308.レンドルフとタッセルの耐久試験
今年最初の更新です。本年もよろしくお願いします。
「レンさんに確認してもらいたいことがあるんだけど」
「ん、何?俺で分かることなら何でも聞くよ」
「レンさんじゃなきゃ分からないことよ」
大きなバスケットにみっちり詰め込まれていた食事は全てなくなり、今はゆっくりとデザートと冷たい紅茶を楽しんでいた。いくら大柄とは言っても一体どこに入るのだろうと思われる量を平然と平らげて、別腹らしいタルトを一口で幸せそうに頬張っている。タルト台に詰められたクリームにはナッツやフルーツなどが混ぜ込まれていて、次にどんな味が来るのか楽しみながら食べているようだった。
一通り味わってゆっくりと紅茶を飲んで手が止まったタイミングで、ユリが脇に置いてあった鞄の中から小さな包みを取り出してレンドルフに声を掛けた。
丁寧に布に包んだものを開くと、その上には金の細かい彫金細工に濃い茶色の革製のフリンジが繋がっていた。
「これ…」
「またレンさんにタッセル渡したくて。ホントはこっそり作って贈ろうと考えてたんだけど、サイズとか重さとか、レンさんが付けやすい方がいいかな…って」
「え、あの…いいの?また作ってもらえるの…?」
「うん。騎士様みたいに危険なことに関わる人にはお守りで幾つ渡してもいいって聞いて…その、今度は邪魔にならない感じに作るから、付けてもらえたら」
「邪魔じゃないよ!全然!!ほら、前に貰ったのも!」
レンドルフは以前にユリに渡されたタッセルを、目に見えるところに付けていなかったことに思い当たって大慌てで腰に付けているポーチを外して蓋を開けた。蓋の裏側にも付いている収納ポケットの為の金具に、以前ユリが贈ったタッセルが結びつけられている。
「ほら、初めて貰ったものだからすごく嬉しくて!その、汚したり壊したりするのが怖くて、ずっとここにしまい込んでた。ごめん、ちゃんと言っておけば良かった」
「ううん。きっとレンさんのことだから、大事にしまってくれてるんだろうなあって思ってたから。そうやって持ち歩いてくれてるの、嬉しい」
「俺の気が利かなかったから…」
レンドルフは、自分が贈ったものをユリが身に付けてくれているのを見る度に心が浮き立つのを自覚していた。それを自覚していながら、自分自身がそれをきちんと分かるように実行していなかったことに内心忸怩たる思いが走る。身に付けているように見えなかったことを大事にしまい込んでいたと思われていたのは不幸中の幸いだが、それでも気遣いに欠けていたことには変わりがない。
「あのね、今度は壊れない汚れない、万一どこかに落としても戻って来るような付与を付けようと思ってるの!それならレンさんが気にしないでいられるでしょ?」
「そこまで気を遣わせてごめん」
「そんなことないよ!私が好きでやってることだもの。だけどこっそり作って驚かせるより、ちゃんとレンさんの使い勝手が良いように調整して長く使ってもらえたらいいなあ…って。だからレンさんも欲しい付与とかあったらどんどん言って、ね?」
全く気にしていない様子で、むしろ見えていなかっただけでレンドルフがしっかりタッセルを持ち歩いていたことにユリはすっかり上機嫌でニコニコとしながら布の上の新しいタッセルを差し出した。それが却ってレンドルフの心を地味にそっと抉っているのだが、そこは表には出さないようにグッと奥歯を噛み締めていた。
「これ、すごい細工物だね。こんなに小さいな紋様、どうやって彫るんだろう…」
そっと手に取ったレンドルフは、小さなコインくらいの大きさしかない金属に、びっしりと繊細な紋様が刻まれているのに気付いて目を丸くしていた。しかもただ単に彫っただけではなく、網目のように立体的に上下に入り組んでいる。その網目も無作為に組まれているのではなく、その小さな重なりが幾つも組み合わされることによって一つの紋様を作り上げ、更にその紋様同士が並ぶと全体の均整の取れた幾何学的なデザインに仕上がっている。レンドルフは全くの素人ではあるが、気の遠くなるような手間と技術が必要なのは分かる。
「すごく綺麗だ。この小さな石は宝石?いや、魔石かな」
「魔石だって。この紋様は、ミズホ国で旅や航海の安全と帰還を願って持ち物によく刻む幸運のお守りなの。ハンカチとか服の裏地に刺繍したり、生地を染めて作ったりもするよ。ここまで小さくて細かいのは初めて見たけどね」
「ミズホ国の…よっぽどすごい職人が作ったのかな。その…」
レンドルフに贈るつもりでユリが準備したものなので金額を気にするのは失礼な気もしたが、あまりにも見事な細工物なのでやはりそこは気になってしまった。ミズホ国との交易は、ユリが出身であるアスクレティ領のみが行っている。性能がよく船足が速い貿易船でも季節によっては半月以上は掛かるし、アスクレティ領も王都から遠い場所なので運搬費用だけでもかなりなものになる筈だ。
「作ったのはアスクレティ領の職人よ。ほら、この前フィルオン公園の音楽祭で出店を見に行ったでしょう?」
「ああ、確か細工物の宝飾品もあった…って、いつの間にユリさん買ったの!?」
「えへへ、こっそり」
レンドルフが他のものを会計している間を狙って気付かれないように購入したのだ。ユリは作戦が成功したので得意気な顔になってちょっと胸を張った。その様子があまりにも可愛らしかったので、レンドルフは思わず顔が緩んでしまいそうになって慌てて手元のタッセルに視線を落とした。その視界の端では、少し距離を取って待機しているエマとマリゴがチラリと映ったが、エマは完全に手で口元を覆ってしまって肩が小刻みに震えていた。どうやらレンドルフと同じような気持ちだったらしい。隣のマリゴはそういった感情を隠すのが上手いらしく、無表情の変わらない様子で立っていた。
「この革は魔獣の素材?馬系かな…」
「やっぱり分かるんだ。それはケルピーの革。ほら、レンさん火魔法も使うから、耐火性の高いのがいいかと。あ、でも仮だから、もし希望の素材があれば」
「すごくいいと思うよ。俺の火魔法は制御が下手だから、飛び火しないとも限らないし」
ケルピーは水棲の馬型魔獣だ。馬の姿はしていても肉食で血を好む性質で、強靭な顎で噛み付いて獲物を水の中に引きずり込む。何とか囮の餌で釣って陸上戦に持ち込まないと厄介な魔獣なのだ。水棲生物だけあってその素材は非常に耐火性に優れているので、火を扱う工房や厨房などの壁材の一部に利用されることも多い。
レンドルフは直接手に取って、目の前で揺らして重さなどを確認していた。僅かな風で揺れる木漏れ日が金属と魔石に当たって、キラキラと反射した光がレンドルフの顔の上を踊る。
「これ、実際付けてみてもいい?」
「うん、大丈夫。もう強化の付与は掛けてもらってるから、レンさんが全力で引きちぎらない限りは保つと思うよ」
「そんなことしないよ」
レンドルフはさすがに苦笑しながら、脇に置いていた自分の大剣を片手にどこに付けようか悩む。実のところ、最初にユリから貰ったタッセルも剣の鞘に付けていたのだが、剣を抜くときなどに指に引っかかって繊細なフリンジを数本千切ってしまっていた。幸い大きな損害ではなかったが、思い切り落ち込んでいたレンドルフを見兼ねて、同じ部隊の後輩のショーキが上手く結び直してくれていたのだ。タッセルは壊れること前提のお守りのようなものなので本来の姿ではあるのだが、レンドルフはそれ以降はポーチの中にしまい込んで大切にしていたのだ。
そんな経緯もあったので、レンドルフは真っ先に鞘に付ける選択は外す。それならばいっそ、動かす剣の側に付けた方がいい気がして来た。ちょうど柄の部分の端の金具に引っ掛けられそうな場所があったので、仮にその場所に装着してみる。
金具の端に無理に括り付けたので中途半端な位置ではあるが、柄の先でサラリと揺れる様は存外悪くなかった。使い込まれた鈍色の大剣と、色褪せた滑り止めの革だけで構成されている無骨な大剣が、何だか物語の英雄が使っているかのような控え目な華やかさが添えられたように見える。
レンドルフは立ち上がって少し離れた場所で腰に剣を下げると、ゆっくりと動作を確かめるように鞘から引き抜く。もっと忙しなく揺れるかと思ったが、予想よりも動きが少ない。レンドルフはタッセルの動く範囲を確かめるように、ゆっくりと剣を振り、それから少しずつ速度を上げて行った。思ったよりも手に当たらないので、次第にいつもの鍛錬の時のように大きく何度か振り抜いては素早く角度を変える。そして最後は剣に血が付いた時に振り落とすのと同じくらいの鋭さで払うと、スッと鞘に納めた。
「思ったよりもいいな」
鞘に付けるよりも、剣本体に付けてしまった方が動きの邪魔にならないようだ。少し大きく振り抜くと革のフリンジ部分が僅かに手に当たるので、短めにしてもらった方がより気にならなくなるかもしれない。
動きを確認してからレンドルフがユリの座っている木陰に戻ると、ユリは頬を紅潮させてパチパチと拍手をしていた。
「すごい!レンさんカッコいい!!」
「い、いや…ユリさん、褒め過ぎ」
「だってこうやって落ち着いてレンさんの剣技見るの初めてだもの!音がすごいの!ブオンって言ってた、ブオンって!」
ストレートに褒めちぎるユリに、レンドルフは耳まで赤くして剣を外して元の場所に座り込んだ。しかし言われてみれば、レンドルフがユリの前で剣を使う時は魔獣を相手にしていた場合が殆どなので、気持ちを落ち着けてちゃんと見てもらったことはなかったかもしれないと思い当たる。
「どうだった?修正した方がいい?」
「そうだな…この革のフリンジはもう少し短い方がありがたいかな」
「どのくらい?」
「半分くらいの長さの方が動きやすいと思う。あ、でもそうすると今度は軽くなり過ぎるか」
「付与で重さの調節は出来るよ。じゃあ重さはそのままで長さを変えるってことで」
「貰うものなのに注文付けて何だか申し訳ないな」
「ううん!レンさんが使いやすい方がいいもの。なるべく怪我とかはして欲しくないし」
レンドルフはまだ赤い顔をしながら金具からタッセルを外そうとした。が、動いたことで少々紐が捩じれてしまって上手く外れない。
「私が外そうか?」
「頼んでいいかな」
不器用ではないのだが手が大きいので細かい作業はあまり向いていないレンドルフを見兼ねて、ユリが申し出てくれた。レンドルフの大剣は大変重たいので自分が支えて絡まっている部分をユリの方に差し出そうと思ったのだが、それよりも早くユリがヒョイと近寄って来てレンドルフの真横にピタリとくっついて来た。
「ちょっとそのまま支えててね」
「う、うん…」
座り込んだ自分の足の上に剣を乗せた姿勢だったので、そこに身を乗り出すようにユリが割り込んで来てレンドルフの視界がユリの後頭部で一杯になる。もう鼻先にくっつきそうになるような距離感で、フワリと髪から良い香りが漂って来る。わざとではなく普通に呼吸しているだけでそんな状態なので、レンドルフはなるべく静かに息をすることに集中していた。ノルドに相乗りしている時はレンドルフは姿勢を正しているの、顔がここまで接近することはないのだ。
「あー思ったよりも捩じれてるね」
レンドルフが支えている剣に顔を近付けるようにユリが覗き込んで絡んでいるタッセルを外そうと奮闘しているのは何となく分かるが、彼女の後頭部で何をしているのか全く見えない。ユリの細くて小さな手が剣を支えているレンドルフの手に被さってモゾモゾと動いている感覚はするのだが、何をしているのかが見えないのでただひたすら動かないようにレンドルフは固まっていた。その内に無意識なのか、レンドルフの太腿の上に半分乗り上げるようにユリの柔らかい体が押し付けられていることに気付いてしまった。
そこからレンドルフは、頭の中でひたすら騎士科の授業で習った基本動作の教本を思い浮かべるのに必死になっていたのだった。
「やった!外れた!」
その後、思ったより手こずってしまった為にやっと取れたことに喜んだユリが少々勢い良く顔を上げたので、後頭部がレンドルフの鼻に直撃してしまった。そこまでの被害はなかったのだが、レンドルフはこれ幸いとばかりに確実に赤くなっているであろう顔を隠す為に、しばらく片手で顔を押さえていたのだった。