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4.とろけるチョコレートケーキ


「ところでお二人さん、甘いものを食べる時間と腹はあるかい?」


ソースまで綺麗にパンに吸わせて完食した皿を片付けながら、ミキタが訪ねた。


「息子が試作品を置いて行ってね。誰かに感想を聞いてくれって言われたんだけど、今日は甘い物好きな連中が来られなくって手付かずなんだよ」


ミキタの息子の一人が、現在ケーキ職人を目指して修行中なのだと説明した。そして色々試作したケーキをこの店に置いて行くのだという。


「あたしは酒一辺倒でね。甘いものは得意じゃないんだ。ユリちゃんはいつものように少しだけにしておくけど…あんたはどうだい?」

「ええと…」


ミキタに話を振られて、一瞬レンドルフは口ごもる。ほんの少しだけ迷っているように考え込んでいたが、やがてほんのりと頬を赤くして呟いた。


「……甘いものは、別腹なクチです」

「そうかい!そりゃ助かった。早速準備するから待ってておくれ。美味くないかもしれないけど紅茶も淹れるよ」

「ミキタさん、それは私がやるわ」


ユリがサッと席を立った。顔馴染み故の気安さかそれとも慣れているのか、すぐに棚の中からティーセットを、引き出しから茶葉の入った缶を迷いなく取り出している。


「あたしの淹れる紅茶、何故かいつも薬湯かお湯なんだよねえ」


やかんを火に掛けながら、ミキタが苦笑混じりに言った。つまり味が極度に濃いか薄いかということなのだろう。あれだけ美味しい料理を作れるのに、何だか不思議であった。



レンドルフは席に一人残されたが、ジワリと胸に広がる温もりをしみじみと受け止めていた。


レンドルフは実は大の甘党だ。それこそ一日の食事を全て甘いものにされても全く苦にならないほどだ。しかしその逞しい見た目故に、冗談と取られて笑い飛ばされるか、半笑いで引かれるかのどちらかだった。

そして大抵はそんな確認などされずに、人の集う場では強い酒を勧められることが多かった。両親ともアルコールに強いせいか、その体質はしっかりと受け継いでおり、飲めないわけではないのだが辛い酒はあまり好みではない。酒の肴の塩辛いものも嫌いではないのだが、選べるなら是非とも甘味を食べたい方だ。


正直に告げても、目の前の二人は普通のこととして特段妙な目を向けて来なかった。美味しい食事に、甘いものを食べても怪訝な顔をされない状況。レンドルフは何だかフワフワした心地好さを感じていた。



「はい、どうぞ。感想は正直に頼むよ。そうじゃないと試食にならないからね」


白い皿の上に小ぶりな一口サイズより少し大きい程度のケーキが乗っていた。チョコレートケーキらしく、黒っぽい色のカップケーキのような見た目で、何の飾りもない地味な外見だった。また試作なので、飾り付けは考えていないのだろうか。

レンドルフの皿にはそのケーキが三個、ユリの皿には一個だけ乗っている。


「何か、食べる時に一度は割ってくれって言ってたから、一応そうやって食べてもらえるかな。面倒なヤツだよねえ」


苦笑しながらカトラリーを並べるミキタに続いて、盆にティーカップを乗せてユリがやって来た。彼女が近寄ると、フワリと紅茶の香りが満ちた。ケーキがチョコレートだからか、癖のない種類を選んだようだ。白い模様のないシンプルなカップに赤みのある透明な水色が美しく映えている。


「いただきます」


正面にユリが着席してから、揃ってケーキにナイフを入れた。


「中からチョコが出て来たわ!」

「へえ、あの子が出す時に温めてくれ、って言ってたのはこの為だったんだね」


切れ目から、トロリとチョコレートが流れ出して皿の上に広がる。温めている効果なのか香りの強い酒の風味がフワリと立ち上り、華やかな匂いが鼻をくすぐる。

一口食べると、ほのかな温かさとともに濃厚なチョコレートの甘さがすぐに口の中に広がった。外側のケーキはきめが細かくしっとりとしていて、中のチョコレートとは大分味が違うので絡めるようにして食べるとより複雑な味わいになる。ケーキの部分はチョコレートの甘みが強く、中のソース状の方は酒の風味も手伝ってか僅かな苦味が甘さの中に感じられた。見た目の地味さに反して、随分と繊細で手間のかかりそうなケーキという印象だ。


「私にはちょっと重いかな。半分で充分」

「俺はこのくらいの方が食べごたえがあって好きだけど、飲み物はさすがに甘くない方がいいかな。紅茶もいいけど、どちらかと言うとコーヒーの方が合いそうな気がする」


二人の感想に、ミキタはメモを取っていた。何だかんだ言いつつ、息子への協力には熱心なようだ。


「ユリさんは甘いもの苦手?」

「そういうわけじゃないけど、量が食べられなくて。美味しいと思っても、ケーキとかは半分も無理で。何か胸焼けしちゃうの」

「そうなんだ」

「だけどこの見た目のせいで、割と子供扱いされてやたら甘いもの勧められるのよね。甘いものは少ししか食べられないって言うと、『小鳥みたいに小食だね』とか言ってご飯も少ししか食べないとか思われて勝手に量を減らされるし」


苦笑混じりで言う彼女に、レンドルフは思わずドキリとしていた。自分も甘いものが好きと言い出しにくい見た目でモヤモヤしたものを抱えていたのに、自分自身も何となく女性は甘いものが好きそうだと心の中で決めつけていたことに気付いた。


「ゴメン、ちょっと俺も思ってた」

「いいのよ、いつものことだもの。それにレンさんも似たようなクチでしょ?」

「うん。甘いものが好きだっていうと、冗談と思われるかちょっと引かれるかされる」

「そうそう!私も夜か…食事会とかで『火酒ください』って言うと引かれるの。でも黙ってると果実水とかしか貰えないし、良くて甘ーいカクテル」

「俺と逆だ。俺は甘いカクテルを貰えない」

「じゃあレンさんとどこかのパーティーとかで会ったら、グラス交換すればいいんだ」

「そうだね」


レンドルフの皿の上は、既に二個目のケーキが消えている。ユリの方の皿は、本人の言う通り半分ほどで手が止まってしまっていた。


「…これ、酸味の強いフルーツとか添えたら印象が変わって食べやすくなるかもしれない」


砂糖を入れない紅茶で口の中をさっぱりさせてから最後の一つにナイフを入れかけたレンドルフが、ふと思い付いたことを呟く。以前に義理で参加した夜会で、フルーツの砂糖漬けに甘さの殆どないチョコレートを掛けたものをワインと共に提供されたことを思い出していた。確かあれは酒好きな知人も随分摘んでいた気がする。

このケーキはチョコレートの甘みが強いが、逆に考えればいいような気がした。


「うーん、この前貰ったオレンジがあんまり酸っぱいから酒に漬けたのがあるけど…試してみるかい?」

「お願いします」


ミキタはカウンターの下から、よいしょと一抱えもありそうな瓶を取り出した。思ったよりも大きな瓶だったので、レンドルフが急いでカウンターに大股で近付いて替わりに抱え上げる。彼にしてみれば軽いものだ。


「あんたイイ男だねえ。あたしの四人目の息子か三人目のダンナにならない?」

「え?」

「ミキタさんすぐそういうこと言うんだから」

「もー冗談だよ」


一瞬固まってしまったレンドルフの背中をペチンと叩きながら、ミキタは大口を開けて笑った。



まだ漬け込んでそれほど日が経ってないせいか、瓶の中のオレンジは充分に果実の瑞々しさが残っていた。それをトングで幾つか取り出して皿に盛ると、フワリと良い香りがした。


「こいつ匂いは甘そうなフリして顔がシワシワになるくらい酸っぱかったんだけど、どうだろうね」

「いただきます」


取り敢えず味見ということで、レンドルフはオレンジの端にチョコレートソースを絡めて口に入れる。確かにオレンジは香りよりもはるかに酸味が強かったが、チョコレートとの相性は悪くないようだった。ただ、ソースとオレンジ両方だと酒精が強過ぎて、呑み込んだ途端に喉と胃の辺りがカッと熱くなった。


「あ、これならもうちょっと食べられる」


完全に手が止まっていたユリが、再びフォークを進める。さすがに火酒を飲みたがるだけあって、それなりに強いようでケロリとしていた。


「酒に強くない人は普通のフルーツにした方がいいかもしれない…」

「あ、そうか。中のチョコも子供とかは香りが苦手かもね」

「なるほどね…ありがと、息子に伝えるよ」


味に変化がついたことで、ユリも残りの半分を完食していた。レンドルフはオレンジがなくても余裕で食べ尽くせるとは思ったが、途中で酸味が加わると倍は行けそうだと思っていた。


「「ご馳走さまでした」」


二人ほぼ同時に食べ終わって、まるで申し合わせたように声が揃う。そんな些細なことでも、顔を見合わせて笑い合う。レンドルフは何だか久しぶりに腹を満たすだけではない満足感のある食事に出会えたような気がした。


それから店を後にする際の会計で、どちらが支払うかで互いに譲らず同時にそれぞれが二人分の銀貨を出したのだが、ミキタに「じゃ、次のランチの分前払いね」とあっさり四人分の金額を回収されたのだった。



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「ありがとう、ユリさん。いい店を教えてくれて」

「私もあのお店大好きなの。褒められると嬉しい」


特に予定がなかったので随分ゆっくりしてしまった。このまま来た時と同じようなペースで戻ると、中心街の屋敷に到着する頃にはすっかり暗くなっているだろう。街の入口で荷物と馬を受け取ったら、少々値は張るが遠話の魔道具を利用して一報を入れた方が良さそうだ。

ここのところ気を遣わせてしまっている執事を始めとする使用人達に、何か土産でも買って帰ろうと考える。


「レンさん」

「え?」


確か入口近くの大通りに面した場所に一口で摘めるようなドライフルーツを売っている店があった気がする、などと思い返していると、ユリが手の平に乗せた比翼貝を差し出していた。


「何かちゃんとお礼できなかったから、これ貰ってくれる?私の作った傷薬の軟膏」

「大したことはしてないし、もうお礼を貰ったも同然なんだけど」

「こっちこそ大したお礼してないじゃない。これ、さっきギルドの納品で弾かれたものだけど、効かないとかじゃないから。どっちかと言うと効き目が規定より強かったから弾かれたものだから」

「…じゃあありがたく」


彼女の手の上からそっと小さな貝を受け取る。彼女の手の上に乗せたものと同じ筈なのに、レンドルフの手の中に入れると随分小さくなったように思えた。


「効き目が強いのは駄目なの?」

「うん。買う人は規定内の効き目を想定してるから、以下は当然駄目だけど、強すぎるのを使った後にそのつもりで通常のを使うと見誤るでしょ。小さな怪我でも命取りになることもあるから、そういうのは厳しいの」

「そうか。難しいんだね」

「私、一定の効果で安定させるのが苦手で。だからまだ見習いなのよねえ」



レンドルフは、傷薬や回復薬などはいつも騎士団から支給されているものを使っていた。確かに思い返してみると効能にバラツキがあるということはなかった。そんなことを意識もせずに当然のように常に同じものとして使用していたが、こうして厳しい規定が定められているおかげなのだと知ると、手の上の小さな貝もとてもありがたい貴重な品のように思えた。


「もし次に顔を合わせることがあったら、使いごこちとか教えてもらえたら…あ、傷薬は使ってもらわない方がいいんだった」

「ちゃんと気に留めておくよ」

「ホントは使うことがない方がいいんだけど…」


ユリの歩幅に気をつけながらレンドルフはゆっくりと歩いていたが、やがて先程出会った場所の近くの辻に到着する。


「私、あっちだから。じゃあね、レンさん。今日はありがとうございました!」

「あ…うん、俺こそありがとう」


一瞬、彼女に送ろうかと申し出そうになったが、そこまでしては今度こそ下心になってしまうとレンドルフは思い留まる。日が暮れていたならともかく、まだ日が高い。


それに彼女は「もし次に」と言っていた。確実ではないぼんやりとした「次」なのだ。約束ではないただの世間話。ただ、互いに悪くない出会いだったので少しばかり楽しい時間を共有しただけの関係だ。それがお互いの暗黙の了解のように、どちらも名前しか名乗っていない。レンドルフは本名ですらない。もしかしたら彼女も自分の愛称を名乗っていただけなのかもしれない。


それでもここのところ気が塞いでいたレンドルフにとっては、実に楽しく得難い貴重な時間だった。


ふと、最初に出会った時のようにユリが右手を差し出す。レンドルフもそっと指先で摘むように彼女の小さな手を握り返した。彼女のほんの少し乾いた指先は、とても温かく感じた。


「気を付けて」

「レンさんも気を付けてね」


サラリと短い挨拶を交わすと、彼女は手を振って小走りに辻の向こうに曲がって去って行った。その後ろ姿はやはり小さく、子供のように見えた。


レンドルフは少しだけ後ろ髪を引かれる思いもしたが、そのまま街の入口に足を向けた。


彼女に貰った比翼貝の傷薬を、彼はまるで宝物のように嬉しそうに眺めてから腰に下げたポーチの小物を入れるポケットに丁寧にしまい込んだのだった。



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その日暗くなってタウンハウスに帰還したレンドルフの顔色が随分明るくなっていたので、屋敷の使用人達は密かに安堵していた。使用人にも気を遣って多くを語らない彼だからこそ、皆表立って心配をするわけにもいかずにそっと見守っていたのだった。



夜、久々の遠乗りでぐっすり眠れると思ったレンドルフは、不意にユリを年端も行かない少女だと思って抱え上げた際に、全く意図していなかったのだが彼女の豊満な胸やら尻やらに指が当たってしまったことや、腕を首に回された時に顔の脇に押し付けられた柔らかな感触を唐突に思い出してしまった。そして申し訳なさと言い訳がしたくても出来ないもどかしさにのたうち回る結果になってしまい、翌朝完全に寝不足な顔で現れたレンドルフに、使用人達は再び不安そうな顔になってしまったのだった。



要はフォンダンショコラ。

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