【過去編】五英雄の密談
それからハクは距離感に細心の注意を払いつつ、アキメイラに気のある素振りを垣間見せながら自分に目が行くように仕向け続けた。普段は王配としてアキメイラはやや男性寄りの中性的な容姿でいたが、ハクの前では美しい女性の姿で現れた。アキメイラには、性転換能力が世間に知られると男が寄り付く可能性があるから、とハクの前以外では女性形を取らないようにと言い含めた。本当はハクが妻以外の女性といるところを他者に見られたくなかったのだが、アキメイラは独占欲とすり替えてくれたので上機嫌で言うことを聞いていた。
しかしそれでも完全に人の目は誤摩化せず、ハクは妻がありながらしかも妊娠中に別の女性と逢瀬を重ねる不実な男と言われることもしばしばだった。
そんなハクの努力も虚しく、女王が王子を産んでしばらく経った頃、内乱が勃発した。
確かに様々な要因が絡んでいたことは否定しない。それに王族の殆どを殺害したのはアキメイラではある。が、さすがに生まれて間もない王子を擁立して「卑しい獣人から国を取り戻せ」と旗を掲げられてしまうと、ハクを始めとしてアキメイラ周辺の者達は複雑なものがあった。
まず事の始まりは、獣人であると知りながらもアキメイラを是非妃にと申し込んで来たのは元王太子であった。そして納得の上で嫁いでみれば妃でも愛妾でもなく、ただ物のように王族で共有される優秀な兵士製造機扱いであったのだ。それが引き金となったにもかかわらず国の重鎮達はアキメイラを制御出来ず、血縁のスエやクルーノに地位を与えて抑えるように命じたのである。それでも彼らは責任を感じて、どうにかアキメイラの暴走を抑えようと奔走して来た。
しかしここに来て最初から獣人が国を乗っ取ろうとしたような扱いな上、全ての責は獣人にあると彼らは声高に主張し、それに乗った者も多かった。それでいながら半分獣人の血を引いている王子を旗印にしていることが既に矛盾であるし、もしこれが成功して権力を取り戻せば、そのまま王子は罪人の子として始末されることは明らかだった。
スエはそれでも何とか戦いにならないように奔走していたが力及ばず、結果的にアキメイラを筆頭とする獣人達と、周辺国の後ろ盾を得ている前国王の重鎮達との対立という形になった。
そしてその決着は実に呆気無かった。
そもそも神と崇められた程の力を持つ獣人がいて、更にその血縁もいるのだから通常の人族が敵う筈もないのだ。相手が全滅しなかったのは、ただハク達が火の粉が降り掛かるのを払うだけの反撃に留めていたので、国が焦土とならずに済んだからだった。
王子は無事に救出されてまだ幼い故に罪には問われなかったものの、国に残っていた旧体制の貴族や平民、そして後ろ盾となっていた周辺国も全て一掃された。その徹底振りは、残された人間達は旧体制がどんなものであったか、誰が携わっていたのかすら全く知らない者達しか残らなかった程であった。
こうして、ここに建国王アキメイラを擁立し、オベリス王国が誕生したのだった。
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その時、その場を生き延びることが出来た者達は、作家として、歴史家として、或いは吟遊詩人として、短期間で数多くの小国を平定、統一を果たし新たな国を作り上げた建国王の英雄譚を語り継いだ。
金の髪を靡かせ、美しい容姿と威風堂々とした振る舞いの生まれながらのカリスマの王とも言うべきアキメイラ・オヴェリウス。
王の伯父であり右腕として国内外で辣腕を揮い、その髪色から黒の宰相と呼ばれたスエ・サマル。
国内の騎士団を指揮し、鉄壁とも言える防衛陣を築き上げて他国の軍勢の浸入を一歩たりとも許さなかったクルーノ・レイキ。
誰よりも攻撃魔法も、剣技も強く、駆け抜けただけで血の道が出来る国内最強の白い刃と恐れられた白い虎獣人タカヤ・アスクレティ。
側近の中の唯一の女性で、魔力も力も持たないが、類稀な頭脳と知識で戦略を授け勝利に導いた大賢者サクラ・シラミネ。
海戦に長け、海から攻め上がろうとする敵を神の守護と共に全て防いだと言われるクレイ・オキノツ。
オベリス王国を中心に広く語り継がれた「建国王と五英雄」の誕生であった。
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オベリス王国建国から数年は、法の制定や他国との折衝などで目の回るような慌ただしさで過ぎて行った。五英雄と呼ばれるようになった彼らはそれぞれ爵位と領地を賜り、まだ若い建国王を支える為に日々を共に過ごしていた。
ただオキノツだけは元々島を治める王族であったので、そのまま島嶼を領地として侯爵位を与えられてすぐに島に戻り、今までと変わらぬ生活に戻った。
ハクは領地も爵位もいらないと拒否した為、妻のサクラに伯爵位を叙爵してシラミネ家を興すことを許可し、ハクは婿に入り名前も妻の生まれ故郷風にタカヤ・シラミネと改名した。
この改名の裏には、まだハクに執着していたアキメイラが「ハク」の名を呪詛で縛り付けてサクラに与えた領地に入れないように仕向けたため、新たな「タカヤ」の名に変えて解除した経緯があった為だ。今は妙な介入をされないように、タカヤ自身がサクラに縛られる呪詛を敢えて掛けている。
この件に関してはタカヤがアキメイラを見限る寸前まで激昂したが、サクラに「もう少し見守りましょう」と説得されて渋々不問に付した。サクラに言われたこともあるが、やはり産まれてすぐの頃からずっと世話をして来たこともあって、タカヤとしてもアキメイラに最後の引導を渡すことへ抵抗があったのも事実だった。
しかし、この時の判断が間違いだったと気付いたのは、取り返しの付かない事態が起こってからのことであった。
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国を安定させるためアキメイラ自身も多忙を極めていたせいか、傍にハク改めタカヤがいたことが精神的な安定になったのか、そこまでの問題行動は起こしていなかった。家に戻れないタカヤに会う為にサクラが娘を連れて王城に訪ねて来ても、せいぜい時折チクリと嫌味をサクラに告げて去って行く程度で、今はタカヤよりも国のことに気持ちを割いているように見えた。
その中で、アキメイラの息子の王太子がタカヤの娘と親しくなって行った。王太子の世話は乳母に任せきりであったので、年の近い相手との交流は貴重だったのだ。
豪奢と言うよりは質実剛健と表現した方が相応しい城の一室に、一人の壮年の男性が苛立った様子で座っていた。彼は上質ではあるが動きやすい簡素な衣服をまとい、とてもではないが登城するような身なりには見えない。しかしその顔は欠点が見当たらない程に整い、不機嫌そうな表情でも誰もが見惚れるような美貌の持ち主だった。真っ白な直毛を無造作に束ね、黄金色の瞳の中に深い青い色が散っている特徴的な外見は、一度見たら生涯忘れられない程だろう。
彼の前には紅茶や茶菓子が出されていたが、一切手を付けた様子はなく冷め切っている。本来ならばメイドなどが入れ替えを行うところだが、彼があまりにも苛立っているので限られた人物しか近寄れないのだ。彼の苛立ちはそのまま魔力として漏れ出し、それが冷気として窓に霜を張り付かせていた。
「ハク、申し訳ない」
「遅ぇんだよ。それにその名はとうの昔に捨てた。いい加減覚えろ」
慌てた様子で軽く息を切らせた黒髪の男性が部屋に飛び込んで来た。その男性は見るからに高貴な一族であると分かるような上等な衣服に身を包んでいるが、それに対する相手の態度は随分と尊大だった。
「シラミネ伯爵。本日はお呼び立てしたにもかかわらず…」
「そっちも気色悪いな。普通に話せよ、普通に」
「…タカヤ。相変わらずですね」
「スエもな。苦労が眉間の皺から染み出てるぜ」
タカヤと呼ばれた白い髪の男性は、頭頂部にある丸い耳をパタパタと震わせた。彼は虎の獣人であり、おそらくこの国の誰よりも魔力が強く、獣人の中でも並び立てる者は片手に届くかどうかだろう。
そして相対しているスエという黒髪の男性も、タカヤと同じ出身国の獣人であった。彼はリザードマンの血を引いているので両腕の一部に黒い鱗が生えていたが、常に長袖の服と革の手袋をしているので外見的特徴は人族と見分けが付かなかった。
「で?本当に大丈夫なんだろうな」
「ああ。陛下には隠居していただくようにレイキ辺境伯と準備を進めている」
「そこは信頼している。俺達が…いや、俺が子育てに失敗した結果だからな。あいつさえ押さえてくれれば俺達もこの国の為に尽くすつもりだ」
「感謝する。何としてもタカヤの力は必要だ。奥方の知識も国の宝だ」
「サクラにはそう伝えておくよ」
タカヤは妻が運命の相手と言われる番だけあって、周囲が引く程の愛妻家だ。そのあからさまな愛情表現に彼の妻であるサクラは、あまりにも過ぎた際には彼の耳をよく捻り上げていた。そんな恐ろしいことを平然とやってのけられるのは彼女と、二人の愛娘くらいだろう。その妻を褒められて、少しだけタカヤの刺々しい空気が和らいだ。
「本当は反対なんだがな…」
「それは…そこを何とか。ほら、当人達も望んでいる訳ですし」
「それが一番嫌だ!」
先程からタカヤがひたすらウダウダと言い続けているのは、本日王太子とタカヤとサクラの娘が正式な婚約を結ぶ為だった。
本来なら親同士も同席することが当然であるが、アキメイラとサクラとの間にはタカヤを挟んで微妙な確執がある。ここ数年は比較的まともになっているアキメイラだが、それでも言動が危うくなる瞬間はあるのだ。それは特にタカヤが関わると大きくなる。何が切っ掛けで豹変するか分からない為に婚約のことも知らせていない。そしてこれを機に王太子を次代の国王へと押し上げ、アキメイラには引退を促す予定だった。
今はまだ建国王として国民の人気も高く英雄として崇められているが、前王朝で王族の大量粛正をアキメイラ一人で行ったことはやがて影響が出て来るだろう。急速な功績はそれだけ反発も大きいのだ。力を誇り血で王座を購った武王から、穢れのない清廉な賢王へ速やかに譲位する必要がある。
おそらくそれも一筋縄では行かないだろうが、今は他国との衝突も下火になって互いに外交や同盟などを結んで話し合いの方向に移り変わっているため、好戦的で力を誇示する強い王の象徴であるアキメイラの活躍の場が減って来ている。教育のおかげか、今の王太子は政治的な能力の分野に力を発揮するタイプに成長していた。このままアキメイラには不自由のないように整えた離宮で緩やかに幽閉生活に移行してもらう予定なのだ。
幸いにもかつてアケと呼ばれた鳥人があちらから連絡を密かに取って来て、安住の地を求める替わりにこの国の安定に力を貸すと言って来たのだ。すぐにスエはアキメイラにはこのことを伏せて、王城から遠く離れた領地を持つクルーノのレイキ辺境伯家に預けた。
アケは最強獣人の一人であったが、かつて他の仲間と争いになった時に伴侶を連れて真っ先に逃れた。そして人里から遠く離れた地で暮らし、伴侶との間に子も産まれた。最も賢い選択をしたと思われていたが、彼の子供達は殆ど獣人としての力も持たず、どの子供も虚弱であった。しかし子供達は彼によく似た美しい髪や羽根を持っていたので、それを目当てに既に数人が攫われて未だに行方不明や無惨な姿で見つかったそうだ。その為、アケは子の庇護を求めてやって来たのだった。
スエは彼に家族の安全を保障する替わりに、アキメイラの幽閉の為の協力を取り付けた。アケは性格は温厚だが、使う魔法は一緒に来た獣人達四名の中で最も強力な攻撃魔法を使う。彼の使う火魔法はこの世に燃やせないものはないと言われる火力で燃やし尽くし、最終的には自分自身も灰燼に帰す程なのだ。だからこそ思慮深く争いを好まない性格になったのかもしれないが、スエは卑怯と思いつつも彼の家族を盾に、万一の時で構わないのでアキメイラが退位に納得せず暴走した時に封じる為の檻を作って欲しいと頼み込んだのだ。
力のないスエが出来ることは、力のある者をなりふり構わず利用することだけだった。
「私が無理強いをした訳ではない」
「分かってる!分かってるが…父親としては面白くねえ」
「…それは分からないでもない」
今回の婚約は、若い二人が幼馴染みの友情から始まり、小さな初恋を大切に育んで望んだものだ。政略が大半の貴族にしては、身分も血筋も申し分なく気持ちの上でも合意しているという奇跡的な縁談なのだ。とは言え、家族を溺愛しているタカヤからすれば色々と言いたいことはあるらしい。
不意に、タカヤが凍り付いたように固まった。
「どうし…」
スエが口を開きかけた瞬間、大きな窓が粉々に砕け散って、タカヤの体が翻った瞬間に巨大な白い毛並みの虎になって飛び出して行った。
「何が…まさか!?」
一瞬スエは呆然とタカヤが去った窓を見つめていたが、すぐに我に返って扉から廊下に飛び出した。既に廊下には大きな音に気付いた近衛騎士が数名駆け付けていた。
「西の温室へ向かえ!行ける騎士全てを向かわせろ!!」
スエはそう怒鳴ると、自らも獣人の力を解放してタカヤが割った窓から飛び出した。
この時代は強い魔力を持つ者は呪詛も使えたので、名を媒介にして呪詛を掛けられる場合もあった為に獣人国の出身者は基本的に本名を名乗っていません。なので「ハク」も呪詛を掛けられてもそもそも本名ではないおかげで、脆弱な束縛だったので改名するだけで解除出来ました。