325.それぞれの買い物
「先に買い物しようか?」
「そうだね。俺が狭い場所にいたら迷惑がかかるし。ユリさんは大丈夫?」
「うん、平気。それにもっとお腹空かせればもっと美味しくなるよ」
レンドルフとユリはギルドの裏手にあるミキタの店に行ったのだが、珍しく外まで待機している人がいた。ミキタの店は割と満席に近くはなるが、昼時はそれなりに回転は速いのでここまで混むことは珍しい。特別メニューのギョーザの日は混み合うが、外に出ている看板に描かれた日替わりメニューは違っていた。年季の入った店内の椅子はレンドルフを受け止めるには少々荷が重いので、いつも指定席のように奥のソファ席に案内される。店内の常連客もレンドルフが来た時には皆快く席を譲ってくれるのであるが、満員であれば交替するのも難しい。
その様子を遠くから見て、二人は先に買い物を済ませて時間をずらすことにしたのだった。
「レンさんのお買い物はお酒だよね」
「それとそろそろ伝書鳥も減ってると思うから買い足しておきたいかな」
「そうね。私が貰った分も随分少なくなってるかも」
「…あの色のはユリさんにしか渡してないから」
「え…あ、そう、なの」
レンドルフが使用していたのは基本中の基本の白の伝書鳥だ。事務的な用件などで使用されるもので、相手の手元に届く時に鳥の姿になることもない地味なものだ。これまでにそこまで華やかな色味のものや、遊び心のある付与付きのものには縁がなかった。ユリと手紙をやり取りする約束を交わした時に初めて違うものを購入してそのまま彼女に全て渡してしまったので、あの青い色のハピネスバードを模した伝書鳥は確実にユリからの手紙を運んでいるのだ。幸福を運ぶと言われる鳥を模した伝書鳥は、ある意味レンドルフからすればまさに正しいものだった。
「レ、レンさんの方は?まだ残ってる?」
「まだ大丈夫だと思うよ。ほら、ユリさんには前に心配をかけて沢山送ってもらったから」
「そ、そうね」
以前土砂崩れに巻き込まれたレンドルフが、埋まっている場所の目印になるようにユリに伝書鳥を送ってもらったことがあったが、ユリは心配のあまり大量にレンドルフに向けて伝書鳥を送り続けていた。今思うと多少気恥ずかしいような気持ちにはなるが、当時のユリからすれば生きた心地のしない出来事だった。それをあまりにもサラリとレンドルフが言うので、ユリとしては複雑な気持ちになってしまったのだった。
「ユリさんの方は何か買い物とか、見たいものとかある?」
「うーん…そうねえ、特にこれといって思い付かないけど…あ、また何かレンさんの秋冬物の服とか小物とかを選びたい!」
「いや、それはユリさんの買い物じゃないから…」
「えー。でもちょっとだけ見に行こう?折角採寸してもらってるんだし」
「う…うん…」
確かにこれから行く商会には、以前服を作ってもらっているので二人とも全身の採寸結果が保管されている。まだそこまで時間も経っていないので、サイズも大きく変わっていない筈だ。
レンドルフはひとまず当初の予定通りお礼用の酒をユリのアドバイスで選び、伝書鳥を追加した後にユリに手を引かれるように服売り場へと連れて行かれたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
「レンさん、紫も似合うね!」
「そ、そうかな…ありがとう…」
「濃い色のシャツには温かな色味の上着が合わせやすいかと存じます」
「ああ、そうね!あのベージュのチェック柄とか、グレーのも良さそうね!」
服売り場へ連れて来られると、たちまちレンドルフ達の姿を目敏く見つけた副店長マルティナが側に付いて、ユリの隣で色々と助言をしながらもうここに来ることを知っていたかのように実に淀みない動きでサンプルを差し出して来た。因みにここは男性服が並ぶ場所で、試着室に放り込まれたレンドルフがユリが持って来る服を大人しく受け取っては着替えるのを繰り返していた。着替える度にユリが嬉しそうに褒めてくれるので悪い気はしないが、多少の気恥ずかしさもあって日課の鍛錬よりも別の意味で疲労を感じているレンドルフだった。
「これ!すごく良い生地ですね!」
「お分かりになりましたか。こちらは昨年開発されたばかりの新素材でございます。光を吸収するので、非常に上品な質感と見た目が好まれております」
「これは上着で隠すのが勿体無いですね〜。ベストに合わせるか…いっそシンプルにシャツだけ…」
レンドルフが今着ているのは、真っ黒なシャツだった。マルティナの説明した通り、光を吸収するため一切の光沢がなく、吸い込まれるようなマットな質感で、触れれば感触はあるのだが見た目には縫い目さえ分からない。既に仕立ててある中で一番大きなサイズを渡されたのだが、それでもこのシャツはレンドルフには微妙に小さく胸元のボタンは三つ目まで開いているし、袖も留められないので手首が丸見えになっている。丈も短くてちょっと胸を張れば腹が見えてしまうのではないかと思うと、ついレンドルフは背中を丸めて前側で両手を組んでしまう。アンダーシャツは着ているので腹筋は丸出しにはならないのだが、それでも抵抗があるのは変わりない。少し無理をすれば胸元は閉じられそうではあるが、やはり売り物なので縫い目から不穏な音を出してしまうのは断固避けたい。
そんな風に縮こまっているレンドルフを見て、ユリが小さく「可愛い…」と呟いたのをマルティナはしっかり拾っていたのだが、そこはベテラン接客業だけに一切聞こえないフリをした。評価は人それぞれである。
「これに光沢のあるネクタイとかスカーフを合わせるのはどうかしら」
「大変相性が良いと思います。幾つか見本をお持ちいたしましょう」
少しだけその場をマルティナが離れたので、ユリはススッとレンドルフに近寄ってそっと袖の辺りに触れて生地の感触を確かめた。あまり広くない試着室なので離れることも出来ず、レンドルフはそのまま硬直したように動きを止めてしまった。
「手触りもすごく良いのね。ね、レンさん着心地はどう?」
「うん…いいとは思うんだけど、サイズが、ね」
「それもそうね。じゃあこの生地でレンさんのサイズを作ってもらいましょう」
「いや、それはいくらなんでも…」
「私が欲しいの。ちゃんとしたサイズのシャツならきっとカッコいいだろうし、これならレンさんの髪色どっちでも合うよ!」
マルティナが生地のサンプルが挟んであるファイルを持って来てユリに幾つかの候補を示している間に、レンドルフは黒いシャツから自前の生成りのシャツに着替えた。やはりいつ腹が見えてしまうかとヒヤヒヤしながらユリの前に立つのは緊張していたようだ。レンドルフはホッと息を吐き出しながらきちんと上まで留まるボタンに安心感を覚えたのだった。
「ねえ、私はこれとこれがいいと思うんだけど、レンさんは好きな色とかある?」
着替えて試着室から出ると、ユリは片手に一つずつサンプルの生地を手にしていた。一つは光沢のあるブルーグレーの厚みのある生地で、もう一つは薄手のとろみのあるような生地で、地の色は濃いピンク色のようだが光の当たる部分は淡い金色に見える。厚手の方はネクタイに、薄手の方はスカーフにしてはどうか、と既にユリは決めているようだ。新素材のシャツは黒なので、どんな色も合いそうだった。
「どっちも良さそうだと思うよ」
「そうよね!じゃあマルティナさん、あの黒の生地でシャツと…」
「こちらの生地で女性用の服は作れますか?」
レンドルフはユリが持っていた生地の薄手の方を軽く手に取って、マルティナに尋ねた。
「ええ、こちらはブラウスなどにもよろしいですよ。お嬢様のものをご希望ですか?」
「はい、お願いします」
「ちょ…レンさん!?」
「この色、ユリさんに似合いそうだと思って」
「でも…」
「俺が欲しいから」
「う…」
先程言ったことをそのまま返されて、ユリはそれ以上続けられなかった。
結局また互いに服を贈り合う形になってしまった。ユリとしてはどちらかと言うとレンドルフに贈られることが多いのでお返しがしたかったのだが、作戦は失敗に終わった。レンドルフもユリからいつも無償で粉末出汁やスープの試作品を貰っているので、きちんとお礼をしなくてはと思っていた。似たもの同士の思考回路なので、ついお互いに贈り物をし合ってしまうのだ。
ある意味片方が注文すれば自動的にもう一着注文が増えるので、マルティナの一人勝ちなのかもしれない。
レンドルフには紫と黒の秋物のシャツ二枚と、小物としてネクタイとスカーフを仕立て、ユリはブラウスとレンドルフのシャツと同じ黒の生地でロングスカートを注文することになった。特徴のある生地なので、着れば明らかに揃いで仕立てたとすぐに分かるだろう。まだ今は少し気温の高い日もあるが、出来上がる頃には着て出掛けるには良い季節になっている筈だ。
「どこに行く時に着ようかしら。折角ならレンさんと合わせたい…んだけどな」
「うん、そうだね。ユリさんはスカートだから、ノルドに乗って行くようなところじゃない方がいいな」
二人はしばらく考えて、同時に口を開いた。
「「水族館」」
いつか行こうと言っていたのにタイミングが合わなくて行けていなかった場所の名を揃って挙げた。二人は顔を見合わせて、思わず吹き出していた。
「いつにしようか。レンさんはもう王城に戻るんだよね。引っ越しして少し落ち着いてからの方がいいよね」
「向こうの任務の状況がどうなってるかの報告書は貰ってるし、休みの予定なら分かってるから大丈夫だよ」
「そうなの?じゃあミキタさんのお店で食べながら予定決めよっか」
「ああ。そろそろ空いてるかな」
「ランチ、楽しみね」
どちらともなくごく自然に手を繋ぐと、お互い寄り添うようにして商会を後にしてミキタの店に向かう。その距離は以前よりもずっと近くなっているのだが、二人にはあまり自覚はないのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
昼時も大分過ぎているので、ミキタの店の前には待っている客はいなくなっていた。まだランチメニューを描いた看板が出ているところを見ると、幸い完売にはなっていないらしい。今日のランチメニューは「特製ソースのカツレツと野菜のチーズ焼き」となっていた。チーズ好きなユリはそれを見ただけで目を輝かせていた。
「いらっしゃい。おや、今日はお揃いだね」
「こんにちは!まだランチありますか?」
「大丈夫だよ。じゃあランチでいいかい?」
「「お願いします」」
店に入ると、すっかり顔を覚えている常連が三人だけになっていた。レンドルフとユリはそちらにも軽く挨拶をして、いつものソファ席に腰を落ち着けた。
「今日はカレーもあるんですか?」
「特製ソースがトマトガーリックとカレーの二種類なんだ」
店内に入ると、カレーの香りが充満していた。今日は混雑していたのはきっとこのせいだろうと予測が付く。このスパイスの利いた複雑で香ばしい匂いの前にはなかなか抗えない。以前にレンドルフがカレーを食べた時は、早々に売り切れていた。
いつものようにミキタは水の入った瓶とコップを置いて、ランチのセットになっているスープとパンの籠をテーブルに並べて行く。今日のスープはカボチャとベーコンのミルクスープのようだ。ゴロゴロとしたカボチャがよく煮込まれてスープに少し溶け出しているので、ミルクの色が鮮やかな黄色になっている。
「どっちにするかい?」
「俺はカレーでお願いします」
「はいよ、ユリちゃんは?」
「う、うう…トマト…カレー…」
トマトも好きなユリは、かなり真剣に悩んでいた。他のソースなら迷わずトマトだったが、この魅惑のカレーの香りがユリの胃袋を掴んでいる。昼食のソースに迷っているとは思えないほど悲壮感漂う表情で頭を抱えるユリに、ミキタは少しだけ眉を下げながら「仕方ないねえ」と軽く笑った。
「じゃあカツレツの端と端に両方のソースを掛けてあげるよ。この前のオムレツみたいにね」
「是非!ありがとうございます!!」
「ああ、レンくんの方もそうしてあげようか?」
「お願いします」
パッと顔を明るくして何度も頷くユリを見て、ミキタはチラリとレンドルフにも視線を送って同じように笑った。どうやら無意識ではあったが随分羨ましそうな顔をしていたらしい。レンドルフも頷くと、そのやり取りを聞いていた常連達も「いいなあ…」と割と大きな声で呟く。
「はいはい、食べかけでも追加で掛けるよ!ただし、そこのカウンターに自分で皿持って並びな」
「何かごめんなさい」
「いいよ。もうお昼も終わりに近いからね。余っても困るだけだ」
すまなさそうな顔をするユリに、ミキタは軽くウインクで返してキッチンに戻って行った。戻って行った先には、残っていた常連三人がワクワクした様子で皿を持って並んでいた。皿の上にはもう殆ど残っていない者もいたが、ミキタは笑いながらソースを追加していた。この店はギルドの裏手にある目立たない場所で、来る人間はこの街で働いているか住んでいる人間が大半だ。小さな個人の店なのでミキタの裁量で好きにしているし、客もそれを分かっている。
しばらく待つと、出来立てでソースの掛かっていない衣がまだ微かにチリチリと音を立てているカツレツと、器の端のチーズがフツフツと盛り上がっているチーズ焼きが乗った皿が運ばれて来た。カツレツ用の薄い肉が大きな皿からはみ出さんばかりに鎮座している。ひょっとしたらユリの顔よりも大きそうな肉には、両端に二種類のソースが掛かっていた。そしてユリには一枚、レンドルフには二枚の肉が出される。
「有料になるけど、おかわりはまだあるからね」
「はい、ありがとうございます」
見た目は大きいが薄めの肉なので、レンドルフとしてももう一枚くらいは追加出来そうだった。それを見越してかミキタが先に言ってくれるのはありがたい。
「「いただきます」」
レンドルフとユリは、合わせたわけでもないが弾むような声で揃ってそう言ったのだった。