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30.意地と命の天秤

戦闘あります。ご注意ください。


採水地に到着して、そこから先は馬車が入れないため徒歩で移動する。



馬に騎乗してなら行けなくもないが、案内する側が徒歩で行くので調査員の騎士達も徒歩で行くことになる。レンドルフは荷物を降ろして準備をしている間、背後で騎士達の愚痴のような呟きを幾つか拾ったが、部隊長のステノスが何も言わずに準備しているので素直に従っているようだ。



馬車から降りて来たユリ達も準備をしているが、その中にタイキの姿がないことに気付いた。


「ユリさん、タイキは?」

「…ちょっと馬車の揺れが堪えたみたい。いつもはそんなことないんだけどね。だから準備はみんなでして、せめて少しでも長く休ませようって」

「……大丈夫かな」


手早く準備を終えたレンドルフがユリに近付いて小声で尋ねると、ユリは困ったような表情で馬車の方に顔を向けた。


「揺れの他にも原因があるのかもしれないけど、今は取り敢えず案内の依頼を終えてしまいましょう」


そう言ってユリが自分の荷物を背負うと、ちょうど馬車の出入口に下ろされている幌がユラリと揺れて、中からタイキがのっそりと出て来た。その動きは気怠げで、先程ギルド前にいた時よりも更に顔色が白くなっている。


「タイキ」


その様子を見て、レンドルフは背負っていた自分の荷物を下ろしてタイキにクルリと背を向けてしゃがみ込んだ。


「レン…?」

「おぶって行く。乗るんだ」

「……断る」

「そんなフラフラで行くつもりか?危険だし、時間も掛かる」

「イヤだ」

「タイキ!」

「そんなみっともないこと()()()の前で出来るかよ!」


レンドルフの申し出に、タイキは馬車から降りてしゃがみ込んでいたレンドルフの背を押しのけるようにグイと手を掛けた。そしてそのまま横を素通りして歩き出そうとするのを、レンドルフは立ち上がってその腕を掴んだ。


「自分の意地と命を天秤に掛けるな」


タイキを引き寄せて、上から覆い被さるように顔を近付けてレンドルフは低い声で呟いた。タイキは平均よりもずっと長身だが、レンドルフの方が更に大きいから出来ることだ。普段は優しげな顔立ちのレンドルフの表情は厳しく、敢えて普段出さない威圧を掛けている。レンドルフの明らかに怒りを滲ませた様子に、掴んだタイキの腕が一瞬だけビクリと跳ねた。

しばらくタイキは上目遣いでレンドルフの視線を受け止めていたが、その予想以上に強い彼の視線にゆるゆると目線を下げた。しかしそれでもタイキの唇は強く引き結ばれていて、まだ気持ちが頑ななままなのが見てとれた。その表情に、レンドルフの顔がより一層厳しいものになる。


視線を外したままのタイキに、レンドルフはグイと襟元を掴んで再び上を向かせた。レンドルフの視界の端で、ユリがどうしていいか分からずオロオロしているのが見えたが、構わず力任せにタイキと視線を合わせるように顔を寄せる。


「お前一人の命だけじゃない。もしお前に何かあったら、みんなの命も危ないと思わないのか?……ミスキが、タイキを庇わないとでも?」

「ミス兄は…!……兄ちゃんなら…」


付き合いの短いレンドルフでも、タイキが命の危機に陥ったら皆は、特にミスキは身を呈してでもタイキを庇うのは簡単に予想がついた。クリューからタイキは拾い子であると聞いていたし、周知の事実であるなら当人達も血の繋がりはないことは分かっているだろう。しかし、そんなことは全く関係ないほどにミスキがタイキを大切に思っているのは十分に伝わっている。


さすがにタイキもそれが分かったのか、目にうっすら涙を溜めてヘニャリと眉を下げた。きつく引き結ばれていた口の端が少し震える。


「…ごめん。レン、運んでくれる、か…」

「ああ」

「すまない、タイキはバートンに運ばせてくれ。前衛の攻撃力のあるヤツが二人とも動けないのはマズい」


レンドルフとタイキが言い争っている間にいつの間に来たのか、ミスキがすまなそうな表情ですぐ後ろに立っていた。


「ちょっと冷静じゃなくなってた。レン、申し訳ない」

「…いや、俺も口出しし過ぎた。参加したてなのにな」

「それは関係ない。新人だろうが古株だろうが、言うべきことは言ってもらわないと駄目になる。…本当にすまなかった」


深々とミスキが頭を下げる。その後ろでは、バートンとクリューが少しだけ安心したような顔をしながら、こちらもレンドルフに向かって頭を下げていた。二人も騎士団、特にステノスに対しては思うところがあるようだったが、それでもミスキの態度をどうしたものかと思っていたのかもしれない。むしろずっと一緒にいたからこそ止め辛かったのではないかと思うと、あまりにも出しゃばり過ぎたのではないかと罪悪感を覚えていたレンドルフは少しだけホッとした。


「バートン、頼むよ」

「おう。タイキをおんぶするなんぞ何年ぶりじゃろうな」

「あれじゃない?タイちゃんの夜泣きが酷くて、ミスキが毎晩背中に背負ってたから寝不足でフラッフラになっててぇ」

「そうじゃった、そうじゃった!それでワシが代わったのに全然泣き止まんで、結局ミスキがおんぶしたんじゃった」

「…オレの記憶にないことを勝手にバラすなよ…」


張り詰めていた気が抜けたのか、クテリと力なくバートンに背負われたタイキが弱々しくも抗議した。



「じゃあ私、向こうの調査員の騎士様に出発するって伝えて来るね」

「ユリちゃん、お願いねぇ。でもあんまり近寄っちゃダメよ〜危ないからね〜」

「分かってますって」

「え?危ないんですか?」


タイキが素直にバートンに背負われたのを確認して、ユリがずっと向こうにいるステノス達に知らせに行った。ステノスを含めた騎士達は確かもう少し近くで準備をしていたのに、随分遠くの方で打ち合わせでもしているのか車座になっていた。いつの間にそんなに距離を置いていたのだろうかと思ったが、それよりも小走りに伝令に行くユリに掛けたクリューの言葉が気になってレンドルフは慌てて聞いてしまった。


「レンくんが心配するような危険じゃないわよぉ。ただユリちゃんは可愛いから、ナンパには注意しなさいってことよ〜」

「はあ…」


真面目なレンドルフの反応に、クリューはケラケラ笑いながら答えてくれたが、レンドルフは「やはりナンパも危険ではないのだろうか…?」と、ユリが戻って来るまで少々やきもきした気持ちになっていたのだった。



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レンドルフを先頭に、すぐその後ろにミスキ、その後にタイキを背負ったバートンとクリューが続き、一番後ろにユリがついた。本来ならば先頭と殿は危険度が高いのではあるが、ユリの後ろにはステノス率いる調査員の騎士達がいる。多少距離は空いていても、これならばユリが完全な殿になることはないのでこの配置になった。


「……何かいる」


バートンに背負われながらも周囲の気配を探知していたらしく、タイキがボソリと呟いた。


「魔獣か?」

「…多分。細かいヤツだ。けど、数が多い」


群れる小さな魔獣でこの辺りに生息するものであればそれほど危険度は高くはないが、それでも用心に越したことはない。


「上にいるか?下か?」

「下だ。跳ねてる」

「兎系か…」


ミスキが短い言葉で確認をとる。上の方にいるならば鳥かリスの系統で、どちらも臆病な為遭遇しても余程のことがない限り攻撃して来ることはない。だが地面を跳ねている兎系の魔獣ならば、肉食ではないのに好戦的な種類が多い。


「兎系でも羽毛兎(ダウンラビット)、せめてホーンラビットならいいんだがな」


こちらが風下であるし、まだどんな魔獣か判別出来ていないので、一同は少し用心しながら静かに歩を進めた。



ダウンラビットは羽毛のような毛を持った兎系魔獣で、その毛の使用用途は幅広く、寝具や冬用の衣類などに人気がある。歯と爪が鋭く縄張り意識が強いので、繁殖期などは討伐に苦労する種類だ。しかし今は繁殖期も終わっているので、刺激さえしなければ攻撃して来ることはない筈だ。

ホーンラビットは頭に角を持つ兎系魔獣で、こちらは年中好戦的だ。ただ、頭の角の攻撃一辺倒なので、数が多いのは多少厄介だがそれなりに対処はしやすい。角は薬の材料になったり、魔道具の一部として使われたりする。



レンドルフも出来る限り索敵の代わりになる身体強化魔法を強く発動していたが、まだ魔獣を確認できる距離ではなかった。だが、視覚よりも嗅覚が先の方から微かに漂って来る匂いに反応した。


「血の、匂い…?」

「血だ」


レンドルフが眉を顰めるとほぼ同時にタイキも反応した。タイキの目は虹彩が針のように細くなっている。


レンドルフが剣を抜いて身構えると、背後に居る騎士達も鞘を払った音がした。



「アーマーラビットだ」

「厄介なヤツだな。数は分かるか?」

「動きが速くて掴みにくいが…今見えてるだけで軽く20は越えてるな」


向こうから走って距離を縮めて来て、あっという間にレンドルフの強化された視覚でも確認される位置まで来ていた。レンドルフに確認を取ったミスキが軽く舌打ちをする。



アーマーラビットは、毛が固く鎧のように全身追われている兎系魔獣だ。歯や爪は鋭い訳ではないが、その固い体を活かして容赦なく体当たりをして来る好戦的な性質である。大きい個体になると、大人の男性が二人掛かりでやっと抱えられるくらいにまで育つ為、まともに攻撃を受けたら骨折は免れない。にもかかわらずその動きは兎系の中では最速を誇り、剣で斬るには固い毛に弾かれてしまうので一撃では倒しにくい厄介な魔獣だ。

通常であれば10頭から20頭くらいの群れなのだが、こちらに迫って来ているのはそれよりも明らかに多かった。



「右手の水場へ向かうぞ!」


全員ミスキの出す指示に従って、少し離れたところにある支流に向かって走り出す。本流は僅かに聖魔法の含まれる水が流れているので、弱いながらも魔獣避けの効果があるとされている。だがさすがに支流になるとその効果は殆ど期待出来ない。

しかしアーマーラビットの固い体は、いくら固いとは言え元は毛である。水や火に弱く、濡れると動きが鈍くなるため水のある場所では戦闘にならずに諦めてくれる場合もあるのだ。

本来ならば討伐対象ではあるが、まずは調査員の案内を優先する為の策を取った。


「…でかいのがいる…!」


バートンにおぶわれながら、タイキがグッと顔を上げた。


「あいつら、追われてるんだ」

「何だか分かるか?」

「…まだ分かんねえ。でも昨日のヤツよりずっとデカい」


走りながらバートンの横についてレンドルフがタイキに尋ねたが、まだそこまでの気配は察知出来ていないらしい。しかし、その状態でも巨大だというこということは分かるということは、それだけで嫌な予感しかしない。



「来た…!」


水場に到着する前に、先頭を走っていたアーマーラビットが他の者にも目視できるところまで迫っていた。その数だけで既に30頭は越えていて、更に向こうからも影が見えている。追われているようなので、正面のコースから外れたこちらは無視するかと僅かに期待はしていたが、そう上手くは運ばないようだ。


「素材が取れなくなるが、先陣の集団、少し減らしていいか?」

「出来そうか?」

「ああ」


討伐では数だけでなく、どれだけ良い状態で仕留めるかによって買い取り価格に影響する。騎士団として討伐するならともかく、冒険者はその買い取り価格が生活費に直結する。特に素材に魔石があるのとないのでは大違いだった。しかし、今はそんな選り好みが出来る状況ではない。


レンドルフの提案に、ミスキが頷いてみせた。アーマーラビットは通常であれば倒せない相手ではないが、数が多いのとこちらも万全の戦力ではない。タイキの不調に加え、背負っているバートンは身を守るだけで手一杯になる。そして出発前にレンドルフが感じた騎士達への引っかかりは的中し、動きは悪くないのだが経験の少なさから臨機応変の対処が出来ていない。放っておいても自分の身くらいは守れるだろうが、戦力としては些か不安が残る。

その上、まだ正体は分からないにしろ何かもっと厄介なモノがこちらに迫って来ている。それに少しでも備えた方がいいと互いの判断が一致する。


「任せた」


ミスキの言葉と同時に、レンドルフは足を止めてシャツの襟についていたボタンを引きちぎった。このボタンは土属性の魔石を加工したもので、平時にレンドルフの魔力を補充してある。上位の魔法を使う際の魔力の補助に使用する為のものだ。補助がなくても使用出来るだけの魔力は十分残っているが、この後のことを考えてこれを使用することにした。

レンドルフはその小さな魔石を、グッと手の中で砕いた。補充しておいた魔力がグワリと流れ込んで来て、自分の視界の端で前髪が漏れ出る魔力の影響で揺れ動いているのが映る。


「地より出て呑み喰らえ『飽食の土竜(グラトニーモール)』!」


アーマーラビットに向かって膝をついて手を地面につけ、そこから膨大な魔力を流す。レンドルフの手の平にやや不快感を伴う痺れのような感覚が伝う。



これは属性魔法の中でも最上位魔法の一つと言われる精霊獣の召喚魔法だ。

属性魔法にはそれぞれに精霊がいて、眷属として連なる精霊獣が幾つも存在していると言われている。そしてその精霊獣を自らの魔力で召喚し使役するのが召喚魔法だ。精霊獣は様々な種類がいて、召喚者の魔力量や強さによって出現する精霊獣の性質が大きく異なる。魔法を極めた者ほど目的に応じた複数の精霊獣を長時間使役出来るとされている。

しかし召喚には大量の魔力を消費し、まだ未熟な召喚者の場合は精霊獣を殆ど使役出来ぬまま出現させただけで終わることもある。ある程度実戦で使用出来るようになるには、元からの才と、それ以上の努力が必要になって来る。自在に操れるようになれば非常に有効ではあるが、そこに到達する前の不便さに使用者の少ない魔法だった。



手をついた場所を起点に、一瞬にして迫り来るアーマーラビットに向かって地面に亀裂が走って行く。


ガゴンッ!!!


鈍い音と共に、土の中から巨大な塊がうねりながら出現する。目の無い筒状の蛇のようなグネグネとする動きをしたモノで、どこが頭か分からないが口のような空洞を開くと、三度ほど体をくねらせて突進して来るアーマーラビットを地表ごと根こそぎ呑み込んで行った。それの体は薄い膜のようなもので出来ているらしく、体の中で呑み込まれたアーマーラビットが暴れているのが外側からでもハッキリと分かってしまう。少なくとも第一陣としてこちらに最も近付いていた群れはほぼ呑み込んだようだ。

そうやって近くにまで来ていた群れをあっという間に呑み込むと、その筒状のモノは出現した時と同じように体をくねらせて地面の中に消えて行った。その動きは、泥の中に棲む魚のようでもあった。


時間にしてみればほんの一瞬のことだったろう。しかし、その場に居た人々は水場に向かって走ることも忘れてポカンとした様子で立ち止まって見入ってしまっていた。

精霊獣の召喚魔法は使い手が非常に少ない。魔法を専門にしている魔法士でも使いこなせる者はおそらく全体の半数以下だ。その為、初めて見た者もいたし、更にどう見ても剣を扱うタイプにしか見えないレンドルフが使ったことに驚いたのもあったのだろう。


「何してる!」


振り返ったレンドルフが、先に水場に向かっていると思っていた皆が立ち止まっているのに気付いて思わず叱責の声を飛ばしてしまった。それにハッと我に返ったように再び走り出す。


「アースウォール!アースランス!」


向かって来る後続の群れに再び顔を向けて、レンドルフは土魔法を展開した。アーマーラビットが駆け寄って来る方向に落とし穴や壁が幾つも出現し、別の場所には地中から尖った土の槍が生えて来る。いくら魔獣とてそこまで頭は悪くないので、ただの足止め程度にしかならないだろうが、多少は時間が稼げる筈だ。本来ならば弱点である火魔法を行使出来ればいいのだが、レンドルフの制御力では動いている目標に当てることは難しい。迂闊に狙いを外して火災を誘発しないとも限らないのだ。

レンドルフ単身だけならば身体強化で逃げ切ることも可能だが、他のメンバーはそうも行かない。



「レン!」


レンドルフが何度か土魔法を放ちながら足止めをしつつ後退していると、先に水場の近くに到着したミスキが弓を構えているのが見えた。構えているのは愛用のショートボウで、アーマーラビット相手ではまず相当な強弓でないと全く通用しないが、ミスキのことだから何か策がある筈だ。

迫るアーマーラビットに背を向けて、レンドルフは一気に走って距離を開ける。あっという間に近付いたレンドルフを確認すると同時に、ミスキは複数の矢を立て続けに放った。ミスキの放った矢は、まるで意思を持っているかのように一つとして同じ方向に向かわずに放射線状に広がって飛んだ。

身体強化を掛けたレンドルフの目には、その弓同士が細い紐のようなもので繋がっているのが確認出来た。そしてその紐は湿らせてあるようで、細かい飛沫を散らせながら飛んで行く。その矢がアーマーラビットの上を通過した瞬間、空中で網のように広がり上に落ちた。


放電(スパーク)!」


網が落ちたと同時に、クリューの雷魔法が発動する。それは一番手前の弓に当たったかと思うと、そこから繋がっている網に金色の電流が瞬時に駆け抜け、網に触れていたアーマーラビットが「ギッ!」と短い悲鳴を上げて地面に倒れた。少し遅れて、その鎧のような毛並みから煙と焦げた匂いが立ち上る。

あれは濡らした網を矢に付けて飛ばし、それを媒介に感電させたのだろう。


「まだ来るぞ!」

「どんだけ来るんだ!?」


森の木々の間から、跳ねるようなシルエットがこちらに向かって来る。その数ははっきりはしないが、まだ20頭以上はいそうだった。


「ウォーターランス!」


共に来ていた調査員の騎士の中に水魔法を使える者がいたのか、別方向から来るアーマーラビットを水浸しにしていた。全身にたっぷりと水を吸ってしまうと殆ど身動きが取れなくなって、モゾモゾと這うだけで危険はほぼなくなる。ただ足止めには有効ではあるが、仕留める訳ではない。そのまま放置していると、ある程度時間が経てば水が抜けて再び動き出してしまうところが難点ではあった。


「何だ!?」


水辺に一番近くにいた騎士の一人が声を上げ、がくりと膝をついた。その弾みか、騎士の体は半分川の方に落ちそうになっていた。一瞬アーマーラビットに突き落とされかけたのかと思いレンドルフは素早く周囲を見回したが、アーマーラビットの姿は見えない。


「動くな」


その騎士の側にいたステノスが、ユラリと一歩踏み込んだ。その動きは決して速くは見えなかったのに、気が付いたら腰に差していた長剣は鞘から抜刀されてキラリと光る軌跡が振り抜かれていた。

膝をついた騎士の足元から緑色の液体がパッと飛び散って、川の方から濁ったような雄叫びが聞こえて来た。

そこにすかさずステノスが今度は川に向かって横薙ぎに剣を振る。


レンドルフの位置からは川から離れ過ぎていて水面は見えなかったが、何かがいるのだろう。再び振るったステノスの長剣の刃から緑の液体が滴り落ちた。あの美術品のように見えた彼の長剣も、思わず見惚れる程によく手入れされた美しい剣だった。全体的に少し反りのある片刃の剣で、一度ステノスが軽く振っただけで刃に付いた汚れが払い落とされ、一瞬でゾッとするような白い輝きを取り戻していた。


「カワラゥか!川から距離を取れ!引きずり込まれるぞ」


「赤い疾風」の中では最も川の側にいたバートンが声を上げた。彼の位置からは川の中が確認出来たのだろう。


レンドルフにはあまり聞き慣れない名だったが、ケルピーと似た性質を持つ水の中に棲む肉食の魔獣だと思い出した。確か緑の皮膚をした毛のない猿のような姿をしていて、南方が生息域だった為に北の辺境クロヴァス領では見たことがない魔獣だった。


「クリュー!」

「分かってる!皆、川から離れて!」


クリューはミスキに声を掛けられるよりも前に杖に魔力を流していたのか、埋め込まれた三つの魔石のうち二つが光を帯びていた。レンドルフは魔石から魔力を自分の身に補充する方法が合っているが、クリューのように魔石に魔力を流し込んで威力を上げるタイプもいる。彼女のようなチャージタイプは、発動までに少々時間がかかるが、制御しやすい小さな魔力で大きな威力の魔法を放つことが出来るメリットがある。

ステノスが最初に騎士の足を掴んだカワラゥを斬ったらしいが、まだ川の中に居るのだろう。クリューが川に向けて雷魔法を発動しようとしている。


最初に引きずり込まれかけた騎士は、どこか負傷しているのか半分川に落ちかけたままなかなか上がって来られずにいる。このままあの場から動けないままだと、クリューの魔法に巻き込まれてしまいそうだった。しかし側にいたステノスは川に向かって何度も剣を振っていて、川の中からカワラゥの攻撃を受けていてそれどころではなさそうだ。


川辺に倒れ伏している騎士は、レンドルフ程ではないがそれなりに体格が良い。自分が行って引っ張り上げた方がいいかと思ったが、向こうから走って来るアーマーラビットが相当近くまで接近して来ていた。そちらに一番近いレンドルフが戦線を離れるわけにはいかなかった。


土弾(アースバレット)!」


レンドルフは、固い土の粒を勢いよく飛ばす土魔法を放った。アーマーラビットでは一撃で倒せる程の威力はないが、広範囲の遠距離攻撃魔法なので、土ごと後方に弾き飛ばして距離を稼ぐには有効だった。


「回復薬を!」


アーマーラビットを弾き飛ばして、レンドルフはその隙に騎士を拾い上げに行こうと思ったところで、背中でユリの声が聞こえた。どこか怪我をしていたとしても、回復薬で治れば自力で上がって来られるだろう。これならばレンドルフが手助けしなくても大丈夫そうだ。しかしやはり気になってチラリと後ろに半分だけ顔を向けると、ジャバジャバと騎士に向かって頭から回復薬をぶちまけながら、彼の胸倉を掴むようにして片手で引っ張り上げているユリの姿が見えた。しかもその騎士の体は、ユリによって引き上げられている。


一瞬、何か見てはいけないものを見てしまったと思って、レンドルフはすぐに正面に向き直った。



「アースバレット!!」


今いるメンバーの中ではクリューの広範囲の雷魔法が最も効果的なのだが、今は後ろの川に向かってチャージ中なので、正面から来るアーマーラビットに有効な手段はない。レンドルフの力ならば斬れなくもないが、数の多さからあまり賢い戦い方ではない。とにかくクリューに先にカワラゥを倒してもらうまで持ち堪える必要があった。


(身体強化魔法を使えば、女性でもかなりな力が出せるからな…)



集中しないといけないと思いつつ、レンドルフはほんの少しだけ現実逃避をしながらひたすら土魔法を撃ち込んでいたのだった。



カワラゥ=河童


魔法の詠唱について

基本的に下位のものや使い慣れているものなどは詠唱は要りません。上位魔法や、あまり使用しない大技は詠唱があった方が成功率が上がりますが、急ぎの時は無い場合もあります。(名称を口に出すのは、小説的なお約束だと思ってください)

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