343.見守る人々
「あ!レンドルフ先輩、新しい装身具ですか?」
翌日愛用の大剣を携えて訓練場に足を踏み入れると、同じ部隊のショーキが目敏く見付けてタッセルを覗き込んだ。
「お守りのタッセルだよ」
「そうなんですか?それにしては魔力を感じますけど」
「ああ、今度は壊れないように強化してもらったからな。それと紛失防止に、どこかに行っても俺の手元に戻って来るように設定してあるんだ」
「…それだけじゃなさそうですけど」
「?何か気になることが?」
「い、いいえ!何か凄い細工だなーって」
「そうなんだ」
獣人のショーキは魔力を感知する感覚が人族より鋭いせいか、タッセルに仕込まれた色々な付与が掛かっているのを察知した。しかしあくまでも感覚的なものなので、どういった種類が掛けられているかまでは分からない。ただ、レンドルフが説明した以上のもっと強い魔力が封じられているのは感じていた。表面的には分からないようにしてあるようだが、絶対言葉通りに取ってはいけない品だ。
そしてショーキはこれを渡したのはユリで間違いないだろうと悟った。
見事な彫金細工を褒めるとたちまち相好を崩して大切そうに手の上に乗せたレンドルフを見て、ショーキはユリのことだからレンドルフの不利になるような付与は絶対にしていないだろうと思ってこれ以上考えるの止めることにしたのだった。
「おう、レンドルフ、ショーキ。これから訓練か?レンドルフ、昨日はありがとうな。助かったぜ」
ショーキにタッセルを見せていると、既に訓練でひと汗かいたオルトが首にタオルを掛けて近寄って来た。オルトの短い髪が全体的にしっとりとして額に張り付いている。
「行き掛けでしたから大したことはしていませんよ」
「そうか?待ち合わせは大丈夫だったか?」
「十分間に合いました」
「ウチの談話室に夕べ焼いた礼のマフィンが置いてあるから、良かったら摘んでくれ」
「ありがとうございます。却って手間だったのでは」
「いや、ベルのを作ったついでだ。ショーキも食っていいからな」
「ありがとうございます!いただきます」
オルトは今日は早朝待機番だったので、どうやらこれで帰宅するらしい。この時間帯に帰れば夕食時の混み合う中で買い物をしなくて済むが店じまい間際の叩き売りがないことが残念だ、と笑いながらも足早に訓練場を去って行った。今日もオルトは家で待つ妻の為に買い物をして帰るのだろう。
「昨日はオルトさんと一緒だったんですか?」
「帰りがけにたまたま会ったんだ。それで買い物の荷物を家の近くまで運んだだけだよ」
「じゃあベルさんにお会いしたんですか」
「いや、会わなかった。その後に予定もあったし」
「そりゃそっちを優先しますよね」
「ああ…まあ…」
今更であるのに少々照れたように視線が泳ぐレンドルフを見て、ショーキは「相変わらずだな」と年上で先輩なのに何故か可愛らしく見えるのはきっとこういうところなんだろうと心の中で納得していた。
その後レンドルフはショーキと連携を試してみたり、他の部隊の騎士と軽く手合わせをしたりして二時間程度訓練を行った後、最後は持って来ていた大剣を思い切り振るって手応えを確かめていた。
(やはりやりやすいな。魔石の相性かな)
彫金細工とフリンジを繋ぐ金具の部分に魔石があしらってあるのだが、土属性の物を選んでくれたようで感覚的によく馴染んでいた。同じ土属性の魔石でも、僅かだが相性によって差が生じる。どうやらこのタッセルの魔石は自分の魔力と合っているようで、レンドルフは気分良く大剣を振り回していた。
実のところ、以前ユリに贈ったレンドルフの魔力を充填した土属性の魔石を元に相性の良さそうなものを厳選して装着してあったのだが、そこまでユリが拘っているなどとは思っていない。普通は魔道具でも扱っている商会でもなければ、そんなに厳選出来る程魔石を所有していることはないからだ。だがユリは大公家の力を存分に利用して、所有している大量の魔石から選び出していた。
いつもよりも勢い良く剣を振るっているレンドルフを同じ訓練場にいた騎士達は遠くから眺めて、離れたところにいても肌に直接響くような鋭く空気を切る音にやや顔色を悪くしていた。
「あれ…掠めただけで死ぬだろ」
「しかも笑ってるとか…怖ぇ」
ショーキも離れたところでその囁きを聞きながら、レンドルフが非常に上機嫌なだけなのを知ってはいても「気持ちは分かる…」と内心そっと頷いていたのだった。
「今回の遠征は前のとことちょっと違うんですね」
「そうだな。マローニュ領だが、前よりもう少し北のミースト高原の辺りだな」
「あの辺て古い神殿がありましたよね。太陽神殿…ええと正式には…」
「ツーストリウム神殿だな」
「そうでした!」
訓練を終えて、レンドルフとショーキは連れ立って部隊専用の部屋に向かいながら、次の遠征の話をしていた。それぞれの部隊には専用の談話室が与えられていて、そこで遠征計画を立てたり今後の訓練内容などを決めたりする。そこはその部隊に所属する者と団長、副団長のみが入れるので、私物や備品の在庫などを置いたりもしている。
二人は三日後に控えた魔獣討伐の遠征に備えて、必要な備品の確認をする担当になっている。
レンドルフが第四騎士団に配属された最初の遠征任務で、王都の北側に隣接しているマローニュ領のディアマーシュ地区には既に行ったことがある。マローニュ領は土地の半分程が山岳地帯で、王都に比べて標高が高い。隣接しているだけに王都から馬車で一日くらいなので、夏場などは避暑地として人気のある領地だ。それでも王都ではないので、それなりに魔獣が出没する。領専属の騎士団や駐屯部隊も置いているが、季節によっては魔獣討伐の手が足りなくなることもあるのでそういった時には王城騎士団が応援派遣されることになっていた。
前回は春の繁殖期に合わせての派遣だったが、今回は冬眠をするタイプの魔獣や熊などが餌を求めて街道や人里に出没する為、魔獣避けを設置しに行く任務だった。設置と言っても、魔獣の行動範疇に立ち入るので遭遇率は高い為、必然的に討伐任務になる。通常ならば遠征は三日あれば十分ではあるのだが、魔獣避けを現地の駐屯部隊から受け取って指定された場所に向かうので、通常より長めの五日間の遠征を予定していた。
「今回の拠点はその神殿になるんですよね。礼拝とかに参加した方がいいんですか?」
「それは場所によるとしか言いようがないな。そう強制されるようなことはないと思うが」
「出来れば僕はナシの方向でお願いしたいです。ほら、神殿って他の場所よりも奇跡が起こりやすいでしょう?その奇跡によっては魔力酔い起こして半日くらい使い物にならなくなるんで」
「そういう理由があれば参加はさせないだろう。オスカー隊長に報告は?」
「報告書は提出してますけど、念の為後で口頭でも確認しておきます」
この世界を創造し太陽の化身でもある主神キュロスは、オベリス王国だけでなく世界の半分以上の国が信仰している神だ。それだけ多くの人々の信仰を集めているのは、神の奇跡と呼ばれる現象が世界各地で頻繁に見られるからだ。その奇跡は様々で、いつ何処でどのように起こるのか全く予想も出来ない。全く祈りとは関係のない奇跡も多いので、その気まぐれさから主神キュロスは子供の姿で描かれることが多いと言われている。
オベリス王国だけで見れば、年に一、二回は神の奇跡が与えられていると言われているが、報告されない程度の些細な奇跡はもっとあるのではないかと言う神学者もいる。
そしてその奇跡はどの場所になるかも予測は付かないが、人が祈りを捧げる神殿が神に声が届きやすい場であるせいか、比較的奇跡は多く観測されている。
「僕が小さい頃、当時住んでた近所の神殿に週末に礼拝に行ってたんですよ。未成年にはお菓子が貰えたんで、それを目当てにですけど。でもある時ちょうど礼拝中にそこの神殿に奇跡が降りて、僕ら家族が全員倒れちゃったんです」
「ショーキの家族って多かったよな」
「11人兄姉と両親、それから祖父母もその時は一緒に暮らしてたんで、15人ですね。それが一斉に、だったんで周りが大騒ぎに」
「そ、それはそうだろうな…」
その時の奇跡は、神殿の敷地内の枯れ井戸から再び豊富な水が湧き出したというありがたいものだったが、15人が一斉に倒れるという騒動に完全に掻き消されていた。その時に特に魔力過敏症で半日から一日程起き上がれなくなったのは、祖父と二番目の姉とショーキの三人だった。こればかりは体質なのでどうしようもない。その後神殿に入らなければ影響はないだろうと神官から診断されたので、ショーキ達兄姉は図らずもお菓子を貰う機会を逸してしまったのだった。
「じゃあ宿は別の場所にした方がいいのかな」
「神殿は大抵礼拝堂と居住区は離れてますから、寝泊まりするくらいなら問題ないと思うんで」
「それならいいが、調子が悪くなったらすぐに報告してくれよ」
「分かりました!体調管理は一番大事ですもんね」
談話室の鍵を開けて中に入ると、中央のテーブルの上に紙袋が置いてあった。部屋の中がふんわりと甘い香りがするので、きっとオルトが置いて行ったマフィンが入っているのだろう。
「今、お茶淹れますね〜」
ショーキはウキウキとした様子で、真っ先に湯沸かしの魔道具に向かったのだった。
---------------------------------------------------------------------------------
「ヒスイさん、足元の箱に注意してくださいね」
「分かった。ありがと、助かる〜」
夜会と祭も終わって数日、ようやく王城内も日常を取り戻しつつあった。日頃王城には来ない人間が事情も事情も分からずちょっかいを掛けて来ないとも限らないので、この研究施設と薬局は一時的に封鎖していたのだ。きちんと説明をしていてもまともに聞いていなかったり、都合の良い解釈をする輩はどこにでもいる。
今日はようやく通常業務に戻り、薬局もいつもの時間に開店になる。施設の副所長でユリの祖父レンザ経由で、統括騎士団長レナードから、祭で人が増えた影響から王城内の薬局の在庫が少々薄くなっているのでこちらの薬局に来る人数がいつもよりも増えるかもしれない、と先日通達があった。その為、普段の倍近くの回復薬と傷薬を準備していたのだ。
通常は受付はヒスイが担当し、ユリはバックヤードで在庫管理と補充を行うことで業務を分けているが、開店中に店内の品物が切れてしまうこともある。その時は人がいないのを見計らってユリが品出しをしているのだが、先日ヒスイはユリの祖父レンザから「勝手に孫の婚約者を仄めかす輩がいるので、当分は絶対に表に顔は出させないように」と厳命されていた。ユリは申し訳なさそうな顔をしながら、どうにか工夫してカウンター内の空いた場所などに回復薬と傷薬を入れた箱を積み上げて対策をしていた。かなり動線は塞いでしまうが、一時的なものなので何とかこれで凌ぐ予定だ。
「レン様が来たら声を掛けようか?」
「あー…ええと…はい」
「今更照れない照れない」
ヒスイがクスクスと笑いながら、鮮やかな緑の瞳を細めてユリを見つめた。時間があれば勤務後に食事に行ったり、休みを合わせてどこかに出掛けたりしているのはヒスイも知っているので今更感はあるのだが、何とも微笑ましい二人をつい世話を焼きたくなってしまう。
ヒスイは細身で可愛らしい外見なので実年齢より若い女性に見えるが、実際は20代後半の男性だ。姉が一人という家族構成なので、レンドルフもユリも弟妹がいたらこんな感じなのだろうか、という感覚が強いので、揶揄いつつも愛でたくなってしまう心境なのだ。ヒスイの恋愛対象は女性であるが、守備範囲が年上一択なので施設内でのユリの護衛に選ばれたというのもあった。
「も、もうすぐ遠征に出るって言ってたから、傷薬の補充には来ると思います」
「誰もいないタイミングだといいね〜」
「ここで渡せなくても、機会はあるので…」
「そうだね〜しょっちゅう会ってるみたいだし?」
ヒスイの言葉にユリは顔を赤くしながら「倉庫の在庫確認して来ます」と言ってそそくさと裏に回ってしまった。その小さな背中を見送りながら、ヒスイは貴族の煩わしさを少々気の毒に思って小さな溜息を零した。傍から見ればもう付き合っている以外他に言いようがない二人で、これが平民同士であればとっくに婚姻の話まで出ていてもおかしくない雰囲気だ。しかしユリはこの国で特別な家門のただ一人の直系なのだ。そこから派生する貴族の柵はあまりにも多い。ヒスイは生まれも育ちもキュプレウス王国ではあるが、祖父がオベリス王国出身の元貴族で平民の祖母と駆け落ちして来たと親戚から教えられた。あまり多くは語らなかったらしいが、そのことで苦労したとは聞いている。
(ま、周囲が気を揉んでも当人達の頑張り次第だしね…)
ユリの周囲には祖父レンザを始めとして、彼女の幸せを願う人々で固められている。ヒスイに出来ることは自分の手が届く範囲で手助けをするだけだ。
壁に掛かっている時計を見ると、そろそろ騎士団の朝礼が始まる頃だ。朝礼と言っても全体で共有する情報を副団長などから周知される短いものだ。それが終わると各自任務に入るのだが、日帰り遠征の者や、訓練に向かう者などが朝一で傷薬などを買いに来るのだ。その為このキュロス薬局は朝と昼休憩時に店を開けている。
ヒスイは下ろしていた赤みがかった金髪をキリリと首の後ろで一つに纏めると、薬局内の棚に並ぶ商品の最終確認を開始したのだった。
マローニュ領のイメージは栃木県です。