32.崖っぷちでの戦い
まだまだ戦闘中。ご注意ください。
話のキリの都合で短めです。
レンドルフとステノスは、木々の間を縫うように走り抜けていた。
ステノスの手には魔道具が握られていて、そこから微かに煙と奇妙な香りが発生していた。レンドルフは最初は何の魔道具かと思っていたが、さすがに背後からアーマーボアが違わず追って来るところをみると、魔獣を引き寄せる香りをそこから発生させていることは予想がついた。
始めは攪乱しようとわざと狭い木の間などを通っていたが、相手は超が付く程の巨大なアーマーボアだ。その前には、それなりに樹齢を重ねていそうな木でさえストローも同然で、何の躊躇いもなくへし折って突っ込んで来る。却ってこちらが疲れてしまうので、とにかくレンドルフ達は決着を付ける為の広い場所に出るまでは最短のルートを一直線に走っていた。
「あと少しで広い場所に出る。行けるな?」
「はい」
ステノスが指し示した方角は、木々が途切れているらしく、随分と明るくなっていた。薄暗い森の中からは、その先は光っていて詳細は把握出来ない。
「登り切ったら、右に飛べ」
森から抜けるように飛び出すと、目の前には丘のようになった広い場所へ出た。丈の短い下草が揺れて、こんな場所でもなければピクニックにでも良さそうな明るく空の広い場所だ。一瞬、長閑な景色に状況を忘れそうになるが、背後からバキバキと木々が砕ける音がして、小山のようなアーマーボアの巨体が明るい場所に姿を現す。
黒とも灰色ともつかない毛の鎧は、長年風雨に曝されてより固く締まった状態になったのだろう。まるで磨かれたように太陽の光を鈍く反射していて、金属で出来ていると言われても納得してしまう。アーマーボアは、通常の個体ならば体を覆う毛の鎧にも隙間がありそこを狙うのだが、この個体は毛の塊が大きく鱗のように重なり合っている。もし隙間を狙うなら、体に直接張り付いて隙間を掻き分けなければならない。
レンドルフはステノスに言われたように丘の高いところに向かって一直線に走った。が、その丘を登り切ったところで唐突に地面が終わっていた。
「!?」
緩やかな上り坂が続いているように見えた場所に、突然切り立った崖が出現した。あと半歩踏み出していたら足を踏み外していたかもしれない。レンドルフは横に転がるようにしてステノスの先程の指示通りに右側へ飛んだ。そのレンドルフの視界の端で、崖の下へ何かが投げ込まれるのが見えた。微かに煙の尾を引いて、それは真っ直ぐに落ちて行った。
レンドルフは崖の淵に近い場所を転がりがなら、受け身を取って起き上がる。先程落ちて行ったのは、ステノスが持っていた魔獣を引き寄せる魔道具の筈だ。それを追ってアーマーボアも落ちて行ってくれないかと期待したが、直前で後ろ足で立ち上がって器用にも体の向きを変えてしまった。
「アースウォール!」
レンドルフは咄嗟に崖の突端の土を陥没させたが、一歩及ばずアーマーボアは後方に飛び退って安全圏に逃れてしまった。向こうもレンドルフ達が一筋縄ではいかない相手と悟ったのだろう。レンドルフと反対側にいるステノスと均等くらいに距離を取って、どちらに先に始末するか見定めているようだった。その隙にレンドルフは背負っていた荷物をサッと外して、アーマーボアから目を離さないまま後方へ投げておく。回復薬などは腰のポーチに入っているので、これで大分身軽になる。
離れていてもアーマーボアの荒い息遣いと、土と分泌される脂の混じった饐えた匂いが伝わって来る。先程から前脚をカツカツと地面に打ち付けるようにして、一気に距離を詰めて来る前駆行動をしている。
グワアアァァァーーーー!!
前髪にビリビリ来る咆哮を上げると、それはレンドルフとは反対側に走り出した。あのアーマーボアはステノスに狙いを定めたようだ。狙われていないのならば、とレンドルフはすかさず相手の死角の斜め後ろに剣を構えて回り込む。
ステノスは、その少々小太りとも言える体型からは予想も付かない程軽快な足取りで、アーマーボアの最初の一撃を走って躱す。それからどうにか背後に回るように走り出した。しかしアーマーボアの方も、その巨体とは思えぬ俊敏さでステノスを踏み潰そうと何度も足を地面に叩き付けて来る。その重さに、地面が抉られるどころではなく、地割れまで発生していた。
レンドルフは何とか動きを止めてステノスの援護が出来ないかと伺ってはいるものの、暴れる巨体に思うように近付けないでいた。せめて怯ませられないか、と大きめの土飛礫を顔に向かって放ってみたが、全く気にも留めていない。
このままではステノスの体力が尽きて最悪の事態になるのは目に見えている。どうにかしなければと焦るレンドルフは、ふとステノスが常に同じ方向に向かって回り込んでいることに気付いた。
ステノスは後方へと回り込んで、アーマーボアの後ろ足を斬りつけようと狙っていた。アーマーボアはそれを回避する為に、ステノスを追って同じ方向に回転しているのだ。
次の瞬間、レンドルフはステノスが狙っていることを悟る。首をステノスの方向に曲げてその場で回るようにしていると、外側の毛は首を曲げたことにより一部分が浮き上がっていた。鎧のような毛は一枚に固まっているのではなく、可動の為に鱗のように重なっているのだ。その為首を曲げた際に生じた隙間からなら、剣を差し込んで本体に届くかもしれない。固くなった毛は一番外側は岩のような硬度だが、皮膚に近い内側の生え際はまだ柔らかく、剣が通らない程ではない筈だ。
ステノスは自分を囮にして追いかけさせることで、反対側からレンドルフが毛の隙間に攻撃を仕掛けやすくしているのだ。
レンドルフの剣の構え方が変わり、自分の意図を察したと分かったのだろう。ステノスはより本体に接近して、後ろ足を斬りつけようと果敢に攻め込んでいる。相手も避けるので、特に防御力の高い尻を覆う毛に阻まれて切っ先が掠めても全くダメージが与えられない。
アーマーボアはステノスに噛み付くか踏み潰すかしようをして、余計に体を捻る。そしてステノスとは反対側の首周りの毛がより一層浮き上がり、そこに確実に剣を刺し込めるだけの隙間が出来た。
「ぐっ!」
レンドルフがステノスとは反対側のアーマーボアの首に向かって突進すると同時に、攻撃を避けていたステノスが呻き声を上げる。アーマーボアの長い牙が、彼の太腿の辺りを掠めていた。騎士服には色々と防御の付与が掛けられてはいるが、この個体の前ではあまり意味がないだろう。掠めただけで太腿部分の布が大きく裂け、剥き出しになった皮膚に赤い筋が走る。
「うおおぉぉっ!!」
全力で身体強化魔法を掛け、レンドルフは一直線に首に生じた毛の隙間に飛び込んだ。狙い通り、板状に固まっている毛の浮き上がった隙間を縫うように剣が差し込まれる。外側に比べればまだ柔らかいと言っても、極太の針金のような強度を誇る毛並みの為、すんなりと通る訳ではない。しかし上手く内側の毛の辺りに刺さったレンドルフの剣は、元の人並み外れた腕力に加えて最大級の身体強化が掛かり、ゴリゴリと抵抗を伝えながらも確実にその身の中に沈み込んで行った。
ブギャアアァァァーーーー!!
アーマーボアは、剣を突き立てて更に押し込もうとしているレンドルフを振り落とそうと狂ったように頭を振った。レンドルフも死に物狂いで少しでも深く剣を刺そうと力を込める。まだ大きな動脈に達していないのか、血は傷口から流れ出るが、致命傷にはなっていない。振り回すだけではレンドルフを引きはがせないと判断したのか、アーマーボアは今度は暴れ馬の如く上下に跳ね回り出す。
「ぐうっ…!」
歯を食いしばって耐えていたが、とうとう両手で剣を持っていることが難しくなって、レンドルフは片手を離してアーマーボアの毛に掴まった。しかし、それでは力が足りず、全力で押し込もうとしても片手では僅かにしか沈んで行かなかった。
「火球!」
火魔法は森の中で暴れられると危険なので、その場で仕留められない限り使用するのは得策ではない。が、この場所は木がなく開けた場所であったし、今はレンドルフとステノスに怒りを向けて襲って来ている。森の中に逃げ込むことはないと判断し、レンドルフは毛の中に差し込んだ手に火魔法を発動させた。
アーマーボアの毛は絡み合って固いが隙間にたっぷりと空気を含んでいる。そして分泌される脂も十分に染み渡っていた。予想以上にその毛は燃え上がり、なるべく深い場所を焼けるように差し込んでいたレンドルフの手にジリッと痛みが走る。
「うわっ…!」
体に火が点いたことで一段と大きく暴れ出した勢いと、剣の柄にも血が絡み付いていたこともあって片手で握っていたレンドルフの手が滑り、勢い良く投げ出されてしまった。叩き付けられるというよりも多少弧を描くように放り出されたので、辛うじて体勢を立て直して四つん這いになる形ではあったが無事に地面に着地した。
ギイイィィィッ!!
レンドルフが点けた火がジワジワと体に燃え広がっているらしく、アーマーボアは悲鳴を上げて暴れ回っている。その隙を突いて、ステノスが後ろ足を一本切り落した。体に比べて脚の方は覆われている毛は少ないが、それでも一刀のもとに切断など容易に出来ることではない。恐ろしいまでの切れ味の剣と、毛の隙間と骨の間を正確に狙う腕前がなければ出来る芸当ではない。
脚の一本を失ってバランスを崩したのか、アーマーボアの巨体が横倒しになった。地響きのような音が辺りに響き渡り、それに驚いたのか森の中から鳥型の魔獣が飛び立ったのが見えた。
思うように動けなくなったアーマーボアの顔の方にステノスが回り、先程ユリから受け取った袋の中身を逆さまにして振り掛けた。
中身は痺れ薬か何かだったのだろう。それを吸い込んだらしいアーマーボアは急に痙攣するように足をばたつかせると、そのうちグッタリと動かなくなった。レンドルフの火魔法は途中で不完全燃焼になってしまったのか、行く筋か煙が上がってはいるがそれ以上は増えなかった。
「おう、レン、大丈夫か?」
アーマーボアが動かなくなったのを十分に確認してから、ステノスはいつもの飄々とした様子でレンドルフに近付いて来た。しかしさすがに傷付いた方の足を引きずっている。僅かに掠めただけのように見えたのだが、思っていたよりも傷の範囲が広く、太腿を伝って流れる血が歩いた後に点々と落ちていた。
「ステノスさんこそ」
「まあお互い命があって良かったな」
レンドルフは体を起こしてフウッと大きく息を吐いた瞬間、脇腹に鈍い痛みを感じた。骨は痛めていないとは思うが、暴れるアーマーボアに強引にしがみついていたせいで筋をどうかしたのかもしれない。
ステノスもレンドルフの隣に腰を下ろして「痛てて…」と小さくぼやきながら傷の具合を検分していた。
「なあ、レン。お前さん傷薬持ってねえか?」
「ありますけど…その傷なら回復薬を飲んだ方が」
「いやあそれがな、俺はどうにも水薬の効きが悪くってな。それにさっきのあいつの攻撃で持ち物を崖下に吹っ飛ばされちまった」
「早く言ってください。これで足りますか?」
「悪いな」
慌ててポーチの中の一番小さな内ポケットに大切にしまっておいた比翼貝の傷薬を、レンドルフは躊躇わずステノスに差し出した。初めてユリに出会った日に貰ったものだが、惜しむことは考えられなかった。握りしめたらすっぽりと手の中に収まってしまうような小さな貝に入れられた軟膏は、ステノスの傷で足りるかどうか微妙なところだ。
「効きが悪くても全然ってわけじゃないですよね」
「まあなあ」
「じゃ、念の為こっちも飲んでおいてください。何なら中級の方を飲めば…」
「いい、いい!どれ飲んでも大差ねえから中級はレンが飲んどけ。今は興奮して自覚が薄いだろうが、結構酷い怪我してんぞ。普通のはありがたく貰っとく」
レンドルフが追加で差し出した中級回復薬の瓶を、ステノスは押し戻した。
代わりに受け取った比翼貝の傷薬を、まだ血の滲む傷の上に乗せて行くように塗り広げる。
レンドルフは勧められた通りに戻された中級の回復薬の封を開けようとして、自分の手の平が真っ赤になって水ぶくれが幾つも出来ていたことに気付いた。先程の火魔法を至近距離で使用した為に火傷を負っていたのだ。腕の方は身に付けている革の装備に付与された防御魔法が作用したようで、表面は焦げているが中にまで到達していなかった。そして反対の手は、酷く擦り剥けて、指の腱を痛めたのか変な方向に固まってしまっている。突き立てた剣を握りしめたまま振り回されていたせいだろう。
確かにステノスの言う通り、怪我の見た目よりも痛みが少なく感じていることに気が付いて、痛みを自覚する前に、と封を切って一気に飲み干した。相変わらず変なエグみが喉と奥歯の噛み合わせの辺りに絡み付くようで美味しくない。とはいえ効き目は確かなので、見る間に火傷と傷が回復して行く。
ステノスは傷薬を塗り終えて清潔な布を当て、上から包帯をグルグルと巻いていた。その手際は随分と慣れていた。
「悪い、殆ど使っちまった」
「いいですよ。俺もユリさんから貰ったものですし」
「……尚のこと悪ぃや…」
「?」
「いや、独り言だ」
ずっと動き通しだったので、喉の渇きを思い出してレンドルフは魔道具から水を出してグビリと飲んだ。それで口の中に残っていた回復薬の後味が多少はマシになったようだ。