314.下準備と下見
「まず体が分解されます」
「ぶ、ぶんかい…」
「ああ、意識はありませんから痛みもありませんよ。それから分解した体を並べ直して、再度組み立てます」
「くみたて…」
「ただ、あまりにも細かく分けるので、完璧な復元は難しいものとお考えください、と」
「ふくげん…」
「聞いてます?」
セイナは淡々と説明をしているのだが、目の前の相手は青ざめた顔のままセイナに告げられた単語を繰り返しているだけだった。
「…中止しますか?」
「い、いいえ!進めてください!!お願いします!!」
本当に意味が分かっているのか不安になるくらい大きな声を出して弾かれたように立ち上がると、目の前の少女は膝に額が付く程に深々と頭を下げた。その様子を見てセイナは隠すことなく大きな溜息を吐いて、取り敢えず再度椅子に座るように相手に促す。
「マギー嬢、本当によろしいのですね?」
「はい!」
セイナの言葉に半ば被るような勢いで返事をしたマギーに、セイナは深くなってしまった眉間の皺を揉みほぐすように指を当ててしまったのだった。
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マギーの双子の兄ダリウスは、身分がはるかに上の伯爵令嬢に唆されて不正に関わり、そのせいで魔獣に襲われて寝たきりになってしまった。辛うじて自力で呼吸は出来るものの、それ以外のことは一切できずただ眠り続けるだけ。かなりの重傷で治癒院に運び込まれて、一時は覚悟してくださいとまで言われたが、奇跡的に持ち直した。しばらくすれば目覚めるかもしれないと思っていたが、もう一年近く経ってもダリウスの意識は戻らない。
一応神殿の採水作業中の事故だったということで最低限の治療費は出してもらえたが、それ以外の細々とした費用は養子先のストライト男爵家の負担になる。マギーはあちらも療養中で薬代の掛かる養父母に負担は掛けられないと、それこそ寝る間も惜しんで働いた。そしてろくに見舞いにも行けないまま一年近くが過ぎていた。
そんな状況の最中に、妹のマギーのフリをして元凶の伯爵令嬢が出所の怪しい薬を密かにダリウスに飲ませようとていた。それを知った時にはマギーは伯爵令嬢が口封じの為に毒を飲ませていたのかと思って、カッとなって飛びかかるところだった。しかしその後伯爵令嬢が血を吐いて倒れ、気が付いたら別室にいて誰かが懇々とマギーに現状を説明していた。混乱していた為に全く頭に入って来なかったが、数回説明されてやっとマギーも理解したのだ。
もうダリウスが目覚めることは絶望的だ、と。
その後にも色々と話は聞いた。伯爵令嬢はダリウスを唆したのではなく、相談を受けたダリウスが彼女の力になろうとしていたということ。どうやら二人は恋人同士だったということ。そして思いあまった伯爵令嬢が心中をしようとしたこと。
しかしマギーの耳は、それらのことをどこか遠いお伽噺のような気持ちで聞いていた。マギーにとって、自分よりもずっと賢くて魔法も使える兄が心の支えだった。孤児院でも互いに支え合って生きて来たし、病に倒れた養母の為にどうにか仕送りを捻出出来るように励まし合った。そしてダリウスが倒れてからは、いつか目覚めることを夢見てひたすらに走り続けていた。全く終わりの見えない中、限界ギリギリまでマギーは走り続けた。
だが、ダリウスの魔核が壊れてしまったことを聞いた瞬間、マギーの中で何かがポキリと折れてしまった。詳しいことは分からないが、魔力を持つ人間の頭の中には魔核と呼ばれる魔力の元があって、それが壊れてしまった人間は生きていけなくなるというのは小さな子でも知っている。運良く死なずに済んだとしても、ずっと眠り続けて起きることはないとも言われる。それを聞いた時に、マギーは何故魔力無しは魔核がなくても生きて行けるのに、魔力持ちは魔核がなくなると死ぬのか、とダリウスにしつこく質問した。ダリウスは面倒くさそうに「そういうものだから。飲み込んどけよ」と答えたので、マギーは優しくないと文句を言った覚えがある。今思うとそんな他愛のない会話も遠いことのように感じられた。
まさかマギーは、自分やダリウスの上にそんなことが降り掛かるなんて夢にも思ってなかった。
「もし、貴女の魔核を彼に譲渡出来るとしたら?」
誰に言われたかはマギーは覚えていない。今目の前にいる黒髪の冷たそうな風貌の女性医師だったかもしれない。そう言われた瞬間、マギーの世界は急速に色や音を取り戻した。
「是非お願いします!」
何か色々と注意事項を聞いた気がしたが、マギーはダリウスが目覚めるかもしれないという話に、他の条件はそっちのけで一縷の望みに飛びついたのだった。
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「まるで奇跡ですね」
「ええ。まさか魔核の破損が確定した上に、適合者までいるなんて」
「こんな機会は二度とないでしょうなあ」
「アンタ、不謹慎が過ぎるわよ」
ペラペラと書類を捲りながら、初老の男性が弾んだ声で言う。その喜びを隠そうともしない態度にセイナは眉を顰めて注意をしたが、おそらく彼には効いていない。
「またナナシ殿の医療魔法を見られる機会があるとは。まともな実験で我慢していて良かったですよ〜」
「それ、お嬢さんの前でやらかすんじゃないわよ。顔が完全に不審者だからね、セイシュー」
「やだな〜僕はお嬢様の前では良き先生、頼れる師匠ですよ。若い子は優しく育てて見守ってやらないと」
「だから余計に胡散臭いのよ!」
この男性、セイシューは、今は大公家で表向きは従僕としてユリの調薬などの指導をしているが、元々天才的な薬師だった。薬師として名高いレンザですら正式な資格取得には試験を数回受けたのに、このセイシューは一度で合格した程だ。
一口に薬師と言っても幾つかのタイプがあり、レンザは既存の薬品の効能を上げたり、逆に効能は下げるが金額を安くして市井に流通しやすくして少しでも人々に平等な医療を届けることを主に研究していた。セイシューは、全く新しい薬草を探し出して、新しい組み合わせで見たこともないような新薬を作ることを得意としていた。セイシューはレンザよりもずっと年下だったが何となくウマが合い、採算を考えずに作り出すセイシューの新薬をレンザが調整して、無駄がなく最大限の効果が得られるように組み替える、という流れで共に研究開発していたことがあった。
しかしどちらかと言うと研究にのめり込み過ぎる気質だったセイシューが、過去に大きな事故を起こした。一応書面では「事故」扱いだが、本当は禁忌とされている魔核の研究に手を付けて、自分を実験台にして死にかけたのだ。研究に没頭するあまり人に迷惑を掛けがちだったセイシューだが、辛うじて他人で試す一線は越えなかったようだ。だが残念なことにそれが元で彼の魔核が傷付いたか変質したかで、自身の魔力のコントロールが一切できなくなった。調薬には魔道具を使用することも増えては来たが、それでも繊細な魔力の調整が必要となるので、セイシューは一線から退く以外の選択がなかった。
さすがにそれからしばらくは彼も荒れていたが、その経験と知識を惜しんだレンザが大公家に雇い入れてユリの薬師の教師として任命したのだ。若い頃は変わり者だったがその一件で色々と思うところがあったらしく、セイシューはユリの前では実に模範的な教師として振る舞っていた。とは言っても、根本は変わっていないのでユリの前以外では以前の研究者の血が騒ぐらしい。
「じゃあ詳しい報告、よろしくお願いしますよ、センセイ」
「分かってるわよ、センセイ」
セイシューはセイナにそう言って、いそいそと別室へと退出して行った。
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レンドルフはノルドに乗って街道から少し外れた場所を移動していた。日の高さから推測すると、もうダリウスは治癒院を出発した頃だろう。
(周囲に潜んでいる者はいないな…)
グランディエに渡された地図に描かれていた移送ルートには、幾つか狙いやすそうな場所が存在していた。おそらくそのどこかに襲撃者が潜んでいるだろうと読んで、レンドルフは少し先回りして場所を特定しようと思っていた。あまり近寄ると隠れてしまうので、レンドルフは身体強化を強めに掛けて距離を取って探っている。
「いい天気だな」
暑さの盛りもすっかり過ぎて、晴れた日でも風が心地好くなって来ていた。何となくレンドルフが呟くと、まるで返事でもするかのようにノルドも軽く「ヒン」と鳴いた。
今日のレンドルフは冒険者として軽めの革の防具の出で立ちである。街道の周囲には林が広がっているが、ここは魔獣の出る場所ではない。これから襲撃があることを知らなければ何とも長閑な状況だ。
(…あそこか)
少し離れた場所に小さな川が流れているのだが、移送の中で最もその流れが近付く場所がある。その辺りは茂みが多く見通しが悪いので、誰かを潜ませるには絶好の場所だ。それなりに手練が揃っているのか、レンドルフの視覚では捕らえることは出来なかったが、僅かに武器や防具の擦れる金属音を聴覚を強化した耳が捉えた。人数までは分からないが最低でも四、五人はいるだろう。索敵魔法を使える者がいるとレンドルフのことも気付いているかもしれないので、素知らぬ振りを装いながらノルドを川辺まで連れて行って水を飲ませるための休憩を取る。
まだ移送の馬車がこの辺りに来るまで時間が掛かる筈だ。グランディエからは、わざと足の遅めの馬達を用意したと聞いている。意識がない患者を運ぶので、早さよりは揺れの少ない安定した走りをする馬を選んだと護衛には説明してあるらしいが、追手を振り切って安全な場所へ運ぶ為と助けに来たレンドルフの乗るノルドに繋ぎ直すことが一番の目的だった。通常の馬よりもはるかに速度も力も上回るスレイプニルなので、三頭立ての馬車でもノルド単騎で軽々引くことが出来る。
その後完全に追手も護衛も振り切ったところでわざと馬車を横転したように見せかけて、レンドルフはダリウスを抱えてノルドに騎乗して目的地に向かう予定だ。出来れば川の側で振り切れれば足跡を偽装しやすいが、こればかりはやってみないと分からない。
「今のうちに休憩しておこう」
川の側まで連れて行くと、喉が渇いているというよりも火照った体を冷やしたかったらしく、ノルドはレンドルフが降りるといそいそと川の中に入って行った。レンドルフは水が掛からないように少し離れた場所で石の上に腰を降ろす。耳だけは油断なく周囲に気を張っているが、態度に出さないようにゆったりとした姿勢ではしゃいでいる様子のノルドを眺めた。
こうしてじっくりとノルドから距離を置いて眺めると、以前よりも一回り大きくなったような気がしていた。スレイプニルを騎獣として育成するのはクロヴァス領の重要な産業の一つだ。北の地域では馬系や鹿系の魔獣は巨体に育ちやすく、その体に見合った脚力や持久力を誇る。ノルドもスレイプニルの中では体が大きい方であるし、まだ若いので成長する余地も十分にある。しかしそれよりも、尻の辺りが妙にムッチリとした曲線になっているような気がするのだ。立派な筋肉と言うよりは豊かな脂肪に見える。寒さの厳しい地域ならばこういった育ち方をする個体もいるが、王都は冬場は冷えるが年に数日雪が降る程度で辺境よりはるかに温かい。
(ちょっと甘やかし過ぎたか…?)
気難しいタイプや気位が高いタイプの性格がやや多いスレイプニルの中で、ノルドは非常に珍しいお調子者で食い意地が張りすぎているものの、人なつこく愛される性格をしている。基本的にどこに預けても他の馬や魔馬などとトラブルを起こすことはないし、甘い物さえ貰えれば初対面の世話係にも素直に世話をさせる。馬系ではあるものの、属性は陽気な大型犬に近いのかもしれない。しかしその分周囲がつい甘やかしてしまいがちなので、それが尻の辺りに現れている。
(もう少し絞るように頼んでおくか。見合いのこともあるしな)
レンドルフが出向を終えれば、ノルドはクロヴァス家のタウンハウスに戻ることになる。そこには長年ノルドの世話をしているベテランの馬番もいるので、安心して任せられるだろう。今はレンドルフの出向に同行しているので一時的に止まっているが、ノルドの縁談は順調に進んでいた。最初はレンドルフが縁を繋いだ形ではあるが、今は家同士のやり取りとなって、当主の兄とミダース家の新当主トーマが連絡を取り合ってノルドと相手のスレイプニルとの交流を定期的に行っているのだ。
「甘い物は控えた方がいいな」
思わず声に出して呟いていたレンドルフだったが、それをどう理解したのかは不明だが「そうだな」と言わんばかりの目で自身の主人をチラリと見ていたのだった。