【バレンタイン番外編】甘い甘いチョコレート(後編)
本日二話目です。
「いいよ〜。あの昼間に来てた小柄なお嬢さんだよね?可愛い系も綺麗系もどっちにも振れる系統だったし、やりがいありそう」
「やったあ、楽しみ」
ニルスの快諾を聞いて、シンシアはまるで自分のことのようにはしゃいでみせた。
二人は少しだけ普通よりも早い朝食に、昨日ユリに買って来てもらった揚げ芋を摘んでいた。この二人は同じ部屋を借りて住んでいるのだが、単に家賃と広さの利害が一致した純粋なルームメイトである。
シンシアはユウキの店で臨時店員として働いているが、まだ開店して数年の小さな店なのでそこまでの給金は出せない。替わりに店のパンと試作のケーキが食べ放題という特典がついて来るので、シンシアとしては毎日ご機嫌に働いていた。しかし雇うのを決めたのはユウキの妻だったが、やはり妊娠中の妻が不在のところに若い女性がいるということに眉を顰める者もいる。そこでニルスが夜の店勤務で昼間は空いているということで、混み合う昼時から夜の片付けまでの助っ人を買って出たのだ。それならば朝は仕方がないにしろ、夜までずっと二人きりというのは避けられる。
その際に、ニルスは実に気軽に「どうせなら僕と一緒に住めば店長と誤解されなくていいんじゃない?」とシンシアに提案したのだった。シンシアもニルスのことは仲の良い女友達くらいの感覚であったし、今よりも条件の良い部屋を借りられるので迷わずその案に乗った。
「うんとオシャレにしてあげてね!ニルスなら信用してるけど」
「随分入れ込んでるね〜」
「だってさあ、店長が去年までは店で一番高級なのを家族用に一つだけ包んでた、って言ってたのよ。それを今年から何か作りたいってさあ、もうもう家族以外の特別な相手が出来たってことじゃん!」
シンシアは故郷で弟妹達が、幼い頃は取っ組み合いの喧嘩をしていた幼馴染みだの、学校でクラスが別れても一緒に登下校している同級生だのにチョコレート菓子を渡したいという相談に何時だって乗って来た。ユリが焼き上がったチョコレート菓子から少しでも形が良いものを…と選別している真剣な眼差しを、故郷の可愛い弟妹達と重ね合わせてしまったのだ。
「服はね〜濃いピンクのワンピと焦げ茶のファー付きポンチョコートと揃いのブーツだって」
「あ、情報助かるよ〜。じゃあ黒髪に赤と茶色のリボン編み込んだら映えていいかな。それで相手のタイプは聞いた?」
「うんと背が高くて頼りがいのある優しい人だって。あと、甘い物めっちゃ好き」
そこまで言って、一瞬二人の脳裏に共通で知っている人物が浮かんだ。
「もしかして…」
「まあそうだったとしても、あのご主人なら問題ないでしょ」
「そうだね!だったらいいなあ」
二人は少し前まで、使用人の研修として子爵の別荘に期間限定で仕えていた。その仕えていた相手と言うのがレンドルフだったので見事に正解していたのだが、ユリと一緒のところを見た訳ではないので彼らには分からなかった。
「じゃあお昼に混む前に来てもらうことになってるから、ニルスもその辺で来てもらえる?」
「了〜解〜。じゃ、僕は後片付けして時間までひと眠りするから」
「じゃあ、よろしく〜。行ってきます!」
「行ってらっしゃい〜」
シンシアは早朝に品出しの為に出勤して、夕方くらいに務めを終える。ニルスは昼辺りにパン屋へ行ってそのまま夜の閉店後の片付けまでやってからそのままムラサキの酒場に向かうという掛け持ち生活をしている。一見時間が長いので大変そうだが、比較的ムラサキの店では好きに休憩や仮眠を取らせてくれるので、ニルスには合っているらしい。それにパン屋の方はユウキの妻が復帰するまでの約束になっているので、期間限定だと思えば面白い経験だとすら思っていた。
本当はあまりシンシアと生活時間が合わないのだが、折角同居しているのだから、とニルスが朝食の時間だけは一緒に摂るようにするのが習慣となっていた。
「あーあ、また忘れて行った」
急ぎ足で出て行ったシンシアを見送ってから食器をキッチンに置きに行くと、そこには可愛らしいヒヨコ柄のハンカチに包んだ彼女の昼食がポツンと乗っていた。一日経って少し固くなった売れ残りのパンを貰って来て、それに具材を挟んで翌日のシンシアの昼食にするのだが、週に何度か忘れて行くのだ。どうせ後からニルスが来るので問題はないのだが、それ故に油断しているのかもしれない。
「まあいっか」
ニルスは楽しげに笑いながら使った食器を洗うと、持参する予定の化粧道具一式の隣にヒヨコ柄の包みを置いたのだった。
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「ねえ大丈夫?大丈夫だと思うんだけど、大丈夫?」
「お嬢様、可愛らしい仕上がりでございますから、落ち着いてください」
エイスの街から目的地に向けて馬車に揺られながら、ユリは先程からしきりに訳の分からないことを繰り返していた。馬車に同乗している侍女のエマは、何度目かになるユリのそれを毎回律儀に返答していた。
ニルスが全力で仕上げてくれたユリは、いつもと確かに違う印象になっていた。
両側のこめかみの辺りから細く艶のある赤と茶色のリボンと髪を編み込んでいて、残りの髪は首の後ろ辺りでふんわりと緩く巻かれて、そこにも混ざるようにリボンが見え隠れしている。今は真っ黒なユリの髪が、巻かれたことで軽やかな印象になり、カールしたリボンで華やかな印象になっている。石の付いた髪留めよりも遊び心のある仕上がりだ。
そして化粧はピンク色の強い下地の上から白い粉を叩いて、ほんのり下から滲み出るような血色をイメージしていた。アイメイクは茶系を中心にして少しだけ金色を使っているので大人しめだが、目尻に紅を差してから自然に馴染ませているので僅かに華やかさを醸し出している。そしていつもなら絶対に使わないような濃い赤の口紅に、キラキラと細かく反射する素材の入ったグロスを重ねていた。最初に塗られた時は派手過ぎやしないかと少々驚いたが、馴染んで来るとほんのり滲むような赤い目元と頬の全体と調和が取れていた。少し強い印象のユリの大きな目を丸く見せるようにして可愛らしさを出した割に、上気したような色香も加わっている。
仕上がって鏡を見せてもらった時に、いつも別邸のメイド達がしてくれる化粧とは全く違う印象に、ユリは思わずポカンとした顔で眺めてしまった。それでも鏡の向こうの自分は不思議と子供っぽくは見えなかった。
ユリはニルスとシンシアにお礼を言って、改めて何らかの形で謝礼をすると告げてユウキの店を出ようとした際に、ニルスがにっこり笑って「チョコとお揃いに仕上げたからね〜」と言われて、ユリはその時になって初めて一緒に任せていたチョコレートの焼き菓子のラッピングが自分と同じ色合いだったことに気が付いたのだった。ユリと同時に気付いたシンシアが「ホントだ!美味しそう〜」と悪気なく爆弾発言をして来たので、ユリは馬車に乗ってしばらくするまでその衝撃のあまり記憶が曖昧になってしまったのだった。
改めて眺めたニルスがラッピングしてくれたチョコレートは、濃い赤にキラキラしたラメが入った包装紙に、髪を飾っているものと同じ赤と茶色のリボンが掛けられて、長く伸びている部分はクルクルとカールしている。何故気付かなかったのだろうと今更ながら思うのと同時に、何だか自分と同じイメージのチョコレートをレンドルフに渡すことを考えると、本当にいいのだろうかとどんどん思考が渦巻いて来る。確かに可愛らしく仕上げてくれた髪型もメイクも何ら不満はないのだが、言葉にならないところでユリは混乱気味だった。
(レンさんなら気付かないかもしれないし…そうよね!その可能性もある!)
そんな希望に縋りながら、ユリは落ち着かない様子で箱を入れた紙袋を膝に置いたり座席に置いたりを繰り返していた。そんな風にどこか浮き足立った様子で、レンドルフと待ち合わせている場所へと馬車に揺られていたのだった。
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レンドルフはいつも以上に早く到着してしまって、少し緊張した面持ちで広場のベンチに座っていた。
今日は中心街の一番端にあるリリーファーム区という場所に来ていた。ここは王族から臣籍降下した何代も前の王妹が暮らしていた公爵邸があったのだが、一代限りで継ぐ者がいなかったので国に返還された後に民間に移譲されたところだった。異国風に整えられた庭園はそのまま一般に開放されて、本邸は結婚式場を併設したホテルに、離れはレストランとして使われている。
庭園に合わせて建物も異国風に建てられており、この国では珍しい木造建築だ。雨と雪の多い国で、木材の腐食防止に耐水性の塗料を施していて、まるで木材とは思えない真紅で艶のある柱が特徴的だ。そして同じく塗料を塗った漆黒の壁には、その国の固有種である虹色の魚の鱗を加工したものを貼り付けて花や鳥を描いた壁画がある。これを建てさせた当時の女公爵が、わざわざ彼の国から職人を呼び寄せたという入れ込みようだけあって、今では本家である筈の国でも見られないほどの見事な芸術作品だと言われていた。それを見る為にここに宿泊したり食事をしに来る者が大半で、異国からの客も多い。
なかなか人気で食事だけでも予約は年単位で待つと言われているが、ユリからお茶の時間ではあるが知り合いが予定が合わなくなくなったのを譲ってもらったので行かないかと誘われたので、レンドルフも一度は見て見たいと思っていたのですぐに休暇申請を出したのだった。
本当はレンザがユリの為に予約していたのだが急な所用で隣国にまで行くことになったので、「誰かを誘って行くといい」と権利を譲り渡したのだった。レンザはおそらくレンドルフを誘うのだろうと予測は付いたので出来れば譲りたくはなかったのだが、壁画を見るのを楽しみにしていたユリをガッカリはさせたくないし、レンドルフを誘わないように条件をつける理由もない。
ユリにはいつものように甘い祖父の顔を見せていたが、内心はかなり渋々だったであろうことはユリ以外はとっくに察していた。そしてその隣にいたレンザにいつも付き従っている侍従は少し窶れたようだったので、使用人達に憐れまれるような視線を向けられていた。
急遽の休みの申請で難しいかと思ったのだが、同じ部隊にいる先輩のオルトが快く休みを交替してくれた。レンドルフが出掛ける前に改めて礼を言うと、オルトがニヤニヤしながら「ちゃんとチョコレート用意したか?」と聞いて来た。その時になってレンドルフはやっと祭のことを思い出したのだった。
慌てて王城の近くであまり甘くないと思われるチーズ風味のホワイトチョコレートとロゼワインを購入して辛うじて体裁を整えたのだが、レンドルフはそもそもこれをユリに渡していいものかという基本的なところで疑問を抱き始めてしまった。今は家族や友人などにも贈ることはおかしくない風潮だが、少し前までは好意を持っている相手に気持ちを伝える手段の一つだった。レンドルフからするとユリに渡すことは決して間違いではないのだが、一方的に渡すことになってしまったら迷惑にならないだろうか、と考え始めてしまったのだ。
それに当人は選んだ時には全く無意識だったのだが、今日の服装は一見黒に見えるが光に当たると濃い緑色のシャツに、見ようによっては金色に取れなくもない明るい茶色のネクタイを選んでいた。改めて意識してみると、ユリの濃い緑の瞳と金の虹彩の組み合わせのようだと気が付いてしまって、ますますレンドルフの思考が混乱してしまっていた。
「レンさん、お待たせ!ごめんね、寒かったでしょう?」
「そんなことな…いよ」
思考に沈んでいたレンドルフは、小走りな靴音が近寄って来て声を掛けられるまで気付いていなかった。聞き慣れたユリの声に慌てて立ち上がってユリを迎えるように顔を向けた瞬間、レンドルフは不自然な姿勢で固まってしまった。
「?レンさん?」
「……可愛い」
ユリの柔らかく巻かれた黒髪に、カールしたリボンが華やかさを増して肩の辺りで揺れていた。その首周りは茶色のファーがフワフワしていて更に可愛らしさを引き立てている。レンドルフは素直な感想をほぼ無意識に声に出して呟いていた。それを聞き取ったユリは、表情を隠そうとしてポフリと首元のファーに顔を埋めてしまった。だが顔の脇を編み込んでいるので、隠し切れていない耳が真っ赤になっていたのは寒さのせいではなさそうだった。
レンドルフもうっかり声に出してしまったことを自覚して、ユリの耳に負けず劣らず赤くなっているであろう顔を、手袋をしている手で覆うようにしながら軽く空を仰いだ。寒さで白くなった息が俯いたユリのファーの間から、上を向いたレンドルフの覆った手の間から漏れて、二人して向かい合って湯気でも立てているような状態になってしまった。
「あ、あの!レンさん、これ…」
先に立ち直ったユリが、手にした小さな紙袋を勢い良くレンドルフに差し出す。その紙袋はユリのコートに似た色の茶色のもので、手提げの部分に赤いリボンが控え目についている。
「これ…?」
「えっと、チョコレートの焼き菓子…人に教えてもらって、作ってみた、んだけど」
「俺に?」
「うん。その…ちゃんと味見したし、プロの味じゃないけど、ちゃんと甘く、してあるから」
レンドルフはその場で片膝を付くと、そっと両手で捧げ持つようにユリから紙袋を受け取った。丈の長い黒の革のコートの裾が地面に広がる。その仕草はまるで高貴な姫君から褒美を授かった騎士の幻影すら見えるようだった。
「レ、レンさん!?服が汚れちゃうから…!」
「ありがとう。すごく嬉しい」
紙袋の向う側に見えたレンドルフの顔は、これ以上もないだろうと言うほど柔らかで幸せそうな笑顔だった。長い睫毛の向こうの優しい色合いのヘーゼルの瞳が、とろりと甘さを含んで細められる。相好を崩しても整った顔立ちなのは変わらない、とユリは感情が振り切れ過ぎてしまったのか、どこか冷静な自分がそんなことを思っていた。
「そ、れなら、良かった」
「ああ、こっちもユリさんみたいだ」
紙袋の中を覗き込んだレンドルフは、箱に掛かっているリボンがユリの髪を彩っているものと同じだとすぐに気が付いた。それにレンドルフはメイクには詳しくないが、包装紙も何となく今日のユリっぽいと感覚的に理解した。
すぐにバレてしまったユリは再びファーに深く顔を埋めてしまった。そのまま顔を上げることが出来ずに、前が見えないままレンドルフに手を引かれてレストランに向かったのだった。
その後で受付でコートを預けた際にレンドルフのシャツとネクタイがまるで狙ったように自分の色味に近かったことが分かって、今度はファーで隠すことが出来ずにひたすらユリは顔を赤くしていたのだった。
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後日、渡したチョコレート菓子は大変美味しかったと丁寧な感想を書いた手紙をレンドルフからもらった。ユリが文面を見ただけで行儀悪くベッドの上を転がり回ってしまうほど絶賛の言葉が綴られていたが、ただ一つ気になったことがその中に「幸運の四葉をありがとう」と書かれていた。
ユリはハート形の焼き菓子を四つ箱に入れていたのだが、何度も膝に乗せたり置いたりを繰り返して、更に渡す際に勢いよく差し出してしまったせいなのか、レンドルフが持ち帰って開けた時には全てくっついていて、その形は「四葉のクローバー」のようになってしまっていたらしい。
一応それも幸運の象徴として扱われるモチーフではあるので、ユリは何とも複雑な顔をしながら「まあ…それはそれで…」としばらくブツクサと零していたのだった。
お読みいただきありがとうございました!
いつもよりも甘めな雰囲気を目指しましたが…どうなんだろう?お楽しみいただけましたら幸いです。
因みに元公爵邸のイメージは目黒雅叙園です。
また次回から通常の時間軸に戻ります。よろしくお願いします。