340.夜会の終わった後に
今年の豊穣祭の夜会で話題を攫ったのは、夫のバッカニア公爵が亡くなってから社交界に一切顔を出していなかった元公爵夫人のオランジュが参加したことだった。更に第二王子のエドワードから申し込んで、実に息の合ったダンスを披露したことも大きかった。
貴族の間では既にエドワードが大叔父のバッカニア公爵を継ぐのがほぼ確定しているのは知られている。オランジュは彼の義理の大叔母であり、先代公爵が存命ならば義母になった女性なので、交流があるのは当然だった。が、公爵亡き今、彼女はエドワードより少しだけ年上の貴族令嬢だ。能力を請われて公爵家の後妻に望まれた程の才媛でもあるので、まだ正式な婚約者を決めていないエドワードの相手になる可能性が浮上して来たのだ。エドワードはまだ婚約者は決めないと宣言していたので、候補者ともあまり積極的に関わろうとしていない。ダンスを申し込まれれば、王子様らしい笑顔で義理で一曲は相手にするが、次々と令嬢が殺到するため会話などをする機会はない。
しかしその夜会では唯一自らダンスに誘ったのがオランジュだった。
公爵の生前から深く領政に携わり、夫の死後も領地の評価を落とすことなく全て完璧に整えて王家に返還した実績を持つオランジュ。その存在が急浮上して来た為に、エドワードの婚約者に収まろうと画策していた令嬢やその家の者達は焦らずにはいられなかった。オランジュはずっと社交界から離れていてもかつての輝かしい美貌は衰えている様子はなく、むしろ落ち着きが加わって大人の色香と余裕が漂っている。これから公爵領を継ぐエドワードの補佐も務められる実績に、既に何年も交流も重ねているという優位性もある。
並の令嬢では勝てるとすれば、若さと初婚であるというくらいしかないのだ。しかし噂ではバッカニア公爵とは完全な政略で親子のようであったところから、閨を共にしない白い婚姻ではないかと言われている。もはや大半の令嬢は完全敗北、風前の灯であった。
婚約者候補に選ばれていなくても、エドワードの目に留まりさえすればまだ機会はあると互いに牽制し合っていた彼らは、突如出現した最大の障壁の高さに恐れをなして、この夜会を境に半分程にごっそりと減ったらしい。それでもエドワードは夜会やお茶会では令嬢に囲まれてはいたが、数が半減したおかげで終了後に彼が真っ白に燃え尽きてソファに崩れ落ちる姿はなくなったそうだ。
「ラン姉上、ありがとう」
「多少はお役に立てましたかしら」
「多少どころか…いえ、本来ならば私が自分で対処するところなのですが」
「うふふ、今回は久方の社交界で感覚を取り戻すのに役立ちましたわ。お互いに利があったということです」
「姉上には敵いません」
夜会が終わってしばらく後、エドワードの私室に招かれたオランジュとそんな会話が交わされていたのだが、それを知る者は第二王子付き側近のヒムと、オランジュの腹心の侍女の二人だけであった。
あの夜会の日、他でもないオランジュについ気が緩んだエドワードが「婚約者の座を狙って来る令嬢達の圧が強くて困る」と零した愚痴に、オランジュが授けた作戦だった。元々四人いた婚約者候補のうち、一人が事故に遭って領地で療養する為に降りたことにより、その空いた席を狙って皆躍起になっていたのでエドワードへのアピールが凄まじかったのだ。
作戦と言っても、ただ人前で仲が良いところを見せつけただけで、必要以上にベタベタしていた訳ではない。エドワードと元バッカニア公爵夫妻との関係を知っている者は多いので、決して不自然な行動はしていないのだ。ただ勝手にあちらが誤解しやすいようにちょっと仕向けただけだったが、思っていた以上の効果があったようだ。
「わたくし、しばらくは王都にいる予定ですから、いつでもお声を掛けてくださいませ」
「しかしこれ以上はご迷惑が掛かりませんか」
「とんでもない。ここのところずっと領地におりましたから、色々と誤解していらっしゃる方も多くて。その誤解を解く良い機会ですわ」
「そ、それなら良いですが」
オランジュの言う「誤解」とは、政略で年上貴族の後妻として嫁がされて領地に夫の介護の為に縛り付けられた上に、夫の死後は僅かな土地を貰い受けただけの憐れな女性、と思われていたことだ。オラジュの置かれた立場の話だけ聞けばそう取られてもおかしくはないし、彼女の実家は中堅の伯爵家とは言っても王都から離れた地方領主だ。実際のオランジュを知っている者は決して侮っていい相手ではないことを骨身にしみて分かっているが、世代交代した若い当主の家門や、新興貴族などは今ひとつ理解していなかった。そして社交界でのオランジュを直接知らない若い令嬢達も似たり寄ったりだった。
オランジュはそれは仕方がないこととして、一度だけは遠回しに忠告するだけに留め、二度目からは容赦なく受けて立った。実際目にした訳ではないが、夜会から10日程度しか経っていないのに彼女に言い負かされて泣きながら走り去った令嬢の数は片手では足りないとエドワードに伝わっていた。
「久しぶりの王都ですが、相変わらず面白くて刺激的ですわね」
「楽しそうですね、ラン姉上」
「ふふ…素敵な殿方と良いご縁が出来たらいいのですけど」
「そ、そんな方が!?」
「貴方もその一人ですわよ、エド」
思わず立ち上がってしまったエドワードに、オランジュは昔のように彼のサラサラして手触りの良い髪を撫でた。最後に会った時に同じことをした際には、思春期真っただ中だったエドワードは顔を真っ赤にして照れ隠しでふてくされた顔をしていたが、今は満更でもない顔をしていた。それを見てオランジュはすっかり大人になってしまったのだと思って、顔には出さずにほんの少しだけ残念に思ったのだった。
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「お、レンドルフ、お疲れ。この時間から遠出でもするのか?」
「オルトさん、お疲れさまです」
通常の勤務が終わった夕刻、愛用の大剣を下げて王城を出て行こうとするレンドルフを見かけたオルトが声を掛けた。彼も同じ通常勤務で、これから買い物をしながら愛する妻の待つ家に戻るところだった。
「これからちょっとこれに付与のようなものを付け足すので、現物が必要なんですよ」
「なるほど。もうかなりな強化が掛かってるもんな。影響が出ないかは確認しないとだな」
王城から中心街に出る時には、基本的に任務でなければレンドルフは大剣を持って出ない。人が多くて扱い辛いこともあるし、中心街の警備は第二騎士団と自警団が連携して細かく区分けして担当が決まっているので、急を要さない限り下手に手出ししない方がいいのもあった。その為、珍しく大剣を持って外に出たレンドルフにオルトが声を掛けたのだった。
「オルトさんは買い物ですか」
「ああ。今日は秋魚の塩焼きと根菜のスープだ」
「もう秋魚が出てるんですね」
「まだ出始めだから脂のノリは少ないけどな。ベルのは特製ハーブ焼きにするから、脂がキツいと燃えて苦味が出ちまうんで我が家は今の時期に食うんだ」
オルトの妻ベルは幼い頃に受けた呪詛の影響で、通常の食事が摂れない特殊体質だ。味覚も常人とは違っているので、オルトがずっと食事作りをしているのだ。騎士の任務をこなしながら、彼は毎日妻の特別メニューを楽しげに考えている。その様子はレンドルフの故郷の妻を溺愛している父や兄を思い出させた。
「それ、半分持ちますよ」
「そっちの予定は大丈夫なのか?」
「まだ時間はありますから。それにオルトさんの家と方向は同じですし」
行き先の方向が同じだったので夕刻で賑わっている市場の道を連れ立って歩きながら、大袋に入ったジャガイモとタマネギを買い込んだオルトにレンドルフが手を差し出した。数日後に五日程の魔獣討伐遠征が控えているので、作り置きをするのに多めに食材を買い込んでいるのが分かった為、レンドルフも手伝いを申し出たのだ。オルトは「じゃあ遠慮なく」と笑いがならレンドルフにジャガイモを任せて、追加で肉の塊を購入していた。
「まだこないだの夜会から落ち着いてはいないな」
「そうですね。いつもより不慣れな人が多いですね」
王家主催の夜会が終わって三日経っているが、まだ王都に留まっている貴族は多い。その為それに付いて領地からやって来ている人間も多いので、王都の中もいつも以上に人が増えているのだ。北に領地がある貴族は雪の季節になる前に戻ることもあるが、逆にそのまま春になるまで雪の少なく便利な王都に留まる者もいる。年末年始の大きな夜会や、春の新成人のデビュタントや貴族子女の学園の入学まではそれほど時期が離れていない。いちいち領地に戻るよりは社交シーズンを王都のタウンハウスで過ごし、雪解けの頃に戻る方が効率が良いのだ。
そのタウンハウスに務めているらしき者達も、久方振りの王都で店なども変わっているので手元の地図を見ながら道や店舗を確認しつつ買い物をしていた。
「まあ無事に夜会も終わって良かったよな。第二の奴らはまだまだ大変だって言ってたが」
「そうですね。オスカー隊長もようやく胃薬が手放せそうですね」
「だな。今年の秋の夜会は比較的問題なく終わったからな。第二王子殿下が注目を攫ってくれたおかげで、外で問題を起こすヤツは少なかったみたいだし」
「そんなに毎年問題が?」
「ああ、レンドルフはこれまではずっと会場内の警護だったんだよな。王族もいる中で騒ぎを起こすようなのはそうそういないが、人の目が少なくなる外では結構起こるんだよ」
夜会の会場内でも多少のトラブルは発生するが、大きな問題になる前に警備担当の誰かが駆け付けるのでその場は大抵収まるのだ。あまり騒ぎにしてしまって王族の目に入るのは貴族として終わったも同然なので、最後の理性でどうにか留まってくれる。しかし会場から出たところでは、警備の目を盗んで色々なことが起こる。一番多いのは、女性とのトラブルだ。立場の弱い女性に強引に言い寄って、悪質になると空いた部屋に引きずり込もうとする者もいる。他にも婚約者以外の相手と人気のない場所にいたところを見つかって言い争いに発展したりと、毎回のように男女絡みの問題が勃発するのだ。そうならないように人手が足りずに警備の者を配置出来ない場所には遠見の魔道具を配置して、魔法士がそれを別の場所で監視していたりするのだが、それでも後手に回るのはどうしようもない。
「報告書に上がった案件は目を通してましたけど、そんなに多いとは思いませんでした」
「そういうのに上げられないような些細なことも多いからな。ほら、酔っぱらい同士の言い争いとかはその場で引き離せば終わるしな」
「ああ、確かに。俺も二回くらい仲裁に入りました」
「二回…ねえ。次からはもっとあちこちで仲裁に呼ばれるのを覚悟しといた方がいいぞ」
「そうなんですか?ああ、今回は外の警備は慣れてないからみんな気を遣ってくれたんですね」
「まあ、そういうこともある」
オルトはキョトンとした顔のレンドルフに、半分苦笑した。オルトは右頬に大きな古傷があって、そのせいであまり表情を動かすことが上手く出来ない為、一見すると不機嫌な強面に見える。騎士団の中ではそう目立たなくても一般からすれば体格も良い方なので、よくそういったトラブルの仲裁に呼ばれることが他の者より多い。荒事に慣れていない文官の貴族などは、オルトが睨みを利かせて「どうなさいました」と聞くとすぐに冷静になってそそくさと散って行くのだ。明らかに自分達よりも身分の高い貴族に手を出す訳にはいかないので、仲裁が必要そうなときはまず強面か強そうな外見の者を向かわせるのが外を守る騎士達の暗黙の了解となっていた。
レンドルフも顔立ちはともかく騎士団でも頭抜けて巨躯を誇るので、視界に入るだけでトラブル封じになっていたのをオルトは他の騎士仲間から聞いていた。当人は二回と言っているが、レンドルフの姿を見ただけで解決していたので認識していない案件はもっと多いだろう。目立つ容姿ではあるが基本的に控え目なレンドルフは、他の団の騎士達から見ると何を考えているか分からない得体の知れなさがあった。だから仲裁の応援を頼みにくかったのも影響していた。ただ次の夜会の頃にはレンドルフに頼んでも問題ないと分かるようになっているので、きっと比べ物にならない程あちこちから声が掛かって大忙しになるだろうな、とオルトは今から少しだけ気の毒に思ったのだった。
「運んでくれてありがとな。もうそこだから、後は自分で運ぶよ」
「玄関先まで運びますよ」
「ベルが迎えに出てレンドルフの顔見たら、話し込んで止まらなくなりそうだからな。待ち合わせに遅刻するぞ」
「それはちょっと困りますね」
「俺としてはベルの希望は何でも叶えてやりたいからな。ベルが喋りたそうなら俺も強引に引き止めたくなっちまう」
「じゃあ俺はベルさんを小脇に抱えて行かないと」
「そうなったら俺は手袋と同時に剣を投げ付けるぞ」
「それは遠慮しますよ」
本気なのか冗談なのか、オルトは時折周囲が引くような愛妻家っぷりを発揮する。親しい者は何度も聞かされればそれなりに慣れて来るが、レンドルフだけは最初から引いた様子もなくサラリと納得していたのだ。前にレンドルフに聞いてみたところ、身内や近しい者に似たような愛妻家がいるという話だった。
それを聞いたオルトは、自分のことは棚に上げながら世間にはすごい人が存外いるのだな、と思ったのだった。
「今度ちゃんと礼をする。助かったよ」
「いいえ、行く途中のついでのようなものですから、お気遣いなく」
「じゃあ、気を付けて…って、レンドルフには必要ないか」
「ありがとうございます。では、お疲れさまでした」
「ああ、お疲れ」
人の上からピョコリと突出しているレンドルフの目立つ後ろ姿を少しだけ見送って、オルトは両手一杯の食材を抱え上げて小走りに愛しの妻の待つ家へと急いだのだった。