表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
387/624

336.オリーブ色の嫉妬


彼女は名乗ることもなく、颯爽と馬車に乗って走り去って行った。


その馬車を見送りながら、レンドルフは何となく彼女とは夜会で顔を合わせそうな予感がしていた。何せ年に多くて三回の王家主催の夜会だ。余程のことがない限り国の貴族は参加している。不参加になるのは、領主が不在になることが困難な北辺境のクロヴァス辺境伯と南辺境のバーフル侯爵くらいだが、年に一度くらいは領主代理を寄越すようにはしている。どちらも来るのは季節的に春が多いので、今回はおそらく欠席だろう。それと建国王の時代から盟友で同等の権利を持つことが許されているアスクレティ大公家も不参加の多い家門だ。大公家は別に参加してもしなくても好きにしていいらしいと聞いているが、レンドルフが王城の騎士団に入団してから参加したという話は聞かない。


(明日にでも駄目元で配置される場所の変更を願い出よう)


近衛騎士ならば王族の側か会場内の警備に入るが、今のレンドルフは会場周辺の外に配置されている。しかしまだ辺境伯末弟という貴族位ではあるので、招待された貴族と顔を合わせる可能性のある会場に近い場所を担当させられているのだ。そうするとあの彼女と鉢合わせしないとも限らない。何となく再会するのは気まずいので、出来れば絶対女性が通らないような場所に換えてもらえるように願い出てみようと考えていた。


「乾かしましたが、やはりお着替えになった方がよろしいかと」

「ありがとう。助かったよ」


侍女のエマは生活魔法が使えたので濡れた場所を乾かしてもらったが、やはりその一部だけ妙な皺の伸び方をしている。馬車に乗せている着替えは簡素なものなので今日のユリの隣に立つには少々不釣り合いだが、どうせこの先は個室のレストランで食事をするだけだ。そこまで人目を気にしなくてもいいだろう。


「全部回収したよ」

「ありがとう。…結構乗ってたんだ」

「ふふ、これで花冠でも作りましょうか?」

「それはちょっと…」


レンドルフは道の端にしゃがみ込むようにして、髪に付いていた花をユリに取ってもらっていた。落ちた弾みで折れてしまったりしていたが、ユリの片手には10本近くの花が握られていた。


「これ、買い取ってもいいかしら?」

「売り物にならないヤツですから、どうぞお持ちください。ですが、よろしいんですか?」


手の中の花を見せて、ユリは台車の持ち主である男性に声を掛けた。今のユリの妖艶な装いには少々不似合いな可愛らしい花で、しかも花ランタンから零れ落ちてしまったものだ。貴族のお忍びらしき女性が貰うには随分貧相なものなので、男性の戸惑っている顔が隠し切れていない。


「これがいいわ」


握り締めた素朴な花を顔に寄せて微笑むユリの顔は、すっかり普段の様子に戻っている。くっきりと意志の強そうな目元が印象的な美女が、頬を染めて可愛らしい表情を覗かせるのはなかなかの破壊力があった。一瞬だけ男性が見惚れた様子だったが、すぐに隣にいるレンドルフに気付いて慌てて顔を引き締めた。


バラバラになった花では持ち歩けないと、男性は手早く白の薄紙で花を包む。特に飾り気のない紙ではあったが、可愛らしく淡い色合いの花ばかりだったので却って良く引き立っていた。


小さな花束を両手で受け取って嬉しそうに笑ったユリは、「まあ、可愛らしい」と呟きながら視線はレンドルフを見ていた。もう頭に乗った花は取ってもらった筈なのだが、レンドルフは何となく気恥ずかしくなって少しだけ頬を染めて困ったように視線を彷徨わせたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



少しだけ予約に遅れてしまったが無事にレストランに到着して、レンドルフは着替える場所を提供してもらった。


レストラン側もお忍びの貴族が来るので、どんな状況でも対応出来るように場所も着替えも準備しているようだった。だが残念なことに店が用意している着替えはレンドルフのサイズまではなかった。着替えた服は帰る時までにクリーニングしてくれるということで、ありがたく任せることにした。

持って来ていた服は白いシャツに黒のスラックスというシンプルなものなのだが、せめてと思って濃い赤のクラバットとピンを使わせてもらうことにした。



「ユリさん、お待たせ」

「ううん。それよりもレンさんは本当に大丈夫なの?」

「それは全然。かすり傷一つないよ。頑丈に出来てるし」

「それならいいけど。他の人も怪我がなくて良かったね」

「ああ、本当に良かったよ」


レンドルフの力ならば、身体強化を使わなくてもあのくらいの台車を支えるくらい簡単な事だった。強いて言うなら何故か女性達から「可愛い」と人前で連呼されたことで心の柔らかい部分に少々ダメージを負ったくらいだ。


レンドルフが席に着いてすぐに、最初の前菜がサーブされる。


この店は月単位で各領地と契約を結んで、その領の名産品を使ったコースを出している。王城で料理人をしていたという夫妻が営んでいるので、それこそ国中の名産品の調理法を知っているからこそ出来ることだ。王城には王家に献上される各領の収穫物が大量に届く。それは王族の口に入るだけでなく、他国からの賓客を招いた晩餐や、国内の有力貴族などが集まる場などにも提供されて、それの評判が良ければその後の領の発展にもつながるのだ。

だからこそ王城に務める料理人達は、どんな食材が現地ではどのように食べられているかを常に勉強し、王族の口にも合うように常に研究しているのだ。その経験を生かして、この店は月ごとに遠い領地のご当地料理が食べられるので、少々値は張るがなかなかの人気店だった。


大きな平皿の上には、幾つものオリーブを使った料理が並んでいた。今月はオリーブと特別な小麦が有名なパフーリュ領のコースと聞いている。領地の片側が海に面している小さな領地だが、その沖にある大きな島も含まれていて、大陸と島の間の海峡がとても豊かでエビの養殖も盛んだと言われている。


「こんなに瑞々しく感じるオリーブって珍しいね」

「そうだね。このフリッターも初めて食べたよ。塩漬けくらいしか知らなかったな」


少し細く小さなグラスの中にまるでデザートのように緑のオリーブと同じくらいの大きさのトマトとチーズが入ったマリネを、ユリが真っ先に手を付ける。トマトとチーズの上にオリーブオイルを掛ける料理と似てはいるが、オイル漬けになったオリーブの実を噛み締めると爽やかな風味がトマトの酸味とよく合っていた。

緑のオリーブのフリッターは、衣が薄く下から鮮やかな色が覗くのが見た目にも美しい。それをピンチョスにしていて、塩や少し辛いソースなどを自分で調整しながら楽しめる。

他にも透けるほど薄く焼かれたクレープに、茹でたエビとタマネギが巻かれていて、そちらにも黒オリーブの塩漬けが刻まれて入っていた。このクレープも領特産の小麦から作られたもので、薄さからは予想出来ないほどとてもモチモチした食感が際立っていた。そこに弾力のあるエビとシャキシャキしたタマネギの食感の差とオリーブの塩気が面白い一品だった。


サラダはレタスを軽く焼いたものにオリーブオイルと塩で食べるシンプルなものだった。塩も領内の海峡の海水から作ったもので、少し黒っぽい色をしていて柔らかで繊細な塩気だった。あまり量が取れないそうだが、こうして素材を味わう料理に少量使うものらしい。単純ながらもシャキシャキとした歯応えと、塩のおかげでより甘さが引き立つ印象的な一品だった。

スープは濃厚なエビのビスクで、贅沢な風味が楽しめるのはエビの養殖が盛んだからこそだろう。そしてメインはレンドルフの掌ほどの大きさもある大エビのグリルだった。レンドルフの皿には半身が殻ごとドンと乗り、ユリの皿は殻から外されてレンドルフの半分程度の身が美しく盛りつけられていた。一見ユリの皿は少なく見えるが、それでも通常サイズのエビの二尾分くらいはあるだろう。グリルの脇に添えられたレモン風味のオイルソースと、緑色のバジルソースがエビの赤い身に良く映えた。

口に入れるとエビの甘さが広がり、噛み締めるとプツリと心地好く切れる歯応えが堪らない。大きさから大味ではないかと思ったのだが、驚くほどキメの細かく引き締まった身で旨味も濃い。レンドルフは少しでも多く殻から外そうと集中して、少し無言になってしまった。すぐに我に返って顔を上げると、ユリは全く気を悪くした様子もなく何だか子供を微笑ましく見守っているような目をしていた。いつもよりも大人っぽい印象に仕上げているメイクのせいかもしれないが、レンドルフは少し照れたように眉を下げて申し訳なさそうに微笑んだ。


「ごめん、ちょっと夢中になってた」

「それだけ懸命に食べてもらえたらエビも本望じゃない?」

「だといいけど」


その後は魚とオリーブのオイル漬けを使った小さなパスタが出て来た。小さいと言ってもユリの方だけで、レンドルフの皿は通常の一人前は乗っている。少し平たい麺でニンニクとキャベツも一緒に炒めてあり、しっかり旨味が絡んでいて強いコシに濃い小麦の香りが負けていない。


「この小麦はパンにしないのかしら」

「そういえば出て来なかったな。コシが強過ぎて向いてないのかも」

「このモチモチ感はパンでも美味しいと思うんだけど、きっともう試してるわよね」

「後で聞いてみようか」


そんな会話をしながら揃って全部綺麗に食べて、デザートをゆっくりと楽しむ。これまでのメニューはユリには少々多めだったのだが、デザートはレモンソルベとリンゴの果肉入りミントゼリーとさっぱりしたものだったので気が付くと全部胃に収まってしまった。胸の下で切り替えのある締め付けないドレスなので良かったとこっそりと思っていた。



「パフーリュ領は護衛で半日くらい滞在したことはあるけど、オリーブは食べなかったな」

「そうなの?季節が違ったとか?」

「それもあるけど、オリーブはあっちよりも王都で有名な感じかな。どっちかと言うと小麦と柑橘系が地元ではよく食べられてたよ。夏に行ったから、出て来たものは柑橘系が中心で」

「レンさんはどんなメニューを食べたの?」

「冷たいパスタにレモンを搾ったものだったよ」


第二王子エドワードの視察に同行する護衛だったので、交代で素早く食べられるメニューが用意されていた。エドワードは領主の屋敷に招待されて特産品を使用した晩餐会に出席することも視察の一環だが、やはり王城とは違う環境なので護衛もいつも以上に警戒をしなければならない。その為、レンドルフは視察同行中は座って食事をした記憶がなかった。

確かその時に食べたのは太めのパスタを冷やして、その上から冷やしたコンソメスープと搾ったレモンを掛けたものだった。夏向けでさっぱりとしていたが、具がなくてレンドルフを含む騎士達には物足りなかった覚えがある。


「あ、そうだ、あの人」

「あの人?」

「ほら、さっきハンカチを貸してくれた女性」

「…ああ、あの」


一瞬だけユリの声が低くなったが、レンドルフは気付いていなかった。一応未婚の男女が密室で二人きりにならないように、この個室は隣に侍女や護衛などが控える間が作られている。視界には入らないように作られているが、きちんと声や様子などが控えの間から把握出来るように作られているのだ。そこで会話を聞いていたエマとマリゴは、ゾクリと揃って身震いをしていた。


「あの目の色は、パフーリュ家の特徴だった筈だよ。もしかしたらこの店に状況を確認しに来てたのかもしれないなと思って」

「…目の色はよく見てなかったわ」

「確か直系はオレンジ色の目になるんだ」


視察でエドワードにオリーブ畑や小麦の精製工場を案内していた領主が、鮮やかなオレンジ色の瞳をしていたのを思い出したのだ。それにあやかって領内でオレンジの栽培をしていたらしいのだが、レモンの方が向いていたらしく今はそちらの木の方が多いと領主が説明しているのを近くで耳にしていた。屋台の黄色い照明なので分かりにくかったが、あの女性は確かにオレンジ色の瞳をしていた。

パフーリュ家から王族に嫁いだ令嬢がいた関係で王家からの視察に組み込まれていた行程だったので、もしかしたらあの女性がそうだったのかもしれない。


「じゃあレンさんはあの人に会ったことが?」

「いや、会っていないよ。その時は男性のご領主殿の案内だったし」

「…そっか」


(じゃああのハンカチはオリーブ染めだったのかも…)


あの女性が差し出したハンカチは、光の加減で淡い黄色にも緑にも見える複雑な色合いをしていた。それがまるでレンドルフの瞳の色を模しているように見えてしまって、乱暴なやり方だと思いながらも気が付けばあの時彼女の手から取り上げるような形でユリはハンカチを受け取ってしまった。我ながら短絡的な行動であったと、ユリは内心密かに反省をしていた。とは言っても、素性が分かったところであの件はユリが代わりのハンカチを渡したことで手打ちのようなものだ。それにレンドルフのことを「可愛い」と分かる女性とはあまりお近付きにはなりたくない気持ちなのは変わらなかったので、この先会わない方がお互いの為だろう。



----------------------------------------------------------------------------------



「来月はオキノツ領のコースなのね」

「あの島嶼の領地だよね。じゃあ魚介系が中心かな」

「あそこはリヴァイアサンを紋章にしてるから、あんまり海のものは食べないみたいよ。どっちかと言うと鹿とか猪とか」

「詳しいね」

「アキハお姉さんがオキノツ島の出身なの。あと畜産で乳牛が多いから、ミルクを使った料理が多いかも」


テーブルの上に今回のコースメニューが置かれていたが、見るとしっかり来月のコースの紹介も記載されていた。ミルクを使ったものだとすると、スイーツ系が充実しているのだろうか、と甘い物好きなレンドルフはつい思いを馳せてしまう。


「また予定を合わせて来月も来ましょうか」

「…顔に出てた?」

「うん、ちょっとね」


悪戯っぽく微笑みながらコテリと小首を傾げてユリに言われて、レンドルフは片手で口元を隠す。もっとも今更感ではあるのだが。


「ここなら毎月来ても楽しそうね」

「そうだね。ユリさんは食べてみたい領地のコースはある?」

「ええと…レンさんの故郷の、がいいな」

「…口に合うといいけど」

「前に煮込み作ってくれたじゃない?あれ美味しかったよ」

「そっか…そ、それならちゃんと確認しておくよ」

「うん。楽しみ」


レンドルフはニコニコしているユリの顔を見て、後で長兄に伝書鳥を飛ばして、この店のことを確認しておこうと心のメモにしっかりと刻み込んだのだった。



後日、レンドルフからの手紙で初めて店の存在を知った当主ダイスがどこかピンと来たらしく、「可愛い末弟がデート相手にクロヴァス領(実家)をアピールする気だ!」と張り切って店に猛烈な売り込みを掛けたり、領主夫妻で狩りに行って食材を準備したりと盛り上がっていた。そのことをレンドルフが知ったのはクロヴァス領のコースをユリと食べに行った後のことだったので、「だから魔獣肉がやたらと充実してたわけだ…」と少々遠い目をしてしまったのだった。



お読みいただきありがとうございます!


王家主催の夜会は、年末年始、春祭(貴族子女のデビュタント含む)、豊穣祭の三回です。天災などで不作だった年は豊穣祭は任意参加のチャリティ夜会になって、収益を各領に送ります。


貴族の叙爵、陞爵などがある時はまとめて行われます。王族の慶事(結婚や出産など)が発生した場合はその都度。他国からの賓客歓迎などは王家ではなく国が主催になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ