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【過去編】アスクレティ大公家


「…あのヤロウは、サクラを襲った際にご丁寧に毒を使ってやがった」

「何ということを…」

「ただの人族なら、あの時死んでただろうさ。だがサクラは、俺の生命力を分け与えたせいで獣人並の強さを持っていた…それで助かったのは事実だが、同時にあいつを長く苦しめることになった」


どんな医師に診せても、治癒魔法を使える者に魔法を掛けてもらっても、サクラの受けた傷は回復しなかった。潰されて裂けた顔の傷口は塞がり切らず、そのまま膿んで常にジクジクと体液が染み出して来ていた。たとえどんな状態になろうとタカヤの気持ちが離れることは全くなかったが、サクラは人目を避けて部屋に閉じこもりがちになった。

せめて少しでも楽になるようにとあらゆる痛み止めや薬草を使ってはいるが、長期間の使用は次第に効果が薄くなるので少しずつ強いものになって行き、今はこれ以上のものはないと言われる薬草を使っていた。サクラは気丈にも弱音を吐くことは殆どなかったが、それでも一日の大半を横になって過ごすようになっていた。


「何度も俺の手で楽にしてやろうと思ったが…手を下すことはどうしても出来なかった。そうしている間に、サクラは色々なことを忘れて行った。毒が頭の中にも広がり、意識を保てることも減って行った」


むしろ意識を無くして眠り続けている方が穏やかに見えた。一日数刻だけ目を覚ましている時はタカヤが必ず傍で付き添ったが、タカヤには分からない言動を繰り返すようになり、ほんの一瞬であるが目の前にいる人物すら誰か分からなくなるようなことも増えていた。そんな中で、彼女は様々なことを書き付けていた。それは彼女がこの世界に来てから習慣になっていた日課だった。色々なことを忘れても、彼女は弱々しい筆跡でも何かを書き綴っていた。


「サクラは長い時間を掛けて膨大な書き付けを残していた。こちらの世界に来たばかりの頃から、まだあいつが幼かった時のこと。サラが産まれてからの成長を細かく…だが、その大半が異界の言葉で書かれていたんだ」


それは自分自身で忘れない為の備忘録でもあり、異界で学んで来た知識の記録でもあった。その中には、異界にもあったものと似た効能のある薬草のより有効な使い方や、こちらに来て学んだ知識と組み合わせて誰でも精製することの出来る回復薬の処方なども記していた。いつかこの世界の専門家に聞きながらこの世界の言葉に翻訳したいと言っていたのだ。


「もうサクラに聞いても分からないことも多い。それに俺は異界のことは知らねえから、何を言いたいかを汲んでやることも無理だ。だからミズホノ国の異界渡りの協力が必要なんだ」

「それで東に港がある領地が必要なのは分かった。だが、一番高い地位となると、それは王になると言うことだぞ」

「そんなモンはいらん」


スエの言葉に間髪入れずタカヤが拒否をする。


「別に俺は国を支配したい訳じゃねえ。ただやりたいことに横槍を入れられたくないだけだ。いっそ西の方にあるデカイ国…ええと…」

「キュプレウス帝国か」

「ああ、そうだ。そこみたいに国交はしないで領地だけもらって独立してもいいんだが、そうすると国を治めなきゃならなくなる」

「それはそうだろう」

「俺にはそんな余裕はねえんだ。それに、後を任せる子孫に手間をかけさせたくないからな。正直、スエの仕切ってるこの国自体はそんなに悪くない。だから領地の利益は納めてやるから、クズ王家が手を出せないくらいの地位を融通しろ」


あまりにも無謀なタカヤの物言いに、スエは頭を抱えてしまいたくなった。ここのところ黒髪に白髪が交じり始めたと思っていたが、これで一気に増えそうな気がした。


「後を任せるということは、サラージュ嬢は大丈夫なのか?」

「ああー…まあ、なあ」


あの事件があって以来、タカヤは妻子を領地に連れ帰ってから一度も表舞台には連れ出していない。スエは何度も見舞いと様子を伺う手紙を出してはいたが、一切拒絶されて全く分からなかったのだ。それだけタカヤの怒りが深いと判断して、下手に刺激するよりは、とスエ自身あまり積極的に動かなかったのもあった。


「サラは今、獣人国にいる。まあ近いうちに戻るだろうが、その前に王家にも手が出せない盤石な安全地帯を作っておきたい。だからそういう意味でも地位が必要なんだよ」

「獣人国か…それはかつての使命からか?」

「いや。もう獣人国の使命は無効になっている。王が交替したから、方策が変わった」


獣人国で強い力を持った若者を国外に出して、子供が産まれにくい程に濃くなってしまった獣人の血を人族と交わって血を薄めた子を作る。そしての子を獣人国に連れ帰ることがタカヤ達が負わされた使命だった。しかし結果的にその構想は失敗に終わり、故郷に子供を連れ帰ってはいなかった。


「多分スエにも知らされてないだろうが、獣人国では俺達が出国して以降、子が産まれていない」

「な…!?そ、それでは」

「もう終わりなんだよ、あの国は」



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スエが異父弟のスイに密かに呼び出されて出国してから、獣人国では一向に子供を連れて戻らないタカヤ達に業を煮やして、多少力は劣るものの正しい血統の獣人を同じように国外に出していたそうだ。しかしいくら同じことを繰り返しても、誰一人獣人国に子を連れて戻る者はいなかったのだ。


その答えは死んだ竜人セイや、オベリス王国の庇護下に入った鳥人アケが既に出していたのだ。


セイは子を連れ帰ることを伴侶に反対されて、それが拗れて結果的に死ぬ要因となった。

アケは他の獣人達との戦乱を逃れていち早く伴侶を連れて姿を消し、その後幾人も子を授かったが、彼らを連れて獣人国に戻らなかった。その理由は、アケの子供達が獣人の力を殆ど継いでいなかったことにあった。


獣人国は強い魔力や力を持つ者が上位になる国だ。力で敵わない下位の者は、どんなに理不尽なことでも上位の者に従わなくては生きて行けない。人族の血を引いた子供は人族の国では強い魔力や力を持って、高い地位も名誉も思いのままに認められたが、獣人国に行けばほぼ最下層なのだ。そして国の方策で、命じられるままに血を繋ぐ為だけの道具として扱われる。それが分かっていて、子を連れて戻る筈がないのだ。


その政策の失敗が元で当時の獣人国の王はその座を追われて、今は王弟が最後の王として緩やかに国を解体する方策をとっているということだった。



「今の王は、頑なに血を守りたいヤツは国にしがみついて構わねえし、見限って国を出たければ出ればいい、って放任主義を貫くみたいだな。ただ、一族の総意とか何とかって言って力づくで下の者を従わせようとした輩にはかなり苛烈な処遇をするらしい」

「それではあの国は頭の固い年寄りしか残らなさそうだな」

「まあ実際そんな傾向だ」

「そんな滅ぶ国に娘を行かせたのか?」

「…一時的な療養だ。サラに戻る気があるかは分からんがな」

「大丈夫なのか?」

「あっちに番がいるから問題ない。わざわざ向こうから国を出て迎えに来やがった」

「さすがにどんなに子が欲しくても、番のいる相手に手を出すようなことはないか」


そう言いながら、タカヤの耳は不機嫌そうに忙しなく動いていた。昔より多少は表情に出なくなったようだが、耳の動きで丸分かりになるのは変わっていないので、スエは少しだけ懐かしくも微笑ましく思えた。


「あっちで子も産まれたそうだが、俺もサクラも会えてねえ。だが、近いうちに家族連れてこっちに戻るって連絡があった」

「…そうか。タカヤも『おじい様』とやらになったのか」

「うるせえよ。だから!とにかくサラ達が来るし、もしかしたらそのままこっちに残るかもしれねえ。俺は、俺の代で障害を取り除いておきたいんだよ!だからさっさと知恵絞りやがれ」

「全く、頼んでいるくせに偉そうだな」


スエ達の努力で、まだ建国王と五英雄の栄光は保たれている。タカヤは建国時に与えられる褒賞を断っているのは有名な話だ。今頃になってという者もいるだろうが、タカヤは当時も攻撃の要として未だに語りぐさになっていて未だに国民の人気も高いので、領地を与えるのは全く問題はない。


「…絶対に、将来的に王位を狙わないという誓約は可能か?」

「当たり前だ。そんなのはとっくにしてる」

「はあ!?いつの間に」

「あのクズ建国王に最後に会った時だ。未来永劫、俺の血筋にアイツの血は入れないと宣言した」

「ああ…」


タカヤ程の魔力のある者の宣言はもはや呪詛に等しい。あの事件の後、化物じみた容姿になってしまったアキメイラを元に戻せないかとスエは色々と調べてみたのだが、アキメイラよりも強い魔力を持つ者に呪詛を掛けられていて、とてもではないが解けるような代物ではないと分かっただけだった。それを掛けたのは、あの場に駆け付けた筈のタカヤというのは分かり切っていた。もし解けるとすれば獣人国の王族クラスの魔力保持者だろうが、アキメイラを連れて行くのも、あちらから来てもらうのも不可能だろうと諦めたのだ。生まれが獣人国のスエは、力の強い者に呪詛を掛けられる程の怒りを買った、ましてや番を傷付けたことが原因なのだからそのままでいるべきだ、という考えに至るのはよく分かっていた。


「それならば、王位継承に永劫関わらない替わりに、王と同格の扱いをするというのはどうだろう」

「同格かよ」

「王より上で王位は要らないなど矛盾が過ぎる無茶を言うな。同格ならば、何か命じられても断ることが可能だ。王命を断ることの出来る家に、他の者が文句を言えることはないだろう」


タカヤは少しだけ不満げに口を尖らせたが、スエの提案を色々と考えているようだった。スエも頭の中で、大量にいるアキメイラの子をどのように臣籍降下させたか、降嫁するのと同時に婚家を陞爵させたりまだ未成人の王子王女の縁談などを片っ端から洗い出した。


「今のところ、この国には『大公』はまだいないな。そこが落としどころか」


公爵家は既に王弟が臣籍降下して三家が存在している。今後の功績次第で大公家に陞爵させるつもりでいたが、そこに王位継承権のない家が入り込むのは王家が国を独裁的に支配する歯止めになれるかもしれない。スエはバランスとしては悪くない考えだと思い始めた。


「細かく詰める必要もあるが、大公なら何とかなるかもしれんな」

「まあいいだろう。その詰め終わるのはいつだ?明日か?」

「無茶を言うな!どんなに急いでも半年は掛かる」

「ちっ」

「とにかく最優先でどうにかする。だから…だからせめて()()()()()()()()()()()


懇願するような声色を含んだスエの言葉に、タカヤはしばらく無言でじっとその金の目で見つめていた。やや長い沈黙の後、ゆるゆると長い嘆息を漏らした。


「分かった、半年だな。半年の間は、サクラに何があっても耐えるさ」

「…すまないな」


番のいる獣人は、相手を失った時に悲しみのあまり狂死する。その時は周囲に迷惑を掛けないように、大抵自害用の毒薬を所持している。もし自力で服用することも難しい状態になるのなら、家族か近しい者が実行することになっていた。

しかしそれは番が天命を全うした場合で、それ以外の理由で早く亡くなった時には、残された獣人は穏やかな死は迎えられない。タカヤの場合はどうなるのだろうか、とスエは考えると、スッと胃の辺りが冷えるような気がした。


「ああ、そうだ家名はシラミネじゃなくて…ええと、アスクレピーだかアスクレティだか、そんな感じのにしてくれ」

「それは何とかなると思うが…それは一体」

「サクラのいた異界の、医療の神の名だそうだ。あいつには沢山やりたいことがあったのに、強引に俺がこっちに連れて来た。だからせめて望みは全部叶えてやりたい」

「サクラ夫人の望みとは?」

「色々小難しいことを言ってたが、要は『身分や種族関わらず、どこにいても等しい医療を』ってことだった」

「それは壮大な望みだな。だが実現すれば…きっと夢のような良い国になるだろうな」

「いつか必ず実現させる。ま、少しでも早く叶うように、異界の神にあやかろうかと思ってな」

「そうか。それでは『アスクレティ大公』で話を進めよう」

「頼んだ」



それから半年後、前国王の23番目の王子の誕生と、五英雄の一人に大公の称号と東の港を含む広大な領地を授与することが公表された。

根回しを済ませていた貴族達はともかく、国民の大半は何故この時期にと戸惑ったが、それと同時に五英雄で女伯爵であったサクラ・シラミネが体調の不安の為に領地と爵位を国に返還したと発表された。そして婿のタカヤ・シラミネがタカヤ・アスクレティ大公に任命されたと説明があった為、人々の殆どがそれを受け入れた。この大陸は男性が政治の中心を担っている文化だ。やはり当主に立つのは男性の方が当然だと思っているので、同じ五英雄でも力も美しさも上のタカヤが婿に甘んじていることに潜在的な不満があったのだ。


「この国の続く限り、永劫の友誼を」


当主であるタカヤが魔力を乗せた誓いを宣言し、こうしてオベリス王国には、臣下でありながら独立した権限を持ち、王家とは永遠の友であるとする一つの家門が誕生した。


友であるということは、決して身内にはなり得ないということだ。こうしてこの先、幾世代を重ねても王家とアスクレティ大公家の血は決して交わることがないまま続いて行くのだった。



アスクレティ家の名は、ギリシャ神話の医術の神「アスクレピオス」から取っています。

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