は落ちますので、お早めにお休みください」

「返事を書いて送ったらすぐに寝るわよ。…っ!大丈夫よ!遅く送るとレンさんにも迷惑だから、早めに終わらせるから」


かつてはレンドルフに簡単なメッセージを送る時も一時間以上考えていたことを考えると、随分と進歩したのだ。しかし返事を書いた後、もらった手紙を何度も繰り返して読んでいるので結局深夜になることが多い。それを知っているミリーは、ユリに疑わしげな目を向けていた。


「明日は朝から薬草園の作業だから、ちゃんと早めに寝ます」

「畏まりました」


慇懃にお辞儀をしてミリーが部屋を後にして行った。ユリは「今日はちゃんとするんだからね!」と内心決意を固めながら、細工の美しいガラスペンを手に取った。比較的淀みなく薄い緑色の便箋にサラサラと書き綴ると、同じ色の封筒に入れ、青い色をした伝書鳥に託した。


しばらく暗い窓の外に消えて行った青い鳥を見送るように眺めてから、ユリは再び送られて来たレンドルフからの手紙に視線を落とした。


結局その日の夜も、日付が変わってしばらくするまでユリの部屋の明かりが落ちることはなかったのだった。



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