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閑話.ジョンソンとストライト男爵夫妻

人が亡くなる表現があります。ご注意ください。


ジョンソン


「お前さんの道は今のところ三つある」


ジョンソンがステノスにそんな風に持ちかけられたのは、捕まってからどのくらい経ったか分からなくなった頃だった。



日々似たような取り調べと、自白剤の摂取による副作用の対応で時間の感覚が無くなり、高いところにある小さな窓だけの独房では辛うじて昼夜の区別がつくくらいだった。その内に取り調べの間隔も間遠になり、何やら見慣れない役人達に囲まれて自分の罪状と服役期間を言い渡された。


ジョンソンは意識のない間から捕縛されるまで、微量ではあるが精神的に高揚しやすくなる薬物を投与され、思考が短絡的になりやすい状況だったと証明された。その薬物は治療として使用される合法なものではあるが、それを利用した闇ギルドがジョンソンにダリウスとの入れ替わりを誘導し、強引に整形を承諾させたことも判明した為、誘拐と殺人の教唆ではあるが随分罪が軽くなったと聞かされた。

それでも軽犯罪者となるので、当人の希望する場所に犯罪者の魔法紋を刻まれるのと王都からの追放、約三年程度の奉仕業務が確定した。魔法紋は犯罪者がこれ以上罪を犯さないように行動が制限される誓約魔法で、重犯罪者は目立つ場所に刻まれることが多いが、軽犯罪者の場合希望すれば見えない場所に施すことも許されている。


「王都以外の神殿に引き取ってもらい、神官長の監視下で奉仕業務に就く。まあ、浄化魔法が使えるから以前とあまり変わらない生活は送れるだろうな。場所は自分で選んでもいいし、不安なら国に斡旋してもらうことも可能だ」

「はい…」

「それから、国が運営している『闇ギルドの被害者施設』への入所、だな」


国としてもどうにか解体したい犯罪集団の「闇ギルド」ではあるが、長年その試みは成功していない。その闇ギルドに巻き込まれた被害者達の救済機関として、国内に数カ所「闇ギルドの被害者施設」が存在している。例えば両親を闇ギルドに暗殺されてしまった孤児などの完全な被害者の引き取りから、様々な理由で闇ギルドに利用されて犯罪に関わらざるを得なかった人々の更正などを請け負っている。ジョンソンは後者に当たるということで、その施設で奉仕業務をこなしながら今後の生活の基盤を整えてもらうのだ。

そこでの業務は少々厳しいものになるのだが、周囲にはあくまでも被害者という立場で、犯罪者であることは隠してもらえるのでその後の生活がしやすくなる利点は十分にある。


「そして最後は、実家の子爵家で雇ってもらうことだ」

「…え?いや、だって、そんなまさか」

「お前さんの兄貴、今は子爵家当主だな。そこから強い希望があった。もう除籍されて家族として迎えることは出来ないが、一使用人として責任を持って引き取りたいと」

「兄さんが…」

「もう姿形も変わっちまってるし、犯罪者を雇い入れることは周囲には周知される。それが弟だと知られれば他の兄妹の縁談にも影響があるだろうから、血縁者としての扱いは出来ない。しかし子爵は、それでも望んでくれれば、と言って来た。で、だ。お前さんはどうするよ?」


ジョンソンは思いもよらなかった最後の選択肢に、最初は呆然としていたが、やがてそれが冗談でも何でもないと分かると膝の上で拳を握りしめて小刻みに震え始めた。


「その…兄…いえ、子爵様に会ってお話しすることは出来ますか?」

「あー、じゃあお前さんは三番目を選ぶ、と」

「ち、違います!ただ話を聞いて、ちゃんと選びたいと」

「どうせ会えばそっちを選ぶだろ。結果が一緒なら早い方が良い」

「だって…向こうだって僕と会えば、断って来るかもしれないし…」

「希望を出して来た時点で断ることはねえよ。…行きてえんだろ?」


ステノスの言葉に、ジョンソンはグッと唇を噛んで押し黙った。その様子を見て、ステノスは返答を急かさず手元の書類を準備し始めた。



本来は、ジョンソンの選択肢は最初の二つだった。が、ステノスが特別に許可を取って彼の実家に密かに話を付けたのだ。勿論、実弟の犯罪の話を聞いて拒否されるのであれば最初から選択肢にすら上がらなかったものとしてジョンソンに二つの話を進めるつもりだった。しかし調書を読んでいると、ジョンソンにそこまでの自覚はなかったかもしれないが、彼の生家の子爵家は貴族にしては随分と仲が良かったことが伺い知れた。貧乏でほぼ平民のような暮らしの中で支え合っていたこともあったのかもしれないが、ステノスは僅かな可能性に賭けて今は当主になっている長兄に話をしたのだった。

長兄はしばらく考えたいと言って帰って行ったが、数日後にジョンソンを引き取りたいと返答して来たのだった。


ステノスが少々無茶を承知で話を通したのには、ジョンソンの診断結果があった。彼は闇ギルドで違法な全身整形を施されていて、しかも短期間だけ誤摩化されればいいと用意された捨て駒であった為、処置がひどいものだったのだ。その為、彼が成長期を迎えると同時にその体を保つことが非常に困難になるだろうという結果だった。再手術をするにはあまりにもあちこち取り返しがつかないほど変えられていたので、最も苦しまずに済む方法が何もしないという手段しか残されていなかったのだ。

おそらく早くて二、三年、長くても10年は生きられないだろうと信頼できる医師からの診断結果だった。


このことは当人には知らされないことになっている。これは犯罪者が自分の余命を知って自暴自棄になって何らかの事件を起こさないとも限らないので、監督する責任者にのみ知らされているのだ。



「……帰りたいです」

「分かった」


長い長い沈黙の後、絞り出すようにそれだけ呟いたジョンソンに、後はステノスはただ黙々と事務的に処理を進めたのだった。



とある王都から離れた小さな領地を治めているあまり裕福ではない子爵家に、一人の少年が下働きとして引き取られた。

彼は止むに止まれぬ事情で犯罪に手を貸してしまった過去があり、行き場を失っていたところを遠縁である子爵が保護したのだと周囲には伝えられた。最初は事情はあれども犯罪者ということで周囲は遠巻きにしていたが、体が弱そうな少年が必死に働いている姿を気の毒に思ったのか、一人、また一人と少しずつ手を貸すようになって行った。

そしてその中で子爵の幼い息子が彼に懐き、当主の許可を受けて仕事の合間に勉強を教える教師の真似事をするようになった。国の施策で平民向けの学校が各地に建てられ必ず通うようにとおふれは出ているものの、現実問題としてまだ地方には完全に定着しておらず、領内に学校が一つもない場所も存在していた為にどうしても通えない者もそれなりに存在していた。この子爵領にも学校はなかったので、王都の神殿で学んだ彼の知識は非常に役に立ったのだ。貴族であれば家庭教師を雇って基礎的なことを学ばせるのではあるが、貧しい田舎の子爵家にはなかなか良い教師を雇うことが難しかったこともあったので、彼が教師役を引き受けることは大変ありがたがられたのだ。

するといつの間にか領内の子供達や学ぶ機会のなかった大人達も彼の元で学ぶようになり、晴れた休日には木陰で座る彼の周囲は賑やかな笑い声で溢れるようになって行った。


しばらくして軽い風邪をこじらせて体が動かせなくなった後も、彼は辛そうな様子は一切見せずに学びに訪れた者にいつでも快く教えていた。その頃には皆が彼のことを「先生」と呼ぶようになり、始めは遠慮していた彼もその色の薄い桃色の目を細めて嬉しそうに返事をするようになっていた。


そして彼の最初の生徒でもあった子爵の息子が王都の学園に入学する年に、彼は静かに眠るように神の国へと旅立ったと言われている。



やがて学園を卒業した子爵の息子が跡を継いで領内に平民向けの学校を建設し、これまでの功績と感謝を込めてその学校に彼の名を付けるのは、もう少し先の話である。



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ストライト男爵夫妻


「如何ですかな」

「…そうですわね…前回より随分と期間が空いていますから、すっかり以前に戻ってしまっています」

「以前にだと!?」

「ええ、胃の炎症が広がっておりますわ」


ベッドに横たわる老人の傍らには、白衣を着た美しい女性が手を翳していた。艶やかな黒髪を一分の隙もなく纏めて、白粉など一切塗っていない肌は透き通るように白かった。


「すぐに普通の食事が出来るようにならんのか」

「出来れば週に一度、三回ほど治癒魔法を受ければ消化の良いものなら問題なく受け付けられるくらいに回復しますわ」

「そう何度も来られん」

「でしたら薬師ギルドで胃の炎症を抑えるお薬をいただいて症状を抑えて、王都の治癒院か神殿で治療してくださいませ」

「一気に治せんのか」

「ご隠居様の体力ですと、一度で回復させれば二月(ふたつき)は寝込みましてよ」


何とか一度で治療できないかと食い下がる老人に、彼女は困ったように眉を下げながら微笑んだ。


「ライド翁、あまり妻を困らせないでください。私の力不足で一度に治すのは厳しいんですよ」


彼女の後ろから、車椅子に乗った青年が現れた。彼も同じように白衣を纏っているのだが、細身で童顔なせいかまるで白衣に着られているように見えてしまう。実のところ彼は10年以上この治癒院の院長をしているのだが、初診の人間からは見習いかなにかに思われることはしょっちゅうだった。


「もうすぐ孫が婚約者を連れて来るのだ。だから…」

「元気なお顔をお見せしたいと?」

「ま、まあそんなところだ」

「お越しになるのはいつのことですか?」

「…10日後だ」


ライド翁と呼ばれた老人は、少し渋い顔をして視線を逸らしながら小さな声で言った。自分が無茶を言っている自覚はあるようだ。

この老人は隣の領地で暮らしている元伯爵だ。隠居して老後を領地で暮らしていたのだが、若い頃から繰り返していた胃炎が悪化して、腕が良いと評判のこの治癒院を紹介されて通うようになったのだ。もう数年通っているのだが、彼は少し回復して調子が良くなるとすぐに通院を勝手に止めて胃炎を再発させるのだ。本当は野菜をよく煮込んだスープや、蒸した魚などを食べていれば通院も殆どしなくて済むのだが、どうも現役時代の健啖振りを誇示したいらしく、来客があるたびに酒と肉を食べ続けては客が帰ると治癒院にやって来るのを繰り返していた。


「…仕方ありませんね。一日おきに五回、治療をしましょう。ただし、その間にきちんと薬師から処方された胃薬を服用してください。それから祝いの席でも煮込み以外は禁止です。そうでなければおめでたい場で痛みにのたうつ羽目になりますよ」

「うっ…しかしだな、祝いには血の滴るような塊肉を…」

「よく煮込まれていれば少しは肉も食べて良いですよ」


ニコニコと笑ってはいるが、どうしようもない圧力を感じてライド翁は仕方なく無言で小さく頷いたのだった。



海の見える温暖な気候の小さな街に、元は貴族の別荘だった建物を改装した治癒院がある。


それなりに資産家で高位貴族の持ち物だった別荘は一部は院長夫妻の居住になっているが、大半が病人や怪我人を受け入れる施設に改装されている。施設を運営しているのはストライト男爵夫妻で、夫ダリウスが院長、妻クリスティアが補佐として二人三脚でやって来る患者を診ていた。


今は評判の良い治癒院として地元の人間だけでなく、離れた土地からわざわざやって来る者もいるほどだ。しかし彼らがこの地にやって来た時は療養する側だった為に、治癒院もなかなか患者が来なくて苦労したと言われている。



魔核の移植のおかげで意識を取り戻したダリウスは片足に後遺症が残り車椅子生活になったが、しばらくして彼に強い治癒魔法が発現した。もともと聖属性であったが、彼は浄化魔法しか使用出来なかった。それが突然他の魔法も使用出来るようになったのは、魔獣に襲われて重傷を負ったせいなのか魔核の移植の影響なのかは不明だった。時折死線を彷徨うような状況に陥った人間が、違う属性魔法や強い魔力に目覚めることはたまに起こる現象なのだ。更に詳細を調べてもらったところ、ごく微弱であるが再生魔法も獲得していた。本来ならば再生魔法の使い手は神殿より聖人に認定されるのだが、あまりにも微弱であり、神殿の命で再生魔法を行使する為に必要な場所に派遣するには移動は困難であると判断されて、聖人の認定は受けないことになった。

しかしいくら治癒魔法を獲得しても残念なことに足が動かない原因は脳の方にあるらしく、いくら自分で魔法を行使しても彼の足が戻ることはなかった。


そして彼と婚約をしたクリスティアも、新たに鑑定魔法を発現していた。治癒魔法と鑑定魔法の使い手は、それぞれが揃っていることで何倍もの効果をもたらす相性の良い魔法だ。盲目となったクリスティアは人の何倍も苦労はしたがダリウスと支え合って医療を学び、婚姻後に周囲の協力を得て治癒院を開設したのだった。


とは言うものの、開院当初は自身の足も妻の目も治せない治癒士と揶揄されて、信頼を得ることは困難を極めた。しかしダリウスの養父母のストライト元男爵夫妻がやって来て、養母の難病の治療を全面的に任せることを申し出たのだ。完全な治療法の確立していない難病ではあったが、ダリウス達の治療の結果養母の症状は軽くなり、亡くなるまでの数年は苦しむことなく穏やかな日々を送ることが出来たのだった。


それを見た人々は、次第にダリウス達の治癒院を訪れるようになって行った。

更にクリスティアの父親ホライズ元伯爵もかつての伝手を最大限利用して引退した貴族の元当主などに、「観光ついでに健康診断をしてもらってはどうか」と風光明媚な自領に招待しては受診を推し薦めくれたことも大きかった。既に引退するほどの年齢なのでやはり健康を気にしている者は多く、折角招待されたので、と最初は義理で治癒院を訪れていた。そこで実際クリスティアの繊細な鑑定魔法とダリウスの強力な治癒魔法の組み合わせに感心して、当人も気付いていなかった初期の病巣などを見付けたりしたことから腕前も評価されるようになった。それに元第二王子の婚約者候補であったクリスティアは貴族の対応にも慣れていた為、貴族が療養するのに良い場所だと紹介された患者が来ることも多くなった。


すっかり常連になっているライド翁も、そうやってホライズ元伯爵に紹介された一人だった。すぐに食べ過ぎて胃炎を再発させる困ったところのある御仁ではあったが、この治癒院の後ろ盾の一人として色々と頼れる人物でもあった。



「お疲れさま」

「お義父(とう)様。お義母(かあ)様のお墓参りの帰りですのね」

「ふふふ…ティアさんには隠し事は出来ないね」

養父(ちち)上。僕らもこれから行くところでしたから」

「じゃあ私が休診の札を掛けて戸締まりをしておこう。今日は良い天気だから、ゆっくり行っておいで」


午前中の診療を終えた頃、近くの小さな家を借りて一人暮らしをしているダリウスの養父が治癒院を訪ねて来た。彼の服から普段はしない花の香りをクリスティアはすぐに感じ取って、近くの見晴らしの良い場所にある墓地に亡き妻を訪ねて行ったのだろうと察した。


「それでは行って参ります」


二人は戸締まりは養父に任せて、穏やかな日の光のもと連れ立って外出した。



「ティア、今日は海が綺麗だよ」

「ええ。光が反射しているのは分かります。それに草の香りも心地良いですわ」

「いつか、この景色を君に見せてあげるよ」


ゆっくりとダリウスの車椅子を押しながら、クリスティアは慣れた道を歩いて行く。一人の時は杖をついているが、ダリウスと出掛ける時はダリウスが彼女の杖の替わりを務めていた。


全く見えなかったクリスティアの目は、微弱ながらもダリウスの再生魔法を掛けることで今は光くらいならば判別できるくらいにまで回復していた。本当は再生魔法を私的に使用するのは禁じられているのだが、今の治癒院を開いているホライズ家の別荘の賃借料と相殺という形でクリスティアを治療し続けているのだ。しかしダリウスの再生魔法ではいつ日常生活が送れる程度まで回復するかは全く分からない。


それを分かっていてもダリウスはクリスティアに魔法を掛け続けるし、クリスティアも最期の瞬間まで見えることがなくても魔法を掛ける為に翳されたダリウスの手の温かさがあればそれで良いと思っていた。


「そうですわね。楽しみにしていますわ」



海の見える温暖な気候の小さな街では、天気の良い日に夫の車椅子を押してゆっくりと散歩をしている盲目の妻の姿が日常の風景として、人々の記憶に長く残ったと言われている。



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