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342.二つ目のタッセル


少し落ち着いた頃に、ユリは控えていたサティに持って来ていた箱をテーブルの上に出してもらった。


「調整と付与が終わったものだけど、確認してもらえる?」


箱の蓋を開けると、そこには金色の細かい彫金細工と黒の革製のフリンジが付いたタッセルが入っていた。レンドルフは両手で捧げるように箱から丁寧に取り出すと、しばらくそのタッセルを嬉しげに眺める。その柔らかなヘーゼル色の瞳が、更に甘さを含んだように緩められる。


「やっぱり美しいな」


溜息混じりで小さく呟くと、レンドルフは席を立って部屋の隅に置いてあった自身の大剣のところに向かった。相当重い筈の大剣を片手で軽々と支えて、柄の部分にタッセルを結い付ける。実用性重視で飾り気のないレンドルフの大剣が、一気に品の良い持ち物に変わったような気がした。


レンドルフは壁の近くまで下がって、スラリと鞘から大剣を抜き取った。柄に取り付けたタッセルが揺れるが、前回よりも短くしてもらったので手に当たることはない。そこまで広い部屋ではないので大振りは出来ないが、一度だけ鋭く普段の半分程の幅で振り下ろした。一瞬ではあるが、シュッと鋭く空気を切る音がして、一瞬遅れてタッセルがユラリと揺れる。今度は身体強化の延長で刀身の方にも魔力を流してみる。レンドルフはゆっくりと動作の一つ一つを確認するように動かしてみて、やがて静かに鞘に納めた。


「…どう?」

「すごく、いい」


ユリがおずおずと口を開くと、満足げに頬を紅潮させたレンドルフの笑みが返って来る。その顔は気遣いなどではなく、本気で良いものを目の前にした時のキラキラした輝きがあった。


「良かった…!」

「魔石の効果なのか、付与のおかげなのか、魔力の通りがすごくスムーズだ。本当に自分の手が伸びたような感覚になる」

「何か気になったことはない?」

「うん、今のところ何もないよ。使い込んで行くうちにもっと馴染んで来ると思うし」


そう言いながらレンドルフは一度タッセルを外して、剣はまた元の位置に置いて席に戻って来た。


「じゃあ最後に盗難防止の登録をすれば完成ね」

「うん。ありがとう、ユリさん。こんなにすごいタッセルを作ってもらって、何かお礼をしないとな」

「いいって。これはレンさんが怪我とかしないように、って私が勝手に渡したかっただけなんだし」

「それなら俺からも勝手にお礼をさせて?」

「う…うん。考えとく」


ユリはテーブルの上に魔法紋が描かれた紙を広げた。その中心にタッセルを置いてから、レンドルフに小さなペン型の道具を差し出した。この道具の先には小さな針が付いていて、これで指先などを突ついて血を一滴ほど魔法紋の上に垂らすのだ。こうしてタッセルにレンドルフ自身を登録させるので、紛失したり盗まれたりしてもレンドルフの手に戻るように認識される。これは互いに作った指輪などにも付与しているものと同じものだ。この付与は伝書鳥にも応用されている。

レンドルフは一切躊躇いなく指先に針を指して、紙の上にポタリと一滴血を垂らした。その血が反応して、描かれた魔法紋が一瞬だけ光って、魔力を込めたインクは蒸発してすぐに消えてしまった。これでタッセルはレンドルフ以外のものが持つことが出来ないようになったのだ。

それを見届けてから、すぐにユリが手にしていた小さな布でレンドルフの指を包み込んだ。軽く指先を紙で拭うだけで十分だと思っていたのだが、ユリの細い指がしっかりとレンドルフの指を押さえ込んで止血をしてくれている。レンドルフは真剣な顔で指先を押さえているユリの横顔を見て、明らかに蕩けるような目で微笑んでいた。



「剣の手入れに預けるときは外した方が良さそうだね」

「一日くらいなら大丈夫なように設定してあるけど」

「うーん、大事なものだし、手元に置いておきたいから。柄の方に取り外ししやすい金具を追加してもらうよ」


レンドルフは再び手の上にタッセルを乗せて、嬉しそうに革のフリンジを親指で触れている。この革はケルピーの素材で耐火性があるので、レンドルフが火魔法を使っても大丈夫な物だ。彼の希望で黒に染めてある革を使用したが、その革に触れる手があまりにも優しくて、黒を希望した時に自分の髪をチラリと見ていたことをユリは思い出して、何とも照れくさいようなソワソワした心地になった。


「…気に入ってくれて、良かった」

「大事にするよ。ありがとう」


レンドルフには秘密ではあるが、このタッセルには無事を祈る気持ちだけでなく、その思いを具現化したような付与が施されている。レンドルフの危機に、時間停止の空間魔法で作った中にしまってある特級の回復薬が出て来る仕組みになっていた。危機的状況の条件付けが難航したが、一番ありそうな大量出血と心拍数が一定を下回った場合に限定した。意識がない場合は自力で回復薬を使用するのが難しいので一緒に気付け薬を入れることも考えたが、逆効果になる可能性もあった。それを鑑みて金具とフリンジを繋ぐ部分に小さな魔石を付けて、条件付きでそこに込めた魔法が発動するように設定したのだ。

その魔石はレンドルフと相性の良い土属性の魔石で、それをレンドルフが命に関わるような強い攻撃を受ける寸前に一度だけ防壁が出現するように付与をしてもらった。さすがに小さな魔石ではそこまでの範囲と強度は出せないが、頭と心臓を中心に保護されるので、無傷とはいかなくても即死の致命傷は避けられる確率が高い。即死でないなら特級の回復薬さえあれば、レンドルフなら危機的状況を脱することが出来る筈だ。


本当はユリとしてはレンドルフが怪我をしないで無事であるようにガチガチに守りを固めたいところだったが、タッセルの付与だけではそこまでの事は出来ない。それにあまり心配し過ぎるのも騎士としての腕前を疑っているように思われるのではないかと、ユリは付与の内容を言い出せなかった。心の中で「いざという時のお守りだから使うとは限らないし」と言い訳をしながら、使うことがないようにと祈るような気持ちで嬉しそうなレンドルフの横顔を眺めたのだった。



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「あら、少し利益が減っているのね」


オランジュはホットワインの中に数種類のフルーツを入れたグラスを傾けながら、手元にあった報告書を眺めていた。夜着の上からガウンを羽織りソファの上に半分寝そべるような恰好であまり行儀の良い姿ではないが、オランジュはこうやってリラックスしている時の方が頭が働くので誰がどう言おうと理にかなっているのだ。


「ふ〜ん、魔獣被害に因る街道封鎖、ねえ…」


報告書には、各領地と取り引きしている小麦と王都中心に卸しているオリーブの利益が僅かだが減少していた。その理由として、パフーリュ領の大動脈とも言うべき主要な街道で魔獣が出現し、その討伐の際に周辺の地形に大きな被害が出たと記載されていた。その為遠回りを余儀なくされて、運送費用がいつもの月よりも一割程多く掛かっていた。それについては既に報告を受けていたし、出た損害は後日纏めて国に被害額を請求すれば支払われることになっている。今は利益が減っていても、後日補填されるので問題はない。だがそれらの事務手続きが大分煩雑なので、その手間を考えると請求するべきがどうか悩む程度の被害額なのだ。


オランジュは頭の中で、パフーリュ領から延びている街道の地図を描く。他の領を繋ぐ街道からどこに向かうか、細かく把握している。そして報告書にあった被害のあった場所を脳内の地図に重ねて、どの迂回路を使ってどの程度の通行料を支払ったかもざっくりとだが算出していた。

しかし、オランジュが予測を立てた損害額をいつもの月の平均的な売上から引くと、少々差額が発生していた。想定内と想定外のスレスレのところで、まあこれくらいなら、と納得出来なくもない。


「こう言うこともあるわね…ってくらいの誤差だけど、さすがにこれだけ誤差が重なると、もうこれは意図よねえ」


迂回路は通常使用しないので、どうしても他領を通過する際の通行料や多く掛かった日数分の経費が増える。それだけでなく、関所などでは確認にいつもより時間が掛かってしまう。それは仕方のないことだが、各関所などで苦情を言う程ではないが絶妙に待ち時間が発生していた。それが少しずつ積み重なれば数日間の遅れになって、運び手の食事代や宿泊費がそれだけ増える。それがあまりにも積み重なり過ぎている気がしたのだ。


「分かる人には分かる牽制、でしょうね」


オランジュはクスリと笑ってサラサラと書類にサインをする。そのオレンジ色の目が何か面白いものを見付けたかのように、スッと細められた。


この迂回路で通過した領は全く関係がないように思えるが、事実上同じ派閥に属している。それはとある侯爵家が纏めているのだが、その家はアスクレティ大公家の分家にあたる。同じ一族や派閥の領地は隣接していることが多いので、その侯爵家の纏める土地ばかりを通過することになるのも別に珍しいことではない。ただ普通の人間ならばそこに思考が辿り着くのは難しいだろうが、オランジュは最近大公女と思しき相手に少々ちょっかいを掛けた。その心当たりがあるので、大公家から遠回しな牽制をされたのだろうとすぐに気付いた。おそらく大公家もオランジュがすぐに気付くことを見越してのことだろう。

もしオランジュが抗議したとしても、大公家に届く前に侯爵家から逆に言いがかりだと反論されて終わる。実際に受けた損害はパフーリュ家どころかオランジュの個人資産で解決する程度で補填出来ない額ではないし、国にきちんと手続きを取れば埋め合わせ出来る。ただそれを請求するだけの手間と時間が浪費されるだけだ。


これでオランジュの中ではユリが大公女であることが確定されたようなものだが、これ以上詮索してはこちらが痛い目に遭うだろう。大公家の影はオランジュ以外には気付かせずに、いつでも潰すことが出来るのだという警告だとオランジュは正しく理解した。


「ふふ…しばらくは大人しくしておきましょうか」


オランジュはソファの脇のローテーブルに手にしていた書類とペンを無造作に置くと、大きく伸びをしてゴロリと本格的にソファに寝転がった。肘掛け部分に乗せた足が、ガウンの裾が捲れて膝の辺りまで露になる。貴族女性としてはかなりはしたないと眉を顰められるような姿だが、ここにはそれを咎めるような者は誰もいない。

パフーリュ家のタウンハウスなら使用人達がどこかで見ていて、父や弟に報告して数日後には説教の手紙が届くだろう。しかしここは亡き夫バッカニア公爵から譲り受けた別荘だ。公爵家所有のものにしては小さく地味な屋敷だが、その分目が届きやすくオランジュの厳選した数名の使用人だけで十分快適な生活が送れる。その生活に満足しているので、オランジュは実家から戻って来るように矢のような催促が来ているが完全に無視を決め込んでいた。



オランジュはパフーリュ伯爵家の長子であったので、本来ならば婿を取って跡を継ぐ筈だった。だが父親は男子相続を推し薦めたい考えが強く、常に弟ばかりを優先していた。一応国の政策には従う姿勢を示してオランジュを後継候補として届けてはいたが、領政に携わらせるのは弟だけだった。父は早めに引退して家督を譲ったフリをしてオランジュを無能な当主として扱い、実権は弟に握らせる予定だった。そして弟夫婦に子が生まれたタイミングで弟を後継指名させて、短い期間でオランジュを引退させる腹積もりだったようだ。弟よりも優先させる筈のオランジュの縁談を悉く潰していたのはその為だろう。


厄介だったのは弟はそれなりに優秀だったのと、父の教育によってすっかりオランジュを軽視していたことだった。オランジュが何か案を出すと反射的に反対をするのだが、しかしオランジュの案以上に良いものはほぼないのだ。それが分かっていながらも矜持を優先させて強行して失敗を重ねるので、オランジュは領民の為にならないとわざと最良案の反対の意見を出すようになった。最初はそれで良かったのだが、弟がオランジュの思惑に気付くのにそう時間は掛からなかった。そこから彼との関係は悪化の一途を辿った。


このままでは取り返しがつかないことになると察したオランジュは、跡を継ぐことを辞退せざるを得ない状況を作ってしまうことを考えた。幾つか叙爵出来るような案件も抱えていたが、やり方を間違うとオランジュ個人ではなく家の手柄にされてしまう。

そこでオランジュが取った策は、伯爵家では断り切れない程の高位貴族からの婚姻の打診だった。


別に実家に打撃を与えたい訳ではないので、領の産業があまり被っていないことや、パフーリュ伯爵家から擦り寄られ過ぎない立場であることなどを考慮して相手を捜した。色々と条件が厳しかったので難航したが、とうとう全ての条件を満たした相手に辿り着いた。それがバッカニア公爵だったのだ。公爵には全てを話した上で、公爵家の領政と家政を手伝うという契約で娶ってもらい、正々堂々と家を出たのだった。


その後伯爵家当主になった弟は、これまでの鬱積を解消するかのように新しいことに手を出し過ぎて危うく伯爵家を潰す寸前までやらかしてオランジュに助けを求めて以来、姉の手腕を認めたのか以前よりも関係はまともになった。とは言えオランジュも嫁いだ身であるので、必要以上に深入りはしないように距離を保つようにしていた。



「こっちにいれば、また会う機会もあるでしょうし。()()()


オランジュは起き上がってグラスに残ったワインをグッと飲み干すと、何かを思い出すように妖しい笑みを浮かべたのだった。



大公家からは脅しや圧力と言うよりは、軽い忠告のようなものです。

各地に「迂回して来た領地の荷物に紛れさせて違法な品が混ざっていないか念入りに確認するように」と命じただけなので、少しずつ時間が押して予定より数日運搬行程が延びたことによる経費の増加です。

これは国に申請を出せば補填可能なものですが、金額と事務作業の手間のどっちを取るか…な微妙なラインという絶妙な嫌がらせです。

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