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346.王女の覚悟、大公女の覚悟


アナカナは喋り続けて喉が渇いたのかカップの果実水を一気に飲み干し、ユリに勧められておかわりを注いでもらった。


「わらわがあちらで見た物語は、史実をエンタメ…ええと、娯楽的に改変していたと思っておるのじゃ」

「娯楽ですか」

「ああ。ただ事実を書き連ねただけでは物語にはならぬ。ただの歴史的な資料じゃ。そうじゃな『姫と魔獣』という歌劇を観たことはあるかの?」

「実際に観たことはございませんが、大体の話ならば存じております」

「あれは先代クロヴァス家の夫妻の話だというのは有名ではあるが、別に先代当主は赤い魔獣でもないし、呪いが解けたら美青年になった訳でもなく、熊男のままじゃ。しかし舞台の主役ならば男前の方が見栄えが良かろう?」

「なるほど、それが娯楽的な改変ですか」


ゲームのシナリオ担当は、ある程度この世界で起こった史実を下敷きにして、その活躍の場にヒロインやヒーローを当て嵌めたのだろう。こちらの実在の人物を使ったところで、異世界なのだから不敬にも発売禁止にもならないのでそのまま利用したのではないかとアナカナは思っていた。


だからゲーム内で起こった事件は発生しても、実際はそれに関わる人物が違っているのだろう。前世でプレイをしていた時は何とも思わなかったが、この世界に転生してゲーム内では描き切れなかった裏側を知れば知る程、王子であり高位貴族の後ろ盾を持つエドワードがそんなにホイホイ事件に首を突っ込める筈がないのだ。しかも第二弾のヒロインは、学園都市で専門的な知識を身に着ける為に国を代表してオベリス王国に留学して来た才女という設定なのだ。ゲーム開始時は条件により高位貴族だったり聖女候補だったり、努力家の平民だったりと身分の違いは発生するが、どのタイプが来てもいちいち事件を気に掛けて勉強を疎かにするような者が留学して来る訳がないのだ。常識的に考えて、留学先の王族とお忍びで事件に首を突っ込んでいる余裕はない。


だが本当に起こる事件を放置して多くの人間が巻き込まれて最悪命を落とすような事態は、それを知っているアナカナには無視出来なかった。だから記憶を辿りつつ、今の体で出来る範囲でそれを確認したり芽を潰して回ったりしていたのだ。ただそれを派手にやり過ぎて命を狙われる結果を招いたのではあるが。


「ひとまず、ユリ嬢が叔父上に懸想している訳ではなくて安心したぞ。まあ、人の心を強制することは出来ぬのは承知じゃが、今後もそのような交流は避けてくれると助かる」

「その気はございませんよ。それに、王族と大公家とは程良い距離を取ることが国の安定に繋がりますから」

「そうじゃな。それにユリ嬢はレンドルフと睦まじいようじゃからな」

「なっ…そ、それは…否定は、しませんが…」


急にレンドルフとのことを指摘されて、ユリは狼狽したように口ごもる。その様子を見るアナカナの顔は、完全に可愛い娘さんを見守る親戚のおばちゃんのようになっていた。



ゲーム内で大公女と近衛騎士レンドルフが仲を深める展開は、残念ながら前世のアナカナにはプレイする時間がなかったらしく全く記憶にない。が、攻略対象の一人だったレンドルフは真面目が過ぎるくらいの実直な人柄だったのはしっかり覚えている。ヒロインとの正規ルートに入った場合のプレイヤーの評価では「見た目はいいが残念脳筋」「初心者向け」「一本道ルート」となどと散々言われていたが、現実世界では見た目は違うが中身はゲームと同じくらい頼りになる人物なので、アナカナ的には相手に選ぶなら一押しの存在だ。


アナカナはゲーム内のレンドルフだけでなく、きちんと近衛騎士であった彼が非常に優秀だったことも知っている。

以前アナカナが護衛だった筈の騎士から襲撃を受けた際に、レンドルフが身を呈して庇ってくれたことがあった。その犯行は、アナカナが犯罪に手を染めていたことを暴いた家門と同派閥の妻を持っていた騎士が、妻の実家からの圧力に屈して行ったものだった。


それ以来、アナカナは騎士個人として信用していても、その背後に連なる影が透けて見える者に命を預けることに忌避感が出てしまうようになった。王族の護衛に付く騎士は、貴族出身でなければならない。そして貴族には色々と派閥や家同士の柵が紐付いていることが大半であるし、高位貴族になればなるほどその紐は複雑且つ強靭だ。しかしレンドルフはどの派閥にも属していない数少ない者だったので、近衛騎士時代は周囲に我が儘と取られる程レンドルフを傍に置きたがったものだった。

後日アナカナがレンドルフに執着する理由を騎士団長ウォルターが見抜いて、彼女の周辺にはレンドルフ以外にも派閥に属していない者を付けてくれたので、必ずレンドルフを連れ歩くということはなくなった。アナカナにしてみると、そのあたりはレンドルフに迷惑を掛けまくった黒歴史として、時折ベッドで思い出しては枕を抱えて転げ回っている。


この先はどうなるかは分からないにしろ、ユリがその誠実さの塊のようなレンドルフを選んだのならきっと悪いことにはならないだろうとアナカナは確信していた。


何せ記憶にある限り、大公女は第二王子だけでなく別のルートでも悪役令嬢ポジションで登場するパターンが幾つもあるのだ。そして彼女が起こす事件は、大公家という後ろ盾があるだけにどれもなかなか大きな被害をもたらす。その可能性が潰せるなら、それに越したことはない。現実的に事件は起こったとしても、ユリとその後ろのアスクレティ大公家が出て来さえしなければ、王族であるアナカナが対処すればそこまで恐ろしいことにはならない筈だ。


(前作はライバル令嬢はいても正々堂々勝負を挑んでは、むしろ友情を育むほのぼのイベって雰囲気が好きだったんだけどな…)


前作は学園内を舞台にしていて大半が同年代の狭い世界だったので、何か問題が起こってもせいぜい小さな嫌がらせや、誤解による些細な衝突程度のものだった。第二弾は、続編でも全く別物なくらい一気に世界が広がり、進め方によっては国を揺るがすような大事件や国家間同士の諍いなども発生する。当然人伝や「ナレ死」などで登場人物の死亡が発生することもあるのだ。そちらの方がリアルではあるし自由度が高いと乙女ゲームを普段は嗜まない層も参入して来たので、前作よりも売上は良かったという記事をアナカナは読んだ記憶もある。


「もうわらわより知っているであろうが、レンドルフは実直で良い男じゃ。この先も仲良くするのじゃぞ」

「はい、ありがとうございます」


見た目はあどけない美幼女のアナカナが言葉と態度は妙に貫禄たっぷりに言い放ったので、ユリは何だかメイド長やミキタなどの年上と話しているような気分になった。



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「おお、それからの。その内報せが来るかと思うが、王城内で所持している薬がほぼ総入れ替えになるでな。薬師ギルドも薬師も数日は忙しくなると思うぞ」

「え?何が起こったんですか!?」

「先程言ったと思うが、異物混入騒動じゃ」

「おっしゃいましたっけ」

「言うたぞ。箱の中からな」

「そんなことアナ様が箱から出て来た時点でビックリし過ぎて覚えてないですよ!」

「すまぬ」


昨夜、急な腹痛で城内の医務室から処方された回復薬を飲もうとした文官が、封を切ったばかりの瓶の底に小石が沈んでいるのを発見した。回復薬は薬師ギルドを通じて魔道具で品質を必ず確認してから販売され、封や瓶に細工をすればすぐに分かるようになっている。通常ならば有り得ない状況に、文官は慌ててそれを医務室に持ち込んだ。自身が封を切った際に服などに付いていた石が入り込んだのかもしれないとも思われたが、その後傷薬がいつもよりやけにザラついていると訪ねて来た侍女も現れ、さすがに異常を感じた医師や治癒士が在庫の薬を調べたところ、石や砂、時には木の葉などが混入しているものが大量に発見されたのだった。


「何でそんな…」

「…これは明日辺りに発覚すると思うが、わらわのハトコ?というのか、取り敢えずまだ一歳になったばかりの赤子がやらかした」

「それも、アナ様の読んだ異界の預言書からですか」

「ああ。しかしわらわが知る限り、まだ今年は起こらない筈じゃった。それには、三歳の幼児が癇癪を起こして転移魔法を無作為に発動させたとなっておった」

「三歳でも魔法を発動させることは滅多にないですからね。それがまさか一歳で転移魔法を使ったとは思いませんね」

「わらわもそう思っていたから、今年は完全に油断しておった。今は王城の鑑定魔法を使える者達が総力を上げて影響を調べておる。一応専用の保管庫に入っていた稀少な薬や禁書庫、王族専用の設備など別途厳重な結界で守られていた区域は無事じゃったが、それ以外のあちこちが被害を受けた」


転移魔法は、あらゆる物体を離れた場所へ一瞬で移動させる魔法だ。これは非常に操作の難しい魔法で、生まれ持った魔力量によって転移可能な物や量が大きく異なる。これも使いようによっては暗殺などに悪用されかねないので、その魔法を使える者は必ず国に登録されて、使用の制限を誓約することになっている。

どんな属性の魔力を持っているか、保持している魔力量などは生まれてすぐ鑑定で見てもらうことは出来る。が、その属性の中でどんな魔法が使えるようになるのかは、ある程度成長してみないと分からないところもある。心と体の成長に合わせて、魔法も下位から上位を使えるようになって行くのが一般的であった。


今回の騒動の元になった赤子は、もしかしたらこれまでも小さな転移魔法を発現していたのかもしれないが、ささやか過ぎて気付かれていなかった可能性が高い。おそらく誰も魔法が使えるようになっていたとは思っていなかった。余程魔力量が多くない限り、魔法の扱いを教えて行くのはきちんと意思疎通が出来るようになってからだ。


「今のところ転移したのは小さな物体であったし、転移先も生き物の中ではなかったようじゃ。被害者も特になく、件の赤子は王家の血縁であるし、悪意もなく周囲も気付いていなかったということで誰も罪にはならぬであろう。今後は適切な指導のもと、魔力抑制の魔道具を使って様子を見て行くといったところか」

「…そうですか」

「中級以下の回復薬や傷薬などは、鑑定を掛ける手間よりも全て処分して新しい物を揃えた方が早いということで話が進むであろう。ま、被害額はゾッとするが、王家の私財から出すことになるから問題はない」


転移魔法はもともと難しい魔法であるが、中でも生き物を転移させるのと生き物の中に転移させるのが最も困難で、それが可能な者は国内で数名程度と言われている。幸いにも今回の場合はどちらも生物には影響がなかった。勿論人が口にするものに影響が出たのは問題ではあるが、これが万一小石などが人体の中に転移していたら間違いなく死者が出ただろう。そうなってしまったら、たとえ赤子であっても見逃されることはなかった筈だ。


「この薬局は防犯の魔道具によって頑強に守られていたからの。それに魔導師団長自らが調査した結果、件の赤子が滞在していた建物内にのみ影響があったと検証済みじゃ。その為城と直接繋がっていないここや、別棟なども問題はない。だから至急回復薬などが必要な場合はここか、市井の薬局などで調達するようにと、今朝の申し送りで周知されたそうじゃ」

「それを一言知らせて欲しかったですね…」

「ここにも通達はするようになっていた筈だが…どこかで止まっておるのか。大きな組織ではよくあることじゃが、迷惑を掛けた。補佐官に情報を追跡させて、止めたものを厳重注意するように申し付けよう」

「…何だかアナ様が年上のように思えて来ました…」


完全に管理職じみた発言をするアナカナに、ユリは彼女の前世とやらは一体何歳くらいで、何をしていた人物なのだろうかと気になり始めていた。



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「さて…そろそろウォルターが迎えに来る頃かの。ユリ嬢、世話になった」

「は、はい。大したおもてなしも出来ませんで」

「いや、おやつは美味であった。そのう…」


アナカナは太陽の位置を確認して、カップに残っていた果実水をグイ、と飲み干した。王城内を護衛も付けずに抜け出していつの間にか薬局に入り込んでいたのだが、一応どこに行くかは近衛騎士団長ウォルターには伝えておいたようでユリは安堵した。

基本的にこの研究施設で働いている者は王城に雇われている訳ではない。敷地は同じでもわざわざ治外法権を取ったのは、必要以上にオベリス王国からちょっかいを掛けられないようにする為だが、逆にユリ達が勝手に王城内をうろつくのも緊急事以外は控えるように言われている。その中でどちらの人間も入れる場所がこのキュロス薬局なので、アナカナがここにいるのは問題はないが、一人で王城に送り返すのはおそらく色々と問題がありそうだったからだ。


「このおやつ…皿の上のものを持ち帰っても構わぬだろうか…」


皿の上には、出した分の半分程が残っていた。アナカナは少々顔を赤くして恥ずかしそうに上目遣いにユリにおずおずと尋ねて来た。その様子はこれまでとは打って変わって年相応で非常に愛らしく、思わずユリの顔が綻んでしまった。


「構いませんよ。まだ保存容器にもありますので、食べかけではなくそちらをお持ち帰りください」

「それではレンドルフの分がなくなってしまうではないか」

「今日はもういらっしゃいませんよ。遠征が近いですから、その準備に忙しいと思いますし」

「そうか?では遠慮なくいただいて帰るぞ。この礼は何らかの形でするからの」

「こんな簡単なもので礼などいただいては畏れ多いです」

「いや、今日の食糧を確保出来たのは僥倖じゃ」

「今日の食糧…?まさかアナ様はおやつだけで済まされるおつもりなのですか?」

「あ…いや、いつもは違うぞ!ちゃんと野菜も食べておるぞ!」


つい口を滑らせたらしいアナカナの言葉に、ユリは半分疑わしげな目を向ける。時折甘やかされた貴族の子女が、お菓子やフルーツなどを主食にして体を壊したと当然の理由で治癒士を呼びつけることがある。ユリは治癒士ではないが、薬師見習いとして医療に関わる身なので、アナカナもその類ではないかと思って思わず眉を顰めてしまったのだ。


「…大方どう誤解しておるのかは察しがつくが、一応わらわはこれでも父上の後継候補第一位であるのでな。身の回りには人一倍気を付けぬと連座で処刑者が出かねんからの」

「それはまさか…」

「ユリ嬢は薬草に詳しいであろう?大人であれば問題ない薬草も、このような幼い体ではたった一枚で致死量になるものをどれほど知っておる?毒など使用しなくても、大人用の心の臓の薬、不眠の薬、避妊薬など、幼児に禁忌のものなど枚挙にいとまがない筈じゃ」


アナカナの問いに、ユリは言葉を詰まらせてしまった。しかし反射的に頭の中では、今の時期に簡単に手に入る該当の薬草は容易に両手分は候補が挙がっている。アナカナは王族なので最高の防毒や解毒の装身具は身に付けているし、毒味役も付けられているだろうが、それでもすり抜けるものは存在している。それに、装身具が感知しない程度に少量の不必要な薬を同時に多数飲用すれば、死ななくても何らかの悪影響が出る可能性はあるのだ。もしアナカナを後継候補から引きずり降ろしたいだけであれば、命は奪わずとも後遺症が残る程度でも十分目的は達する。

中身はともかく、実年齢は幼い王女の置かれている状況を知って、ユリは顔色が悪くなっていたのだろう。アナカナは眉を下げてションボリとした表情になって「怖がらせるつもりはなかったのじゃ」と小さく呟いた。


「そう頻繁に狙われている訳ではないから、今日一日くらい気を付ければいいだけじゃ。王族専用の厨房は無事だと言われてはいるが、今日辺りは『見落としていた』という主張で押し通せる素晴らしい好機であるからな」

「好機とかご自身で仰らないでください!」

「はは、相手の望みに従うつもりはさらさらないぞ。明日の朝食までは何も口にせずに過ごせば良いだけじゃ。簡単なことよ」

「あの…他にも焼き菓子などもありますから、全部持って行ってください」

「そんなには食べ切れぬ。じゃが、食べられる分だけありがたく貰っておくぞ」

「是非」


大人並みの冷静な判断力と諦観に、ユリはいよいよアナカナの前世を信じざるを得なくなった気がした。この賢さがなければ命を狙われることもなかったかもしれないが、アナカナの立場を考えればその老獪さがなければ今頃存在していなかったかもしれない。

国が性別関係なく長子相続を推奨している中、王家もそれに従えば王太子の長子であるアナカナが将来的には女王になる筈だ。しかし建国以来国王は男性が務めて来たことと、未だに男性優位の旧体制を推奨している貴族も少なくない。もし女王になれば、それは茨の道になるのは目に見えている。

しかし多少の変人ではあるが神に愛されし天才と名高いアナカナは、市井の人気が高い。後継者候補から外すにも正当な理由がないと難しい状況なのだ。


ユリ自身もオベリス王国唯一の大公家ただ一人の直系だ。今は現当主レンザの庇護のおかげで自由で安全に過ごせているが、いつかは後継者を決めなければならないので、それに伴って周辺は騒がしくなるだろう。


ユリはアナカナに持たせる焼き菓子を包みながら、味方の少ない彼女の壮絶な覚悟と、固い防壁を整えてくれるレンザの想いを改めて思い知った気がした。



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