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【過去編】全て終わった後に


賢王として名高かった二代目オベリス国王ハーバル・オヴェリウスは先王の急死を受けて、王都を守る為の防御の魔法陣に魔力を注ぐ為の役目を受け継ぐとして表舞台から一切の姿を消した。


その前に急遽末弟の王子を王太子に指名して、その後ろ盾に先王の時代から仕えていた宰相のスエ・サマル侯爵が任命された。先代王の時も交代は急であったので、人々は多少の混乱はあったもののすぐに落ち着いて行った。それに数多くいた兄王子姉王女達が国内外で多くの縁を繋いでいた為、まだ幼い末弟の王太子の基盤を固めるのに役に立ったのも大きかった。それらが上手く噛み合ったので、幸いにもハーバルの時代よりもすんなりと受け入れられた。


まだ幼すぎる王太子ではあったが、ハーバルについていた乳母や家庭教師達も同じように揃っていた環境だったので、人々は兄の跡を継いで良き王になるだろうと歓迎して温かい目で迎え入れた。



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王太子教育も順調に進み、通常の人間からすればとっくに引退していてもおかしくない年齢になったスエだったが、未だに宰相の地位を譲る者がいなかった。すっかり半分以上髪が白くなってしまったのにまだ多忙のままの彼の執務室に、アスクレティ領からの来訪者があった。始祖のタカヤがいきなり訪ねて来ることはあったが、今回はきちんと先触れの連絡を貰っている。



アスクレティ大公家は当主のタカヤが亡くなった後、一人娘のサラージュではなく複数いる孫の中から後継を出すことになっている。ただまだ幼いので現段階で指名はせず、大公家を継ぐに相応しい能力がある者を選出するように、とのことだ。その選出者はサラージュの夫とミズホノ国の国王が指名されている。どちらもオベリス王国の者ではないが、縁談を含めてアスクレティ家の後継については王家の口出しは受け付けない盟約を交わされている為、不満を漏らす家門もあったがそこは黙殺されていた。そして孫の中で相応しいものがいなかった場合は、当主の補佐官を務めていた者に後を任せる旨も記載されていたのだ。

もしその補佐官が当主になった場合は、大公家に特別に認められた特権などは王家に返還すると付け加えられてスエの手元に遺言書が託されていた。



「お初にお目にかかります。ナデシコ・アスクレティと申します」


まだ成人したばかりくらいの少女が、見事な淑女礼(カーテシー)を披露した。艶やかな黒髪に深い緑色の瞳をしていて、その目の中には金色の光を散らしたような輝きが混じっている。そしてその顔は、かつてタカヤとサクラの間で無邪気に笑っていた幼子の面影があった。

その後ろには初老で黒髪の侍従と、同じく黒髪の背が高い細身の侍女が控えていた。二人の顔立ちは似通っていたので、血縁者かもしれない。侍女の方は身のこなしがどちらかと言うと騎士に近いものがあったので、護衛も兼任しているとすぐに分かる。


「貴女はサラージュ様の…?」

「娘です、宰相閣下」

「そうか…いや、よく似ておられる。髪と瞳の色は違うが、本当にそっくりだ」

「左様でございますか」


思わずそう漏らしたスエの言葉に、ナデシコは少々怪訝な表情を浮かべたが、すぐに淑女の笑みを浮かべた。アスクレティ家は王家との盟約通り、王都などで社交などには参加せずに独立独歩の領政を行っている。それでも教育はきちんと貴族らしいものを受けているようだ。

アスクレティ大公家も一応オベリス王国に属している。法に定められた納税など貴族としての義務は十分すぎる程果たしているが、何らかの形で社交界に顔を出さなくてはならない場面もあるだろう。いくら王家と同等の権力を許されていたとしても人付き合いの中で辛い目に遭うかもしれないので、隙がないに越したことはない。


「あの…宰相閣下。わたくしは母の…と申しますか、両親の顔を知らないのです」

「顔を…?いやしかし、アスクレティ嬢は獣人国でご家族でお過ごしになっていたのでは」

「正確には、人しての両親の顔、でございます」


サラージュはかつてアキメイラに襲われかけてタカヤに助けられた後、恐怖のあまり人型を取れなくなってしまっていたのだった。獣人の中には人型と獣型を自由に変化可能な者もいれば、生まれた時のままの姿で変化出来ない者もいる。あまり力の強くない獣人は一部特徴は出ることもあるが、ほぼ外見は人と変わりがない者も多い。


しばらく領地に隠して様子を見ていたがなかなか人型に戻れずにいたサラージュを、獣人国から番の青年が匂いを辿って迎えに来たそうだ。タカヤの性質を強く受け継いでいたサラージュは、彼よりは一回り小さかったがそれでも大型の肉食獣の姿をしていた。人の目に触れれば大騒ぎになる人族の世界では生きることは難しいだろうと、タカヤは愛娘を彼に託すことを決めたのだ。

迎えに来た獣人は高位貴族の多い黒豹族の一員で、彼自身も獣人国では伯爵位相当を有していた。その彼が番であれば獣人国に戻っても不当な扱いは受けないだろうし、生活にも困らない筈だ。そして何より、サラージュが人型に戻れないのならば自分も今後は獣型でいると迷わず行動に移したことも大きかった。男性に怯えるサラージュには、黒豹の姿の番は受け入れられたようだった。


「わたくし達は五人兄妹ですが、誰一人人型の両親の姿を知りません」

「と言うことは、サラージュ様はまだ…」


ナデシコがコクリと首肯する。


サクラの最期が近い中で、タカヤが大公家を興して獣人国からサラージュを呼び寄せる環境を急遽整えた。ようやく帰国したサラージュと家族は、邪魔の入らない中でサクラを見送ることが出来た。しかし未だに人型に戻れないままの彼女は、葬儀が終わると獣人国へと戻って行った。その際に家族と相談をして、既に成人を済ませて能力に問題無しと判断され父方の家を継ぐことが決まっていた長男と、まだ幼く獣人の特性が強く表に出ていた双子の弟妹は両親と獣人国へ戻り、長女ナデシコとすぐ下の弟はアスクレティ領に残ることにしたのだった。


「わたくしと弟のキッカは獣人としての能力はあまり高くありません。ですからこちらで暮らしても外見的な問題はありませんし、アスクレティ家の後継も不在でしたから祖父の強い希望もありこちらに残ることにしましたの。ミズホノ国からの許可に時間が掛かりましたが、ようやく調いました。後日ミズホノ国から正式な書類が届くかと思いますが、わたくしが中継ぎとして仮の当主を務め、三年後に弟が成人をしてアスクレティ大公家の正式な当主になりますわ」

「…そうですか。それならば良かった。直系の後継が出来るのならば安心です。もし何か不都合があればいつでも相談してください。出来る限りのことはいたしましょう」

「ありがとうございます」


ナデシコは出された紅茶を優雅な仕草で一口飲むと、作られたものではない柔らかな笑みを浮かべた。その茶葉は通常よりも少し発酵が浅いので、青さの残る瑞々しい味わいが特徴だ。ナデシコの好みが分からなかったのでごく一般的なものを出そうと思ったのだが、スエはふと思い立ってこちらの方を出してみたのだった。それはかつてタカヤとサクラが好んでいたものだ。生まれの差なのか二人はあまり味の好みが合わなかったのだが、この茶葉は珍しく揃って美味しいと言ったものだった。

ナデシコは外見はサラージュによく似ているが、元々サラージュはタカヤに似ていたのだ。そこに懐かしい面影を見付けて、スエは自分も一口飲んで昔に戻ったような心地になった。


「宰相閣下、本日は当主決定の報告と共に、お渡ししたいものがありまして参りましたの」

「渡したいもの、ですか?」

「はい」


ナデシコが後ろに控えていた侍従に目配せをすると、彼は封書を二つ差し出して来た。そのうち片方は封をしていない。ナデシコはそちらの中身を取り出して、スエの前に並べた。それは幾つかの薬包で、中に白い粉薬が入っているのが透けて見えた。


「こちらは?」

「こちらは獣人の番を感知する本能を遮断する薬です」

「なっ!?」


実にサラリと「良く効く胃薬です」と言うような口調で、ナデシコはとんでもない言葉を口にした。長年宰相を務めて来て滅多なことでは動揺を見せることはないと思っていたスエも、思わず息を呑んで立ち上がりかけてしまった。


番は獣人特有の感覚で、それは「運命の伴侶」であり魂の半身だと伝えられている。遙か昔には殆どの獣人がその番を得ていたと言われているが、獣人が小さな集落から広範囲に生息域を広げた為に番と出会う機会が激減していた。今では番を得る獣人はごく僅かであり、獣人達の間では憧憬として扱われている。生粋の獣人達の間では、もはや「番信仰」に近いものがあると言ってもいいだろう。

スエも獣人国で生まれ育った獣人であるので、自分には縁のないものだと思ってはいるが、心の片隅では番に出会うことは神聖なもののような感覚だったのだ。目の前の少女が差し出した薬包は、それを真っ向から否定するようなものだった。


「何故…これを…?」

「必要かと思いまして。元々祖母が研究していたのは別のものだったのですが、偶然にも番を感知する能力にも効き目があると判明しました。生前は完成には至りませんでしたが、獣人国の国王が協力してくださいまして、まだ条件はありますがこうして実現に至りましたの」

「獣人国が!?まさか、そんな」


「宰相閣下、番は本当に必要ですの?」


目の前の少女はタカヤを思わせる冷えた感情のない声で、美しく整った笑顔をスエに向けたのだった。



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ナデシコは、祖父母も両親も互いに番として深く絆を結んだ理想の夫婦だと思っていた。実際に祖父母に会ったのは祖母が亡くなる少し前だったが、長年献身的に病床の祖母の世話をして尽くしているという祖父の話を聞いていて憧れを抱いたのだ。それに両親もいつも行動を共にしていて、軽い言い争いすらない仲睦まじさだった。ナデシコや兄妹達も、それが日常だったので当然のことだと思っていたし、世間で夫婦喧嘩などというものが存在するのは番を見付けられなかったからだと気の毒にすら思っていた。


しかしナデシコは番の本能がもたらす悲劇を目の当たりにして、それに疑問を持つようになってしまった。それは自分の中に流れる祖母の人族の血のせいだったのかもしれない。


事の発端は、ナデシコが学校の初等部に通い出した頃、同級生の番が見つかったことだった。その相手ははるかに年上で、妻子どころか成人した孫までいる男性だった。しかし互いに番と認識したので周囲もそれを祝福し、相手は長年連れ添った妻を離縁して、同級生と婚約した。そして成人したらすぐに婚姻を結ぶ予定だった。が、相手は風邪をこじらせて翌年呆気無く亡くなってしまった。同級生は狂乱し、相手の孫に毒薬を無理矢理飲まされて後を追うように死んでしまったのだった。その際に、孫も大怪我を負って後遺症が残ったと聞いた。

その後、離縁された元妻が毒を盛って男性を殺害したのではないかという噂も流れたが、真相は定かではない。


ナデシコはそれを近いところで見ていて、誰も幸せにならなかった顛末にひどく気持ちの悪さを感じていた。番の名の元に長年連れ添った家族もあっさり切り捨て、片方が亡くなればそれに自らの寿命を合わせて自害する。ただ大人しく自害するだけならともかく、時折狂乱して周囲を巻き込んで死者を出すこともあった。それに巻き込まれた者がいても、相手は番を失ったのだから仕方がない、と軽く扱うという風潮も随分歪だと感じた。


「番の本能は、人族の伴侶を迎えても数代は出やすいと言います。この薬は、番を見付けてしまうと効果は薄くなりますが、見付ける前でしたら定期的に服用すれば完全に抑えることが出来るのです。もし国の王が番を見付けたら…宰相閣下なら想像が付きますでしょう?」


番は滅多に見つからないものだ。生粋の獣人ですら見つかることは稀なのだから、人族の血の入った王太子には見つからないものだと思っている節があった。それに臣籍降下したり嫁いで行った王子王女にもそんな話は聞いたことがない。しかし改めて言われてみると、確かに可能性が全くない訳ではない。スエは番の本能は獣人として生まれた以上仕方のないことだ、と獣人の感覚で当然のように考えていたことの危険性を理解した。


「…こちらはありがたく頂戴しよう。ただし、安全かどうかは確認させてもらうが」

「それは当然のことですわ。毒物などではありませんので、存分にお調べいただいて結構です。こちらの封書には、処方箋と獣人国での臨床結果の報告書が入っております。どうぞこの国の専門家の方とご相談ください」

「感謝する」


自分よりもずっと年若いナデシコに、スエは素直に気持ちを表明して頭を下げた。その行動に、ナデシコは少し動揺したらしく表情を取り繕うことも忘れて目を丸くしていた。


「…こんな小娘の言うことなど、一蹴されると思いましたわ」

「ただの言いがかりでしたら、私とて軽くあしらって終わらせますよ。しかしアスクレティ嬢はこのようにきちんとした根拠を揃えて来た。それをありがたいと思ったのだから礼を言うのは当然でしょう」

「一国の辣腕宰相閣下が、そんなに簡単に頭を下げるとは思いませんでしたもの」

「王は簡単に頭を下げる訳に行きませんから。代わりに私が頭を下げるのはしょっちゅうですよ」

「ふふ…祖母の手記にあった通りなのですね」


ナデシコは再び侍従に指示をすると、今度は厳重に封をされた封筒をもう一通テーブルの上に乗せた。それは白地に淡いピンク色の花弁を散らしたような可愛らしい意匠で、大公家の家門の色である黒の封蝋が押されていた。しかし宛名も差出人も書かれていない。


「こちらはミズホノ国で翻訳していただいた祖母の手記です。宰相閣下に宛てたような個人的な内容でしたのでお持ち致しました」

「サクラ殿の…?」

「あちらの翻訳者とわたくしは見てしまいましたが、他の者の目には触れさせておりません。お読みになるもならないも、どうぞお好きに判断してくださいませ。ですが…可能であれば、最終的には燃やしていただけるとありがたいと思います」

「分かりました。拝見するかどうかは、少し考えてみます」


スエは恭しく両手で封筒を受け取ると、丁寧に懐にしまった。


ミズホノ国を出て、今はオキノツ領となった島に着くまで、随分長くタカヤやサクラと共にいた。あの時はそこにクルーノも加わって、幼いアキメイラを中心に過ごしていた。旅の生活は楽ではなかったが、それでも毎日何かしら些細なことで笑っていた気がする。タカヤの番なので遠慮もあってサクラとはそこまで話していなかったと思うが、異界とこちらの世界の小さな違いなどをよく訊ねられたのは覚えている。こちらで生まれ育った者からすると今更説明をするような意識もないものが、サクラのいた世界では存在しないものだったりして認識の齟齬が発生していた。タカヤはそういったものを気に留めるような性格ではなかったので、サクラは困ったような顔をしてこっそりスエに聞きに来ていたのだ。

サクラとの会話は、そんな取るに足らないような小さなことの積み重ねくらいだった。ただその時の「共通認識は全ての人に共有されている訳ではない」という感覚が随分と摺り込まれた気がする。それは今も宰相の政務に役立っていると思うのだ。



ナデシコから受け取った封書は、スエの執務机の引き出しの中で数日しまわれていたが、やはり手元にあると落ち着かないと思い、中を読むことにした。


その内容は、読んでよかったのか読むべきではなかったのか、非常に迷う内容だった。



次回で過去編は最終話になります。

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