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324.出向最後の休日


レンドルフが駐屯部隊の出向を終える二日前に、先日の休暇を人助けに使ったのだから、とステノスから午後に特別休暇を出された。それが前日のことだったので、駄目でも仕方がないとユリに少し会うことが出来ないか伝書鳥を飛ばしたところ、合わせて休みを取るという返答がすぐに送られて来た。何だか予定を変更させてしまって申し訳ないような気がしたが、レンドルフはユリに会える嬉しさの方をつい優先してしまった。


急な予定なので特にどこかに出掛けることはせずに、いつものミキタの店でランチを食べてからエイスの街を散策しようということになった。そろそろレンドルフの伝書鳥が少なくなっているので、注文しておくのも良いだろう。


細かい荷物はほぼ王城の団員寮に送ってしまったので、身の回りの必要なもの以外残っているのはレンドルフ専用の特注ベッドと観賞用の吊り下げ型鉱石蔓草、文具程度になっていた。もともとそこまで荷物は持ち込んでいなかったが、全く寂しい様相になっていないのは前の部屋の使用者が勝手に備え付けた無駄に豪奢な家具のせいもあるだろう。何となく落ち着かなかったので寝室にあった動かせる家具は使用していない隣の部屋に押し込んでいるので、引き払う日に元に戻しておかなければならない。



この駐屯部隊に出向になったのは夏の初めだったが、色々あってもう季節も移り変わっている。夏場は蒸し暑い中心街の最も中央にある王城にいるよりは、少しだけ気温と湿度が低いエイスの街で過ごせたことは幸運だったかもしれない。それにユリが誘拐される騒ぎが起こった時は、こちらに来て初日のことだった。そのタイミングでなければレンドルフが救出に加わって、誰よりも早く彼女の身柄を保護することは出来なかっただろう。本来は他の任務で呼ばれた筈なのでこんなことを思うのは良くないのは分かっているが、もし王城にいたら他の任務を放り出してでもユリの救出に向かっていたのは確実なので、下手をしたら騎士団を辞めさせられていたかもしれない。そうなったとしても全く後悔する自分の想像はつかないが、真っ先に送り出してくれたステノスに感謝しなければならない。


(明日はどこに行こうか。フェイさんとステノスさんへのお礼は酒で大丈夫だから、伝書鳥を買うついでに一緒に選んでもらおうかな)


レンドルフの倒した魔獣を解体して魔石をギルドに運んでくれたフェイへのお礼はどうしたらいいかと考え、ユリに彼の好物を知っていたら教えて欲しいと聞いたところ、そこまで強くはないがエールが好きだと教えてもらったのだ。


ユリから貰った手紙には、明日渡したいものがあると記されていた。レンドルフはきっと先日試作品を送ってもらった牡蠣のミルクスープの粉末だろうと思うと、自然に頬が緩んでしまう。同封してあったスープの説明に急いで湯を沸かして溶いたところ、もう香りだけで美味しいことが確約されていた。そして予想通り深い牡蠣の滋味に、溶け込んだ根菜の味わいとミルクのまろやかさが口の中に広がって、レンドルフは送ってもらった分をあっという間に全部食べ尽くしてしまった。最後の一杯は無くなってしまうのが惜しくて多めに湯に溶いて量を多くしてみたのだが、当然のようにただ味が薄くなってしまって大分ガッカリしていた。そしてその美味しさを一刻も早く伝えようと、レンドルフにしては珍しく勢いで二通目の手紙をしたためたのだった。それから少し冷静になった時には既に伝書鳥に託した後で、レンドルフがしばらく頭を抱えていたことは絶対にユリには知られたくない事案だ。


(それならユリさんにもスープのお礼をしないとな)


明日買い物に行くところは幾つもの商店が入っている大きな商会だ。それこそ以前ユリに贈った珊瑚の髪留めや、揃いで作った手袋などもそこで買い求めている。レンドルフは今度は何を贈ればユリに喜んでもらえるだろうか、と頭を悩ませていて、危うく食堂がしまりそうな時間になっていて慌てて駆け込む羽目になったのだった。



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翌日、エイスの街の中心には駐屯部隊の敷地から徒歩でも行ける距離だが、レンドルフはわざわざノルドに騎乗して行った。気付け替わりに胡椒とトウガラシ爆弾を喰らったノルドの機嫌を取る為に、好物のカーエの葉を20枚調達する約束をしていたので、カーエの木が生えている街の預けどころまで連れて行くことにしたのだ。よく考えれば、その後訪ねた研究施設にもカーエの木が生えていてそこでノルドは届くところの葉を全て食べ尽くしてしまっていたのであるが、レンドルフは律儀にも約束は約束と連れて来たのだった。


「お久しぶりですね!」

「ああ、そうだな。またよろしく頼むよ。それから、ノルドにカーエの葉を20枚食べさせると約束してしまったので…木に影響のない範囲で頼めるだろうか」

「お約束、ですか?」


レンドルフが預け所に行くと、すっかり顔見知りになったそこで働いている少年ノエルがすぐに出迎えてくれた。このノエルがノルドにカーエの葉の味を覚えさせた張本人なのだ。スレイプニルと約束というのがいまいちピンと来なかったのか目を丸くしていたが、特別料金としてレンドルフが銅貨を数枚手の上に乗せるとたちまち笑顔になった。


「毎度ありがとうございます!きちんとお預かりします!」

「頼んだよ」


もう分かっているノルドは、ノエルが手綱を引くよりも早く率先して勝手に奥の馬場へと入って行った。その姿をレンドルフは苦笑しながら見送ると、ユリとの待ち合わせ場所へと踵を返した。



ユリとの待ち合わせはギルドの前だった。ユリは馬車で来るので、広い馬車留めのあるギルド前が丁度良かったのだ。それにランチ予定のミキタの店はギルドの裏手の道を隔てたすぐの場所だ。ギルドの正面に設置されている時計を見ると、大分早く到着してしまったようだ。季節は夏も終わりに近く随分過ごしやすくなってはいるが、やはりまだ日当りの良いところにいると軽く汗ばんで来る。クロヴァス領特製の香水は付けて来ているので大丈夫だとは思うが、それでもユリと会う前に汗臭くなるのは避けたい。ギルドの中に併設されているカフェに入ろうかと考えていると、建物の中から見覚えのある人物が荷物を抱えて出て来るところだった。


「あれは…」

「あーっ!あんたは!」


レンドルフがその人物に気付くのと同時に向こうもレンドルフの存在に気付いたらしく、少々大仰なほどに驚いた様子を見せた。その人物は、レンドルフが研究施設まで移送したダリウスと同じ顔をした妹のマギーだった。彼女は魔核を提供した側だったが、見たところ非常に元気そうに思えた。マギーは採水地での調査中と治癒院で騒動に巻き込まれた時の二度顔を合わせただけだったが、無事に過ごせているようでレンドルフはホッとした気持ちになった。


「あ、あの!」


マギーは両手に何か沢山入った手提げをぶら下げたままレンドルフに駆け寄ろうとしかけたが、滑ったのか左手に持っていた手提げが彼女の手から抜け落ちた。レンドルフは咄嗟に数歩駆け寄って、地面に落ちる前に両手でその手提げを受け止めた。歩幅の大きなレンドルフだったので、どうにかギリギリ間に合った。


「あ、りがとう、ございます」

「落ちなくて良かった」


手提げの中には食材が入っていたので、落ちていたら中の物が散らばっていたかもしれない。間一髪間に合って良かったとレンドルフも安堵の息を吐いて、彼女にそれを手渡そうとした。が、伸ばされたマギーの手の動きがぎこちないことに気付いて、サムに聞いた後遺症のことを思い出した。一見あまり使わないと思ってしまう小指だが、実のところ物を掴んだりするには重要な役割を果たしているのは剣を扱うレンドルフはよく知っている。利き手ではなくても慣れるまでにそれなりに苦労するだろう。


「あの…?」

「良ければ運ぼう」

「え?」

「心配なら人通りの多いところまででも」


レンドルフはマギーに手提げを渡さず、ヒョイと自分の腕に引っ掛けた。そして右手に提げている荷物も任せてもらおうとそっと手を伸ばした。


「何で…」

「まだ病み上がりのようなものだろう?…君の兄上をあの場所に送り届けたのは俺だから、全く無関係という訳ではないしな。まあ…一応顔を知っている人物が困っていたら手を貸したくなるのはおかしいだろうか」

「……色々と、ありがとう、ございます」


マギーの言葉は、荷物を持ってもらうことだけでなく他の意味も含んでいるように聞こえたが、レンドルフは敢えてそれ以上は言わずにもう一つの荷物も受け取った。そちらも食材が入っていて、レンドルフからすると軽いが小柄なマギーからすればそこそこの重さだろう。

どこまで運べいいか尋ねると、街の入口で客待ちをしている馬車を拾うということだったのでレンドルフは再び来た道を引き返すことになった。そこまで遠い訳ではないので、往復してもユリとの待ち合わせ時間には十分間に合う距離だ。もしギリギリだったとしても、レンドルフには隠遁魔法があるので姿を誤摩化して屋根の上を最短で走り抜けてしまえば済む。



「今、私、ナナシさんのところで働いてるんです」

「ナナシさんの?」

「はい。ナナシさんて何でも出来るように見えて、生活力全っ然ないんですよ。だからナナシさんにはギルドから斡旋された世話係が付くんです」

「じゃあ君が世話係に?」

「まだ見習いです。先輩の女性がいるんですけど、大分お年なので私に色々教えてから引退するって…でも、すっごく元気なんですよ!私よりも!」


並んで歩き出して、レンドルフは今マギーはどうしているのか気になったが聞いていいものかと迷っていると、彼女の方から色々と話しだした。最初は遠慮がちだったが、すぐに早口でどんどんとレンドルフが聞かなくても今の状況を説明してくれた。タイミングのせいか、レンドルフと顔を合わせる時は怒ったり怒鳴ったりしている姿ばかりだったが、元来のマギーは元気でお喋り好きな性格なのだろう。


「ナナシさんは特異体質だから、魔力無しじゃないと世話係は出来ないんです。だから私が紹介されたんですけど、仕事はそこまで大変じゃないし、お給金も割といいんですよ!」


ナナシは強い特殊魔力の持ち主で、その魔力で側にいる人間に影響を与えやすい。普段は魔道具を駆使して抑えているが、絶えず装着している訳にも行かないそうだ。そこで彼の住む屋敷全体に強力な結界を張って魔力が漏れるのを抑え、彼は帰宅すると魔道具から解放されるらしい。

以前は誰にも世話にならずに一人で生活していたらしいが、自身のことにあまりにも無頓着過ぎて掃除も洗濯もしない、あまつさえ入浴も着替えも食事さえしていなかったので当時の後見人が世話係を置くように決めたのだった。その世話係はナナシの特殊魔力の影響を受けない魔力無しの人間、それも生まれつき魔力の元である魔核を持たない者が選出されていた。

マギーは一般には魔力無しと言われていたが、体内に魔核を持ってはいるが魔法を外部に発現できないタイプなだけで実際は魔力を有していた。だが兄ダリウスに魔核を移植してもらったので、今の彼女は正真正銘の魔力無しなのだ。こうした魔核の存在しない完全な魔力無しの人間はあまり多くない。だからこそギルドはマギーをナナシの元に斡旋したのだろう。おそらく世界初の魔核の移植で提供した側であるので、監視や経過観察がしやすいという目論見もあるのかもしれない。


「ナナシさんは元気?」

「多分?ほらー、あの人分かりにくいていうか、植木みたいな人じゃないですか」

「植木…」

「お掃除の邪魔になるんで、そういう時はお水持たせて日当りのいいところに置いとくんです。そうすると全然動かないでずっとひなたぼっこしてて、終わる頃には水だけ減ってるんです」

「確かに植木っぽいな」


しばらくの間任務の為に行動を共にしたナナシは、重犯罪者とは聞いていたものの淡々とした感情を表に出さない穏やかな性質のように思えた。勿論、犯罪を重ねないようにあらゆる制限や誓約で縛られているのだろうが、少なくともレンドルフには今のナナシはそこまで危険人物とは到底思えなかった。そして制限された中でも十分な実力を持っているので、マギーを傍に置いておくのは彼女の安全の為には良いことかもしれない。ギルドの方も、色々精査した上で彼女を世話係に任命したのだろう。


「その…兄上の容態は…聞いていいものかな」

「意識は戻りましたよ。でもまだちょっとぼんやりしてるから直接話せてないんですけど。それでも…もう目が覚めないって言われてたから、目が覚めただけでも嬉しい」


これから色々と検査をされて異常や不具合がないかが分かって行くのだろうが、仮に何かあったとしても意識が戻っただけでも十分な価値はあったのだろう。マギーの晴れやかな顔は言葉以上に喜びを表していた。


入口まで行くとちょうど小型の馬車が客待ちをしていたのでマギーは行き先を告げて料金を支払った。レンドルフはその間に荷物を馬車の中に積み込んで、乗り込もうとしたマギーに反射的に手を差し伸べていた。


「えへへ…こんなふうにお姫様扱いされたの初めてだ」


レンドルフはほぼ習慣的な行動だったのだが、日常的に馬車を使用している訳でもなければ名ばかりの貴族令嬢のマギーにしてみれば初めてのことだったようだ。はにかんだように頬を染めて笑うと、ぎこちなくレンドルフの手を取って馬車に乗り込んだ。


「どうもありがとう!また会うかもしれないから、その時はよろしくお願いします!」

「ああ。ナナシさんにもよろしく」

「分かった!」


扉を閉めた馬車がゆっくりと走り出すと、マギーは窓から身を乗り出して勢いよく手を振って来た。レンドルフは何だか微笑ましい気持ちでそれを見送って、手を振り返す。


まだこの先のことは分からないが、少しだけでも関わった人間が不幸にならなくて良かったとレンドルフは心から思っていたのだった。



「レンさん」

「えっ!?ユ、ユリさん」


マギーを乗せた馬車が見えなくなってからレンドルフはギルドへ戻ろうと歩きかけたとき、背後から聞き慣れた声がしてきて慌てて振り返った。見ると少し離れた場所に小さく簡素な馬車が停まっていて、その窓からユリが顔を覗かせていた。

もう待ち合わせ時間になってしまったのかとレンドルフは一瞬慌てたが、視界の端に入った時計の針はまだ待ち合わせ時間の大分前だった。


「ユリさん、到着早かったんだ」

「うん、ちょっとね…レンさん、さっきの女性は?」

「女性…あ、ああ、女性、だね。彼女は…ええと、ナナシさんのところで働いてる人で」

「ナナシさん…ああ、ギルドの斥候の…その、ちょっと、近寄れない…近寄りにくい人」


レンドルフの説明に、言葉を選びながらユリは答えた。


馬車の傍まで来たレンドルフは、ユリが馬車に乗ったままだといつもよりも顔の距離が近いことに気付いた。いつもは胸の下にあるユリの頭が今は目の高さにあって、少し頭が揺れるだけでほのかに甘い香りが鼻先に届く。


「ええと…ユリさんはギルドまで馬車で行ってて。俺は走ってすぐに行くから」

「え?折角ここで会ったんだし、このまま一緒に行こう?」

「い、いいの?」

「ギルドまで大した距離じゃないもの」


何とも見当違いなレンドルフの気配りにユリはクスリと笑って馬車の扉を開けた。ユリは今日は街の中を買い物しつつ散策なので、足首まである丈のクリーム色のチュールワンピースで来ていた。レンドルフはその足下を見て、すぐにユリに向かって手を差し伸べて「降ろすのに触れても?」と小さな声で確認を取る。もうすっかり互いに慣れた行動だ。ユリが軽く頷いて差し伸べられた手の上に自分の手を乗せると、フワリと柔らかく背中にレンドルフが腕を回して羽根のようにそっと地面に降り立たせた。


添えられたユリの手がいつも以上に力が入って握り締められたような気がしたが、レンドルフは敢えてそれには気が付かないフリをしたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


本日から短期連載(全7話)で「まんまる聖女と大盾の騎士」( https://ncode.syosetu.com/n9393ip/)を投稿しています。直接この作品とは繋がりはありませんが、最初に考えていたプロットを再構築したものです。そちらもお楽しみいただければ幸いです。

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