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316.襲撃者再び


「んー!牡蠣のエキスが出てて美味しい!」


昼を少し過ぎたところで、籠三つに山のようになっていた薬草の選別と洗浄を終えたユリは、遅めの昼食を味わっていた。出来る限り規則正しい生活を送るように、とメイド長からは軽く注意はされたものの、薬草の洗浄は早い方がいいのは分かっているのでそこまで厳しいものではなかった。薬草は人間の都合に合わせてはくれないので、最優先で作業をすることは薬師である以上避けて通れない。当主のレンザもそうであるので、同じ場所を目指しているユリも同じような行動を取ってしまうのは仕方ないと思われている。


ユリは朝に頼んでおいたミルクチャウダーに舌鼓を打っていた。食べやすいように賽の目に切った根菜と小ぶりではあるが丸みがあって旨味を凝縮した牡蠣、煮込んでもまだ弾力のある歯応えがある小エビがミルクの風味が豊かなチャウダーに絡んでいる。スープと言うよりは煮込みに近い程の具沢山だ。その隣には焼き立てのパンと小さなオムレツ、葉野菜とトマトのシンプルなサラダが添えられている。大公家の食事といっても、常に贅沢をしている訳ではない。レンザが久しぶりにユリと食事をする時などは豪華になることもあるが、普段は平民と大差ないメニューだ。勿論大公家お抱えの料理長が作っているので素材も味も良いのではあるが、いつかユリが市井に降りる可能性を見越していることもあった。


「これ、残った分は調薬室に運んでおいてね」


使用人の食事は別に作ってあるので、ユリが食べる分はまだ鍋一杯に残っている。このスープは、午後の時間を使って乾燥スープを作る為だった。これまでに色々なスープを粉末化して、お湯で溶くだけの状態にして携帯用のスープを作って来た。今回はそれをもう少し進化させて、具材入りの腹持ちの良いスープを作ろうと思っていた。その場合は粉にしてしまうと具材も何もなくなってしまうので、乾燥させた軽いキューブにする予定だ。もう技術的にはほぼ完成に近く、今はどんな具材が乾燥させてもそこまで変質せずに元に戻せるかを検証している段階だった。


(これならきっとレンさんも好きよね)


口の中でホロリと溶けそうな程によく煮込まれたジャガイモは、魚介の旨味と絡んで深みが増す。何でも美味しそうに食べるが牡蠣を食べている時に特に顔が幸せそうに緩んでいるレンドルフを思い浮かべて、ユリはこのチャウダーを食べたときの顔を想像してにんまりとしてしまった。彼の故郷のクロヴァス領は海に面していない土地なので、海産物は滅多に口に入らない筈だ。おそらく王都に出て来て味を覚えたのだろう。

牡蠣をチョイスしたのはレンドルフの好物だというのもあるが、もしこれがそのまま再現できたらもっとスープの幅を広げられるし、多くの食材が使えれば栄養価も高くなる。そしていつか、どんなに不便な場所でも安全で美味しいスープが飲めるようになるかもしれない。

しかしまだユリが作っている乾燥粉末スープも、まだ趣味レベルであって製品化できる程ではないので、道は遥かに遠い。


それでもいつか、とユリは願わずにいられない。アスクレティ家の始祖が「国のどんな地域でも等しく医療と薬を」と尽力した想いは、ユリの中にも違う形で脈々と受け継がれているようだった。



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「申し訳ないが、あと少し我慢してくれ」


レンドルフは周囲に誰もいないことを入念に確認すると、毛布に包まれたダリウスをそっと地面に横たわらせた。ダリウスは変わらず眠り続けているが、レンドルフは恩師に当たる人物に「心の臓が止まっても聴覚だけは最後まで残っている」と聞いたことがあるので、つい話しかけてしまった。


「ノルド、少しだけ頼む」


ダリウスの側にノルドを連れて来て、軽く青黒色の鬣を指で梳くように撫でる。ノルドは地面に顔を近付けて毛布から覗いているダリウスの髪に鼻先を付けた。匂いを確認しているのか、彼のミルクティー色の髪がヒラヒラと揺れている。


「齧るなよ」


大丈夫だと思うが念の為に、とレンドルフが告げれば、ノルドは「失敬な」と言いたげな表情をしてフンスと鼻息を荒げた。何とも会話が通じているようなノルドにレンドルフは軽く笑うと、半分川の中に車輪が突っ込んで停まっている馬車に向かう。それなりに使い込まれた馬車ではあるが、まだ十分に走れるのをわざと横転させて壊してしまうのは多少の罪悪感がある。それでもここで走行不能にしておかなければ、レンドルフがダリウスを直接抱えてノルドで運ぶ理由が立たないのだ。


「アースウォール」


少し離れたところから土の壁が出現し、馬車の車輪の片方を持ち上げるように浮かせると、立て続けに別方向からも土が盛り上がってあっという間に馬車は川の中に倒れて横向きになった。その際にミシリと嫌な音がして下敷きになった車輪にヒビが入る。レンドルフは濡れるのも構わず馬車に近寄ると、綴じている扉を引っ張った。しかし全体的に歪んでしまったようで、扉は僅かな隙間だけ開いて止まってしまう。レンドルフは少々力を込めて強引に扉を開くと、あらぬ場所からバキリと音がして、扉を留めている蝶番側の金具が吹き飛んでいた。特に身体強化を使っていなかった筈なのだが、もともとの力が強いので加減を間違ったらしい。レンドルフは一瞬だけ固まったように外れてしまった扉を片手に立ち尽くしていたが、すぐに我に返ってそっと馬車の上に乗せた。その行動に特に意味は無い。


「…ストーンバレット」


レンドルフは周囲に無駄撃ちするかのように魔法で石礫をまき散らした。先程の土壁と合わせると、周囲の地面は川の中も含めて大分荒れている。


(これで多少は誤摩化せるか)


分かる者が調べれば、ここでレンドルフが魔法を行使したことが分かる。この先のノルドの足跡が発見されにくくする為の工作で、馬車がバランスを崩したのを止めようとして魔法を使ったように見せかけたのだ。治癒院からついて来た付き添いとギルドから護衛で派遣された冒険者達の中には、鑑定魔法を使える者はいなかった。応援を呼んでレンドルフの足取りを調べるかもしれないが、それならば十分に時間は稼げる。問題は襲撃者の方にどんな能力者がいるか分からないところだ。追っ手を撒く為と、行き先を悟られない為にダリウスを送り届ける施設とは全く違う方向に来ていた。ノルドの足であれば二時間かからずに到着するだろうが、用心の為に一直線に向かうのは避けた方がいいかもしれないとレンドルフは考えながら周囲を警戒しながらダリウスを丁重にノルドに乗せた。



レンドルフは治癒院の馬車を襲っている襲撃者を助けに入る際に見たが、全員フード付きのマントを纏っていて顔は分からなかった。全部で六名で、一人だけ素人のような人物が混じっていて、その人物を護衛するかのように一人がついていたので実質の敵は四名だった。その内三名はそれなりに腕の良い剣士だったが、一人は魔法士のようだった。レンドルフの目にはその魔法士は襲撃などを請け負うような人物ではなく、それなりに身分のあるではないかという気がした。その動きが、王城騎士団と王城魔法士団との合同演習でよく使われる連携の型に近いように見えたのだ。

もしかしたら現役ではなく王城勤めを辞めた者かもしれないが、どちらにしろ実力のある魔法士は貴族である可能性も高く極めて厄介だ。出来ることなら彼らに追いつかれる前に目的地に到着したい。


「!?」


レンドルフがノルドに跨がった刹那、鬣がブワリと逆立った。反射的にレンドルフはダリウスを包んでいる毛布を片腕で抱え込むようにした瞬間、視界を黒く小さな物が埋め尽くした。


「は、針山リス…!」


片手にダリウスを抱え、もう片方の手で手綱を握っていたので剣を抜くことが出来なかった。咄嗟に覆い被さるようにダリウスの僅かに覗いている顔を庇ったが、身を屈めたレンドルフの上を小さな痛みが幾つも走るのを感じた。


「ノルド!」


きちんと張っていた手綱を緩めてノルドに声を掛けると、彼はグッと僅かに身を低くして前脚で数回地面を抉るように蹴り上げた。今の状況ではノルドに任せて走らせた方が良い。


針山リスは臆病な性質で、時折人里近くに来ることもあるが基本的に人を襲うことはない魔獣だ。フサフサとした尻尾に紛れている鋭い針状の毛にさえ気を付ければ手懐けることも出来る。しかし今は集団になってレンドルフに襲いかかって来ている。通常ならば有り得ないことだが、素早い動きの中で辛うじてレンドルフは針山リスの目が赤くなっていることを確認した。これは異常なまでの興奮状態で、おそらく誰かが意図的に起こしたものだ。


(テイマーか?まさかあの時の!?)


少し前にレンドルフはナナシと共に水源と禁輸の魔道具について調べていた際に、姿こそ見えなかったがテイマーの操る魔獣に襲われていた。それは調査の妨害と言うよりは、その時に側にいたマギーが狙われていたのではないかと思われたが、その後彼女はギルドに保護されたので狙われることはなかった。その為、その件についてはどういった進展があったかはレンドルフは聞いていない。

しかし今回も同じテイマーで、依頼主も同一だとしたら狙いはストライト男爵兄妹の可能性も出て来た。



小さな針山リスなので一体一体の攻撃力は高くないが、こうして無数に飛びかかって来られると厄介だ。ノルドは浅い川辺を水飛沫を立てながらジグザクに走る。その勢いでレンドルフやノルドに取り付いた針山リスが振り落とされた。それでも次々と飛びかかって来る針山リスを払いのけようと、レンドルフはダリウスを抱えている方の手で器用にノルドの手綱を持つと、空いた方の片手で顔や頭に貼り付いている針山リスを毟り取る。強引に引き剥がすので、尻尾の針が顔や耳などの皮膚の出ている箇所に僅かな痛みを残すが、ごく浅い傷だと分かるのでレンドルフは躊躇無く次々と払い落とした。


『ヒンッ!!』


走りにくい筈の水辺をものともせずに疾走していたノルドが、突如声を上げて足並みが崩れた。レンドルフは慌てて足に力を入れて体を支えたので辛うじて落馬せずに済んだが、それでもノルドの首に縋り付くような体勢になる。うっかり抱えていたダリウスがノルドのレンドルフの体の間に挟まれるような形になってしまったが、胸の下で変な感覚もなかったのでおそらく無事だろうと判断する。


ノルドは焦ったように何度も足を踏み鳴らしながら川から上がる。首にしがみつきながらレンドルフは足元に視線をやると、ノルドの前脚に何か両手くらいの大きさの黒いものが絡み付いている。


「ストーンバレット!」


暴れるノルドの脚に撃ち込まないように、極力大きさと威力を絞った石礫を足元に向けて放つ。土魔法ならばかなり繊細な制御も出来るので、ノルドには当てずに絡み付いているものに数発ぶつけると、それは呆気無く飛び散って地面に落ちた。


「ヒルか…!」


ヒルには魔物の性質を持って生まれる種はないのだが、魔獣の血を多量に吸うと巨大化してほぼ魔獣と同じ扱いになる生物だ。この大きさからすると魔獣化した個体だろう。ヒルに血を吸われた傷口はなかなか塞がらずに血が流れっぱなしになるので厄介だ。ノルドの脚からすぐに落ちたと思うが、毛並みが青黒いので出血の有無はじっくり見ないと確認できない。


「!ファイヤーウォール!!」


視界の端に蠢くものが見えたとほぼ同時に、レンドルフは火魔法を放っていた。咄嗟だったので手加減が出来ず、川の周辺に騎乗したレンドルフの頭上の倍くらいの高さにまで一気に火柱が上がった。その火の壁はすぐに消失したが、レンドルフは魔法を発動する為に伸ばした自分の指先にチリッとした痛みを感じた。色々と耐性強化を施してある手袋をしているが、それでも指先に軽い火傷を負った感覚がする。最近はなかったのだが、久しぶりに制御を誤ってしまった。

火が消えた地面の上には、30は下らない黒い焦げた物体が燻りながら転がっていた。レンドルフは見たものは、川からゾロゾロと這い上がって来るヒルの集団だった。

ヒルはそこまで動きの速い生物ではないが、それでも迂闊に油断するとあっと言う間に足元に迫っていることもある。それに最初よりは減ったものの未だに針山リスの襲撃は続いている。この火柱で治癒院側の護衛にも居場所が気付かれてしまっただろうが、この火の勢いで興奮よりも恐怖が勝ったのか針山リスの大半が逃げ去っていたし、川から上がって来ようとしている無事だったヒルも焼けた地面の熱に阻まれて迂回しようとしている。


レンドルフは目的地まで最短で向かう方針に切り替え、ノルドの鼻先を反対方向に向けてダリウスを抱え直すと同時に脇腹を軽く蹴った。体を翻す時に、やはり傷を負っていたのかノルドの足元の地面に小さな黒い染みが点々と散ったが、そこまでの出血量ではない。レンドルフは傷の手当てよりも先にダリウスの安全を考えて、ひたすらに研究施設へとノルドを飛ばしたのだった。


ノルドもレンドルフの考えに賛同したのか、一切傷を気にせずにグイ、と後方の脚に力を込めて地面を蹴った。よく手入れされた艶光りしている鬣が真っ直ぐ後ろに流れ、その走り去る姿は黒い風のようであった。



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