【過去編】閉ざされた筈の離宮
オベリス王国が建国してから10年が経ちそれなりに周辺国には力を示していたので、急に建国王アキメイラが表舞台から姿を消してもそこまで大きな影響がなかったのは幸いだった。それにアキメイラは美貌を含めたカリスマと勢いだけの押しの一手な外交なので、どちらかというと搦手が得意で人当たりも柔らかいスエが政治に関しては舵取りをしていたので問題もなかったのだ。それにアキメイラが力を失ったとしても、その双璧で攻撃力の要といわれているタカヤもいるので、おいそれとはオベリス王国に手を出して来る者はいなかった。
国民や他国には、王城に何者かが呪詛を仕掛けた為に国王アキメイラと王太子、そしてたまたま城を訪ねて来ていた五英雄が一人シラミネ伯爵とその息女が負傷したと公表した。シラミネ伯爵は息女を庇った為に重傷を負い、領地で療養することになったこととし、密かに進んでいた王太子との婚約の話は最初からなかったことにされた。
国王は軽傷だったが、今後の国の安寧の為に国王自らが膨大な魔力を駆使して呪詛などを跳ね返す防衛の魔法陣を構築すると宣言し、実務は成人したばかりの王太子に譲ることになった。建国王として圧倒的な力を持って国の頂点に立って来たアキメイラの実質的な引退に国民は惜しむ声もあったが、全てこれからの国の平和の為であると言われれば、成人したばかりの王太子を皆で支えて行こうという空気が大半を占めた。
実際のところは、醜い容姿に変貌して人前に出られなくなったアキメイラを隔離する為に、離宮には頑丈で高い壁を建設して、可能な限り見張りと監視用魔道具で周囲を固め外に出られないようにした。そしてタヤカを追って領地に向かわないように王城を中心として王都全体に巨大な結界の陣を張ったのであった。何せアキメイラの魔力が強過ぎて離宮周辺に結界を張ろうとすると歪んでしまって、影響のでない範囲ギリギリになるのは王都全体まで広げなければならなかったのだ。
そういった封印や結界などは霊亀一族が得意ではあるが、今はクルーノ一人と、血の薄まった息子達しかいない。常時張り続ける結界を作るには、そこまでアキメイラから距離を作らねば出来なかったのだ。ただアキメイラが暴れた時や離宮を脱出しようとした時にだけ一時的に行動を封じることは何とか出来たので、レイキ家は誰かが常に王城に待機することになった。
以前からアケに依頼しておいた幽閉用の魔力を込めた檻だったが、まさかこれほど早くアキメイラがこんなことになるとは思っていなかったので、完成が間に合わなかったのだ。檻が出来次第そこに封じ込めることは確定しているが、それにはあと数年は掛かる。獣人国でも複数の魔力の高い者達で作っても数ヶ月は掛かるのだ。それまでにどうにかアキメイラには大人しくして貰わなければならない。
自分の身が目に入る度に狂ったようにどす黒い魔力を結界内の王都中に振り撒くアキメイラではあったが、ほぼ魔力を持たない国民に知られることはなかったのだけは不幸中の幸いだったかもしれない。
そして逆に王都の外から王を害しようと仕掛けて来る呪詛も王都内に入り込むことが出来なかったので、何も知らない者達には王が結界で守っていると思われたのだった。
建国王が表舞台から去って半年程した頃に、幼い頃から傍で支えて来た為にずっと独身を貫いて来たサマル宰相がようやく妻を迎えたという明るい話題にようやく王都にも活気が戻った。次は王太子の婚約者の選定であろうと国内外から年の頃の合う令嬢が王都に集まって来て、そのせいか王都はどことなく華やかで、ソワソワと浮かれたような空気が漂っていた。
そんな中、王都内で連続殺人事件が起こった。
大分治安は良くなっていたが、それでも人が増えれば諍いも増え、殺人なども毎日のように起こってはいた。が、それは明らかに同一犯と思われる手口だったので、王都の人間は震え上がった。
それは、元の姿が分からない程に顔を潰され、時には手足を千切られて原形を留めない年若い女性の惨殺死体がある朝突然に転がっているものだった。その遺体の共通点は、必ず顔が潰されていることと若い女性ということだった。そして前日の晩には見回りも強化している筈なのに、翌朝に王都内でも目立つ場所にいきなり出現したかのような形で発見されるのだ。
やがてそんな遺体が五人目を越えた頃、もう一つの共通点に気付いた者がいた。
----------------------------------------------------------------------------------
「宰相、聞きたいことがある」
「これはハーバル王太子殿下。一体どのようなことでしょうか」
「人払いを」
「…畏まりました」
新婚にも関わらず多忙を極めているスエの元に側近や護衛も連れずにやって来たハーバル王太子に、スエは少しだけ驚いたように目を丸くしたがすぐに執務室にいた文官達を退出させた。
「最近王都を騒がせている連続殺人は知っているな?」
「はい。何とも惨い事件です。残念ながらまだ犯人は…」
「殺された女性は、全員黒髪だと知っているか」
「……誠ですか?」
スエは宰相ではあるが、王都の治安を引き受けているのは軍部であり騎士団の者達だ。基本的に収束した事案の報告確認や外交官などが必要となって来るような問題の橋渡しなどを担っているが、そこまで細かい情報が入って来る訳ではない。最近王都を騒がせている連続殺人事件のことは耳にしているが、その話は初耳だった。
「全て顔が潰されていたので、髪色が不明なこともあったのだが、これまでの犠牲者は全て黒髪だと判明したそうだ」
「殿下は何かお心当たりが?」
「…あの男は、ひどく黒髪を嫌っていた」
ハーバルの言う「あの男」とはアキメイラのことである。元からアキメイラは産まれた子に興味を示さなかったし、王太子の教育はこの大陸の文化に合わせた方がいいだろうと乳母と家庭教師に任せていたので親子の関係は稀薄であった。それにあの凄惨な事件以来、ハーバルはアキメイラのことを決して「父」とも「国王陛下」とも呼ばなくなった。
「確かにそれはそうですが、いくら何でも飛躍し過ぎでは…」
「あの時…サラ…シラミネ伯爵令嬢に対して、見苦しいと真っ先に顔の脇の…黒髪を毟り取ったのだ。私はそれを止めようとして殴られた」
ハーバルも、アキメイラの言動からタカヤに執着し、その妻をひどく憎んでいたのを察していた。表面上はにこやかにしていたが、すれ違いざまに誰にも聞こえないように「醜い髪だ」と囁き、服に髪留めが引っかかったようなフリをしてサクラの髪を千切れんばかりに掴んでいた。その場は不幸な偶然だとアキメイラが頭を下げて収めたが、下げた時の顔は恐ろしく醜悪な笑みを浮かべていたのだ。
「なあ、本当にあの男は離宮に幽閉されているのだな?」
「その…筈ですが」
スエとしてもアキメイラを完全に離宮に封じていると答えたかったのだが、狂乱している状態をあらゆる手段で辛うじて抑えられた程度だったのだ。だから冷静になったアキメイラが本気を出せば、離宮から出て王都内を自由に動き回れる可能性は否定出来ない。せめて少しでも有効な手段として離宮の外壁を頑強なものに建て替え、部屋の窓にも用意出来る中で最も強度のある素材で鉄格子を取り付けて物理的に隔離することにしたのだ。それに見張りも離宮の外周に昼夜途切れないように付けている。
国の安寧の為に防御の陣に魔力を注いでいる慈悲深い王と伝えている為に本当の姿を外部に漏らさぬように、何か怪しい動きがあれば設置してある監視用の魔道具でスエがすぐに分かるようにしていた。
もしアキメイラが許可なく離宮から出ようとすれば、短い時間ではあるが動きを止められる結界を張れるレイキ一族の誰かが駆け付けられるように城に常駐させ、強力な麻酔薬と鎮静剤で無力化して連れ戻すように体制も整えてある。完全に犯罪者のような扱いではあるが、今のアキメイラは危険極まりない存在なのだ。
本当ならばアキメイラと同格、或いは上回っている魔力を保つアケやタカヤにも封じる為の協力を得られれば安心なのではあるが、アケには半永久的にアキメイラを閉じ込められる檻の作製を一日でも早くと依頼しているし、タカヤに関してはいくら手紙を送っても封も切られずに戻って来るのだ。王城に来てアキメイラの近くに来てくれるとは到底思えなかった。
「宰相はあれの様子を直に見ているのか?」
「いえ、それは…私もこの通り黒髪ですから、無駄に刺激しないようにと…数時間置きに遠見の魔道具で確認はしておりますが」
「では、私が直接確認しに行こう」
「殿下、それはさすがに」
「今、白い髪の騎士が複数、行方不明になっているのは知っているか?」
「…それも、初耳です」
白い髪はタカヤを思い起こさせるので、男女問わず白い髪と黒い髪の者はアキメイラの周囲からは外していた。
幽閉当初は鏡や窓に映る自分の姿に拒否反応を起こして暴れ回っていたが、次第にアキメイラを刺激しない扱いが分かって来たので、ここ半年程は大人しく離宮で過ごしているのはスエも魔道具越しに確認していた。
「…分かりました。ただし私も一緒に参ります」
「大丈夫なのか?」
「直接陛下の目に入らぬように致します。それから念の為レイキ家の者を同行させますので、しばしお待ちください。彼らならば短時間ですが陛下の動きを止められますから」
「分かった。頼むぞ」
スエとしてはただの杞憂だと思いたいが、ハーバルはアキメイラの直系だけに何か感じるものがあるのかもしれない。一気に重くなって痛みまで感じ出した胃を押さえながら、スエは王城で待機しているレイキ家の一人を呼び出して、護衛騎士を数名引き連れてアキメイラを幽閉している離宮に向かったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
離宮が近付くに連れ、ハーバルの歩みが明らかに遅くなった。やはり大切にしていた令嬢を傷付け、自分にも暴力を振るった相手に会うのは抵抗があるのかとスエは急かすことはなく、行けるところまで行って引き返すのならそれもいいだろうと思っていた。
やがてハーバルは明らかに真っ青な顔をして口元を覆ってしまった。
「殿下。無理はなさらずに…」
「皆、気付かないのか?」
「は…?」
「この腐った匂い…いくらあの男と言えど、一体どのような扱いをしている」
嘔吐きながらやっと、といった風情で訴えるハーバルに、スエを始め他の同行者達は目を瞬かせた。しかし次の瞬間、スエが一気に険しい顔になる。
「殿下はこのまま護衛とお戻りください。それから、レイキ家に今すぐ来られる者はすぐに登城するように話を通せ」
「宰相…わ、私はこのまま行くぞ」
「なりません。これは私の失態です。後で必ずご報告致します。ですからここは…」
「…必ずだぞ」
かなり渋々とした表情を隠さずに、ハーバルは護衛達と引き返して行った。レイキ家の者は、すぐに家に連絡を取るべくその場を後にした。
スエは残って周囲を見回し、大きく息を吸ってみたが何も感じられなかった。スエは人族が中心の国では魔力も力も飛び抜けて強いが、獣人としてはそこまで強くはないのだ。父方のリザードマンの性質を受け継いだが、少しばかり頑丈なだけで、アキメイラやタカヤの前には綿も同然だ。
ハーバルは祖父にあたる蛇獣人スイの能力を比較的強く受け継いだらしく、毒耐性と嗅覚が鋭い。更にあの事件以降、危機察知能力が爆発的に伸びていた。そのハーバルだけが察知した異臭は、簡単に流して良いものではないとスエは判断したのだ。
幽閉とは言っても離宮は元は異国の賓客を泊める為に作られた建物であるので、広さも設備も不自由なく整えられている。世話人とは直接顔を合わせないようにアキメイラの食事中や入浴中に寝室や私室などの掃除や洗濯物の回収などを行っていて、それも手を抜いていることはない。
幼い頃にサクラから自分のことは自分で出来るように教育されて来たので、国王の座に就く前は着替えも湯浴みも一人で出来ていた。
だからこそ、ハーバルの言うような異臭を発するような状態にはなっていない筈なのだ。
しかし、スエは嫌な予感が止まらなかった。
「スエ殿」
「クルーノ殿が来てくれたか。これは助かる」
「あの離宮で異変があると聞けば、私が出なければならないだろう」
「感謝する」
しばらくすると、余程急いで馬を飛ばして来たのか乱れた髪もそのままにクルーノが庭園を走ってやって来た。その後ろからもクルーノの息子二人が続く。クルーノは獣人国を追放される前は防御に長けていた霊亀一族の御曹司だった。現在もその能力を生かしてオベリス王国の防衛の要を担っているレイキ辺境伯だ。息子達も彼の能力を強く受け継いでいるので、確認する際にアキメイラが暴れ出したとしても外に逃亡する恐れはなさそうだ。
「陛下に何か異変が?」
「ハーバル王太子殿下が、異臭がすると」
「あの殿下がか…しかしそんな報告は」
「ああ。離宮の近くに立っている見張り達からもそんな話は聞いたこともないし、掃除に入る者からも報告は受けていない」
「それは私も聞いている。今は陛下も暴れることはなく落ち着いていると」
「そうだ。しかし殿下は陛下の魔力を中和…いや、無効化する。我々獣人の間でも親子間で時折出る体質なのは知っているだろう」
「そ…そうだな…」
アキメイラがハーバルの婚約者になる予定だった令嬢を襲って、止めようとしたハーバルに暴力をふるって怪我をさせた事件の時、ハーバルは重傷ではあったが命に関わる程ではなかった。それは親子である事実が紙一重で凶行を押し止めたのではないかと思われた。が、その後の治療過程でハーバルにはアキメイラの魔力が通用しないことが判明し、アキメイラの一撃は明らかな殺意を含んでいたが、魔力を乗せた分が差し引かれたことでハーバルは命を拾ったのだという予測が立ってしまったのだった。
その事実は、成人したとはいえハーバルには残酷すぎるとしてまだ魔力の無効化のことは当人には伏せている。
「では、陛下は魔力で壁を作り何かを遮断していると…?」
「おそらくは。だからこそクルーノ殿には中を確認する為にその魔力壁に穴を開けてもらいたい」
「承知した」
スエはクルーノ達を先導して、離宮の敷地に足を踏み入れた。微かではあるが、背中がザワリと粟立つような感覚が走る。それはクルーノも感じたらしく、僅かに身震いをしていた。これは魔力がそれなりにあれば強大な相手の魔力を感知出来るが、魔力を持たないかごく僅かな人族は差があり過ぎて感知出来ないのだ。だからこそ見張りも世話人も気付けなかったのだろう。クルーノの息子二人は、次男の方が眉を顰めていたので、魔力は彼の方が高いようだ。
離宮を囲むように立っている見張りの騎士達は急な宰相の訪問に驚いていたようだが、魔道具の不具合があるかもしれないから確認に来たと誤摩化して内部に入った。魔石に魔力を溜め込んで動力源にする魔道具はまだこの国では一般的ではない。調整が出来るのは魔力を持っている者だけなので、騎士達の同行を断っても不審には思われなかった。
中に入るとより不快感が増し、その中に入った全員が思わず顔を顰めたが、それでもここに幽閉されている筈のアキメイラを探して歩を進めて行った。