339.真実に辿り着く者
今回はレンドルフの出番はちょっとだけです。
「レンドルフ!」
オランジュが庭園の方に向かって行ったのを見送ると、今度は会場の方から半ば小走りにやって来る人物がいた。淡い金の髪に青味の強い紫の瞳をした青年は、後ろに続いている従者を振り切るような勢いでレンドルフに一直線に向かって来る。
「エドワード殿下」
その姿は第二王子であるエドワードで、レンドルフはその場で最敬礼を取る。会場から漏れ聞こえて来る様子だと、もう既に最初のダンスは終わってかなり自由になっている頃なので、王族が多少席を外しても問題はない。しかしエドワードはまだ婚約者が決まっていないので、いつもダンスを申し込む令嬢に囲まれていた筈だ。よく抜けて来たものだと感心しつつ、一体何の目的で自分に向かって来たのだろうかとレンドルフは顔には出さないが内心首を傾げる。
「そ、その…どうだ?元気、か?」
「はい」
「新しい団は、どうだろうか」
「皆に大変良くしていただいております」
「そうか…その、兄う…王太子殿下にも、伝えて良いだろうか」
「勿論です。どうぞ私はどこにいても騎士として変わらぬ忠誠を捧げております、と」
王族は余程のことがない限り頭を下げてはならないとされている。ごく限られた私的な空間で非公式に、ということはあるが、それでも良しとされることはない。謝罪をしたい時でも、どうにか当人に察してもらえるような言い回しや目線などで伝えなくてはならず、あまり周囲に気付かれないようにしなくてはならないという面倒な不文律があるのだ。
レンドルフは以前にお忍びのエドワードと顔を合わせた際に、彼がどこか謝罪をする機会を伺っている気配は察していたが、あの時はユリを優先したので王族とは気付いていない態ですげなくその場を辞していた。その後何も言われなかったので、エドワードも納得してくれたのだろう。
レンドルフが近衛騎士団から異動になった事件に同席していた王族がエドワードだった為に、彼のせいではないがどこか責任を感じているとはレンドルフ自身も聞き及んでいた。レンドルフは全くエドワードに思うところはなく、あの一件についてももう過ぎたことというのが正直な心情だ。それでもエドワードの謝罪の気持ちは受け取ったと示す為に、レンドルフは更に深く頭を下げた。
「分かった。必ず伝えよう」
下げた頭の上から、明らかに安堵した様子のエドワードの声が聞こえて来た。
「と、ところでレンドルフ。過日パーティーで一緒にいた美しい令嬢は縁戚の方だろうか…」
「は…」
その問いに、レンドルフは予想以上に低い声が出た。
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エドワードとレンドルフのやり取りを側で聞いていた側近ヒムことヒースクリフは、ずっとエドワードが気にしていたレンドルフと顔を合わせることが出来て達成感に満ちていた。
あの一件はエドワードに責任は全くないし、レンドルフからの態度からもそう思ってはいないのは明確だったが、それでも兄の王太子が即位した時の側近で、もしかしたら親友になれたかもしれない相手の未来が潰える場に居合わせたのだ。気に病むなと言う方が難しいのかもしれない。それに前回のお忍びで訪れたパーティーでも、知らないフリをしろと言い聞かせていたにもかかわらず声を掛けて完全に玉砕していた。あの場ではヒムもレンドルフの態度が不敬だと腹立たしく思ったが、レンドルフが女性連れだったのでお互いに踏み込んだ話をしなくて良かったのだと考え直した。特にレンドルフが近衛騎士団から出ることになった事情を、部外者の令嬢に聞かせる訳にはいかない。
そして今回の夜会で会場の外ではあるがレンドルフが警備に就いていると聞いて、ヒムは彼の担当区域の情報を入手しエドワードのスケジュールをどうにかこじ開け、僅かでも会う機会を捻出したのだった。
さすがに面と向かって謝罪をするわけにも話を蒸し返す訳にも行かないが、それなりの年数は近衛騎士を務めていただけあってレンドルフもエドワードの言いたいことを汲んでくれたようだった。それにヒムが安堵していたのも束の間、何を思ったかエドワードが特大の地雷を踏み抜いたらしかった。
見る間にレンドルフの眉間に皺が寄り、剣呑な空気を纏いつつある。
「縁戚ではございません。個人的に親しくしている方です」
「あ、そ、そうか。その、とても美しい令嬢だったので、つい…」
(エド!!言い方、言い方っ!!)
途端にレンドルフの声が固くなるのを耳にして、ヒムは内心悲鳴を上げた。確かにあの時のパーティーでレンドルフの隣にいた女性は美しく魅力的だった。それを褒めるのは別に悪いことではないが、まるでエドワードが興味を持ったような言い方は非常によろしくない。
現在婚約者のいない年頃の王族はエドワード一人だ。兄の後継が決まるまで縁談は進めないと宣言しているが、周囲はその気になればすぐに婚約を調えたいと思っている。そんな彼が興味を示した女性と分かれば、一気に外堀を埋めに走る可能性もあるのだ。
エドワードは決して愚かではないのだが、どうにも一言足りないところがある。ヒムはせめてそこは「レンドルフとお似合いだった」と付け加えて欲しい、と胃の痛くなるような思いで後ろに控えていた。
「あの!殿下!そろそろお約束の時間がっ」
ヒムはひんやりとし始めた空気をどうにかしようと、不躾なのは百も承知で強引に介入した。
「…お引き止めして申し訳ございません」
「い、いや…その、後は任せた」
レンドルフも一瞬で我に返ったのかすぐに刻まれていた眉間の皺を緩めて、エドワードに道を譲るように一歩後ろに下がった。さすがにエドワードも失言に気付いていたので、ホッとしたようにレンドルフの脇を足早に通り過ぎて庭園に足を向けた。ヒムはその後を追って、レンドルフにペコリと頭だけ下げると同じように庭園に向かったのだった。
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「やはり間違った…んだろうな」
「せっかくお膳立てしたのに…どうして殿下は肝心なところでポンコツなんですか」
「うぐ…いや、気になったんだから仕方ないだろう!」
「気になったって…下手に横恋慕すると、クロヴァス卿に蹴られますよ」
「違う!そんなつもりじゃない!ただ…あの令嬢にさっぱり覚えがなくて、大丈夫かと思ったんだ!」
庭園に出てから秋薔薇のアーチの影に設置されたベンチまで来て、二人は隠れるように小声で言い合っていた。一応どこで聞き耳を立てられているか分からないので、ヒムが身に付けているペンダント型盗聴防止の魔道具を作動させてある。
「まあ、確かに私にも見覚えのない令嬢でしたよ。でも変装の魔道具でいくらでも変えられますし、特に女性は化粧だけでも別人になります」
「じゃあ、俺が知ってる貴族ってことか?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。平民…にしては所作が綺麗でしたが、どこかの貴族の隠し子の可能性もありますし、他国の令嬢がお忍びで来ていたのかもしれないです」
「そうか…」
「…そんなに気になりますか?」
ヒムは考え込んだエドワードを見て、少しだけ目を細めた。もしエドワードがレンドルフのパートナーに何かしらの思いを抱いているなら、まだ正式に婚約したと言う話は聞いていないので横入りするくらいは出来るだろう。しかしそれをしてしまうと、レンドルフの様子から絶対に後に大きな禍根を残すのは目に見えている。人も気持ちは理屈で簡単にどうにか出来ないのは分かっているが、それはあまりにも悪手だし、エドワードも理解している筈だ。
「いや、あの…もし下位貴族ならおじい様のとこの寄子とかにすれば、兄上にも会いやすいのではないかと…」
「そっちですか」
一応レンドルフは、詳細は伏せられているが国家間の国交にヒビを入れるところだった警備の不備の責任を取って降格したことになっている。表向きには当時の警備担当の最高責任者であった為にオベリス王国を代表して責を負わされただけで、あくまでも個人には瑕疵がない態で報告されている。が、相手側の一部がレンドルフ個人が大変な無礼を働いたと今も騒いでいるので、耳聡い貴族の中にはレンドルフ自身が何かやらかしたと思っている者もいた。
そのまま王城騎士団も辞めさせる流れになりそうだったのを、騎士団トップの団長二人が揃って止めていたのだ。更に中央には直接関わらないので政治的な力はないが、物理的な力は決して侮れない国境防衛の要であるクロヴァス家と敵対するのは得策ではないと周囲を説得して、レンドルフの希望に添う形に落ちついた。
当事者達はレンドルフに何の責任もないのは知っているが、色々と公に出来ないこともあり現在は王太子とは交流の機会はない。王太子ラザフォードも十分承知しているが、彼を慕うエドワードからすると時折私的な空間で見せる寂しげな様子を見て蟠りなく二人が顔を合わせる状況を作りたかったのだ。ラザフォードとは派閥が違うにしろ、エドワードの祖父は宰相であるので、そこと縁が続きになれば会う機会は今よりも増えるだろう。だがそれは色々と面倒なことを引き込むことにもなるのだが、エドワードはあまり悪意に晒されずに真っ直ぐに育ったところがあるので、ただ兄の為に何かしたいという方が勝っていた。
「まあ…それは他人がとやかく言うことでは、なかったな」
「そうですね。もし次に偶然クロヴァス卿にお会いしたら、普通に話してくださいよ。下手に気合いを入れると殿下はポンコツなんですから」
「何度もポンコツ言うな!」
普通ならば不敬になるが、そこは乳兄弟で側近でもあるヒムなので容赦がない。自分にはそんな気を許せる存在がいるが、ラザフォードにはいないこともエドワードの空回りの原因でもあるのだが、当人はそこまでの自覚はない。
「まあ仲のよろしいこと」
不意に、薔薇のアーチの影からクスクスと笑いを含んだような声がしたので、一瞬でヒムは立ち上がってエドワードの前に出る。
そこから現れたのは金の髪に特徴的なオレンジ色の目をした麗しい淑女だった。
「これはバッカニア夫人」
「今はもう旧姓に戻っておりますのでパフーリュでございます」
「そうか。大叔父上の葬儀から三年でしたか。息災なようで安心しました」
「恐れ入ります」
艶やかに微笑む淑女はオランジュだった。
ヒムはそのままベンチを譲り、懐から取り出したハンカチをサッと敷いた。エドワードも立ち上がって、オランジュをベンチにエスコートする。
オランジュは先王の王弟、エドワードからすれば大叔父にあたるバッカニア公爵の妻だった。親子ほど歳の離れた後妻で、完全な政略だったが夫婦仲は良かった。三年前に公爵は亡くなり、子がいなかったことから遺産整理の為に一時的にオランジュが管理をしていた。そしてその手続きを数ヶ月前にようやく終えてから爵位と領地は王家に返還して、遺産としてオランジュは実家のパフーリュ領に隣接している王領を貰い受け今はそこで暮らしている。オランジュが再婚して子でも生まれればその土地は引き継がれるが、後継がいなければそのまま実家のパフーリュ領に併合される約定になっていた。
「先程はクロヴァス卿とお話ししておられましたわね。やはり親しいのかしら?」
「どちらかと言うと兄上と親しくしていました。私も護衛で…何度も世話になりました」
「今は近衛騎士を辞されたそうですわね」
「あ、ああ…」
エドワードは思わず複雑な表情で答えてしまい、オランジュは少し目を細めて口元を広げた扇子で隠した。一見微笑んでいるかのようにも見えるが、そうではないようにも思えてしまう加減だ。本来ならば王族はそこまで簡単に表情に出してはいけないのだが、公爵の生前はよく顔を合わせていたので身内同然の気安さもあったせいだろう。
今は王家預かりとはなっているが、将来的にエドワードが臣籍降下した際にバッカニア公爵を継ぐ予定になっている。その為に公爵家とは以前から随分と交流があったのだ。学園の長期休暇を利用して過ごすこともあったので、エドワードにとってオランジュは年齢的に姉のような存在だった。
「どこの家門の婿に入るご準備をされているのか、殿下はご存知かと思ったのですけれど」
「む、婿!?そんな話は聞いては」
「そうでしたの?先日親しげな女性とご一緒でしたから、てっきり婿入り先を見付けて騎士団を離れられるのかと」
「夫人…ではなくて、パフーリュ嬢が知らないということは…平民でしょうか」
「ふふ…『嬢』などという年でもなくてよ。昔のように『ラン』と呼んでくださって構いませんのよ」
もし先代バッカニア公爵がエドワードの臣籍降下まで存命であれば、養子に入ってオランジュは義母という立場になっていただろう。しかしそこまでの年齢ではなかったオランジュを母を呼ぶのに抵抗があったエドワードに、姉と呼べばいいだろうと公爵は豪快に笑っていた。ついでに自分のことは義父ではなく「爺」と呼べとも言っていた。その言葉通り、エドワードはオランジュのことを「ラン姉上」と呼んでいたのだ。
「その女性というのは、赤い髪でむ…その…」
「魅力的な?」
「そ、そうです!」
エドワードはうっかり素直に「胸の大きな」と言いかけてしまって慌てて口を閉ざした。視界の端に見えるヒムは、呆れたような冷たい目を隠そうともしていない。
「先日偶然、クロヴァス卿が市民を助ける場に遭遇しましたの。その時に綺麗なお嬢様を連れていらしたから、婚約間近なのかと思っておりましたわ」
「私も多分同じご令嬢を連れていたのを見ました。全く記憶にない顔でしたので、変装しているのだろうと思いますが」
「殿下が記憶にないということは、異国の貴族かもしれませんわね」
「そうだな…」
そう言いながらも、オランジュは確信はないが一人だけ可能性のある令嬢の名が頭に浮かんでいた。分かっているのは年齢だけで、二度ほど夜会に参加したらしいがすぐに引き上げてしまったという幻の姫君、ユリシーズ・アスクレティ大公女だった。
オランジュの実家パフーリュ家は王都から離れた田舎の伯爵領で、そこまで裕福でもない中堅の家格だ。その娘であるオランジュが後妻とは言え公爵家に嫁いだ理由は、飛び抜けた記憶力と鋭い観察眼にあった。夫の公爵が病になって共に領地に隠居するまでは、短い期間ではあったが社交界の花であり流行を牽引する頂点の一人として君臨していた。今は公爵家から離れて一線を退いているが、国内だけでなく少なくともオベリス王国と深い関わりのある周辺国の貴族名鑑は全て頭に入っていた。それどころか今でも公爵家で抱えていた「影」を全て引き継いで、名鑑には載っていない庶子なども網羅していて、国内の貴族の縁戚関係はほぼ把握している。
そんな彼女の頭の中で候補を絞り込んで、その中から消去法で残った令嬢が大公女以外いなかったのだ。それにその年代の貴族令嬢でオランジュが顔を知らないのは一人だけだったので、比較的すぐに答えに辿り着いた。もっとも決定的だったのは、声こそ聞こえなかったがレンドルフが咄嗟に彼女のことを「ユリさん」と呼んでいたのを唇の動きだけで読み取った。
(お目が高いのは、さすが大公家の姫君…なのかしらね)
オランジュは自分の中で確定はしていても、それを誰かに話す気は全くない。万一違っていれば大事になってしまうし、少しばかり二人が可愛らしくてついちょっかいを掛けてしまったが、本気で横槍を入れる気はないのだ。
ただレンドルフに声を掛けたのは、あれほど条件的には最高の婿候補なのにあまり浮いた話もなければ縁談の話も聞かない理由を確認したくなったからだった。いつから囲い込んでいるのか、レンドルフ自身知っているのかは分からないが、大公家が目を付けているのなら納得の理由だった。
(怒られない程度に、観察してみるのも面白そうね)
独身に戻ったオランジュであったが、今のところ再婚をする気もないし、領政に邁進するつもりもない。持て余した余暇に、楽しめそうな相手を見付けて内心ウキウキと心を弾ませていたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
有名だった筈のオランジュをレンドルフが知らないのは、彼が騎士団に入る数年前から領地で公爵の療養に引っ込んでいて、既に社交界の花は世代交代していた為です。そもそもレンドルフは女性の戦場の社交界に無縁だったのもあります。
オランジュはユリが参加していた夜会は夫の看病の為に欠席しているので、噂は耳にしても直接顔は見ていませんでした。