表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
357/624

321.薬師の覚悟と騎士の覚悟


「ユリさんの先生でしたか。ユリさんにはいつも助けられています」

「いやいや、お嬢様が優秀なんですよ。ええと…レン様、とお呼びしても?」

「敬称は要りませんよ」

「いえね、僕は生まれが平民の研究バカでして。程良い距離感と敬語いうのがどうにも苦手なものですから、それならいっそ全員に敬称を付けてしまえばいいんじゃないかと過ごしていたらすっかり癖になっているのです。どうぞ、レン様、と」

「はい、そういうことでしたら」


レンドルフは以前ユリに優秀な薬師が師匠として付いていると聞いたことがあった。それほど優秀な薬師ならば、貴族との関わりも多くなる筈だ。レンドルフとしては別段気にならなかったが、貴族によっては言葉遣いをとやかく言う者もいるだろう。何となくセイシューなりの不器用な処世術だと理解した。


「やはりユリさんは優秀なのですね」

「ええ、それはもう。あの知識の深さと記憶力は御祖父様譲りでしょう。ただ、知識が多過ぎて応用が苦手ですが、これから経験を積めば問題はないかと」

「知識が多すぎるのに問題が?」

「選択肢が多すぎるのも、迷いの元ですから。薬師は…命に直接関わる者は、迷ってはならない場面に必ず遭遇します。そこでどれだけ薬師として正しい選択が出来るか、が()()()資格を得る為の必須条件です」


セイシューはにっこりと笑って「騎士(あなた)様も同じでしょう?」とレンドルフに尋ねた。


レンドルフは騎士の世界、それも近衛騎士であること以外を知らなかった頃、護衛対象を守ることが絶対の使命だった。たとえ自身の伴侶や家族が人質に取られたとしても、命を受けた主人を守り切る為には自らの手で引導を渡すとこも厭わないと教えられる。それが出来なければ、最初から近衛騎士に選ばれることはないのだ。

かつての上司であった近衛騎士団団長ウォルターは妻とひとり娘を溺愛しているが、もし娘が人質に取られて替わりに国王を害するようにと命じられても、彼は迷わず国王側に付くのは容易に想像が付く。


勿論その自己犠牲が騎士の全てではないし、強制されるものではないことはレンドルフも理解している。けれどやはり騎士として選択をしなければならないことはあるのも分かっていた。


(もう俺は近衛騎士には戻れそうにないな)


元々あれだけの騒ぎになってしまったレンドルフに、戻れる選択肢は存在していないのは承知していた。副団長に上り詰めるだけの努力を惜しまないでいた場所に未練がないと言えば嘘にはなるが、レンドルフは今の立場をもう手放す気はない。万一何らかの奇跡でも起こって元の場所に戻れると言われても、きっと断るだろうとレンドルフは確信していた。もう自分は近衛騎士に最も必要な資質を失っているのだから、と。


「とは言っても、迷わなさ過ぎも良くないのですがね。難しいところです」

「規定で線引き出来るものではないですからね」

「やはり騎士様も()()()職業ですね」


つい甘い味だったからか、すぐにカップを空にしてしまったレンドルフにセイシューはすぐにおかわりを注いでくれた。フワリと鼻先をくすぐる甘い香りが心地好く、道中色々とあって固くなって来た体がほぐれて行くような感覚がした。もしかしたら使用している薬草にそんな効果があるのかもしれない。


「その…セイシュー殿はユリさんの先生になって長いのでしょうか」

「そうですね。お嬢様は僕の最初の生徒で、五年近くは教えています。資格取得まで面倒を見る契約ですから、あと数年はご縁があるでしょう」

「そんなに何年も…難しい資格なのですね」

「医師と薬師は属性に関係なく魔法さえ使えれば取得できる資格ですから、挑戦する者が多い分狭き門になるようです。それに、両者とも知識だけでなく精神面も重視されるようになってから特に厳しくなりました。…まあ、主に僕のせいなんですけど」

「…はい?」

「僕があまりにも迷わなさ過ぎて死にかけまして。それでお国の偉い方も頭が良いだけではなく他の部分も重要だと気付いたらしくて」


セイシューは話の内容とはそぐわないくらいの軽い様子で、死に戻りの色をわざわざレンドルフに示すかのように自分の頭を撫でた。



----------------------------------------------------------------------------------



かつてのセイシューは、著しく人としての色々が欠けた人物だった。とにかく薬草の研究が食事よりも大好物で、寝食を忘れて没頭することのほうが日常という研究者だった。しかしその卓越した才と情熱の結果、難関と言われる薬師の資格試験を一度で合格し、今やこの国最大事業になった学園都市の第一期特待院生に選ばれたのだった。

そこで予算のことなど気に掛けずに手当たり次第実験を繰り返し、さすがにこれは…と学園から苦言を呈されてもどこ吹く風だった。実際、かなりの数の失敗もしたが、それ以上の成果を出しているセイシューを止められる者はおらず、やがてそれは驕りと慢心を招き、取り返しのつかない事故を引き起こした。


不幸中の幸いは、その事故で重傷を負ったのはセイシューただ一人だったことだろう。そして実験内容は危険視されて、小さなメモ書きから資料として纏めたものは全て没収され閲覧を禁止された。そこからどうにか回復したセイシューは、その際に加護無しの死に戻りとなって表舞台から姿を消した。



「死に戻った影響で魔力が安定しなくなりましてね。魔力制御は薬師には絶対に必要な能力ですから、僕は薬師も続けられなくなりました。新しい調薬を思い付いても、それを実行する術がない訳です。それを誰かに作業してもらうにしても、これまで感覚的なことで済ませて来たので伝わらない。もう完全に詰みでしたよ」


今までの成果のおかげで生活するには困らないだけの資産はあったが、すっかり生き甲斐を失ったセイシューは無気力な生活を送っていた。今思うと自暴自棄だったのかもしれないのだが、当時のセイシューは研究以外での生き方を知らなかったので、どうやってこの先過ごして行けばいいか分からなかったのだ。


その時に出会ったのが妻だった。セイシューが学園都市に来た頃にほぼ同時に入学した他国の留学生で、薬草学を学びに来ていたためセイシューの実験の助手をすることも多かった。特に親しかったつもりはなかったのだが彼女はセイシューのことを何故か心配して、卒業後も国に戻らず事故後の彼の世話をし続けた。彼女のおかげでどうにか立ち直ったセイシューはその後結婚し、長男が誕生した。


「でも妻のおかげで立ち直れましたけれど、息子とはどうにも反りが合いませんで。結局、僕と縁を切ると言って飛び出した息子に着いて行った妻とは離縁しました。それでまた再び自棄になりかけた僕に、薬師を目指す若者に専門的なことを教える教師にならないか、と話がありましてね」

「それが、ユリさんですか?」

「はい。その話を持ちかけてくれたのがユリお嬢様の御祖父様でした」



最初は、ユリに教えるならばレンザ自身か多数の薬師を輩出している家門の伝手でいくらでも優秀な教師くらい付けられるであろうに、何故色々と人として不適格な自分が選ばれたのか全く分からなかった。ただ断る前に一度会って欲しいと言われて渋々出向いた先でユリと顔を合わせて、セイシューは自分が選ばれた理由を察した。ユリもセイシューと同じ加護無しの死に戻りだったからだ。

詳しい話は聞いていなかったが、病弱で殆ど感情の動かない大公女がようやく口にした希望が「薬師になりたい」だったと言われていた。その感情のない薄い貴族の曖昧な微笑みとも取れるような表情のままの年端も行かない少女に、セイシューは全てを失った時に鏡の中に見た昏い目を重ねてしまった。


こうしてセイシューはユリの教師を引き受け、今に至るのだった。



「お嬢様は優秀ですので、後は魔力の安定と覚悟が決まれば遠くない将来受かるかもしれませんが…こればかりは誰かに教わる訳には行きませんからね」

「覚悟、ですか」

「薬と毒は表裏一体です。それを扱う薬師は、薬だけでなくあらゆる事情で毒を求められることも避けられない職業です。人によっては、救う方向だけの医師や治癒士よりも精神力が要る、と言います。もしかしたら薬師は騎士様に近いのかもしれませんね。それに薬師は繊細な魔力制御と調薬が必須ですから、どんなことがあっても冷静さを失わないことが肝要なのです」


レンドルフからすると、薬師は回復薬や傷薬などを作る職業で、人を救う治癒士や神官などと同じような立場にいる印象しかなかった。しかし少し考えてみれば、犯罪を犯した貴族が数年以内に「病死」するのに使用する毒や、事情聴取に使用する自白剤、魔獣や害獣の被害を抑える為に畑に蒔かれる毒餌なども薬師の扱う範疇に入る。毒を抽出して精製したり、用途に合わせたものを開発するのも薬師の役割だ。言われてみれば、確かに騎士の立場に近いのかもしれない。

出来ることなら楽しげに薬草の話をするユリにはそんな仄暗いことに関わって欲しくはないとレンドルフはつい思ってしまうが、それも全て承知の上で薬師を目指している彼女の夢は応援したいとも思う。何とも複雑な気分が沸き上がって来てしまった。


「そう言えば、最近お嬢様は携帯用の保存食作りに凝っているようです」

「ああ、粉末のスープなどですね。たまに貰うので助かってます」

「他にも軽くて栄養価の高いものを色々と研究していますよ。遠征用に何日も保つ物を」

「あ、ありがたいです」


ユリが薬草の採取などに出るのは、基本的に日帰りだ。定期討伐時に同行する際でも必ず日帰りが条件になっている。だからこそ、彼女が「遠征用」として作っているのは自分の為ではないとすぐに分かってしまう。それが必ずしも自分の為ではないと頭の片隅で思いつつも、レンドルフは何だかユリがそうやって自分のことを考えてくれているような気がして嬉しいのと照れくさいのと半々くらいの気持ちになって少し耳の辺りに熱を感じた。確認は出来ないが、少しばかり赤くなっているかもしれない。



----------------------------------------------------------------------------------



「ああ、最後の関係者が到着したようです」


ふとセイシューが顔を上げると、ノックもなしに「失礼します」とだけ告げて黒髪の女性が入って来た。丈の長い上着にパンツ姿の細身の女性は、エイスの街の治癒院副院長セイナだった。レンドルフも何度か顔を合わせているが、ずっと白衣姿だったのでまるで別人のような印象を受けた。


「今回はこちらの不手際でご迷惑を掛けました」

「いえ、大きな怪我もありませんでしたし、無事に令息を送り届けられて良かったです」

「感謝します。このお礼は後日」

「ギルドからの依頼…のようなものですので、お気遣いなく」


深々と頭を下げるセイナに、レンドルフは慌てて首を振る。それにレンドルフを指名してくれたのは彼女と、ここにはいない同じ治癒院で治癒士長をしているアキハなので、その信頼に応えられて良かったと伝えると、セイナはクシャリとした印象の笑顔になった。常にキリリとした凛々しいタイプの彼女だが、笑顔は不思議と幼くすら見えた。


「それでは、無事に引き渡しも終わりましたので、俺はこれで失礼します」


これから、成功すれば王家から報奨金が出てもおかしくない程の治療が行われるのだ。大筋は聞いているが部外者はこれ以上関わらない方がいいだろうと、レンドルフは残っていたカップの中身を飲み干すとすぐに席を立った。そろそろノルドもカーエの葉を食べて満足していることだろう。


「ああ、これをよろしければ」


セイシューがキッチンへ向かって据え付けられている棚から小ぶりの缶を持って来て、レンドルフの手に握らせた。


「先程お出しした茶葉です。貼ってあるラベルにレシピが書いてありますから。お茶の専門店に行けば配合してもらえると思います」

「ありがとうございます。しかしレシピまでよろしいのですか?」

「比較的簡単に手に入る物ばかりですから、そう大層な物ではありません。気休め程度ですが鎮静効果もありますので、寝る前に飲んでも影響はないものです」

「それでは、ありがたく頂戴します」


余程気に入ったのが顔に出ていたのか、嬉しい手土産をもらってレンドルフは大切にポーチの中にしまって施設を後にした。



そして上機嫌で帰路につこうと入口付近にいる筈のノルドの元へ向かったのだが、レンドルフの予想をはるかに越えた食欲を発揮していたノルドは、届く範囲のカーエの葉を全て食べ尽くしていて半分以上を丸裸にしていた。それを目にしたレンドルフは慌てて引き返して、セイシューに謝罪をすることになったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ