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312.もう一つの不穏


「その…ハリ…様、は、縁談のことは…」

「承知しているそうだよ。いや、むしろこぞ…彼の方から持ちかけたと聞いている」

「結構な年の差ですよね…何だってまたそんな物好きな」

「まあ政略では珍しくない年の差ではあるし、それだけユリが可愛らしいということだろう」

「おじい様!?男性の方が年上ならあるかもしれませんが、私の方が上ですから!」


サラリと自然に褒め言葉を挟んで来るレンザに思わず気を取られそうになったが、ユリはどうしてまだ子供なハリが自分と縁談を望んでいるのかさっぱり理解出来なかった。


「彼の思惑は分からないが、王家はこれを機にアスクレティ家の権力を削ぎたいようだし、神殿側も彼の件で大きな失態となったので王家に従わざるを得ないようだからね」

「困ったものですね。貴族の婚姻にはそれなりに家の思惑が絡むものですけど」

「私はユリに政略は望んでいないよ。もう我が家は十分な程に潤っているし、一族も繁栄している。むしろこの大公家を一人で食い潰せるような悪党も面白いと思っているくらいだ」

「それはいくらなんでも」

「ユリさえ不幸にならなければいい。私の望みはそれだけだ」


国内屈指の大貴族で、潤沢な資産も王家に匹敵する権力も有しているアスクレティ家と縁を繋ぎたい者は幾らでもいる。しかしある程度敏い者はそれだけ強大な大公家を背負うことの恐ろしさを理解している為、事業などで関わることは望むが婚姻などで縁を繋ぐことを選択しない。せいぜいその足がかりに分家に縁談を打診するくらいだ。しかし自分の能力を過信した者や、分不相応な野望を持つ者ばかりが王家経由や直接レンザに大公女との縁談を申込んで来る。レンザからすると、それだけで愚かと評せざるを得ない。

そしてその殆どがユリのことはあまり知らず、ただ後ろに付いて来る利権ばかりに目が行っている者ばかりなので、ユリの耳に名すら届くことはなくレンザに弾かれて終わる。王家の方も、二回連続で大公家の婚姻関連で失態を犯しているせいか、これ以上レンザの怒りを買わないように大公家からの推薦を待っている節があって、今現在は具体的な動きはないようだ。



貴族の家に生まれた女性は、次代に血を繋ぐことが最も重要であるとされている。ユリのように死に戻る程の大きな怪我や病を得た女性は、健康面に不安があるとして縁談は遠ざかる傾向にある。その上ユリは、当人に記憶に無いが特殊魔力を持った赤子に知識のある人間が周囲におらず、ぞんざいな対処をしたせいで成長に影響が出て、身長がかなり早い段階で止まってしまった。同性の主治医も必要だろうとアキハが一時的にユリの元に付いて丹念に体の回復具合を診てくれて、今は小柄なだけで健康面には問題ないと太鼓判を押されている。それでも平民や歴史の浅い下位貴族などはともかく、ある程度の家格の貴族からすると忌避されることに変わりはない。

それならばそれで放っておいてくれればいいのだが、たった一人の大公家の直系でお飾りの当主にして自分が力を手に出来ると思い込んだ者達が野心を剥き出しでユリに群がろうとするのは鬱陶しいものだった。貴族社会ではユリ自身を忌避し、蔑んでいる者も多いのに、彼女の持つ血と権力だけを求められている。ユリは自分自身には価値が無いどころか、むしろ負の要因しかないことは十分に理解していた。


レンザは未だに正式な後継を決定していない。ユリにも可能性はあると基本的な教育はしているが、それと同時に複数の分家から当人達にも秘して後継教育を施している。そうすることで、次代の大公家当主に取り入ろうとする輩を分散しているのだ。



「…ユリが幸せに望むままに生きることが私の願いだよ」


向かい合わせに座っていたレンザが隣に移動して来て、サラリとユリのこめかみ辺りを撫でた。やはりレンザも薬草を扱うので身分の割に指先は荒れていて、ほんの少しユリの白い髪が引っかかる。レンザは髪の一本も害を及ぼさないようにと、軽く指先を摺り合わせてそっと引っかかったユリの髪を外す。


「そんなことを言っては、私がずっとおじい様のお側から離れないかもしれませんよ?」

「それは私にとって良いことずくめだね」


思わずクスリと笑ったユリに、レンザは間を置かずに柔らかな笑みを浮かべて返した。その視線は柔らかく、蕩けるような甘さを含んでいる。


「何度も伝えているが、ユリは自分のしたいことだけを考えていればいい。家を継がなくても、分家には優秀な者が何人もいるから、そこから養子を取るだけだ。もしこの大公家を欲するなら、領地を任せる代官で信頼できる者は大勢いる。皆ユリの為に仕えてくれるだろう」

「おじい様…」

「ただ市井に降りる場合は、今のように守ってやることは出来ないからね。自分で生活出来る術を身に付けてからにしておくれ」

「はい…分かっています。おじい様、大好きです」


ユリはつい嬉しくなってレンザに抱きついた。まるで子供のようだと心の隅で思ったが、こうして密着するといつもレンザが使用しているハーブ系の香水を堪能出来るのでつい何かあると抱きつきたくなってしまうのだ。繊細な髪留めを付けているのでその辺りを避けるようにユリの頭を優しく撫でてくれる。幼い頃の記憶の殆どないユリは、その頃の自分を埋め合わせるように時折無償にレンザに甘えたくなってしまう。


「…誰か共に居たい者がいるのに、どうしても一緒にいることが困難なことになったら私に相談しなさい」

「……はい」


レンザの言うその「誰か」はまるで特定の人物を指しているかのような響きを含んでいたが、ユリは敢えて頭の中に浮かんだ人物を考えないようにして頷くだけに留めた。


「その時は私が出来る限りの事はしよう。少し…妬けるがね」

「まあ。ふふ…おじい様が?」

「私としては、いつまでも可愛い孫を手元に置いておきたいものだよ」

「嬉しいです」


もし今、ユリが誰かを望むのならば、大公女の身分を明かして側にいてもらうように手を回すことは容易い。けれどそれはユリが本当に望むことではないのも分かっている。


ユリの脳裏にはいつしか、強くて頼りがいがあるのに無茶をしてハラハラさせられる、優しい色合いを持つ一人の人物が浮かんでいた。



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出向の終了が決まったレンドルフは、日課の朝の鍛錬に出ると毎回のようにヨシメに手合わせを求められた。普段は一人で素振りなどをしているので誰かと手合わせをするのは良い機会ではあるが、他にもレンドルフと手合わせをしたい者もいるので気が付けば列が出来ていることもあった。それに応えようとレンドルフも受けてしまうので、最早鍛錬と言うよりもレンドルフの修行のようになっていた。

さすがにそこはステノスの注意が入り、毎回くじ引きでレンドルフとの手合わせの相手が数名に絞られることになった。そのうちに何故かサンノが一人一枚の筈のくじ引き券を複数売りに出して、ヨシメが自分の小遣いをはたいて毎回10枚以上買い取っていたことがバレて年長のサカジに大目玉を食らっていた。道理でやけにくじ運が良く、毎日ヨシメが手合わせの権利を獲得していた訳だ。不正で売りに出す方も出す方だが、副隊長のヨシメが率先して買い上げてしまうのも問題だと正座状態で一時間は怒られていた。


「おお、そうだ!レン殿にギルドから呼び出しがございましたぞ」

「え?は、はい!ありがとうございます?」


痺れた足に悶絶しているヨシメ達の足を楽しげに突ついていたサカジが、不意に思い出したように振り返ってレンドルフに告げる。滅多に訓練場に来ない事務方のサカジがここまでやって来たのは、もしかしたらレンドルフにそれを伝えに来たのではないだろうか。だとすると呼び出しから一時間以上は経っている。

レンドルフは慌てて一礼すると、流れる汗も拭かないまま全力で着替えに戻ったのだった。



「朝から呼び出して申し訳ありません」

「いいえ、遅くなりまして」


大急ぎで支度を済ませてギルドに向かうと、既に待っていたらしい副ギルド長サムに案内された。初動は大分遅れてしまったが、ステノスに外出許可を貰いに行った際に「後はサカジにやらせとくから行って来い」と顔を見ただけで送り出してくれたので、そこで大分取り戻せた筈だ。



ギルド長の執務室に入ると、その妖艶な容姿から何となく常に「夜」の空気を纏っているグランディエが出迎えてくれた。


「ご足労お掛けして申し訳ありません」


もう最初からテーブルの上に書類とペンが並べてあったので、レンドルフは座ってすぐにその書類を手にする。そこには、パーティ名「レンリの花」のメンバーに対する個人依頼の申請書と依頼の達成書がセットになっていた。


「パーティ所属の冒険者個人に指名依頼を出す際はリーダーを通すことが決まりですが、緊急を要する際はギルド長権限で直接依頼が可能です。先日ユリ嬢に依頼を要請したことは既にご存知かと」

「はい、あの治癒院での依頼ですね」

「ええ。ですが手続き上事後でも書面に残さねばなりませんので、確認の上サインをお願いします」


思った以上に細かく書かれた内容だったので、レンドルフは少々時間を掛けて内容を確認してサインをすると、彼女は礼を言いながら「役所の提出用なのですよ」と苦笑していた。ギルドはどこの国にも属さず公平性を保つ組織ではあるが、国の中に存在している以上はその国の法律に添う形で運営されている。こういった事務処理は煩雑でも必要なのだろう。


「それから…これからがお呼び立てした本題になるのですが」

「やはりそうですか」


サインを確認するとグランディエは封筒に書類を丁寧にしまってから、テーブルの脇に置いてあったティーワゴンから手ずから紅茶を淹れてレンドルフの前に置いた。朝一で呼び出されたことと、駐屯部隊を出る際にステノスから「今日の予定は変更しておくぜ」と言われて送り出されたので、少々込み入った話を持ちかけられるのではないかと思っていたのだ。


「一つ受けていただきたい依頼があるのですが、クロヴァス卿は指名依頼を避ける為にランクを上げておりませんでしょう?ですから、表向きは偶然その場に居合わせたので急遽介入した、という態を取っていただきたいのです」

「そういった抜け道もあるのですね」

「大っぴらには言えませんが」

「それは内容を伺ってから受けるか決めてもいいものなのでしょうか」

「…出来れば受けていただきたいと思っております」


レンドルフは少しの間だけ逡巡していたが、「騎士団の任務に差し障りがなければ」と返すとグランディエは明らかにホッとした顔になった。



レンドルフに密かに依頼したいという案件は、病人の移送の護衛だった。正確には、移送中に病人を襲撃するという情報が入った為、その病人を一時的に保護する施設にまで運び込んで欲しいとのことだった。


「その襲撃される病人は、ダリウス・ストライト男爵令息です」



ダリウスの意識は戻らないまま周囲がお膳立てをする形でクリスティア・ホライズ伯爵令嬢と婚約を成立させて、ホライズ元伯爵が二人とも療養の名の下に領地の別荘で引き取ることは決定していた。既にこの件に付いてはレンドルフの手を離れてしまったので、詳しい情報は入って来ていなかった。もう上の方や当事者達の間で話はついて収まったと思っていただけに、また不穏な情報を聞いてレンドルフは少しだけ眉を顰めた。


「令息が意識を取り戻す可能性はほぼ絶望的であるし、令嬢の方は助命の代わりにホライズ伯爵家が責任を持って表舞台には出さないということで、聖水製造の不正の件は終結していました。しかし、それとは別に令息の命を狙う者がいたようです」

「俺は偶然を装って、その襲撃者を捕らえるのに協力すればいいのですか?」

「いえ…クロヴァス卿にはストライト男爵令息をとある場所まで…()()()()()()()()()のです」


思わぬ依頼に、レンドルフは答えを返せずに何度か目を瞬かせた。




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