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323.それぞれの後日


談話室のローテーブルにカトラリーやグラスをメイド達が並べていると、氷を持ったメイドと共にユリが現れた。


「いいわ、そのまま続けて」


レンザが不在の時が多いので実質この別邸の主人であるユリに対して一旦手を止めて礼をしかけたが、それをユリの方から止めて作業を続けるように告げる。


「失礼します」

「セイシュー、お疲れさま」

「恐れ入ります、お嬢様」


セイシューはいつもあまり身なりに気を遣わず、薬草を扱うので清潔にはしているが何度も洗ってくたびれた白衣姿でいることが多い。しかしさすがに今日は少しだけ新しいシャツを着ていた。


「何だがご機嫌ね。やっぱり実験は成功したの?」

「それはもう…あー、ええと、そちらの結果は旦那様からお聞きください」


常に平常心を保っていて感情を表すことの少ないセイシューだが、部屋に入って来た時点で浮かれている空気が漏れている。あまり彼と関わりない人間には分からないかもしれないが、それなりに付き合いの長いユリにはすぐに伝わって来た。すぐに話したい気配が駄々漏れだったが、一応ユリへの報告を一番先にするのはレンザの方がいいだろうとギリギリのところで押し止めたようだ。とは言え、既にほぼ答えたも同然な反応ではあったが。


「待たせてしまったね」

「いいえ!おじい様、お疲れさまでした」

「私は立ち合っていただけだからね。ただの見物人だよ」

「また、おじい様ったら」


間を置かずにレンザも姿を見せた。もう職務から解放されて楽にしているのだが、きちんと糊の利いたシャツにベストにスラックス、上品なループタイと、そこに上着を羽織ればそのまま小さな夜会にも参加できそうなくらいに整った姿だった。ユリの記憶にある限り、レンザが着崩れた姿でいるのは見た覚えがないほどだ。


三人がソファに腰を下ろすと、談話室では小さな祝宴が始まった。


「今日は誰か訪ねて来た者はいなかったかい?」

「はい。今日は一日調薬室で作業していましたが、いつもと同じ静かな日でした」

「それは重畳」

「その…おじい様の方は大丈夫でしたか?」

「ああ、そうだね。ひとまずは素晴らしい結果だった、と言うべきかな」


まだユリには重要な医療実験があるとだけしか伝えていなかった。



医療や医薬に特化した家門のアスクレティ大公家で、あらゆる病気や怪我などを治療する為に尽力していることは有名ではあるが、その反面決して表には出せない裏の部分もある。解毒薬を作る為にまずは毒の研究をしなければならないこともあるし、その為には被験者が必要なこともある。その対象は死罪に相当する罪人などではあるが、場合によってはまだ死罪の方が救いがあることも多い。だが多くの民に救いをもたらすには、どうしても避けられない犠牲なのだ。だからこそ王家に次ぐ権力と莫大な資産を持つ大公家がそれを引き受けることにより、犯罪ではなく大義へと昇華している。

先頃ユリも巻き込まれたサマル侯爵家元嫡男の連続誘拐殺人事件で、目を覆いたくなるような残忍な行為が行われていたことが発覚したが、大公家とて似たようなことは行っているのだ。ただそれが個人の欲望として実行したか、今後の医療発展の為の貢献に繋げるかの差だ。


ユリも詳細はともかく、大公家が関わっていることに付いてはある程度は知らされてはいる。ただ、まだユリは大公家後継者候補の一人なので全てを知らされてはいない。レンザ自身があまりユリに語りたがらないということもあっただろう。



「まだ国に報告を上げる程の成果ではないので、当分はアスクレティ家の一部の者だけが知ることになるだろうが、ユリにも知らせておいた方が良いだろうね」

「…よろしいのですか?」

「ああ。ユリも全く無関係ではないし、レンドルフ君も関わっているからね」

「え…!?あ、あの、それは」


思いもかけずにレンドルフの名を出されて、ユリの顔色がサッと変わった。その分かりやすい反応に、レンザは少しだけ眉を下げて宥めるように隣に座るユリの肩を軽く叩いた。


「被験者を安全に施設に案内する役割を頼んだのだよ。彼は信頼に足る人物のようだからね」

「そ、そうですか…そうですよね」

「彼はきちんと依頼に応えてくれたよ。今度何らかの形で礼をしないとね」

「はい…」


いつか話すと決めているけれど、ユリが大公女であることはまだレンドルフには伏せていたい。ユリは何とも複雑な気持ちで頷いたのだった。



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目を開けると、自分の顔が見えた。


「ダリウス!ダリウスが…ダリウスがあぁぁぁっ!!」

「ちょ…ちょっと落ち着きなさい!」


ダリウスは耳元で大音量で叫ばれて顔を顰めかけたが、酷く体が重くてそれすら億劫に感じられた。取り敢えず考えがまとまらないので静かにして欲しいと願っていると、その声は誰かに遠ざけられたのかどんどん小さくなってやがて消えた。


「分かりますか?気分はどうですか?」


今度は耳元で柔らかい声が聞こえた。少し低めの女性の声だった。ダリウスはよく分からないけれどひとまず返答しようとしたが、喉の奥に何かが貼り付いているような感覚がして上手く声が出ない。水を貰いたいと思ったが、それを伝えることも出来ない。


「声が聞こえているようでしたら、瞬きをしてください」


同じ調子で穏やかな声が聞こえた。その声は何も出来ないダリウスに失望している様子も、何か困っている色もないように感じられて、ダリウスは一つ、ゆっくりと瞬きをした。それが相手に伝わったのか「ああ、成功です」と喜んだような声が続いた。



それからどのくらい時間が経ったのかダリウスには分からなかったが、周囲にはいつも数人の人がいて、ダリウスの体に触れたり口元に湿らせた綿を添えてくれたりして、何か手厚く世話をされていることは分かって来た。そしてそれが少しずつハッキリと分かるようになって来た頃、ようやく声が出せるようになった。


「貴方は一年以上眠ったままだったのです」


最初に聞こえた柔らかな声の主は、黒髪の中年女性だと分かった。白衣を着ているので医師か治癒士だろうか。ニコリともしない真顔が常のようだったが、そこまでの威圧感を感じさせない不思議な人物だった。


「意識を失う直前の事は覚えていますか?」


そう言われてダリウスは記憶を手繰ろうとするが、思い浮かぶのは時間が定かではなく断片的なものばかりだった。


「…良い、香りが」

「香り?」

「良い香り、だけ。あの方が、好みそうだから、聞こうと」

「…そう。他には?」

「……」

「大丈夫ですよ。ゆっくりでいいのです」


一年以上眠り続けていたダリウスの体力はすっかり衰えていて、一日の中でほんの少し考え事をしたり声を出したりするだけでひどく疲れを感じた。ダリウスに話しかけて来る人物は数人いたが、皆無理はさせないように気を遣っているようだった。それでもダリウスの体は日々僅かではあるが回復をし、起きていられる時間も長くなって来た。


「…最初に見えた顔…あれはマギーですか?」


色々と混乱していた記憶が繋がりだしたダリウスは、数日経ってようやく双子の妹のことを口にした。


「ずっと貴方を心配していましたよ」

「…そうでしょうね。会えますでしょうか」

「もう少しお待ちください。何せ彼女は…元気、ですから」

「そうでしょうね」


妹の元気を通り越した性分を思い出して、ダリウスは少しだけ口の端を上げて苦笑のような表情になった。殆ど動かなくなっていた表情筋も、大分仕事をするようになっていた。まだ全身の筋力が衰えているので起き上がることは出来ないが、指先や首などは少しずつ可動域が増えているのは日々自覚できるほどだった。

しかし、その中で右足だけが全く動かないままだった。特に膝から下は触れられてもその感覚すらなかった。それを告げてから色々と診察をしてくれた医師は、おそらく最初に負った怪我の後遺症で、このまま治ることは難しいだろうという診断結果を出した。


それを聞いたダリウスは、僅かばかりの失望はあったが思ったよりもすんなりと受け入れていた。今は他のことで手一杯で理解するだけの余裕がないのかもしれない。


それからダリウスは周囲の言うことを素直に聞いて治療やリハビリに協力したおかげか、わずかひと月後には元々行く予定だったホライズ伯爵家の領地へと旅立ったのだった。



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ダリウスを移送するという内密の任務を終えた翌日、やはり朝からギルドに呼び出されたレンドルフはすっかり馴染みになってしまったギルド長の執務室で用意してもらった軽食を摘んでいた。

ちょうど食べ終えて紅茶を飲んでいると、今日はギルド長グランディエではなく副ギルド長サムが片手に書類を抱えて現れた。


「おはようございます。お待たせしました」

「おはようございます」

「本日はギルド長は急遽不在となってしまいました。申し訳ありません」

「いいえ。お忙しいところお時間を取っていただきありがとうございます」


レンドルフは昨日の時点で簡易の報告書はギルド宛てに送っていた。それと共に、補足説明が必要であれば出来れば駐屯部隊に出向中にお願いしたい、という旨の手紙を付けていたのだが、早速翌日の朝一でギルドから報告要請の呼び出しが掛かったのだ。部隊長のステノスも、今日の予定はレンドルフがギルドに赴いても問題ないように取り計らってくれたので、すぐにギルドに来ることが出来た。

駐屯部隊とギルドは良好な関係を築いておいた方がいいので、余程のことがない限り要請が来れば優先的に依頼を受けるのだ。特に中心街ではないギルドは各ギルドの総合窓口になっているので、連携しておかないと色々と支障が出る。


「それでは、こちらがまず今回の報酬です。魔獣討伐もありましたので、そちらも加算されています」

「…随分多くないでしょうか」

「この辺りにはいない緑青(ろくしょう)猿の魔石がありましたから。稀少な緑属性の魔石を持つ魔獣なので、買い取り額も高額になります」

「しかしそれは…」

「代理の方が緑青猿とフォーリハウンドの魔石を持ち込まれました。フェイルフォン・ブライ様、と言えばお分かりになるとのことでしたが」

「フェイさんが…」


レンドルフはダリウスを目的地まで運ぶことを最優先にしたので、あのとき倒した魔獣はそのままにしていた。魔獣が出る深度の場所ならば屍骸が新たな魔獣を呼ぶこともあるので地中に深く埋めて聖水を掛けておく処理が必要だが、遭遇した場所は魔獣が出ない場所だったし、街道から離れているのでまず人も通らない。その為レンドルフは一旦そのままに捨て置いて、帰りに埋めて行こうと思ったのだ。しかし任務を済ませて帰り道に寄ったものの、既に誰かの手によって屍骸は処理されていた。レンドルフの魔法の跡も綺麗にならされていたので、誰かが埋めてくれたのだろうと思ったのだ。その誰かが手間賃として素材を持ち帰ってしまったとしても別に構わないと思っていたので、まさかフェイが届けてくれていたとは予想していなかった。

自分の手柄にしても良かったのにわざわざ解体して届けてくれたのだと思うと、レンドルフは今度会った時か、ユリにでも聞いてフェイに何かお礼をしようと考えたのだった。


「あの…それで、その、移植の結果をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「やはり気になりますか」

「そうですね。もし守秘義務があるのでしたら無理にとは」

「また誓約を結んでいただくとこになるのでもよろしければ。まあ私もそこまで詳細を知らされている訳ではありませんが」

「お願いします」

「結論から申しますと、移植は成功したとのことです」

「!」


レンドルフはサムの言葉だけでも、それこそ歴史的瞬間を目の当たりにしたような気持ちになって、思わず息を呑んだ。



ダリウスとマギーの魔核の移植は、大きな問題もなく終了した。

術前と術後の変化を確認する為に入念な鑑定が行われた。魔核は実体がないため鑑定魔法でも所在が掴めないのだが、その周辺に何らかの変化があると予測を立てて、かなり高度な鑑定魔法の使い手を三名立ち合わせたそうだ。

その結果、脳内の血流に一部変化があったことが分かった。その場所は脳の最も奥、視床下部に、魔核を移植されたダリウスは僅かに血流が増え、マギーは逆に減った。しかしこれはまだ最初の一例であって、人によって変わるかもしれない。これは今後も機会があれば調査を重ねなければならないだろう。

今回の移植で最も得られた成果は「魔核は神の領域ではない」ということだった。脳や、子を成す為に必要な器官は欠損してしまうと、再生魔法も、ましてや移植でも元に戻すことが出来ない。そこは人が手を出しては行けない場として、いくら手を施しても欠損した部分は正しい機能を持って再現できないのだ。もし魔核もそうであるなら何らかの不具合があるかもしれない。しかし今のところは、移植した魔核は本来の役割を果たしているようだった。


「まだダリウス男爵令息の意識は戻っていないようですが、鑑定では異常なしです。マギー嬢は…早めに目覚めて…一部、不具合が自覚できると」


マギーが自覚できた不具合は、左手の小指が動かないことだった。それを中心に麻痺しているらしく、感覚はあるものの薬指と中指も動きが悪くなっていた。他にまだ自覚のない不具合があるかもしれないということで、現在は経過観察となっている。それから当人は全く影響がないらしいが、左の目の一部の色も変化していた。彼女のピンク色の瞳の中に、モザイクを一片だけ貼り付けたような青い色が存在していた。入念に検査を繰り返したが、視界や視力に変化はないようだった。


「もともと、何らかの不具合が出ることは想定されていましたし、当人にもその旨を説明して納得した上での移植でした。むしろその程度で済んだことの方が僥倖でしょう」

「…そうですか」


その後ダリウスは容態が安定したら、最初の予定通りホライズ伯爵家の領地に娘クリスティアの婚約者として引き取られることになる。マギーは当分様子見の為もあってギルドで預かるそうだ。


「兄妹を引き離すのは可哀想ですが、さすがに兄の婚家に着いて行く訳にも行きませんしね。それに彼女は神殿の一般人は立入り禁止の区域に忍び込んで、廃棄予定とは言え保管してあった聖水を勝手に使ったという事実がありますので」


不正販売を目論んだ訳ではないので犯罪として経歴に記されることはなかったが、それでも厳重注意と一定期間信頼おける機関の下で監視という処分が下った。その監視役としてもギルドが最適だったのだ。


「今回の件は、クロヴァス卿の働きのおかげで無事に終えることが出来ました。ギルドを代表してお礼を申し上げます」

「恐れ入ります。…その、当初の依頼の方はあまり役に立てませんでしたが」

「そちらに関しては、こちらの予想を越えた部分でしたから…それに、おそらくもう二度とあの魔道具が使用されることはないでしょう」


サムがレンドルフに深々と頭を下げた後、そっと声を潜めてそう呟いた。


元々レンドルフがエイスの駐屯部隊に出向して来たのは、禁輸の魔道具の回収と使用者の解明だった。しかし振り返ってみれば、一部の神官の不正摘発と、魔核の移植という違う案件に変わっていた。全く繋がりがない訳ではないが、最初の魔道具の案件はどこか有耶無耶になってしまっていたのだ。


「ずっと上の方で魔道具は極秘裏に回収、処分されたそうです。使用した犯人は…どうなったかはこちらでも分かりませんが、何らかの処罰は受けたかと」

「そうですか」


短い期間ではあったが近衛騎士団副団長として多少は中央政治を垣間見ていたレンドルフは、そうやって表には出せずに密かに手を回して終息される事案が幾つもあるのは知っていた。今回の件も、迂闊に犯人を特定してしまえば周囲に大きな影響を及ぼすとして秘されたのだろう。

多少スッキリしない思いではあるが、それでもこうして任務は完了して一定の評価としての報酬も得られたので、レンドルフはそこを落としどころとした。大変な目にも遇ったが、その分臨時収入として思ったよりも高額な金額になった。


(これで何かユリさんに贈ろうか…いや、その前にステノスさんやフェイさんにお礼の品を…)


ギルドを出る頃にはレンドルフもすっかり切り替えて、報酬を何に使おうかと考えながら帰路についたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


一応これでレンドルフの出向編は区切りとなります。関わった人達の後日談は次の閑話にて。

これからもまだ続きますので、よろしくお願いします。

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