319.恨みを買う相手
「これを付けられたのはこっちのミスだ。治癒院の中にこれを仕掛けた者がいたらしい」
「こっちの…と言うと、フェイさんは大こ…あの医療で有名なご家門の方…ですか?」
「あー…まあ、なあ」
「ああ、それでユリさんの護衛に」
「…何でそう思う?」
「あの王城内の研究施設のトップがそのご家門の当主だというのは有名ですし、職員の安全の為の護衛を自家で手配してもおかしくないか、と…あ!詮索したらマズかったですか」
「いや…まあ大体そんなところだ」
フェイは一瞬、レンドルフが実はユリが大公家の血縁だと勘付いたのではないかと考えてヒヤリとしたのだったが、違う方向に解釈していたので胸を撫で下ろした。一応大公女は病弱で社交を一切しない深窓の令嬢という設定で世間では通っているので、ユリが元気に冒険者のようなことをしているのを知られるのはあまりよろしくない。もしバレてしまったら、と思うとフェイは背中に冷たいものが走るのを感じた。レンドルフは些細な発言に気付く辺りは油断はならないが、ユリを貴族女性とは違うと思っているので方向性がズレているのでフェイは命拾いしたようなものだ。
ユリの外見や所作は、さすがに大公女とまでは思われないが貴族じゃないかと察する者はそこそこ多い。けれどその彼女が平民のフリをしているらしいので、そこは敢えて触れないという暗黙の了解的なものが作用しているのだ。
ただレンドルフの場合は女性と接する機会が極端に少なかったのと、数少ない接していた女性が極端に振り切れていたので判断基準が大分怪しいのだ。何せ生まれ故郷のクロヴァス領では、社交界の頂点を担う一人であった淑女中の淑女の母親と、騎士出身の義姉、辺境を生き抜く女傑揃いの領民達の中で育ち、外に出るようになれば肉食系の女性に迫られる環境に囲まれていたのだ。学生時代はほぼ男性ばかりだったし、近衛騎士に就任してからは王族や異国の賓客などの最高位にいる女性ばかりが周囲にいた。
だからこそ周囲に平民の感覚を教えられて辛うじて及第点をもらっているユリのことは、裕福な平民で学者系の家なのだと思い込んでいる節があるのだ。
「あの…彼は男爵家の養子で、神官見習いだったと聞いていますが、何故狙われたのでしょう」
「すまんが俺にもそこまでは伝わってないんだ。ただ…」
「ただ?」
フェイが一瞬言葉を選ぶように視線を左右に彷徨わせた後、「俺が見た訳ではないが」と付け加えてから言葉を続けた。
「治癒院の馬車を襲った奴の中に、淡い茶髪にピンク色の目をした男がいたらしい。男…というか、少年に見える、と」
「…似てますね」
ダリウスの髪はミルクティー色をしていて、当人の目の色は分からないが双子のマギーはピンク色の瞳をしていた筈だ。そして年齢の割に幼く見えるので見た目はまだ少年と言っても差し支えない。
「そいつらは全員捕縛して事情聴取中だ。血縁なのかそうじゃないのかはまだ分からない」
「捕縛はされたんですね。それは良かったです」
「目的を大人しく吐いてくれればいいんだがな」
レンドルフは持っていた角砂糖と自分の為に持参していたキャンディまで全てノルドに奪われて、後でエイスの街で好物のカーエの葉を20枚調達を約束することでやっと機嫌を直して背中に乗せてもらった。
「フェイさんは乗りますか?」
「い、いや俺は隠れて付いて行く」
そうレンドルフが持ちかけた瞬間、ノルドはグリン、と首を回して上目遣いにフェイを見つめた。人間で言うところの睨め上げる、という奴だ。それを正面から受けてしまったフェイは、引きつった笑顔で後ろに下がり丁重にお断りしていた。普通にノルドを走らせて大丈夫かとレンドルフは心配になったが、木の上を渡って行くので問題ないと言われてしまった。
「目的地まであと少しだし、追っ手もなさそうだ。レン殿、よろしく頼むな」
「分かりました」
レンドルフは再びダリウスをしっかり抱きかかえるようにしてノルドの背に固定すると、目的地に向かって軽くノルドの脇腹を蹴った。
----------------------------------------------------------------------------------
高い場所に窓と壁に無骨な扉が一つしかない薄暗い部屋だった。その窓には細かい蔦模様の窓枠が付いていたが、これは頑丈な鉄製ではめ殺しになっている、要は見た目の良い鉄格子だった。
彼はその部屋の中央で、座り心地のあまり良くない椅子に座らされていた。手足は魔道具で拘束されていて身動きは取れず、首にも自害防止の物が嵌められている。
「そろそろ心を決めたか?」
すっかり時間の感覚が無くなった頃を見計らったのか、扉から一人の男性が入室して来た。顔の判別が付かない程暗くはない筈なのに、何故かその男の顔はハッキリと見えなかった。ただぼってりとした腹回りや動きから、何となく中年男性だということは理解した。
「素直に証言する、更に自白剤も自ら承諾すれば結構罪は軽くなるぜ。どうでぇ、取り引きと行こうじゃねえか」
「…軽くなるって、どのくらいですか」
「さあなあ。俺は司法官じゃねえしなあ。ま、全然しないよりはマシってことで!」
「すごく信用できない」
「ひでぇなあ。どっちにしろ自白剤は使われるんだから、自分から進んで希望した方が心証はいいって年長者からのありがたーい忠告だぜ」
あまりにも軽い口調で言われるので却って不信感しかないらしく、彼は眉根を顰めた。
この部屋で拘束されている彼は、治癒院から移送されるダリウスの馬車を襲撃した一味の一人だった。とても荒事に向いているとは思えない華奢で幼い風貌の彼は、レンドルフが助けに入った際に気付いた一人だけ後方に控えていた素人のような人物だった。顔を隠していたフード付きのローブは奪われ、今はミルクティー色の髪とピンク色の瞳があらわになっている。その顔立ちは、気味が悪い程ストライト男爵家の双子、ダリウスとマギーに生き写しだった。よく知る者や実際に並べてみれば多少の差は分かるかもしれないが、チラリと双子を見ただけならば「三つ子だったのか」と思ってしまうだろう。
「自白剤使った証言って、どのくらい記録されるんだ」
「そいつも審問官しだいだなあ。とは言え、洗いざらい喋っちまって、どうしても公表したくねえ事は土下座も何でもして情に訴えてみちゃどうだ?運が良ければ記録には残されるが公表は避けてもらえるかもしれねえぜ?」
「何だよ、それ!はっきりしてくれよ!」
「仕方ねえよ〜俺はただの雇われ部隊長だもんな〜。オイラに出来るのは、自白剤希望すれば良いことあるかもだけどどうする?って聞きに来る使い走りだもん〜」
このヘラヘラと軽い口調で答えているのはステノスである。馬車の襲撃は一応エイスの管轄内で起こったことであるし、中央の司法部から審問官が派遣されて来るには時間が掛かる。ひとまず駐屯部隊部隊長のステノスが事情聴取をしてある程度動機や目的などを聞き出すことはよくあることだ。勿論ステノスはきちんと報告は上げるつもりだが、こうしてわざわざ先駆けて出向いて来たのは大公家に最優先で情報を流す為でもある。ダリウスは国にも隠して行う医療実験の大切な被験者だ。その彼を狙う目的が何かを調べなければならないし、その情報が漏れていたのならそれ相応の対処が必要となる。
「…わ、分かった。自白剤を希望する」
「よしよし、偉いぞ〜」
ステノスが彼の頭に軽くポンと手を置くとあからさまに顔を顰めて嫌そうな顔をしたので、ステノスは良い笑顔で両手で拳を作って彼の側頭部をグリグリと揉みほぐしてやった。彼が後に涙目になっていたのは、自分のマッサージに感動していたのだ、とステノスは涼しい顔で語った。
----------------------------------------------------------------------------------
ダリウス・ストライト男爵令息襲撃犯の一人として捕縛された六名の中に、未成年が一人含まれていた。彼の名はジョンソンと公表されているが、家名はなく本名かどうかは定かではない。と言うよりは、彼は地方の弱小子爵家の六人兄妹の三男だったそうだが、目的の為に過去の経歴や名を抹消されているので正式な報告書には記載のしようがなかったという方が正しいだろう。
彼がダリウスの襲撃に加わった理由は、ありがちな嫉妬心からだった。
ダリウスより一つ年上で同時期に神殿に神官見習いとして入って来たジョンソンは、当初はダリウスとも親しくしていた。お互い下位貴族であったし、二人とも聖属性であるものの治癒魔法が使えず浄化魔法のみという共通点もあり話しやすかったこともあった。しかし次第に互いのことを知って行くと、ジョンソンの心の奥に染みのように凝る何かが発生し、次第に広がって行った。
ジョンソンは子爵家、ダリウスは男爵家であるが、三男と嫡男では将来的には大きく変わって来る。ジョンソンは自力で婿入り先を探すか、功績を残し叙爵されなければ貴族でなくなる立場だ。片やダリウスは孤児であるのに養子になったおかげで貴族の座が確約されている。それだけでなく、最近では妹に後継を譲って自分は資産のある家に婿入りする予定とまで言い出していた。ジョンソンからすると、その行動は理解し難く許せないことのように感じた。それならばいっそ孤児などという血筋の卑しい者よりも、自分のような貴族の子息を養子にしてくれればいいのに、と。
それならば、とジョンソンは妹に取り入れば男爵家に婿入りできるとも考えたが、調べてみるとストライト男爵は領地を持たない末端貴族で、現在夫人の療養の為に金に困っているというジョンソンにとっては全く旨味のない相手だった。しかし条件の悪さに婿を希望する者もいないだろうと、このままキープしておいて最悪爵位を貰えるだけでもいいと、ジョンソンは内心忸怩たる思いを抱えながらも縁は切らずに表面上はダリウスの友人として収まっていた。
そのうちに、ジョンソンにも好機が訪れる。王子妃候補に名を連ねている名門の伯爵令嬢が、自身の魔力が弱まっていること必死に隠しているという事実だった。ジョンソンは高位貴族出身の神官見習い達が、実力以上に魔力が強いことを誇示しようと不正に入手した強い聖属性の魔力が含まれている水を買い取って、規定以上の聖水を納品していることを知っていた。それをさり気なく令嬢本人ではなく、世話をしていて忠誠心の高そうな侍女に教えたのだ。ジョンソンの狙い通り、侍女はこっそりと父親の伯爵に話を持ちかけ、他の貴族達も関わっているからとあっさり不正に手を出した。人を傷付けたりするのではなくただ役に立つ聖水の生産量を増やすだけ、ということも罪悪感が薄かったのだろう。
ジョンソンはこれで伯爵令嬢の弱みを握った、とほくそ笑んだ。
彼女の絹糸のような艶やかな真っ直ぐの黒髪に、豊かな実りの象徴のような金茶色の瞳はどこまでも美しく、抜けるような白い肌に余分な肉はついていない華奢な肢体でありながら細い腰が強調される女性らしい曲線を描く体付きも、何もかもがジョンソンの好みだった。
頃合いを見て、彼女の実家が不正を行っていることを知っていると伝え、黙っている替わりに地位と金銭を要求するつもりだったが、美しい伯爵令嬢自身を妻にするのも悪くない、と欲が出て来た。
そこでジョンソンは自ら採水地に赴いて伯爵令嬢の為に不正をしてまで採水地以外の場所から水を汲もうとして、魔獣に襲われて怪我をしたことにしようと思い付いた。かすり傷程度が望ましいが、多少大きな怪我でも神殿がどうにかしてくれる筈だ。そして怪我が治った頃に令嬢に不正の件と、そのせいで怪我をしたことを告げて自分の言うことを聞かせようとしたのだ。権力者の伯爵自身は一筋縄ではいかないが、大人しく控え目な令嬢なら少し強く出れば逆らえないと考えた。
その為にこっそりと取り寄せた魔獣寄せの香をほんの少しだけ使用したのだが、予想に反して強い魔獣が出現してしまった。そして結果として自分とダリウスの二人が重傷を負って、一年近く寝たきりになる羽目になったのだった。
幸いにもジョンソンは回復し、目覚めた時には生きていることに感謝したのと同時に、自分が魔獣寄せの香を使用したことがバレたのではないかと気が気ではなかった。しかし周囲には小遣い稼ぎに採水地以外に行こうとしたことを咎められただけで、どうやらジョンソンが魔獣を呼んだことは気付かれていなかった。
『お前、その匂いは…』
そうやって安堵していたのも束の間、魔獣が来る直前にダリウスにそう話しかけられたことを思い出してジョンソンは蒼白になった。まだダリウスは意識は取り戻していないが、もし目覚めてそのことを誰かに話されてしまったら身の破滅だ。
ジョンソンはどうしていいか分からないまま、こっそりとダリウスの病室を訪れた。その時はただ様子を見に行くことしか考えていなかった。それは嘘偽りない正直な気持ちだった。
が、密かに覗き込んだ病室の中では、あの伯爵令嬢が甲斐甲斐しくダリウスの世話をしていた。
髪の色は変えていたが、ダリウスから双子の妹は瓜二つだと聞いていたし、何よりもずっと密かに憧れ続けていた令嬢を見間違う筈がない。ヨロヨロと病室から離れたジョンソンは、心配して声を掛けて来た職員に尋ねると、その職員は「よく妹さんがお見舞いに来ているんですよ」と答えた。
その瞬間、ジョンソンの目の前の景色の色が失われた。
----------------------------------------------------------------------------------
ジョンソンはある程度動けるまで回復すると、神殿を辞めて故郷へ帰ると周囲に告げた。そこで家を継ぐ長兄の補佐をしながら、今後のことをゆっくり考えたいと申請書には記載していた。しかしジョンソンはすぐに故郷へは帰らず、ダリウスの妹マギーに接触した。彼女のことはダリウスから王都の縫製工場で働いていると聞いていたので、比較的すぐに見つかった。
『ホライズ伯爵令嬢が、自分の地位を守る為に下位貴族や平民を唆して危険な仕事を命じたせいでダリウスが大怪我をした。支払われる筈の金も貰っていない』
ダリウスはジョンソンのことを妹には詳しく話していなかったようだが、少しダリウスの神殿での様子を話しただけでマギーはすぐに信じた。そしてダリウスの見舞いに来る為に変装してまで採水作業に参加している伯爵令嬢は、何か見つかるとマズい証拠品を捜す為に採水地に来ていると嘯いて、マギーにはその証拠品を処分される前に未払いの分と慰謝料を令嬢と交渉するように誘導した。採水地に到着する前に魔獣に襲われては元も子もないので、こっそりと神殿内の廃棄処分の為に効果が消えるまで聖水を貯めている場所を教えて、それを浴びるように助言もした。
単純なマギーは、「もし多めに支払われたらお礼をするわね」と能天気なことを言っていた。
そんなことをすれば不正を隠す為に伯爵家に捕まって消されるだけなのに。
ジョンソンは、万一マギーが上手く行っても伯爵令嬢を恫喝したとホライズ伯爵家に報告して恩を売ればいいのだし、当然のように失敗すればダリウスが目覚めたら伯爵令嬢のせいでただ一人の身内を失ったと絶望すればいい、と思っていたのだった。