【過去編】これからの王国
今回で過去編は終わりになります。
次回から通常の時間軸に戻ります。
サクラの手記は驚いたことに原本まで一緒に入っていた。見たことのない文字で綴られた書き付けは、字が上手いのかそうではないのかすら判別出来ない。これは大公家で保管するものではないかと心配になったが、当主代行のナデシコが判断したのだから、本当に個人的な内容で重要な事柄は書かれていないのだろうと気を取り直し、スエは同封されていた翻訳の方に目を通した。
そこには、異界渡りであり、人族であったサクラの戸惑いと苦悩が綴られていた。
ナデシコはスエに宛てたものと言っていたが、どちらかと言うと大公家には置いておけないから処分を任せたのではないだろうかと思えてならなかった。
その手記には、異界で大怪我を負って死にかけていた彼女をタカヤが救い、大量の生命力を分け与えたことに対する感謝が綴られていた。しかしやがて慣れぬ暮らしに疲弊しこちらに攫われたことに疑問が生じ、人族であるが故に番を感知することが出来ずに些細なことで不安と猜疑心に苛まれていた。そしてタカヤに対して、恋心なのか依存なのか判断が付かないという赤裸々な思いが記されていたのだ。
(これは、異界の言葉で書く訳だ)
番が分かるのは獣人の特性であり、人族には全くない本能だ。それなのに獣人が人族を番と認識することがあるのは謎ではあるが、この世界で「そういうもの」として認識されていた。しかしサクラのいた異界では、少なくとも会話が成立する種族の間ではそういった現象はなかったという。
タカヤが与えた生命力のおかげなのか、サクラは言葉にこそ不自由はなかったが、環境や生活習慣などが一気に変化し、全てがタカヤに掌握されている状況を辛く感じていたらしい。獣人からすれば、番を丁重に扱い守るのは当然のことだと思うのだが、それが実感として分からないサクラには「もし飽きられてしまったら」「機嫌を損ねてしまったら」と考えてしまい、タカヤに放り出されたらこの世界で生きて行くことは難しいと日々薄氷を踏むような心地だったようだ。
獣人のスエからすれば、番を放り出すこともないし、何をされても言われても絶対に嫌うことはないのだが、やはり理解出来ない感覚というのはあるのだろうと思いながら読み進めた。現に、スエには番の名乗りを上げた獣人を信用出来ないサクラの気持ちが分からないのだ。感覚の共有の難しさは、スエも知っている。
そしてアキメイラを育てているうちに、彼女が美しくなって行くことも不安を与えたらしかった。周辺にいたのは獣人ばかりで、タカヤが番と言っているのだから伴侶はサクラ以外にないのは分かっていたが、それを感知出来ないサクラには説明が圧倒的に不足していた。
『イラがあの人に向ける目は、どう見ても女の目だ。年頃の娘なのだからもう少し距離を取って欲しいと言っても「お前が番なんだから」と言うだけで態度は変わらない。イラを娘だと思いたいが、あの勝ち誇った目で見られると不安で堪らなくなる。もっと私が若くて美人なら、あの人の隣に立っても恥ずかしくなかったのに』
サクラの書き付けには、何度か自分の容姿を卑下するような記述が散見された。スエの感覚ではサクラ当人が書き記していた程ではなく、ただこの世界ではあまり見かけない彫りの浅い地味な顔立ちではあったが、知的で柔らかな雰囲気のたおやかな女性だった。それに番というのは美醜などには左右されないものだ。しかしタカヤも周囲もその説明が圧倒的に不足していたのだ。
怜悧な刃のように研ぎ澄まされた美貌のタカヤと、煌めく大輪の華のような愛らしいアキメイラ。どこに行ってもこの二人が並ぶと確かに人々の視線を集めた。更にタカヤがサクラを番と紹介してしまうと、周囲は遠慮からか彼女はどこに行っても人の輪から外れがちだったのを思い出した。
それに話に混ざろうにも、サクラには分からないことが多いのだ。それこそ子供でも知っているような食べ物の食べ方が分からず、見様見真似で遅れて手を付けたりしていた。そしてタカヤは、悪気ないのだが自分の好みの料理だけを説明なくサクラに手渡してしまう無頓着なところがあった。
考えてみれば、スエはたまにそんなサクラにこっそりと他の食材や食べ方などを教えていたような気がする。たったそれだけのことなのに、どんなにありがたかったか感謝の言葉が並んでいた。
(ああ、そういえばアキメイラの愛称を最初に呼ばなくなったのはサクラ殿だったのではないだろうか…)
タカヤに媚薬を盛って迫る事件を引き起こしてから、タカヤはアキメイラの名を呼ばなくなったが、サクラはずっとその前から愛称の「イラ」を口にしなくなっていたような気がした。そこにサクラの不安と葛藤が見え隠れしていたことを今更ながらスエは理解した。
そして次第に、常にタカヤが張り付いている状況にもサクラは疲弊していたようだった。タカヤのことは伴侶として想っている記述もあったが、見張られているようで息苦しい、という言葉も見られた。獣人同士で番の認識があるのなら、一時でも離れることを厭うので何とも思わないのだろうが、人族の彼女にとっては負担になっていたらしい。
やがて、どんな場所にいても匂いを辿ってサクラを見つけ出すタカヤの目から少しだけ解放されたいと、サクラは嗅覚を一時鈍らせる香水を研究し始めた。おそらくそれがナデシコに渡された番を感知する機能を制御する薬の元祖なのだろう。
『誰の目も気にせず、一度ゆっくりとスエさんと話がしたい。あの人といると穏やかで息が吐ける』
不意にそんな一文が出て来て、スエは誰もいないのに思わず周囲を見回してしまった。もうそんなことはないが、これが万一生前のタカヤに見つかっていたら只では済まされなかっただろう。
他にも幾つか似たような文章を見付けて、スエは何とも言えない気持ちになった。これは恋情などではないことは分かる。もしそうならとっくにタカヤが気付いていて、スエなど簡単に八つ裂きにしていただろう。ただ彼女は疲れていて、どこかに安らぎが欲しかったのだ。タカヤは強く、行動力も実力もある獣人の中では最強と言われるのは間違いなかった。力の強い者こそ上に立つ、とされる獣人の世界に、サクラは馴染めなかったのだ。力のない番ならば、全面的に寄りかかって甘やかされ溺愛されていればそれだけで良かった。けれどサクラは人族所以なのか彼女自身の性格なのか、それを受け入れられずにもがいてもがいて疲れ切ってしまった。
だからこそ獣人としては弱く、強引さのないスエに休息と安らぎを求めた。
確かにあの夫妻に愛情はあったのは分かっている。しかし、些細な掛け違いの積み重ねがそこには確実に存在していた。サクラの最期の様子はスエには知る術はない。だがせめて彼女がタカヤの愛情を疑いなく信じられていればいいと願うだけだった。
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スエは久しぶりに戻った自宅の庭で、手紙を焼いていた。空き缶の中の小さな炎はすぐに燃え尽きて、白い煙だけが夜空に細く昇って行く。風のない夜なので、どこまでも高くたなびいて行くのをスエは完全に消えるまで見上げていた。
「あなた、もうお入りになられたら?」
「…もう少しだけ」
「そう」
「貴女こそ冷えてしまう。戻った方がいい」
「もう少しだけ」
ガウンを羽織ったスエの妻が庭に出て来る。
大分歳を取ってから迎えた妻なのでスエよりもかなり年下ではあるが、獣人よりも寿命の短い人族なのでゆっくりと歳を重ねるスエとは今は外見的にはあまり変わらない年代に見える。スエは最初から見合いの席で「国の為にその身を礎に出来る子供が必要だ」と告げていて、その中で騎士の家の出で夫を喪って実家に戻っていた女性が迷わず快諾したので、そのまま縁談を進めて妻に迎えたのだった。恋愛という情は交わさなかったが、すぐに家族としての信頼は築けたとスエは思っている。
しかし、あのサクラの手記を見てしまった後だと、自分の思い込みではないかと不安になって来た。
「あの、エミリー」
「はい?どうなさいました?」
「その…私は知っての通り、獣人だ」
「はい」
スエの唐突な言葉に、妻エミリーは何度か目を瞬かせた。
出会った頃は痩せぎすだった彼女は、子供が生まれる度に少しずつふっくらとして行ったせいか同じ年代よりも目元や口元にハリがあって可愛らしくさえあった。いつぞや黒髪がすっかりグレーになってしまったと零したスエに、自分の淡いピンク色の髪は子供っぽくて嫌だったが今は白髪が目立たなくて良いと言って「年を重ねてからも知ることは多いのね!」とコロコロと笑っていた。そんな姿も愛嬌があって、楽天的な性格もスエには好ましかった。
「今更だが、獣人の夫に、何か不安などはないだろうか。体質や、生活習慣など、人とは違うところが多いだろう」
「どうなさったのです、急に。…あの燃やしてしまったお手紙に何かございました?」
「昔受け取り損ねてしまった友人の愚痴だ。人族だったから、些細なすれ違いなどがあったようだ。私はそれに全く気付けなかった」
「そのご友人は今は?」
「もう神の国に行ってしまったよ。もし話をきちんと聞くことが出来たら、何か違っていただろうかと思ってな。だから貴女にもきちんと確認しておきたくなった」
完全に燃え尽きたのか、燃え残りから煙が上がることもなくなった。スエは缶を拾い上げて屋敷に戻ろうとエミリーを促した。
「ああ、そうですわね。聞きたいことがありましたわ」
「そ、それは何だ?どんなことでもいいぞ」
少し考え込んでいたエミリーは、パッと顔を上げてスエを顔を見つめた。スエが言い出したことだが、改めて宣言されると妙に緊張している自分がいた。
「あなたの腕の鱗、年齢を重ねると色が変わったりしますの?」
「へ…?んんっ、それはないな」
「まああ、そうですのね。スッキリしました」
「そ、それだけか?」
「んー、今はそのくらいしか思い付きませんわね。また思い付いたらお聞きしますわ」
「あ、ああ…是非、そうしてくれ」
全く予想しなかったエミリーの言葉にスエは拍子抜けしてしまったが、答えを聞いて何だか満足げに微笑んでいる彼女の顔を見ていたらそれでいいとストンと何かが腑に落ちたような感覚がした。
スエは温かく弾力のある妻の肩を抱くと、寄り添うように屋敷の中に入って行ったのだった。
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それからしばらくして、アスクレティ大公家が開発した「獣人の魔力暴走を抑制する薬」が大々的に発表された。強制ではなく希望制としていたが予想を越えて求められたので、その精製に携わるアスクレティ家は「薬の」「医療の」という二つ名が国内で一気に定着した。
獣人達はその薬が番を感知する能力の抑制だと薄々気付ていた。が、既に番ではない伴侶を有している者や、自分の伴侶は番でもその子供には人族の中で平和に暮らして欲しいと望む者などが予想以上に多かった。そのおかげかほぼ反発もなく受け入れられた。
真っ先に被験者として王太子を始め元王族達や、宰相とその息女達が名乗りを上げたので、国民にも抵抗がなかったようだった。
しかしその後、番信仰の強い者達が服薬を拒否し人族と番を奪い合って争いになることが頻発した為に、オベリス王国では服薬しない獣人に対して排斥運動が激化した。特に当時の国王が「文明を拒絶する本能だけの魔獣と一緒である」と強く非難したことから、オベリス王国から外見的に獣人の特性を持った人々が殆どいなくなった。
現在は獣人の血もほぼ薄くなり、番の本能も出ることもなくなった。それに伴って、一時期はオベリス王国では差別対象となっていた獣人の名誉も徐々に回復し、少しずつではあるが獣人の血を引く者も再び移住するようになって来ている。
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時は流れ「建国王と五英雄」は子供も知っている神話のようになった。王城の一番奥では、建国王が国を守る為に魔法陣を構築して祈りと魔力を注いだという場所が残っている。そこは王族だけが入れるという特別な祈祷の場であり、定期的に王族が魔力を注いで今も王都を悪しきものから守っているそうだ。
その地下深くには建国王が眠っていると伝えられているが、その真実は誰も知らない。
お読みいただきありがとうございました!
以下、過去編の補足など。
サクラからすれば、いきなり異世界に攫われて俺様スパダリに溺愛されてもそれってどうよ?な感じです。
今回は世界線が違うのでエピソード省いてますが、ハクは記憶無しの異世界転生者っぽい存在で、現実世界で行方不明になったサクラの元カレ。タカヤも元カレの名前ですが、サクラにその名で呼ばれても記憶は戻りませんでした。(サクラは「もしかして?」という期待を込めて改名時に「タカヤ」と名付けた)
現在と少し呼び名や役割などが違っているのは長い時間を越えて色々変化したからです。
キュプレウス帝国→キュプレウス王国 異世界転生した記憶保有の王が「帝国って悪っぽくて嫌だ!」と主張したのでキュプレウス王国に。
ミズホノ国→ミズホ国 どっかで通訳だか書記官が間違えた。
王都の防御陣→アキメイラを閉じ込める結界を利用して、数代後の凄腕魔法士が外部から呪詛やら魔獣やらを入って来られない反転仕様に。もともとレイキ家の結界で亀の甲羅のような紋様が見えたのですが、その手柄は王家のものと誤解されて伝わってる。
レイキ辺境伯→アケの一族が継いだものの、過酷な環境故に虚弱子孫は滅亡寸前になることもしばしば。どうにか強そうな血統の家と縁を結んで細々と家を繋ぎ、現在は努力の結果赤熊一族と名高いクロヴァス家になる。紋章がフェニックスなのはアケの姿がギリ残った。
サマル家→本編で既に直系は途絶える。どうしてこうなった。始祖のスエがリザードマンなのに紋章がサラマンダーなのはその時の当主が「そっちの方がカッコいい」くらいのノリで変更してしまった為。
将来的にはスエが一番メリバなのかもしれない…