326.カツカレーとこれからの約束
カボチャとベーコンのミルクスープは、柔らかく半分溶けたカボチャの甘みとミルクのまろやかさで、飲むだけで気持ちがほぐれて行くような優しい味わいだった。そしてその中に細かく刻んだベーコンの塩味と、好みで後から追加出来るように添えられた胡椒を加えると引き締まった味に変化するのもまたより甘さを引き立てる。甘い物を好んでいるレンドルフは、あっという間に器を空にしてしまった。その飲みっぷりにミキタが「まだあるけどおかわりはどうする?」とすぐに聞いて来たほどだ。一瞬レンドルフは後に続くメインもあるので考えたが、即座に「大丈夫、食べられる」と判断して素直におかわりを注いでもらった。
野菜のチーズ焼きは、スプーンを入れるとジャガイモとカボチャ、ブロッコリーに人参と色味の美しい具材が出て来て、バジルソースで和えてあったので更に香りも良い。どこまでも伸びそうなチーズをスプーンで絡めとって、フウフウと息を吹きかけて口に入れる。それでもしっかりと熱の通っている根菜はなかなか冷めず、一度口に入れるとしばらく無言で口を動かすしかなかった。ユリは口の中が火傷しそうになったので慌てて水を飲んだが、レンドルフは比較的平然と食べ進んでいた。
メインのカツレツは細かいパン粉がこんがりとキツネ色に染まっていて、ナイフを入れるとサクリと小気味よい手応えが伝わって来る。半分ソースの掛かった部分と合わせて口に入れると、ソースを吸ってふんわりとした衣と、サクサクの部分の差が口の中で楽しめる。薄い肉なのでジューシーさはあまりないが、しっかりとした肉の味と酸味のあるトマトソースに、思ったよりもガーリックの風味が一瞬遅れて広がった。トマトはあまり火を通していないのか、新鮮な果肉も楽しめる。
カレーソースの方は主張が強いので多少肉の味が押し負けているが、ソースの中の一緒に煮込まれていた肉の旨味と合わさるので手が止まらない美味しさだった。
「どっちのソースも美味しい…」
思わずといった風に零れたレンドルフの呟きに、ユリもカツレツを口の中に入れたままうんうんと頷いた。
結局、食べながら今後の予定を相談するつもりが、夢中で食べてしまってすっかり皿の上が空になるまで二人ともほぼ無言で過ごしたのだった。
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「しばらくは客も来ないだろうし、ゆっくりしてお行き」
「すみません、ありがとうございます」
「あたしは仕込みがあるからちょろちょろしてるけど、いないものだと思っていいからね」
ちょうど二人が食べ終えた頃には店から他の客はいなくなったので、普段はランチには付いていないフルーツを切ってミキタがテーブルの上に置いて行った。それと一緒に、瓶の中にミントの葉を入れた水も付ける。トマトソースに使用していたガーリックが割と多めだったので、今日は食後にミント入りの水も提供していたのだ。
「じゃあ、今のところ分かってる俺の休みはこんな感じかな」
レンドルフは持参して来た手帳を取り出してカレンダーのページをテーブルの上に広げた。騎士団の任務や遠征の期間に付いては秘匿扱いのこともあって気軽に手帳には書けないことが多いので、記載されているのは休日だけの状態になっている。しかし任務以外でレンドルフには書けないようなこともないので、ユリにこうして見せて共有しても何ら問題はなかった。ユリの方はそれなりに色々書き込んでいるので人に見せられないし、そもそも持ち歩いていないのだ。レンドルフは故郷で「女性の私的な予定などは見てはいけない」と教えられていたので全く気にしていないのもユリにはありがたかった。以前にうっかり街中で手帳を開いて、それを覗き見られて一ヶ月行動を把握されて付け回されたことがあった為に、ユリとしては手帳自体を持ち歩くのを止めてしまったくらいだ。その相手は一見すると紳士的で優しげな態度だったので、途中まで偶然だと思わされていたのもユリにはトラウマの一つだ。
「この辺りなら私も王城に勤務してるし、休みは合わせやすいかな。あ、でも今日の服が仕上がって来るのはこの日だから…」
「じゃあ水族館に行くのは来月末にしようか。その前の休みは別の所に行こう」
「そうね!楽しみは多い方がいいもの」
二人で色々と候補を挙げながら楽しげに笑い合っている。時折ユリが無自覚に顔を近付け過ぎて、レンドルフが少しだけ慌てて引くことがたまにあるが、そんな様子も微笑ましいとミキタは顔を向けないで視線だけで見守っていた。
ミキタもユリの祖父レンザから直々に面倒を見て欲しいと言われている一人だが、ユリの過去に何があったかは詳しくは知らない。ただ何かの折に「守ってやれなかった」と苦々しくレンザが呟いていたのは知っている。ユリの本当の髪色が「死に戻り」で真っ白なことも知っているので、きっとその辺りのことが関わっているのだろうと予測は付くが、それ以上は向こうから言われない限り知りたいと思うことすら命取りになるのはよく分かっていた。
初めて出会った時からもう五年ほどが経っているが、そのことから考えるとまるで別人のようにユリは変わった。人の真似をして表面を取り繕う魔動人形のような少女から、少しばかりお転婆で世間知らずな可愛らしい女性へ。特にレンドルフと出会ってからのユリは、本当に人間になった気がする。出会う前でも十分市井に紛れても何とかなる程度まで「普通」を獲得していたようだが、時折どこか決定的に欠けているような感じがあった。ミキタとしても具体的にどうと説明出来るわけではないが、長年の自分の勘は間違っていないと告げていた。しかしレンドルフが側にいるようになってから、それが急に埋まったような印象だったのだ。
長い目で見ればそれが良いのか悪いのかはミキタには想像もつかない。けれど少なくとも、今目の前で笑い合っている二人はとても楽しそうで、それがずっと続くことを信じているようだった。そしてミキタも、そう願わずにはいられなかったのだった。
「そういえばレンさんはハンビック区の遺跡の話は聞いてる?」
「ハンビック区?あの役所が立ち並んでる…」
「こっちにはまだあんまり噂は流れて来てないのかな。先月、そこから古代遺跡が出て来たんだって」
「あんな王城に近いところに?それは知らなかったな」
ハンビック区は王城にほど近い、色々な役所が立ち並んでいる区域だ。法務や税務を司る建物が並んでおり、その中心には大きな会議場がある。そこでは大小さまざまな国政に関わる会議が行われていて、年に二度国王がそこに赴いて重要な法律や政策を決定する為の下準備や根回しが行われるのだ。王城と並ぶ国の心臓部で、役人と相応の身分を持つ者しか入ることが出来ない。
その区域内には国民の戸籍なども収められている中央管理部や、中央神殿もあり、そこは市街地と繋がっているので貴族も平民も自由に出入り出来る。
「市民の窓口になってる建物が老朽化したから建て替え工事してたら地下から古代遺跡が見つかって、工事が止まってるの」
「それはそうだろうな」
この国の王都には、王城を中心として防衛の為の魔法陣が敷かれている。これは絶大な魔力を有していた建国王と、五英雄と呼ばれる側近の膨大な知識を組み合わせて作り上げたものだ。それがあることで、魔獣の出現は封じられ他国からの呪詛などから守られていると言われている。その魔法陣に魔力を補充出来るのは王族だけとなっていて、長年に渡り維持しているのだ。たださすがに長い年月が経っているので、僅かずつではあるが防御力が弱まって来ているが、それでもまだ数百年は保つと予測されている。
現在、その魔法陣を解析できるものはおらず、あるものを壊さないように慎重に修復が出来ないかと研究者が苦心している状況だ。
その中で見つかった古代遺跡は、建国王の魔法陣よりも以前にあった場合それを利用して魔力の流れを制御している可能性があるのだ。現に王都内の古代遺跡の幾つかがそう設定されている。その為、発見された古代遺跡は念入りに調べられ、魔法陣の中に組み込まれているならば完全に保存しなければならない。もし組み込まれていなければ、国の文化財の一つとして移築されるか博物館などに寄贈される。
「それでね、近くでは無理だけど遠くからなら見学出来るんですって。ちょうど出入り出来る区画のど真ん中らしくて、人を入れないようにするのが出来なかったみたい。だからいっそ料金を取って見学させようって」
「へえ、面白そうだね。見てみたいな。ユリさんは?」
「うん。実は変わった壁画があるらしいから、見たかったの」
「変わった壁画?」
「実際見た人から聞いたんだけど、ミズホ国の守護神として伝わっている神獣に似た生物が描かれてるんだって」
「もしかしてミズホ国の『創始伝』にあったやつかな」
ユリがミズホ国と縁が深いアスクレティ領の生まれと聞いたので、レンドルフは以前ミズホ国関連の本を借りて読んだことがあった。そこには、四体の神獣が交替で国を平和に治めていたという神話が書かれていた。ただ、結局神獣の番の人間が切っ掛けで互いに争うようになり、国を出たり死んだりしてバラバラになってしまったと記されていた。
「そうかもしれない。でもあれも本によっては全然姿が違うから、どんな風に描かれてるか分からないよ」
「それはそれで楽しみだと思うよ」
「それもそうね。じゃあ公開しているうちに早めに行こうか」
レンドルフの手帳の一番近い休日のところをユリが指差す。それから遺跡だけでなく他の場所にも行く時間はあるか、食事はどうしようかという話に広がって行く。
そうやって話が尽きないでいると、気が付くと皿の上のフルーツとミント水が全てなくなっていた。さすがにこれ以上長居しては迷惑になってしまうとレンドルフ達は席を立った。
「ご馳走さまでした。長居してすみません」
「いいのよ〜。誰か居てくれた方が張り合いあるし」
「ご馳走さまでした!ミキタさんのハンバークは最高だけど、カレーも最高でした!」
「そうかい?じゃあ今度はハンバーグカレーとか作ってみるかね」
その言葉に、二人は一瞬顔を見合わせてからキラキラした目でミキタに顔を向けて来た。長く一緒にいると行動が似て来ると言われるが、これはまさにその証明のようだった。
「ま、メニューはあたしの気まぐれだから、運が良ければ食えるだろうさ」
「その日に来られるように頑張ります」
「…くくくっ。参ったね、こりゃ」
レンドルフに真っ直ぐな目を向けられて、ミキタは軽く喉の奥で笑って呟く。一体何を頑張るのかは分からないがここまで澄んだ期待に満ちた目を向けられては、その期待に応えてやりたくなってしまう。その姿はまるで耳を立てて全力で尻尾を振っている大型犬のようだ。
「食べたい時は三日前に予約を入れとくれ。準備しておくよ」
「ありがとうございます!」
「ありがとう、ミキタさん!絶対予約しますね!」
「ご期待に応えられるように腕を磨いておくよ」
最近はレンドルフがエイスの駐屯部隊に出向になっていたのでちょくちょく顔を出していたが、もう王城のある中心街に戻ってしまうので来る頻度は落ちるだろう。それでもミキタは嬉しそうにに手を振って店を後にする二人を見送って、いつ来てもいいように材料は確保しておこうと決めたのだった。