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347.王女の帰還


「また?」


薬局のチャイムが再び鳴って、在庫の確認をしていたヒスイは溜息混じりに肩を落とした。これまでは一度も鳴らなかったのに、今日はいきなり二度目である。しかしここのチャイムを鳴らすのは急いで薬を必要としている者なので、可能な限りは対応しなくてはならない。


「はい、お待たせし…ました」


掛けてあった鍵を開けて扉を押すと、そのすぐ外には見上げるような大男が立っていた。威圧感のある顔立ちもあって思わずヒスイは半歩程引いてしまったが、よくよく見ればこの王城で見かける形の騎士服であったし、仕立ては上質だ。おそらく上の役職の騎士なのだろうと察して、ヒスイはいつもように営業的に思わせないにこやかな笑顔を急いで浮かべた。


「ヒスイさん」

「あら、レン様」


手前に立っていた男性に目を奪われていたが、そのすぐ後ろに一回り大きなレンドルフが立っていた。改めてヒスイはレンドルフの大きさを再認識した。彼は少し困ったような顔をして、入口を塞いでいた騎士の前に半身だけ出るようにしてペコリと頭を下げた。


「突然の訪問、申し訳ありません。こちらは近衛騎士団団長タンザナイト殿です」

「ウォルター・タンザナイトと申します。この度はこちらで迷子を保護してくださったと聞いて、迎えに参りました」

「あ…は、はい。ただいまお呼びしますので、お入りになってお待ちください!」


あまり広くない薬局に、頭を下げるようにして大柄な男性二人が入って来る。ヒスイは何だか自分の体が急に縮んだかのような錯覚に陥った。


「ええと…大丈夫そうならお掛けになってお待ちください」

「ありがとうございます」


薬局の中に一応小さな木製の椅子を三つ置いてはあるが、基本的に使うのはちょっとした手荷物を置いたり、人が途切れて小休憩を挟む時にヒスイが腰掛けたりする程度だ。おそらくこの騎士二人が座るのには適していない。彼らも分かっているのか、ヒスイが形式的に勧めたが全く座ろうとする様子は見られなかった。


ヒスイが急いで奥の休憩所に呼びに行くのを見送って、ウォルターは興味深げに薬局の中を見回した。


「狭い分種類は多くないが、基本的なものは揃っているのだな。しかもあの受付ならば…第二と第四以外はあまり行くなと釘を刺しておいた方が良さそうだな…」


近衛騎士団と第一騎士団、第三騎士団は王城内の薬局が近い。そちらの方が敷地も広く薬の種類も豊富だ。しかし受付はむくつけき髭のおっさんと、絵本に出て来る悪い魔女のような無愛想な老女が担当している。彼らは引退した騎士とベテラン治癒士兼薬師なので、必要な薬を適切に出してくれる頼れる存在だ。が、今回の騒動で臨時にここを利用するように通達を受けて初めてここに来た騎士が、急ぎでなければ受付を目当てにこちらまで足を伸ばしそうだとウォルターは思ったのだ。


「出迎えご苦労」

「殿下…どうしてそんなに態度がデカイんですか…」

「…っ!レンドルフ!」


奥に続く扉が開くと、そこから威風堂々とした様子のアナカナが出て来てウォルターに手を振った。完全に護衛を撒いて抜け出した者の態度ではなかったので、さすがに慣れているウォルターも頭が痛い、と言わんばかりにこめかみに手を当てた。

が、アナカナはウォルターの後ろに立っている更に大きなレンドルフの姿を見つけて、ウォルターの脇を走り抜けて一直線に駆け寄って足にしがみついた。小さなアナカナはレンドルフの太腿の辺りに抱きつくような形になるのだが、短い腕は完全にレンドルフの鍛えた足に回り切れておらず、木にしがみついたリスかなにかのように見えてしまう。

アナカナを抱き上げようとして手を伸ばしたウォルターは完全に無視されたような状態になったが、やれやれといった表情でしがみつかれたレンドルフを振り返った。


「王女殿下、ご無沙汰しております」

「息災だったか?」

「はい、勿論です。王女殿下もご健勝で何よりです」

「うむ」

「このまま上からお話しするのでは不敬になりますので、抱き上げても?」

「…許可する」


しがみついていた腕が緩められると、レンドルフは素早く膝をついて腕に座らせるような形でアナカナを持ち上げた。少し高めに抱え上げたので、アナカナの顔がレンドルフの頭の少し上くらいになる。レンドルフの手が触れている部分は膝裏だけだが、レンドルフの太い腕に凭れ掛かればどんな椅子よりも安定感があった。アナカナも以前からそうやってレンドルフに抱きかかえて移動することも多かったので、どうすれば抱きかかえやすいのか熟知していた。


自然に流れるような二人の動きに、ユリは扉の境目あたりからまるで固まったようにその場に立ちすくんでしまった。必要以上に自ら触れることはなく安定した抱き上げを何度か体験しているユリは、レンドルフの身に付けた振る舞いはここが根源になっていたのだと悟ってしまったのだ。


かつて仕えていた一人であるアナカナに話しかけるレンドルフの表情は柔らかく優しい。基本的にレンドルフは、体格故に威圧感を与えないように相手に対して物腰を柔らかくしている。特に女性に対しては余程のことがない限りひたすらに紳士的だ。しかしアナカナに向ける目線は、それとは全く別物だった。そこに恋情がないことくらいはユリにもすぐに分かるが、敬愛と庇護する対象に向ける包み込むような優しい愛情に満ちていた。そしてそこには誰も入り込めないような信頼感が結ばれていた。


(何だろう…このモヤモヤした感じ…)


ユリがどう声を掛けたものか戸惑っていると、レンドルフがユリの存在に気が付く。


「ユリさん!突然押し掛けてごめん」


アナカナの方を向いていたレンドルフが、ユリに気付いた瞬間、明らかにその顔に喜色が浮かんだ。おそらくレンドルフは無意識だったのだろうが、そのあからさまなまでの表情の違いに周囲にいた人間がどこか生暖かいような顔になった。アナカナに至っては、「やれやれ」とでも言いたげな様子で肩を竦めていた。どう見ても年相応の仕草ではない。


「え、あ、ううん、大丈夫…ビックリしたけど」

「そうじゃ、わらわは楽しく女子会をしておったのじゃぞ。迷惑なぞ掛けておらぬ」

「…掛けたんですね」

「そ、そんなに、でもない…と思う」


呆れたように呟くウォルターに、アナカナは気まずそうに顔を背けた。レンドルフに抱き上げられたままなので彼の肩口に顔を埋めるような恰好になるが、今度はそれを見てもユリは先程のモヤモヤは感じなかった。


「さあ、戻りますよ、王女殿下」

「うむ、承知した」


ウォルターは肩から下げていた大きな鞄を床に降ろして、大きく口を広げた。そしてレンドルフに降ろしてもらったアナカナが何の躊躇いもなくヒョイ、と鞄の中に足を入れた。広げるとかなり大きな鞄だったので、アナカナの小さな体なら無理なくすっぽり入りそうではあるが、まさか王女がそんなことをするとは思ってもみなかったユリとヒスイはギョッとして目を丸くした。


「ユリ嬢、ヒスイ殿。世話になったな」

「え…アナ様、それで運ばれるおつもりですか?」

「見た目はクタクタした布じゃが、防御は騎士の鎧以上の付与が掛かっておるのだぞ。しかも意外と寝心地も悪くない」

「そういうことでは…」

「今日の話は乙女の秘密じゃぞ!レンドルフにも言うてはならぬからな!」

「…はい」

「では、またの」


アナカナは包んでもらった食糧を自らしっかりと抱えて、そのまま鞄の中で膝を抱えて座り込んだ。どうやらこの移動方式は慣れているらしく、ウォルターは何の疑問も思わず蓋を閉じる作業をしている。彼女も「ウォルターの運びは早い分揺れが激しいのじゃ」と苦情を申し立てながら鞄の中に引込んで行った。


「俺はすぐに殿下をお届けする。お前はこちらのお嬢さん方に詫びをしておいてくれ。…それでは、お騒がせしました」


そう言ってウォルターは軽々と鞄を肩に掛けて一礼すると、レンドルフを残して慌ただしく薬局を後にして行った。その姿は、いくら小さいとは言っても少女一人を担いでいるようには見えなかった。歩く姿が通常とあまり変わらず鞄の中に王族が入っているとは思えない動きなのは、やはり周囲には彼女を運んでいると分からせない為なのかもしれない。


「…何か、今日一日で何歳も年取った気分…」

「申し訳ありません」

「あ、いえ、今日は久々だったので体が鈍っちゃってたのもありますから。ところでレン様はこの後はお時間は?」

「今日は早番だったので上がるところでした。それを団長に掴まって」

「じゃあちょっとユリちゃんと休憩でもしてってくださいな。ね、ユリちゃんも大丈夫でしょ?」

「私はいいですけど…レンさんは?」

「俺も大丈夫」

「はいはい、じゃあまた誰かが来るといけないから、いつもの休憩所で!」


ヒスイに押し出されるようにして、ユリは再び建物の裏手にある休憩所へ向かった。レンドルフもその後を体を小さくしながら着いて行く。


一人になったヒスイは、もうこれ以上来客がありませんように、と祈りながら在庫確認を再開したのだった。


「あれ?そう言えば王女様、私には『ヒスイ殿』って言ってたっけ。ユリちゃんが教えたのかな」



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アナカナに全部持たせようとしたが「食べ切れぬ」と言われて少しだけ残っていたリンゴとサツマイモの飴掛けをユリが皿の上に乗せている間に、既に勝手知ったるレンドルフが魔道具で湯を沸かしていた。


「今日は驚いたよね」

「うん、まあね。まさかいきなり王女殿下が一人で来るとは思ってもなかったし」

「ごめん、迷惑を掛けた」

「それはレンさんのせいじゃないと思うけど…一応謝罪は受け取っておくね。さっき騎士団長様も言ってたし」


レンドルフが粉末の紅茶をお湯で溶いてテーブルの上に二つ並べると、ユリは皿をレンドルフの前に差し出した。一瞬、自分だけなことにちょっと困ったような表情になったが、すぐに「さっき殿下と食べたから」とユリが告げるとすぐに安心した顔で嬉しそうにツヤツヤした飴掛けに目が釘付けになっていた。


「ねえ、アナ様っていつもあんな感じだったの?」

「うん、そうだね。聡明な方だから、意図が分からない行動を取られることもあるけど、後からあれは理に適っていた、って分かる感じかな。周囲は『さすが王族』って言ってるけど…」

「けど?」


首を傾げたユリに、レンドルフは少しだけ視線を彷徨わせて言葉を選んでいるようだった。そんな時はユリも急かさずにゆっくりと淹れてもらった紅茶をそっと啜って待つ。彼の長い睫毛の向こうのヘーゼルの瞳は、おそらく当人が思っている以上に感情が読みやすい。きっとレンドルフは近衛騎士を離れた今も、彼女のことを困った御仁だと思いつつも敬愛しているのが分かる。


「本当はもっと穏やかに過ごしていただきたいと思う…」


ポツリと漏らしたレンドルフの言葉は、ユリの想像以上に真剣な響きを含んでいた。しかしすぐにレンドルフは我に返って、「ここだけの話にしておいて」と困ったような笑い顔を作った。



「王女殿下が人前でものを食べるのは珍しいんだ。基本的に王城内で出された食べ物は、気まぐれにほんの少しだけ口にするくらい」

「それって、やっぱり毒を警戒して…?」

「うん。日によってサラダだったり、デザートだけだったりして、狙いを定めさせないようにしてる。少しだけっていうのも、致死量を避ける為」


王族や高位貴族の間では、アナカナの食事の仕方は大分作法が出来ていないというのは公然の秘密のように伝わっている。気分で一部のものしか口にしない、中身が見えないものは徹底的に崩して結局食べなかったりと、まだ幼いから許されているギリギリのマナーなのだ。それは毒を警戒していると知っていれば分からなくもない行動なのだが、大半の者は彼女がそこまで考えているとは考えず、ただ偏食の変わり者なのだと思われている。

もしかしたらそこまで思い詰めずともよいのかもしれないが、死に至る毒ならばたった一度でもそこで終わる。用心し過ぎると言うことはないのかもしれない。


「そんな…成長期の子なのに…」

「そこは問題ないよ。問題…はあるんだけど、変装して勝手に王城を抜け出して、市井の屋台とかで買い食いしてる」

「そ、それは良いのか悪いのか困るね」


頻繁に抜け出すアナカナを不敬覚悟でウォルターが叱責したものの、むしろ王女の正体を知らずにその場で出された食べ物の方が安全だと言い切っていた。実際それを否定し切れない部分もあったので、必ずウォルターに一報を入れることを約束させてこっそり見逃していた。これが国王の耳に入れば首が飛びかねないのだが、それよりも王城内で幼い王女が警戒して食事もろくに出来ない状況の方が深刻だと判断したのだった。

もしそれでもアナカナに万一のことがあった場合は、その日の護衛騎士や食べ物を売った店などを罪に問わせず、ウォルター一人が責を負うと彼女に誓約書まで書かせていた。


「だけど加減が分からなくて外で食べ過ぎて動けなくなるから、ああやって特別な鞄で回収してこっそり部屋に戻してるんだ。大きな荷物を見咎められても近衛騎士なら『尊い御方のご希望です』って言えば大抵入れるし」

「レンさんも運んだことがあるの?」

「多分俺が一番運んでるよ。ああ、でもそろそろ団長が越えるかな」


レンドルフが近衛騎士だった時には、わざわざアナカナがご指名で呼び出すことが多かった。そのおかげか、レンドルフは大荷物を丁寧に運ぶ技術が大変向上していた。


「アナ様も、大変なのね…」

「変わり者だけど、有能な方だからね。まだ幼いこともあって、毒味役が機能していないのもあるけど。あと数年すれば状況も変わると思うよ。出来れば、そうあって欲しいな」


アナカナにも王族なので毒味役は付いているが、体の大きさが違うので大人には遅効性でも子供には即効性で効いてしまうこともある。それに大人には影響のない量の薬であっても、アナカナくらいの年齢では過剰摂取で却って毒になるものも多数存在する。そして大抵の防毒の装身具は、人体に有用な薬効成分を弾くように設定されていないのだ。ミュジカ科の薬草のように人に幻覚を見せたり、精神的に悪影響を及ぼすことで違法薬物に指定されているものでも、一部の回復薬と成分が同じものが含まれているので、装身具だけでは完全に回避出来ないものもある。

もう少し成長すれば、年齢や体格に因る危険性も減って来る。それまでは何としても周囲に守り切って欲しいと今のレンドルフには祈るほかなかった。


「ところで、ユリさん殿下を『アナ様』って」

「え!?あ、いけなかった?さっきお会いした時にそう呼んで良いって言われたんだけど…」

「いや、別に全然良いんだ!ただ、初対面の人に名前呼びを許したのは初めてなんじゃないかと思って」

「そうだったの?」

「ユリさんはすごいな。あの人見知りの激しい殿下に、すぐに懐かれるなんて」

「そ、そうなの?よく分からないけど…」


ただ単にユリが「異界渡り」の血縁者なので話をしに来ただけのように思えたが、レンドルフがニコニコしながら自分のことのように嬉しげに「すごい」と何度も口にしているのでそこに水を差すようなことはしないことにした。それに他言しないようにとアナカナから言われているし、他言したところで相手には何の話かさっぱり分からないだろう。ユリですら、始祖のことでありながらも疑わしいと思っていた「異界」の話なのだ。普通の人間からしてみれば「異界」はただの空想の産物なのだ。


「レンさんは聞かないのね」

「殿下が来た理由?でも俺が聞いたらユリさんが困るよね」

「あ…うん…ありがと」

「もし何か嫌な思いをしたなら話して欲しいけど…」

「全然!それはないから!ちょっと変わった方だけど、色々とお話し出来て楽しかったよ」

「それなら良かった」


ユリの言葉に、レンドルフは心から嬉しそうに微笑んだ。久しぶりに至近距離でレンドルフの美しい笑顔に被弾したユリは思わず胸を押さえそうになってしまったが、これ以上心配させてはいけないとグッと堪えたのだった。



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