34.名刀「ナカタのカタナ」
短めです。
ステノスが回復薬が効き辛い体質だと分かっているのか、ユリは最初から軟膏を取り出してステノスの治療に当たっていた。すぐに効き目が出る回復薬と違って、彼の治療にはまだ少し時間がかかりそうだった。
その間にレンドルフは周囲に注意を払いながら、絶命しているアーマーボアにゆっくりと近付いた。そして小山のような体によじ上ると、首元に刺さったままだった自分の長剣をずるりと引き抜いた。血が噴き出すのを警戒したが、既に殆どが流れ切っていたようで、剣の銀色の刃にヌルリとこびり付いて来るだけだった。柄に付与されている浄化の魔法を稼動させると、微かに刃が震えて一皮剥けたように汚れがツルリと足元に落ちた。
念の為日に翳して検分すると、切っ先が僅かだが欠けていた。使えない程ではないが、戻ったら研ぎに出さなくては、と考えながら鞘に納めた。
そのままレンドルフはアーマーボアに乗ったまま、その遺骸の検分をして回る。
毛色や毛の状態、捲り上げて皮膚の色も確認したが、通常の個体の倍近くの大きさであることを除けば、特にこれといって目立った外見的所見はない。属性については、きちんと鑑定出来るものでなければ分からない。
ふと、ステノスが刺した短剣もまだ残っていることに気付いた。
「ステノスさん」
「おー、何だ?」
「ここに刺さってる剣、俺が抜いても大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ただし刃には触れないように気を付けてくれ」
ユリに手に包帯を巻かれているステノスに振り返って声を掛けると、そう返事が戻って来た。
武器に拘る者の中には、自分の剣などに触れられるのを極度に嫌う者もいる。持ち主以外が触れたら呪われるような魔法を掛けている者までいるくらいだ。レンドルフはそこまで拘りはなかったが、念の為ステノスに確認を取った。
先程の戦闘中にチラリと見たステノスの短剣は、特殊な素材か付与でも施されているのか珍しい真っ黒な刀身だった。そして彼は突き立てる直前に自分の手に斬りつけていた。一瞬ではあったが、錯覚でなければその流れた筈の血が刃に吸い込まれたように見えたのだ。レンドルフは実物は目にしたことはないが、何らかの条件で魔法が発動するように組まれている魔法剣があることは知っている。何となくこの短剣もその部類のような気がしていた。
固い毛の上を踏みしめて、まるで柄だけになってしまったかのように根元まで刺さっている短剣に歩み寄る。その時にレンドルフは、その柄の意匠がステノスの腰に携えていた長剣と同じものだと気付いた。あの長剣は片刃で真っ白な刀身を持ち、どこかゾッとするような輝きを有していた。揃いで作ったのだろうか、と思いながら、ステノスに注意されたことを意識しながらそっとその短剣を抜いた。
柄には細く美しい紅い染め色の組紐が複雑に巻かれていて、見たこともない幾何学模様が描かれている。その為美術品のように見えていたが、実際手にしてみると予想以上に手に馴染むことにレンドルフは驚いた。その組紐と巻き方が装飾であると同時に、実用的な滑り止めの役割を果たしている。これはもしかしたらステノスの出身国であるミズホ国の剣なのかもしれないと思い、触れはしないが黒い刃をまじまじと眺めた。
その短剣も、長剣と同じく片刃であった。やはりその黒い刃は特殊な加工をしてあるのか、日に翳すように傾けても全く反射しなかった。黒い金属であれば、持っているレンドルフの顔も映り込みそうなものだが、それすらもなかった。
(黒というより、闇だな)
その短剣を眺めていて、レンドルフはふとそんな印象を受けた。
その短剣を眺めていると、不意に視界の端に何か白く光るものを捉えた。そちらに顔を向けると、大分離れた草むらの中にステノスの長剣が転がっている。もしかして折れてしまったのだろうかと、レンドルフはアーマーボアの体から降りてその場所に駆け寄る。
「折れてはないが…」
近寄って見ると、紛うことなくステノスが使っていた長剣だが、白い刀身のみで柄が付いていなかった。レンドルフは不思議には思ったが、これもステノスの元に届けることにする。さすがに剥き出しの刃に直接触れるのは憚られたし、何より使用していた筈なのに一切の曇りのない美しい剣に手垢を付けてはいけないという気持ちにさせられた。
ポーチから使用していない布を取り出して、刃の付いていない柄に当たる部分に巻き付けてから持ち上げた。
「おっ、そっちも回収して来てくれたのかい。ありがとな」
ステノスの元に戻ると、既に治療は終わっていた。顔の擦り傷に塗った軟膏に触れないように大きめのガーゼが当てられ、包帯でグルグル巻きにされていた。広範囲の擦り傷だったのでこうせざるを得ないのだろうが、知らない人間が見たら相当な重傷に思えるだろう。
「これはミズホ国の剣ですか?」
「ああ。あっちの鍛冶師が作ったモンだ」
レンドルフはステノスの前に膝をついて、そっと短剣と刀身だけの長剣を置く。ステノスはヒョイと短剣を取り上げて、一度ブン、と振り下ろした。
「消えた…!」
「面白ぇだろ?そんで…こいつを、こう」
一瞬にして黒い刀身が消え、ステノスの手の中には柄だけが残った。それに目を丸くしたレンドルフを見て、ステノスはニヤリと笑いながら、柄の刀身が入る場所に白い刀身を差し込んだ。小さくカチリと音がして、あっという間に最初に見た長剣の姿になる。
「一つの柄に二種類の剣ですか」
「そうだ。白い方を外して振ると、黒いヤツが出て来る。白い方はちょいと切れ味のいい普通の刃だが、黒い方は血を吸う呪いみたいな仕掛けになっててな。血を吸った分だけ切れ味も上がる。作ったヤツは古い馴染みだったが、こういう妙な武器ばっかり作るヤツでな。俺が国を出る時に餞別代わりに貰って来た」
「貰って来た、んですか…?」
「誰も使いたがらないから勿体無えと思ってな。本当に駄目なら世界のどこにいても奪い返しに来るような行動力のある阿呆だ。今まで来ないってことは、何だかんだ言って俺用に作ったんだろ」
全く悪びれない様子で、ステノスは鞘に剣を納めた。それだけでレンドルフは背中に入っていた力がスッと抜けたことに気が付いた。ステノスは敵ではないし、斬り掛かって来るようなことはないと信頼しているが、あの恐ろしいまでに美しい刀身の前に無意識的に緊張を強いられてしまっていたようだ。
「こんなに手の込んだモノ作っといて『ナカタのカタナ』とかいうふざけた銘を付けやがったしな」
「…ナカタノカタナ…?」
「悪い。ただのミズホ国ジョークだ」
「はあ…」
あまりミズホ国に詳しくないので、不思議な響きだとは思ったが、レンドルフにはどこがふざけているのかがさっぱり分からなかった。
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「ところで、レンはアレはどう見た?変異種か?」
「そうですね…あの大きさと聖属性かもしれないことを考えれば上位の変異種だとは思いますが…外見には全くそれらしき特長が出てないですね」
「聖属性?魔獣が!?」
ステノスの治療に使用した道具を片付けながら、その会話を耳にしたユリが思わず声を上げた。
「向う側で見えないけど、後ろ足が一本、色が違ってる。あれは一度ステノスさんが落としたんだけど、再生したんだ」
「普通ならあり得ないわね…」
基本的に魔獣は聖魔法や聖水など、聖属性のものを忌避する性質がある。その為に魔獣を仕留めた後は、他の魔獣が寄って来ないように周囲に聖水を撒いて置くことを推奨されているくらいだ。
「ユリちゃんから借りた毒もまるまる一袋喰らわせたけど、しばらくしたら起きちまったしな」
「ええ!?即死する訳じゃないけど、あれ一袋って…いくらあれだけ大きくても、一袋も使われたら普通は呼吸困難で死ぬわよ」
「だよなあ。全く、レンと組めば楽勝だと思ってたんだが、俺の読みが外れちまった」
ステノスは肩を竦めながらレンドルフに「すまねえな」と片手を軽く上げてみせた。レンドルフも、まさか魔獣が再生魔法を使えるなどとは夢にも思っていなかった。そうでなければステノスが足を切り落した時点でこちらの勝利に終わっていただろう。こればかりはステノスの判断が間違いとは言えない。
「って、それよりも、ユリさん!何でこんなところへ!?戻って応援要請を…」
「それはもう他の人が行ってるから。皆は無事に安全な場所まで引いたし、怪我も殆どしてない」
「だけど、何でユリさんが危険な真似をして一人で…!」
「あの中で一番応援に来られる実力者が私だったの」
「そうじゃなくて!」
「そういうことなの!」
少し大きな声を出してしまったレンドルフに、ユリは更に大きな声で言い返した。その勢いで、レンドルフは思わず返答に詰まってしまう。すかさずユリは膝立ちでにじり寄って来ると、グイと座っている体勢のレンドルフに顔を近付ける。その顔は怒っているのか、眉が上がり頬が紅潮している。
「あのねぇ、仲間がはぐれて危機に陥ったら、他の仲間は安全を確保したら一番強い人間が応援や救出に行くのが当たり前なの!騎士様の一人がスレイプニルで応援を呼びに行ったから、残ってるノルドに乗れるのは私だけ。それに体力も魔力も十分残ってたし!」
「それは…だけど…」
「レンさん忘れてるかもしれないけど、私これでもソロでCのランク持ちだよ?こんな見た目で信じられないのは分かってるけど、レンさんが思うよりずっとちゃんと強いんだからね!現に、弱ってたとは言えちゃんと魔獣を倒す手伝いは出来たでしょう?それにやろうと思えば、レンさんだって抱きかかえて行けるんだから!」
「う、うん、分かった、分かったから」
怒りのせいかユリが半ばレンドルフの胸倉を掴むような勢いでグイグイ寄って来るので、レンドルフは勢いに押されて少しだけ下がる。しかしユリは下がったら下がっただけ容赦なく近付いて来る。このまま行くとレンドルフの方が押し倒されそうな体勢になってしまう。
「ユリちゃん、もうその辺で勘弁してやってくれ。こんな真っ昼間からじゃレンも気の毒だ」
「は…」
ステノスに声を掛けられて、ユリは自分の体勢に気が付いた。座っているレンドルフの足の間に入り込んでシャツの襟を掴んでいるのだが、胸当てを始めとする革の装備は手当のために上半身は外してシャツだけの状態になっていたし、そのシャツには殆どボタンが残っていない。その為にユリが掴んで大きく広げるような状態ではほぼレンドルフの胸筋が丸見えになってしまっていた。しかもレンドルフは手を後ろについてユリから何とか身体を離そうとしているのに、逆にユリは半分レンドルフにのしかかるような体勢になっていた。
冷静に考えたら、ユリがレンドルフを襲っている風に見えなくもない。その上レンドルフは顔だけでなく首筋からもはや全身にかけて白い肌が赤く染まっていて、それが妙に艶っぽい。
そのことに気付いて、ユリも一気に耳まで真っ赤になって慌ててシャツから手を離して後ろに飛び退った。
「ごごご、ごめんなさい…つい…」
「いや…その、大丈夫、だから」
レンドルフも更に赤くなって、開いてしまったシャツの前合わせを閉じる。大きな体で恥じらうような仕草は何ともアンバランスではあったが、傍から眺めていたステノスには不思議と可愛らしく映ってしまい、思わず自分自身に苦笑してしまった。
「ま、今回は全部俺の責任ってことで、収めてくんねぇかな」
「…そういうことでは…」
「無理に案内させたのも、経験積ませてやろうと若いヤツらばっかり同行させたのも、レンに来るように命じたのも俺だ。レン達は部隊長の我が儘に振り回されたってことで、ちゃんと補償は用意する」
あのアーマーボアを確認した場所では、逃げて来るアーマーラビットや川に潜むカワラゥを相手にしつつあの巨体と対峙するのは得策ではなかった。少数で対処可能な人間で引き付けて仕留めるのが最善手だったのはレンドルフにも分かっていた。それに、あの時はステノスは「来るか?」と聞いただけで、強制ではなかった。行くと判断したのはレンドルフだ。
「いいんだよ、上に説教されて頭下げるだけだから安いもんだ。クビになったところで雇われ部隊長だ。俺はどうとでもなるさ。それに人手が減って痛むのは向こうさんの方だ」
そう言いながら笑っているステノスの顔は、妙な強がりなどは全く感じられず、本気でそう思っている清々しささえあった。
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「あ、そうだ。こっちの位置を知らせないと。忘れてた」
不意にユリが慌てたように立ち上がると、少しレンドルフ達から離れて、筒状の物を取り出して空に向かって掲げた。そして片手で筒状の物から伸びている紐を二度引いた。
ポン!ポン!
その筒から小気味の良い音が二度響いて、空に白い煙だけの花火が上がった、白いものを立て続けに二度打ち上げるのは、無事を知らせる信号弾だ。
空に上がった白い煙が消える頃、大分遠くで黄色い煙の花火が一つ上がる。これは返信の信号弾だ。
「あの位置ならあと二時間くらいで救援部隊は到着しそうよ」
「ありがとな。こんないいい天気だし、昼寝でもして待ちてえところだが、そうも行かねえな」
「ステノスさん、寝てていいですよ。俺、見張りしますから」
「何だ?俺が寝てる隙にイチャつこうって魂胆か?」
「「そんなことしません!」」
冷やかすようなステノスに、レンドルフとユリは顔を赤くしながら声を揃えて言い返したのだった。