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【バレンタイン番外編】甘い甘いチョコレート(前編)

バレンタイン合わせでの番外編です。前後編同時更新ですのでご注意ください。


ちょっと懐かしい人が出て来ます。


「ユウ兄、大丈夫…?」

「…多分?」

「全っ然そんな感じしないよね…」


ミキタの次男であり、エイスの街で小さなパン屋を営んでいるユウキのところに用事があってユリは顔を出したのだが、まだ午前中だと言うのにフラフラになっている彼の様子を見て心配げに声を掛けた。ユウキはヘラリと笑いながら返事をして来たが、余計に不安しかならなかった。


フラフラで顔色の悪いユウキとは対照的に、小さな店内は華やかで可愛らしいパンがいつも以上に並んでいた。普段から半分くらいは甘めのデザート系が並んでいるのだが、今はあきらかにそちらの方が多くなっている。特にチョコレートを使った種類が多く、店中が甘いに香りで満ちていた。



いつの頃からかははっきりしないが、冬の最も寒い頃に好意的に思っている親しい相手にチョコレートを使った菓子を贈る祭が開催されている。異国の風習で、夫婦や恋人同士が雪の降る日に温かく甘い飲み物を交換するのが最初だったとも言われているが、他にも似たような風習があるので定かではない。

このオベリス王国では最も寒いと言われている日から三日間その祭が開催されている。街のあちこちでチョコレートを使った商品が売られていて、この時期はどこに行っても甘い香りが漂っている。

最初は伝わった風習の通りに伴侶や恋人などに贈ることが多く、祭も一部の港町で行われていただけだったが、次第に国内に広まって行くとともに家族や友人などにも対象が広がり、今では国全体で盛り上がるようになっていた。それに合わせて、各商店でもこの時期だけは特別なチョコレートを使った商品をズラリと並べ、買う方もそれを楽しみにしている。近年ではチョコレート好きは自分用に購入することも多くなっていた。


「ユウ兄のチョコレートを使ったパン、今年は特に凄くない?自分で作るのの参考にしようかと思ったんだけど、全っ然無理だ」

「僕のはかなり手間の掛かる手法のが多いし、チョコレートは扱い自体が難しいからね。ほら、最近は手作りする人も増えてるから、絶対に真似出来ないものを作って店で買う付加価値を上げたくて」

「そうなんだ。ごめんね、プロの技術を簡単に考えちゃ駄目だよね」

「いや、他のなら簡単に教えられるものもあるんだけど、チョコレートはまだまだ僕も模索中だから」


ユウキはパン職人でありながら、現在はケーキ職人になる為の修行中の身だ。特にパン職人がケーキを作って売ってはいけないという決まりはないが、やはりそこはきちんと学んで認められたいという拘りがあるらしく、店に並ぶのは基本的にパンばかりだ。しかしケーキと見紛うばかりな繊細な飴細工や飾り付けをしてある商品もあるので、パン屋兼ケーキ屋と思っている人もそれなりにいるらしい。


「因みに、ユリちゃんはどんなのを作るつもりだった?」

「え、ええと…甘いの、を」

「チョコレートは大体甘いけど…ああ、最近は甘さが控え目のものが主流だからか」

「うん。そういうのもいいんだけど、折角作るならこう…ガツンと甘いものをと思って」


ユウキはどことなく目が泳いでいるユリに、今年は家族以外に贈りたい人が出来たのだな、と察した。


ユリがアスクレティ大公のただ一人の孫娘だということをユウキは知らされていない。市井のことを学ぶ為の教師であり護衛を兼ねている冒険者の兄弟や昔馴染み達と違い、ユウキはごく普通の一般市民だ。あまり余計なことを知らせてしまうと却って危険を呼び込むことになるので、彼には色々と世話になった家のお嬢様が薬師の資格を取る為に協力している、とだけ告げてある。ユウキはそれでもユリのことは何となく良いところの貴族なのだろうな、程度の認識はあった。


この店を構えてから、祭の頃になるとユリは仲の良さそうなメイドと一緒にチョコレートのパンを大量に買い込んで行く。大きな紙袋に詰めたものと、店で一番高いものを一箱だけ別に包むのが恒例行事のようなものだった。チラリとユリと血の繋がった家族は祖父しかいないと聞いたので、その箱は祖父宛てなのだろうとすぐに予測が付いた。

しかし今のユリの様子だと、祖父に贈るものでも、ましてや自分用でもなさそうだった。


「それならやっぱり市販の手作りセットを使った方がいいかもね。ああいう方が多少アレンジしても失敗しないように出来てるから」

「うん…そうね。そうする」

「あのぅ〜ちょっとよろしいですか?」


ユウキの言葉に少々残念そうではあったが納得したようにユリが頷いていると、横から遠慮がちに声を掛けられた。見ると丸顔の若い女性がニコニコしながら重ねたトレーを抱えていた。フワフワの茶髪をきちんと纏めて、清潔感のある白いエプロンをしている彼女は、この店に雇われている臨時の店員だった。彼女は今、産休中のユウキの妻が復帰するまでの期間ということで契約を結んでいる。


「あ、あたしシンシアっていいます。その、あたしで良ければ簡単なチョコ菓子お教えしましょうか?」

「え?」

「あの、あたしいっぱい弟と妹がいるんで、よくおやつを作ってたんですよ。ついでに孤児院とかに寄付してバザーで売ったりして。そういうので良ければいかがです?」


シンシアは無邪気な様子で完全な善意からの申し出だと分かるのだが、ユウキは貴族相手にそういったものを勧めていいものかどうか判断が付かず、困ったようにユリに視線を送った。


「えっと…簡単な料理しかしたことがないんですが、それでも大丈夫ですか?」

「勿論です!むしろ失敗する方が難しいくらいです!」

「是非教えて下さい!ちゃんとお礼もします!」

「え〜別にいいですよぉ。あ、材料費はお願いします。って言っても、ほぼチョコレートくらいですけど」

「それは当然です!いくらでも払います」


おそらく年も近いであろう二人がどんどんと話を進めて行くのを、ユウキは黙って眺めていた。最初はいいのかとハラハラしていたが、ユリ自身が全く気にしていない様子で乗り気なので、むしろ止める方が野暮だと判断した。身分が違ってもお互い話が合って楽しそうなら問題ないだろう。


「あ、そうだ、店長。あたしのウチのキッチン、オーブンがないからここの使わせてもらっていいですか?」

「う〜ん、明後日の祭に向けて今日も深夜まで焼く予定だからな…ああ、上のキッチンなら自由に使っていいよ。後片付けさえきちんとしてもらえれば」

「いいんですか!ありがとうございます!」

「ユウ兄、いいの?」

「いいよ。今は僕一人だし。そこに女性一人入れる訳にはいかないけど、ユリちゃんと一緒なら問題ないからね」


ユウキの店は上階が居住区で一階が店舗となっている。妻が妊娠により匂いに敏感になってしまった為に今は実家に戻っていて、ユウキは一人暮らし状態になっていた。そこにキッチンを貸すだけで何の疾しいところはないとしても、女性一人を部屋に上げるのはどちらにも良いことはない。女性だけ複数ならば余程でなければ穿った見方をされることはないだろう。


「調味料も道具も好きに使っていいからね。ああ、でも使い切ったら足しといてもらえると助かるよ」

「分かりました!ありがたくお借りしますね、店長」


こうしてトントン拍子に話は纏まり、明日の午後にシンシアは早上がりしてユリと一緒にチョコレート菓子を作ることになった。時間が短くなればその分給金が減ってしまうので、ユリは減った分と教えてもらうお礼を上乗せして支払おうと申し出たのだが、シンシアはお金よりも最近新しく出来た揚げ芋専門店のバケツサイズを買って来て欲しいと頼んでいた。それでいいのかとユリは戸惑ったようだが、いつ行っても行列が出来ているので是非お願いしたいと良い笑顔で押し切られてしまったのだった。



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「本当にこれでいいのかな…」


ユリはシンシアに指定された材料を抱えてユウキの店に向かっていたが、あまりにも少な過ぎて不安になっていた。しかし彼女が「絶対失敗しないレシピです!」と自信満々に言っていたし、側で話を聞いていたユウキも特に何も訂正する様子もなかったので信じることにした。


勿論、お礼としてリクエストされた揚げ芋も忘れていない。冷めないように、わざわざ時間停止と空間魔法が付与されているポシェットも持参して来ていた。バケツサイズといってもそこまでじゃないと思っていたが、実物を見たら本当にバケツサイズだった。受け取った時はその重さに思わずよろけそうになってしまった程だ。さすがにこれを一人で食べる訳ではないだろう。取り敢えず誰かと食べるにしろユリに教えていたら冷めてしまうので、このままポシェットごと渡して後で返してもらおうと考えていた。



ユウキの店に行くと、昼過ぎは比較的空いている時間帯なのだが今日は店の外に溢れんばかりに人が集まっていた。客の大半が女性で、ユウキが凝りに凝ったチョコレートを使用したプチパンを殆どの人が購入していた。ミルクチョコとビターチョコで繊細なレース模様を描いたデニッシュや、薔薇のような形のパンに赤や白のチョココーティングをしてあるもの、そして何を使っているのか分からないが深い藍色に銀の星が散らしてあるような見た目のチョコタルトなどが人気のようだ。

こんなに盛況なのに店員をユリの為に休ませてしまって良かったのかと顔色を悪くしたが、店の外にいるユリに気付いたのかユウキはにっこりと笑って上を指差した。ユウキの方は想定内だったのかもしれない。ユリは、こうなったら早めに終わらせるなりして手伝いに回ってもらえるように頼んだ方が良さそうな気がして来た。


ユリはガラス窓越しにペコリと頭を下げると、店の裏手に回った。


「ユリちゃーん、ようこそー!」


裏口から入るとすぐの場所でシンシアが待っていた。


「あの…お店、本当に大丈夫ですか?」

「へーき、へーき!ニルスが頑張ってくれるから!」

「ニルス…さん?」

「ほら、店長の他にいたでしょ?ニルスは器用だから、ラッピングとか早いんだよ〜」

「あ、ああ…あの金髪の」

「そ。じゃあ早速作ろう!」


確かに店のレジカウンターのところに金髪の可愛らしい店員がいたが、フリルのついたエプロンをしていたのもあって、ユリはてっきり女性店員だと思っていたのだ。その勘違いは敢えて申告しないことにしようと、ユリはスキップでもしそうな勢いで階段を登って行くシンシアの後に続いた。



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「まずは〜チョコを溶けやすくする為に刻みましょう!」


言われた通りに板チョコをナイフで細かく切って行く。やはり冬場なので少し固い手応えで、ゴリゴリと削るような感覚がする。削ったチョコをボールに入れると、ふんわりと半分ほどの山になる。


「じゃあ、次は卵を黄身と白身に分けて、白身を泡立ててください!」


「溶かしたチョコと、黄身を滑らかになるまで混ぜて」


「泡を潰さないようにさっくり混ぜて」


「型に入れて焼きます!」


シンシアが持参してくれた小ぶりのハート形の型の中に生地を流し込んで、オーブンの中に並べた。


「こんなに簡単でいいんですか」

「そう!簡単で美味しいんですよ!小麦粉も使ってないから、焼き加減適当でもお腹も壊しません!」

「な、なるほど…」


基本の生地に生クリームや蜂蜜などを入れたりしてアレンジをしながら幾つも焼いて、冷めてから更に上からチョコレートでコーティングをするつもりだ。


「じゃあ使った道具を洗いますね」

「ちょっと待って!…あのう…その、お芋は…」

「あ、大丈夫です!買って来てます。この時間停止の付与付きポシェットに入れてあるから揚げたてですよ!」

「わあ!サイコーですぅ!!」


シンシアはご機嫌にユリから一部を皿の上に出してもらって、その半分を溶かしたチョコレートがまだこびり付いているボウルの中に放り込んだ。


「え!?」

「これ、あまじょっぱくて美味しいんですよ!良かったらどうぞ」


塩味の揚げ芋をチョコレートにまぶすという見たこともない調理法に、ユリは思わず硬直して目を丸くしてしまったが笑顔でボウルを差し出して来るシンシアに断り切れず、恐る恐る一つだけ摘んで口に入れた。


「!」

「うふふ、美味しいでしょう?」

「確かに、あまじょっぱさが溜まりませんね!」


熱い揚げ芋の塩気に、溶けたチョコレートの甘さと苦味がほんのりと染み込んで、何故かクセになる味わいだった。ユリは最初の遠慮がちな様子から一転して、すぐさま次の芋を摘んだ。シンシアもニコニコしながら自分でも摘んで「美味しー!」と頬を染めていた。



焼き上がってから冷めるのを待つ間、ユリとシンシアは揚げ芋やチョコレートを摘みながら楽しくお喋りをしていた。店の混雑を見て、早めに終わらせた方がいいのではないかと思っていたのだが、同年代と話す機会のないユリはあまりに楽しくてすっかり頭から抜けていたのだった。


「これ、渡すのは明日です?」

「あ、はい」

「じゃあラッピングは決まってる?」

「ええと…それはこれから」


実のところユリはラッピングのような作業はあまり得意ではない。これまでにそういった機会がなかったので気付いていなかったが、試しにやってみたら壊滅的だったのだ。薬草を扱ったり調薬をする繊細な作業は得意な方なのに、どうも方向性が違ったようだ。なので、ユリはその殆どを専属メイドのミリーに任せて、自分はシールを貼る程度にしようと思っていたのだ。


「じゃあ、ニルスに任せてみない?」

「ニルスさんに、ですか?」

「うん!さっきも言ったけど、ニルスはそういうの得意なの。理容師の資格も持ってるから、髪のセットとかお化粧とかもやってるよ!甘〜いチョコ渡す時に、いつもと違うユリちゃんになって相手の人ビックリさせない?」

「え…ええと…」

「ユリさん多分お嬢様だろうから、専門のメイドさんとかいるでしょ?でもたまには違う人に整えてもらうと印象変わって相手が忘れられないくらい刺さるって!」

「それは、ニルスさんが?」

「ううん!ニルスの職場の『パープルアイ』のお姉様方!」

「あー…ムラサキさんとこの」


ユリは知っている名前が出て何となく頷いてしまった。


「パープルアイ」は、エイスの街の入口付近に古くからある酒場の名だ。いったい何時からなのかは分からないが、そこの女店主ムラサキはアスクレティ大公家の影という裏の顔を持っている。酒場は色々な情報が入って来る場所なので、趣味と実益を兼ねてステノスも常連になっていた店だ。そこに務めている女性達も、全員ではないが大公家子飼いの者である。少し前に、非常に器用で何でもこなす店員が入ったと耳にしていたが、どうやらそれはニルスのようだ。


「ええと…じゃあ、お願いしてもいいです?」

「勿論!」


ユリを着飾らせる機会を虎視眈々と狙っている大公家別邸のメイド達に申し訳ないと思いつつ、違う雰囲気に仕上げてもらったユリを見てレンドルフがどんな反応を示すか見てみたいという欲に抗えず、ユリはつい承諾していたのだった。



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