344.招かざる人々
人が多く来るかもしれないと予め報されていたが、予想を越える盛況ぶりにキュロス薬局は朝で一旦閉めることはせずに昼休憩が終わる時間を大幅に越えてまで休み無しで対応していた。朝の開店と同時に数名の騎士が訪れたかと思ったら、ひっきりなしにやって来て人が途切れなかったのだ。ヒスイはいつも以上にテンション高くとびきりの笑顔で対応していたのと、基本的に女性は守るべき者という意識が根付いている騎士が大半なので、大きなトラブルもなくどうにか乗り切っていた。ヒスイは男性だが、わざと女性に見えるような振る舞いをしているのでそれが功を奏したようだ。
さすがに申し訳なく思ったユリが手伝おうと顔を出しかけたが、ヒスイの圧のある笑顔で押し戻された。
そしてようやく「本日終了」の札を扉の外に掛けたヒスイが、薬局に置かれた椅子の上に崩れ落ちるように座り込んで嵐のような久方振りの営業を終えたのだった。
「ヒスイさん…お疲れさまです」
「あ〜ありがと…」
ユリが柑橘を絞った果実水に多めに蜂蜜を溶きミントの葉を添えた冷たい飲み物を差し出すと、ヒスイはやや掠れて低くなった声で礼を言って受け取った。
「あんなに人が来るとは思いませんでしたね…」
「ホントにね!見かけない顔の騎士もいたから、第四以外の騎士団の人も来てたんじゃない?」
「王城の薬局、何かあったんですかね」
「何かあったんだったら教えて欲しい…」
ヒスイは殆ど一気にグラスの中身を飲み干して、半ば走り回ってすっかり崩れてしまった髪を束ねていた紐をサラリと外した。
裏側からこっそりとユリも来ている客を見ていたが、確かにいつも来ている顔ぶれとは違う者も多かった。この研究施設と薬局の敷地に隣接しているのは第四騎士団で、薬師ギルドからの出張窓口である王城内薬局からは最も遠い場所にある。逆に王城の薬局に近いのは第一騎士団と第三騎士団だ。第二騎士団は、執務棟や談話室などはこちらに近いが、専用の訓練場が王城の薬局に近いので半々と言ったところだ。
そもそもこのキュロス薬局が開設されたのは、第四騎士団の福利厚生を向上させると言う意味もあったのだ。
来ていた者の中に一際目立つレンドルフの姿もあったが、狭い店内がごった返していたので入口で引き返してしまっていた。ユリはその背中を見送りながら、仕方ないと自分に言い聞かせていたのだった。
「それは、異物混入騒ぎがあったせいじゃ」
「っ!?」
「な、何!?」
二人だけしかいない筈の部屋の中に、第三者の声が響いて来て二人は飛び上がる程驚いた。ヒスイがテーブルの上にグラスを置いてすぐさま立ち上がって、ユリを壁に押し付けるようにしてその前に立ちはだかる。
「誰だ!」
「……っちょっと…助けて…」
「はい?」
「ええと…あの、箱の中、ですかね」
在庫の入った箱を店内に運び込んでその中から補充していたのだが、さすがに空き箱をきちんとしておく時間がなかったので、そのまま店内の端に無造作に積み上げていた。それが僅かに揺れ動いて、そちらから声が聞こえて来る。ユリとヒスイは顔を見合わせて、おそるおそる積み上げた箱の方へ近付く。
「あのぅ…どなたでしょう?」
「ア…怪しい者ではない!」
「…すごく怪しくない?」
「ぐぅぅ…反論出来ぬ」
「…今箱を退けるから、妙な動きはしないようにね」
箱の中から聞こえて来るのは、明らかに幼い子供の声だった。そもそも箱の中に隠れられるのは小さな子供くらいしかいない。さすがに小柄なユリでも無理な大きさだ。いつ紛れ込んだのかは分からないが、口調からすると高位貴族の子が王城に連れられて来て、かくれんぼのつもりで箱の中に入って出られなくなったのかもしれない。
それはそれで護衛はどうしたのだという問題はあるのだが、少なくとも悪意を持って潜り込んだ訳ではなさそうだった。二人は手分けして空になった木箱を降ろして行く。
よりにもよって一番下の箱にいたらしく、全て退かすとプハリと息継ぎでもするかのように自分から顔を出した。出て来たのは、子供と言うよりは幼児の方がしっくりくるプルリとした丸く白い頬が可愛らしい少女だった。光が当たると白にも見えそうなふんわりとカールしたプラチナブロンドに、淡い紫色の丸い瞳で、一瞬精霊でも出て来たのかと錯覚しそうだった。
「…お、うじょ、殿下…?」
社交に一切出ないユリでも知っている。王家の血筋に出やすい淡い金髪と紫の瞳の両方を持つ幼い少女は、現在は王太子の長子である第一王女以外にいない。
「ええと…ごきげんよう?」
箱の中から小首を傾げて可愛らしく笑う幼子を前に、ユリは凍ったように固まっていたのだった。
---------------------------------------------------------------------------------
「終了しているのに申し訳ないが、食あたりの薬を売っていただきたい」
「確認しますので少々お待ちください」
キュロス薬局は、基本的に朝と昼休憩時だけ店を開けている。騎士の休憩は交代制なので、早番と遅番の騎士がどちらも利用出来るようにしているが、それ以外の時間は急を要する時だけ外に設置されているチャイムで呼び出すように定められていた。とは言っても王城内にも薬局はあるし、医務室もあって治癒士が常駐している。その為時間外で呼ばれることは開店以来一度もなかった。
そのチャイムが初めて鳴ったので、ヒスイは「こんな音だったっけ?」などと呟いていた程だ。
青い顔をしてやって来た騎士らしき人物は、今までに見たことがない騎士服を纏っていた。形はどこの騎士団も似たようなものであるが、細かい意匠が王城にいる騎士とは明らかに違っていた。この薬局は王城内勤務の者に売ることを許可されているが、この人物に売っていいものか判断が付かず、在庫を確認すると言い残してヒスイは従業員用の扉から裏の倉庫に出た。
「一応どこかに確認した方がいいのかな」
「念の為聞いてみますね」
「おお、最新の遠話の魔道具まであるのか。さすがじゃな」
チャイムが鳴らされたので、ユリは顔を合わせないように裏に引っ込んだのだが、何故か第一王女まで当然のように後を着いて来たのだ。いくら王城内と言っても、王族を護衛も無しに追い出す訳にも行かず、しかも焦ったように何度もチャイムを鳴らされているので仕方なくユリが目を離さないように倉庫に潜むことになった。
在庫確認と誤摩化して引込んだヒスイに、ユリが遠話の魔道具を手に取った。これは何かあった時の為に、研究施設に助けを求められるように設置してくれたものだ。一応施設の警備室と事務室、そして副所長であるレンザの執務室直通に設定されている。
遠話の魔道具は高価であるのでまだあまり広く普及はしていないし、ここで使用しているのは技術の進んだキュプレウス王国製の最新式だ。第一王女はそれをきちんと理解して、ウンウンと頷いていた。その態度は王族らしいと言えばらしいのだが、まだ幼い王女が取る態度とは言い難い。しかしあまり待たせて来客の不興を買うのは避けようと、そのことについて考えるのは後回しにする。
「事務室で確認してもらったほうがいいかしら」
「あれは留学生の護衛で外務大臣絡みの案件じゃ。まずは大公閣下に聞けば良かろう」
「…畏まりました」
小さく可愛らしい少女が、腕を組んでフンス、と得意気な顔をしている姿は微笑ましいものがあるが、言っている内容はあまり微笑ましくない。ユリは魔道具を抱えて倉庫の隅で壁に向かって小声でレンザに連絡をした。
「ヒスイさん、一番弱い解毒薬なら大丈夫だって。一応口頭で王城勤務か確認して、違うと言われたら正規の金額で販売するように、って」
「分かった。ありがとね」
「何かあったらすぐに警報押してくださいね」
「大丈夫。それよりも、何かあっても出て来ちゃダメだからね」
ヒスイは迷いなく解毒薬の瓶を掴むと、不安そうに眉を下げているユリに軽く片目をつぶって軽やかに表に出て行った。一応受付カウンターの影に、万一何か起こった時の為に防犯用の警報機が設置されている。これを押せば研究施設内だけでなく、外部にも音が鳴り響く。これを聞けば近くにいる騎士達も駆け付けてくれるので、ここで強盗や暴力などを起こす輩はそういないだろうが、備えておいても無駄ではない。
「……あの、王女殿下」
「そのままで構わぬぞ。ここはオベリス王国の法とは違う場であろ?わらわはただのか弱き幼子じゃ」
「ご自分でおっしゃいますか」
「ただわらわは其方に確認と、それ如何によっては話がしたかったのじゃ。ユリシーズ・アスクレティ大公女殿?」
「……騎士団にお迎えに来るように連絡します」
「まままま待って!お願いだから話を聞いて!!」
「普通に喋れるんですか」
「ううぅ……ちょっとしたオタクのなりきり…が、クセになったデス」
「?…よく分かりませんけど、お話だけなら」
よく分からない言葉も混じっていたが、第一王女の懇願にユリは渋々了承した。その際に盛大に眉間に皺が寄っていたのは仕方ないだろう。
王太子の長女である第一王女は、人見知りが激しく変わり者であると噂されている。ただ、座学や読書量、魔法の習得などは大人顔負けでこなし、天才肌故の常人には理解出来ない奇行なのだと思われていた。机上に並んだ数値を見ただけで不正や異変を察知し、既に幾度となく国難に関わるような事案を未然に防いでいるという規格外ぶりなのだ。
同い年の異母弟の第一王子も年齢を考えると優秀らしいが、第一王女の前には凡庸に見えるそうなので、次期後継者が確定しない原因はそこにあった。天才な変人か無難な秀才か。まだ幼い王女王子に、周囲もどちらに付くか決め手に欠けているのだ。
「もしこちらでも効果が見られないようでしたら、王城の治癒士と薬師ギルドにご相談ください」
「感謝する。無理を言ってすまなかった」
壁越しに聞こえるやり取りで、どうやらやって来た人物とは問題なく済ませられたようで、ユリは安堵の息を漏らした。
「大丈夫でしたか?」
「へーきへーき。強面だったけど、紳士的な騎士様だったし。…それよりも」
戻って来たヒスイは、小さな木箱の上にちょこんと座っている少女にチラリと目をやった。
ヒスイはキュプレウス王国の出身で、この研究施設で土壌と魔動農具の専門家としてこの国に来ている。専門家と言ってもまだ学びの途中でもあるので、扱いとしては勤労留学生だ。ヒスイの祖父はこの国の元貴族ではあったがキュプレウス王国では平民だ。
王城の敷地内で働くということで付け焼き刃でざっくりとオベリス王国の王族や主だった貴族のことは学んだが、実際に王族の前に出たことはない。王族は比較的淡い金髪に紫の瞳が出やすいというのと、今の王族でこのくらいの年齢の姫は第一王女しかいないということは把握している。その為この目の前にいる年端も行かない幼い子供が王女というのは分かるが、その王族に対してどのような態度を取っていいか分からず、困惑した目をユリと王女の交互に向けていた。
「あらためて、オベリス国王太子が第一王女アナカナ・オヴェリウスじゃ。この場はキュプレウス王国に属する場であるので、言動について不敬を咎めることは一切ないと約束しよう」
「お、恐れ入ります。私、ヒスイと申します。キュプレウス王国出の平民でございますので、失礼があることと存じますが、寛大なお心感謝致します」
「早速ですまぬが、このユリ…嬢と少々話がしたいのだが」
ヒスイは「大丈夫?」と言わんばかりの視線をユリに向けて来たので、ユリは困ったような顔をしていると自覚がありながらも軽く頷いた。
「では王女殿下、あちらの休憩所でお話し致しましょう。王城側からは見えませんし、人目にもつきません」
「あい分かった」
「私はこっちの後片付けしてるね」
「すみませんヒスイさん、よろしくお願いします」
「…後で話したこと、大丈夫な範囲で教えてね」
「了解です」
ユリに先導されて、薬局の裏手の建物の影にあるウッドデッキに向かって王女アナカナはポテポテと着いて行った。その様子は鴨の雛のような愛らしさはあるのだが、どうも言動が妙なので手放しで微笑ましくは思えず、ヒスイは外に続く扉が閉まるまで不安そうな顔のまま見送っていたのだった。
---------------------------------------------------------------------------------
「お飲物と…おやつをお出ししてもよろしいですか?」
「おやつ!!……い、いいのか?」
「構いませんよ。ちゃんと毒味しますね」
「大丈夫じゃ!防毒、解毒の装身具はきちんと着けておる」
休憩所は大人向けの椅子とテーブルしかないので、椅子の上にクッションを乗せて足元には空の木箱を置いた。ユリが抱きかかえて座らせようかと思ったのだが、準備した時点でアナカナは「すまぬの」と言いながら自力でよじ上っていた。その際にフワリと広がるスカートが捲れ上がってドロワーズが丸見えになっていたのは、ユリは敢えて見なかったことにした。
ユリからおやつと聞いて目を輝かせたり、すぐに我に返ってモジモジとしながら上目遣いに確認する姿も大変可愛らしく思わず頬が緩んでしまう程だが、油断はならないとユリは気合いで表情筋を固める。
まだ幼い子供にお茶を出すのは憚られたので、先程ヒスイにも出した果実水に蜂蜜を溶いたものをアナカナの前に置いた。グラスだと大きめのものしかなかったので、王族に出すのはどうかと思ったが持ちやすさを優先して木のカップにしておく。
そしてレンドルフが来た時の為に用意しておいた新作のおやつも皿に乗せる。サツマイモとリンゴを煮て、表面に薄く飴を絡めたものだ。表面はパリパリとして、中から甘さと食感の違うものが出て来るというちょっと後を引く感じの甘味だ。かなり甘いのでユリは少しで十分だが、甘い物が好きなレンドルフなら頬を染めてご機嫌な顔を見せてくれるだろうと期待していたのだ。
一応毒味は不要と言ってはいたが、念の為同じポットから果実水を注ぎ、おやつの飴掛けは大きな容れ物から目の前で盛って、ユリが一つ摘んで先に食べてみせた。
「美味じゃ!」
アナカナが小さな手でティースプーンを掴んで、苦労して掬ったリンゴを口の中に入れると、より一層目をキラキラさせて大きな声で宣言するような勢いで叫んだ。レンドルフよりも先に出してしまったことに少々思うところがあったユリだが、これだけ素直に喜ばれると何となく引っかかりは霧散してしまった。
「王女殿下、その…お話とは」
「アナで良い。その…わらわもユリ嬢と呼んでも良いか?」
「はい、アナ様」
アナカナは両手でカップを持って、コクリと甘酸っぱい飲み物で一度のどを潤す。そして音も立てずにテーブルの上に戻すと、緊張した面持ちで大きく息を吐いた。
「ユリ嬢、其方は『君の白き頬染めし時、我が身にこの愛を誓う』を知っておるか?」
アナカナの言葉に、ユリはパチリと瞬きをして目を丸くした。