313.二つの計画
グランディエの話では、ダリウスを狙う襲撃者は彼の命を狙っているのか、誘拐を目論んでいるのかまでは掴むことが出来なかったそうだ。彼が魔獣に襲撃される前に何か知ってはいけないことを知ってしまったのか、意識のない相手ならば簡単だと思われ誘拐してホライズ伯爵家に身代金を要求するのか。どちらにせよ、襲われることが分かっているので護衛を付けるのは当然だ。腕利きの冒険者を目的地まで護衛として同行させるのは決定しているが、その後にホライズ伯爵領まで追って来てクリスティアともども襲撃される可能性もある。それを防ぐ為に彼を囮にして、襲撃者を捕らえて目的を聞き出すことになったのだ。
意識のないダリウスを危険に晒すことになるが、ホライズ伯爵家では娘の安全を優先したようだ。もし彼の身に万一のことがあれば、ダリウスの養父母には伯爵家からそれなりの慰謝料が支払われるということで既に家同士の話は済んでいる。もっとも家格の高い伯爵家と、領地を持たない男爵家ではどの程度意見が交わされたかは不明ではあるが。
「俺がストライト男爵令息を攫う、というのは」
「実は内密でもう一つの依頼が動いているのです。貴方にはそちらに噛んでいただきたいのです」
「もう一つ?」
「はい。こちらはあの治癒院の代表…と言いますか、この国で『医療の』かの家からのご依頼です」
「…あの大公家、ですか」
「医療の」と冠される家と言えば、この国での薬の流通や医療品などをほぼ一手に担い、薬師ギルドでも幹部の立場にあるアスクレティ大公家のことだ。建国王の時代から王家と同等の権力を持つことを許されている大貴族ではあるが、殆ど中央政治に関わることはない特殊な家門だ。近衛騎士時代に何度も王家主催の夜会の警備として参加したことはあるが、国中の貴族が集まる場であっても大公家は大半を欠席していたのでレンドルフは大公の顔を見たことはなかった。
実際のところは既に大公家直系のユリとレンザとは顔を合わせているのだが、正体を知らないレンドルフには自覚はない。
「クロヴァス卿には、襲撃に紛れてとある研究施設に令息を運んでいただきます。その際、襲撃者にも護衛の冒険者達にも行き先がバレないように極秘裏に行って欲しいのです」
「一人で、ということですか」
「はい。本当ならばギルドから数名の協力者を出したかったのですが、現在は他の依頼を請負中で王都周辺には居ないのです。いえ、今でもギルドには十分経験も実力もある冒険者は揃っているのですが、依頼主とは初顔合わせになるので、信頼を得られず許可は出ませんでした」
採水地以外の場所で水を採取して持ち帰ることが横行していた際に、それに関わったのは水を汲む神官見習いだけでなく護衛として雇われていた冒険者も複数いたのは判明していた。その為、いくらギルドから信頼が置けると紹介してもあちらはいい顔はしなかったのだ。その不正に関わった冒険者の中には、ギルドを介さない依頼は犯罪に関わるものが多いと分かっていながら報酬に目が眩んで請け負った者だけでなく、神官見習いに親族がいた為に止むなく協力した者もいた。これまでの実績で人柄が信頼できると言っても、それを崩す要因がどこにあるかも知れない。そしてそれを見極めるには時間が足りなかったのだ。
この件についてはそれほどまでに秘密裏にダリウスの身柄を確保する必要があった。
「それは俺には許可が出たということですか?しかし大公家の方とは顔を合わせた覚えは」
「あの治癒院の副院長と治癒士長からの直々のご指名です」
「セイナさんとアキハさん、ですか」
何度かの事情聴取などで数回顔を合わせただけで、アキハとは多少言葉を交わしたがセイナとは事務的な会話を少ししただけだ。それだけでギルド長が推薦する冒険者を断って、レンドルフだけを指名する程の信頼を得られたのは不思議な気がした。
「もしかしてユリさんの身内の方だからでしょうか?」
「まあそうでしょうね。ユリ嬢とはご親類や旧知の方々のようですし、その彼女が信頼している貴方ならば、ということでしょう。クロヴァス卿が指名依頼を受けられるランクでしたら、そのまま申請して報酬も上乗せが出来たのですが」
「いえ、報酬よりも今の立場の方が何かと役立ちますから。お手数をおかけしますが、このまま話を進めてください」
冒険者が個人やパーティを指名して依頼を受けるのはCランクからで、レンドルフはわざとDランクで上げないことを選択していた。本業は王城に仕える騎士であるし、パーティリーダーのレンドルフが指名依頼を受けられないランクであれば同じパーティのユリへの強引な依頼の壁にもなる。そもそもパーティを組んだのはユリの防波堤になることが目的であり、その為の低ランクなのだ。
グランディエには手間をかけさせてしまうが、申し出のように「偶然」を装った態で急遽依頼を受けた、という形を取ることになったのだった。
レンドルフのすることは、エイスの街の治癒院からホライズ伯爵領へ移送されるダリウスを、襲撃のどさくさに紛れて本来の移送ルートからは外れた研究施設に運び込むことだ。そこに行くにはどんなルートを使っても構わないが、どちらの追手も必ず撒くことが必須だと告げられた。
「ないとは思いますが、違法なことではありませんよね…?」
「今は、ないですね」
グランディエの真紅の瞳がスッと細められた。その言葉に、レンドルフは僅かに息を呑む。
「そもそも全く前例がないことですので、照らし合わせる法自体がないのです。もしかしたら今後、今回のことで違法になる可能性もありますが、少なくとも今回の件で関わった者が罰せられることはございません」
「それは一体どんなことを…いや、俺は聞かない方がいいのでしょうね」
「……言うな、とは命じられておりません。後日口止めの誓約魔法を掛けられることになるとは思いますが」
「分かりました。お聞かせください」
レンドルフとしては、ギルドが認めていて違法ではないにしても意識のない青年を強引且つ知られないように施設に運び込むことに多少の抵抗はある。このままずっと意識が戻らないままだったとしても、その身を勝手に扱うような気がしたのだ。おそらく聞いても聞かなくてもレンドルフが手を貸すことは確定なのだろう。それならば理由を聞いておきたかった。
「魔核の移植。今回かの家が絡んでまで行われる極秘案件です」
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「魔核の…まさか、そんなことが有り得るのですか!?」
「わたくしには分かりません。しかし『医療の神』とまでの異名を持つ尊い御方が直接手配した、と聞いています」
レンドルフも専門家ではないのでごく一般的なことくらいしか知らないが、魔核は魔獣以外の生物で魔力を持つ者が持っていると言われている。しかし魔獣が固形物の魔石と呼ばれるものを持っていて、体内から取り出しても魔力さえ充填しておけばしばらく形を保つのと違い、魔核は明らかな物質として存在していない。魔力が発生する根源ではあるが、どんなに高度な鑑定魔法を駆使してもその実体を知ることが出来ないのだ。そして魔核は本体の死後、数刻で消失してしまう。かつて魔核の正体を知ろうとした研究者達が、今では考えられない程の狂気じみた実験を繰り返して魔核が脳にあることまで突き止めたが、それ以上のことは不明になっている。
「ストライト男爵令息は、先の騒動で魔核を破損したことが確定しています。本来ならばその確認は法に触れる為に恣意的には行われませんが、幸か不幸か偶然にもあの令嬢の件で発覚しました」
魔力回復薬は当人が持つ魔力よりも強いものを摂取した場合、体の器を破壊して周囲に甚大な被害を齎す程の魔力暴発が起こることがある。しかし魔核を生まれつき持たない者や壊れて魔力を失った者にはそれは起こらない。魔核が検査や鑑定魔法などで検出されないためにダリウスの意識が戻らない原因が特定されていなかったが、今回飲まされた五倍希釈の魔力回復薬に無反応だったことにより魔核の破損が証明されたのだ。
「魔力は持ち主そのものを形成している物質で、他者のものは受け入れることが難しいとされています。それは魔力の根源である魔核も同じと言われているそうです。しかし、彼には非常に近しい条件の体を持つ者がおりました」
「マギー嬢…」
「ええ。男女の差はありますが、双子であり、体を構成する物質がこれほど近い存在はいないでしょう」
現在の医療では、余程のことでもない限り魔核の損傷が確定している患者は滅多に出ない。そしてその患者が双子であるという条件など皆無に等しかった。
「理論上は親子や親戚、ごく稀に他人でも魔力の相性が良い人間はいます。が、それでも拒絶反応が出ないだけでほぼ一致するなど幻に等しい存在です」
「今回は、千載一遇の機会だと…?」
「そのようです。ああ、このことはマギー嬢は既に承諾しています。彼女はもともと魔力はあるのですが発現出来ていないタイプでしたので、魔核を譲渡しても生活には何ら困らない、と」
「それに危険はないのでしょうか」
「どうなのでしょう。どんな医療行為にも多少の危険は付き物です。ましてや実体のない魔核の移植ですから」
レンドルフも損傷して失われた臓器の一部を他者から移植する医療については耳にしたことはある。再生魔法もあるが、どちらかと言うと目に見えるものに対して絶大な効果はあっても、目に見えない内部の欠損についての再生は非常に難しいと言われていた。それを補うために魔法に頼らない医療の研究も日々進められているのだが、成功率は余り高くないと聞き及んでいる。
「今回、極秘裏に行われるのは、かなり数少ない特殊な条件ということもありますが…実は移植に関してはナナシの力が必要不可欠なのです」
「ナナシさんの…」
「わたくしもすっかり大人しいヤツしか知りませんが、元は生涯監視される重犯罪者です。その為、魔法を禁止されている施設も多いのです」
「ああ、確かに治癒院の中では魔法が使えないとか聞きました」
「ですから、令息をまず治癒院以外でナナシの力が発揮出来る場所に移す必要がありました。そして何より、制限されている力を使用する際にはかなりの権限が必要です」
「それで大公家が関わって来ているのですね」
「そもそも人の命を扱うような場で重犯罪者の力を借りるのは違法ではありませんが、決して推奨されることではありません。それが公になれば、ストライト男爵家にも良くない影響が少なからずあるでしょう」
いくら事情があったとしても犯罪者の力を借りていたことが分かれば、貴族としては致命的な醜聞になる。彼らは未成年で男爵家の養子なので除籍してしまえば逃れられるかもしれないが、残されたストライト男爵夫妻に影響が及ぶのはレンドルフでも予測が付く。これは確かに外部に漏れないように秘密裏に事を進める必要があると理解して、レンドルフは知らないうちに背筋が伸びる思いがした。
実体のない魔核の移植には、ナナシの体内にある異界へと続くと言われている亜空間が必要となるらしい。そう言われてもレンドルフにはさっぱり想像もつかないのだが、何となくナナシの能力ならば可能なような気がしてしまう。
「移送予定は三日後になります。こちらが移送ルートと、こちらが搬送場所です。確認したら処分をお願いします」
「分かりました」
差し出された地図を受け取って確認すると、移送ルートと搬送場所にの間には崖とそこそこ大きな川が挟まっている。それなりに街道も通っているが、途中には見晴らしの悪い林もあるので、それなりに追っ手を撒きやすいルートを予め決めてあるようだった。
(三日後…ということは、もうステノスさんもこの件は承知しているのか)
ちょうど三日後はレンドルフが完全休暇の日である。ただその日は残念ながらユリとは予定が合わなかったので、今使わせてもらっている部屋の掃除でもしようかと思っていたのだ。その日ならばレンドルフが一人で少々遠乗りに出掛けて、たまたま襲撃されている馬車を助け病人を安全な場所へ連れて行ったとなってもおかしくはない。休暇でなく何らかの任務中だったとすれば他に同行している騎士もいる為、秘密裏に搬送することは不可能だ。さすがにここまでの偶然はない。おそらくステノス経由でレンドルフの休暇に合わせて移送日を決めたのだろう。
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地図の位置を頭に叩き込んで、レンドルフはその場でポーチに入れておいた書類などの処分用の火の魔石を取り出して書類を燃やした。自分の魔法でも出来なくはないが、室内で調整を間違えたくはないので確実な方法にした。
「あら、そちらは『夜の石』ですか?」
「え?あ、ああ、そういう名の石なんですね。あまり石には詳しくなくて」
ポーチから魔石を取り出した際に、蓋に括り付けられていたタッセルがポーチの外に零れていた。それを見たグランディエが柔らかく微笑みながら聞いて来た。こういった人から貰うタッセルに全く縁のなかったレンドルフは、ユリから貰った後にそういったことに詳しそうな後輩のショーキに聞いていたが、それとは別の名前だった筈だ。
「石には様々な呼び名がありますので。それはご家族から?」
「え…いや、これは」
「ああ、ユリ嬢からですのね」
「…はい」
「石言葉は『健康』と『幸運』…別名『女神の石』とも呼ばれていますので魔獣に対しての加護もありますから、クロヴァス卿に相応しい選択ですね」
同じパーティメンバーなのだから別に貰っていてもおかしくない間柄なのだが、うっすらと頬を染めて嬉しさが隠し切れないように自然に目元が緩んでいるレンドルフの表情を見て、グランディエは初々しい反応に何ともくすぐったいような心地になった。そしてふと「自分の学生時代もこんなに初心だったかねぇ…」と初めてタッセルを渡した騎士科の少年の顔を思い出していた。
しかし瞬時に、顔を赤らめながら受け取ってくれたものの、当時急成長して新しい制服が追いつかずにはち切れんばかりになっていた胸元から一切視線が動かなかったのに腹を立てて脳天に一撃を喰らわせてしまった黒歴史まで思い出して、レンドルフには分からない程度にグランディエの頬が引きつってしまったのだった。