335.ヒロインは奪い合うもの
久しぶりの現在時間軸です!
過去編重めだったので、ちょっと軽めのエピソードから。
「危ない!」
そんな声と同時に、レンドルフの頭上から色とりどりの花が降り注いだ。
一瞬周囲がザワリとして硬直したが、レンドルフが立ち上がって抱えていた少年を降ろしたのですぐに回りにいた人間が駆け寄って来た。
「騎士様!お怪我はございませんか!?」
「ああ、大丈夫だ」
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秋の終わりには王都で祭が開催される。収穫期が終わり、これから訪れる冬を前に英気を養うために、人々は花ランタンを街中に飾って夜通し食べて飲んで、歌って踊る賑やかな祭だ。その日は王城でも王家主催の夜会が行われて、数日前から遠い領地からも貴族がやって来るため一層王都は賑やかになる。
その時期は多くの人出を見込んで、数日前から既に王都は祭のような状態になっている。勿論一番盛り上がるのは夜会の日だが、レンドルフのような王城に務める者は準備や警備に回される。特に騎士は夜会の会場内を交代で見回らなくてはならない。特に祭の前日と当日は深夜まで拘束されているので、数日前に騎士達は交代でせめて街中で祭の雰囲気を楽しむのだ。
「ありがとうございます…」
「怪我はないか」
「うん…」
レンドルフがその先にある店への道を急いでいた時、台車で花ランタンを運んでいる途中で石の上に乗ってしまったのかその台車がグラリと傾いだ。人力で引いているのでそこまで大きなものではなかったが、その傾いだ側には幼い兄妹と思しき子供がいたのだ。それに気付いた数名から悲鳴が上がった。先に危険に気付いた兄の方が小さな妹を突き放したが、彼は逃げ遅れた。そのまま台車が倒れてしまえば大惨事になる。
そこから少し離れた場所にいたレンドルフは、猛然と倒れかけた台車の下にしゃがみ込むようにして少年を抱え込んだのだった。体の大きなレンドルフが身体強化を掛けて背中で支えるようにしたので、幸いにも台車は倒れずレンドルフにのしかかる形で止まり、乗せていた花ランタンが幾つか頭の上に落ちて来ただけだった。
立ち上がる時に背中でグイと押すと、台車はすぐに元に戻って乗せていた花ランタンの大半は無事だった。
花ランタンは、目の粗い籠の網目に花を挿して中に光の魔石を入れてあるものだ。花が萎れないように籠の中には水を含ませた固いスポンジが入れられている。その水が漏れてレンドルフの髪と背中を濡らしてしまって、前髪からポタポタと滴が垂れる。水の量は大したことはないのだが、着ていたベストがグレーだった為に随分染みが目立ってしまっていた。
「申し訳ありません!」
「いや、誰も怪我がなくてよかったが、ランタンを駄目にしてしまった」
「いえいえいえ!騎士様のお陰でこれだけで済みました」
台車の持ち主らしき中年の男性が真っ青な顔をして駆け寄って来た。もしこれで倒れて子供達を巻き込んでいたら大変なことになっていた筈なので、男性の慌てぶりも分かるというものだ。本当は台車や馬車などが通る道を歩いていた子供達の不注意なのだが、夕刻は祭の屋台で賑わっていて歩道にも人が溢れていた。他の大人達も歩道以外の場所を歩いているので、つい子供達もそちらに出てしまったのだろう。台車も人が多かったのでゆっくりと引いていたので、これは不運が重なったとしか言いようがない事故だ。しかし近くにいたレンドルフが間に合ったのが幸いな結果に終わった。
「何か拭くものをお持ちしま」
男性がそう言いかけて、不自然に言葉を止めた。何だろうと思ってレンドルフが顔を上げると、近くに停まった馬車から大輪の華が降りて来たのかと思った。
この付近は大通りから一つ入った道で、どちらかと言うと大衆的な店が建ち並んでいる。よく探せば隠れ家的な貴族も来る名店も幾つもあるが、そういった店に行く時は貴族側もお忍びのような出で立ちでやって来る。なので、目の前に停まっていた馬車は、見るからに貴族が使っている装飾が施されていて明らかに周囲から浮いていた。降りて来た女性も艶やかな絹をふんだんに使用したクリーム色の生地に、特別に染められたであろう銀糸のキラキラとした刺繍で埋め尽くされた見るからに高級品のドレスを纏っている。正直に言ってしまえば、こんなところに来るにはあまりにも相応しくない姿だったのだ。
年の頃はレンドルフより少し上くらいだろうか。白磁の肌に淡い金髪を結い上げていて、夕刻の明るさの中でも彼女自身が光輝いているかのようだった。華やかな顔立ちではなかったが、その分落ち着いた品のある美しさが際立っている。少し伏し目がちな切れ長のオレンジ色の目は常に笑みを湛えているように見えて、どこか視線が曖昧になってミステリアスな印象を与えた。
「騎士様、どうぞお使いになって」
その女性が真っ直ぐにレンドルフに近付いて来て、優雅な所作でスッとハンカチを差し出して来た。
「ありがとうございます。ですがこのように美しい品を汚してしまう訳には参りません」
レンドルフが反射的に片膝を付いて礼を取ったのは、もはや体に染み付いた習性のようなものだ。チラリと目を走らせた馬車には特に紋章は付いていなかったのでどこの家門の女性かは分からないが、所作や持ち物からすれば下位貴族ではない、むしろ伯爵でも家格がかなり上かそれ以上の家の出だろうと察しがついた。下位貴族と裕福な平民の区別はざっくりとしか付かないレンドルフではあるが、上位貴族は職務上見慣れていたのである程度判断は付く。
「遠慮なさらないで。勇敢な騎士様に敬意を」
膝を付いたレンドルフに彼女は躊躇いなく近寄って、繊細なレースと刺繍の施された小さな芸術品のようなハンカチで濡れている前髪の雫をそっと拭った。淡い黄色のような緑のような複雑な色合いのハンカチが、水滴を吸って濃い緑色に変化する。それを動かす度にフワリと彼女の袖の辺りから甘い香りが漂って来る。
「申し訳ございません」
「服まで濡れてしまっていますわね。どうぞ我が家の馬車にお乗りになって。着替えを用意させますわ」
「お心遣い痛み入ります。ですが、そこまでしていただく訳には」
「いつもわたくし達を守ってくださる騎士様に感謝を捧げさせてくださいませんか」
「…そのお気持ちは全ての騎士が慎んでお受け致します」
このやり取りに、一瞬だが彼女の手が止まる。レンドルフは他の騎士達とのやり取りで知ってはいたが、自分には無関係なことだと思っていたのだ。だが、一応知識として知っていたせいか思ったよりすんなりと言葉が出て来た。
これは貴族が気に入った騎士を引き抜きたい時や、何か個人的な目論見があってよく使われる言葉だ。特に女性からの申し出は、非公式な交際を匂わせるものだ。家や個人の正式な縁談ではなく、いわば愛人へのお誘いだ。愛人と言っても一夜を共にするだけのものから見目良い護衛として侍らせるものなど色々あるが、あまり大っぴらに言えるような関係ではない。そして一切その気はないレンドルフは、申し出を断る際の定形句を口にしたのだ。
「そうですか。それでは騎士団当てに寄付を送らせていただきますわ」
「恐れ入ります」
こうして個人的に受けることは出来ないと断ると同時に、表向きは相手が騎士全体への感謝という形で通せる。寄付は基本的に匿名なので、誰が誰を誘って断られたかは分からない。それを支払う代わりに誘ったことの口止めという意味にもなるのだ。これは騎士団の中でも不文律な事案なので、この場でそれが分かる人間は殆どいないだろうし、いたとしても暗黙の了解として黙っているだろう。
「こちらは差し上げますわ。お使いくださいな」
「ありがとうございます」
レンドルフの髪を拭いて濡れてしまったので、そのまま返すわけにもいかない。本当ならばハンカチは洗うか同等の新品に花か菓子、好みが分かればワインなどの消えものを添えて返すことが貴族女性への礼儀であるが、この場合はお互いの素性は知らない方がいい。おそらく彼女の方もレンドルフからのお返しを望んではいないだろう。
レンドルフが見上げるように彼女の差し出したハンカチを受け取ろうと手を伸ばしかけた時、脇から見覚えのある手袋と緑がかった淡褐色をした石の付いた指輪をした小さな手がそれを奪うように回収した。
「あ…」
「遅かったから迎えに来たわ」
小さな手の方に顔を向けると、真っ赤な髪に金の目をした妖艶な美女がニッコリと微笑んでいた。
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赤い髪の妖艶美女は、ユリの変装の一つだ。今日はこの近くのレストランで夕食を共にする約束をしていた。貴族のお忍び用にも使われる個室を予約していたので、それに相応しく一番貴族風の装いになる変装をしている。真っ赤な髪を緩く結い上げて、わざと垂らした後れ毛は軽く巻いてある。濃い赤で胸の下に切り替えのあるシンプルなドレスだが、繊細なドレープが生地の光沢を反射させて体の凹凸を柔らかに浮かび上がらせていた。その上から襟元や袖に控え目な金色の刺繍のある黒のボレロを羽織っているので、露出も少なく体のラインもあからさまになり過ぎない、下品にならないギリギリを狙った装いだ。
普段のユリとはわざと極端にかけ離れた衣装とメイクをしているので気付かれることはないが、華やか過ぎて注目を集めてしまうこともしばしばだった。その為にユリがこの変装をしている時は必ず侍女と護衛騎士が付いているし、妙な輩に絡まれないように馬車で移動することにしている。ユリの後方には、大抵中心街で出掛ける時に同行してくれる侍女のエマと護衛のマリゴが今日もしっかり控えていた。
本当はユリとは別の場所で待ち合わせて馬車で向かう予定だったのだが、祭が近いこともあってレンドルフが乗れるような大型の馬車では道が混み合ってなかなか進めそうになかった。その為急遽小回りの利く小型の馬車に乗り換えてもらい、レンドルフだけが徒歩で向かうことにしたのだ。中心街ならばそれなりに抜け道を知っているので、馬車とは大差ない時間で到着出来る予定だった。が、そこに向かう途中でレンドルフが台車を倒れるのを防いで今の状況になってしまった。
「あらぁ。この可愛らしい方のお目付かしら」
「ええ。私の可愛い連れにお気遣いありがとうございます」
二人の女性の間に、一瞬で火花が散った。レンドルフは膝を付いたままの姿勢で、立ち上がるタイミングを完全に逸していた。
祭当日ではなくても飾り付けも屋台も並び、もうほぼ祭が始まっているような喧騒の中、その一角だけは奇妙な静けさが支配していた。周囲は平民向けの屋台が並び、扱っている商品も客層に合わせたものだ。その中で、明らかに貴族と分かる淑女と貴族のお忍びと思われる妖艶美女の存在はどう見ても浮いている。そしてどちらの女性も顔は笑っているのだが、どこかピリピリした空気が漂っている。それを一番の至近距離で浴びているレンドルフは、魔獣を避けて茂みに潜んでいる時の呼吸を無意識に繰り返していた。
そしてこの騒ぎに足を止めていた人々は、彼女達の会話に登場する「可愛い」に該当する人物を捜して視線を彷徨わせていた。いや、話の流れと位置からレンドルフだというのは一目瞭然なのだが、どう贔屓目に見ても「可愛い」に該当する成分が見つからないので僅かな期待を掛けて他の人材を捜していたのだ。
「こんなに服が濡れてしまってはこの先どこかへ出掛けるのも難しいでしょう?わたくしのタウンハウスなら近くですし、着替えもすぐにご用意出来ましてよ」
「もう着替えならこちらにございますのでご心配なく」
「ちょっと…ユリさん」
普段から何かあってもすぐに替えの服を手に入れられないサイズのレンドルフは、常に最低限外を歩ける程度の着替えを持ち歩いている。今はそれが入った荷物は後で合流するのだからと、ユリの乗った馬車に預けている。それなのでユリは事実を言っているだけなのだが、その言い方は別の意味にも取られてしまう。レンドルフは顔が熱くなるのを感じながら小声でユリを止める。
「エマ」
レンドルフが止めたのも関係ないように、ユリは背後に控えていたエマに奪い取…受け取ったハンカチを渡すと、エマは心得たように手にしていたポーチから新しいハンカチを取り出す。
「貴女様のお品程ではございませんが、もうお会いすることもございませんでしょう?彼の代わりに新しい物をお返ししますわ」
「まあ、ありがとうございます。こんな良いお品をいただいてしまって、却って申し訳ありませんわ」
互いに笑顔で笑い合っているのに、空気が冷たい。新しいハンカチをエマが女性に向かって差し出したが、彼女はチラリと後ろにいる侍従らしき人物に目配せをすると、彼が進み出て代わりに両手で受け取る。
「そちらの可愛い人に使ったものは好きにして頂戴」
「ええ、しっかりと処理しますわ」
ユリの言葉は微妙に「処します」と聞こえたのだが、それを人垣の中に紛れながら同行を見守っていた大公家の諜報員達は「さすが御前のお血筋だ…」と妙なところで感心していた。
「あの騎士の兄ちゃんが可愛いっておかしいだろ…」
「そんなことないよ!」
一連のやり取りを側で聞いていた人々の気持ちを代弁するかのように思わず声に出てしまったレンドルフに庇われた少年に、隣で手を繋いでいた幼い妹が大きな声を上げる。
「あのお兄ちゃんは綺麗なピンクの髪の毛だし、お花いっぱい付いてるし、お姫様みたいで可愛いよ!」
幼子特有の良く通る高い声が響き渡った。
レンドルフは極めて大柄なので逞しい騎士として認識されるのが普通ではあるが、膝を付いていた状態で長身が気にならなかったのか、それとも幼い子には顔だけしか目に入っていなかったのかキッパリと言い切っていた。確かにレンドルフは顔だけは母似の整った優美な顔立ちであるし、先程落ちて来た花ランタンから零れた花が幾つも頭に乗っていた。あまりにも少女が断定するので、一瞬周囲も「そう?かも?」というような雰囲気に呑まれる。
少なくとも三人の女性から「可愛い」と観衆の前で宣言されてしまったレンドルフは、頭に花が乗っているという事実にも今更ながら気が付いて、「うわあぁぁ」と小さく呻いて顔を真っ赤にして手で覆ってしまったのだった。
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