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305.秘密の昔話


「その…それは俺が聞いていいことなんでしょうか」

「いいわよ〜ユリちゃんも知ってることやし?」


確かに「旧知」とは言いようではあるが、そんなに私的な話題に触れていいものかレンドルフは戸惑ってしまった。レンドルフはユリから三歳の時に両親は事故で亡くなった、と聞いていた。そしてアキハは「元」婚約者と言ったので、何らかの理由で解消されたということだ。アキハの態度はあっけらかんとしたものなので、互いに納得の上の円満解消なのだろうか。あまり複雑な事情をユリの許可なく聞いてしまってはいけないような気がして、レンドルフとしては出来れば軽い理由であって欲しいと内心祈っていた。


「ん〜ユリちゃんの父親とは家の都合みたいなものだったんだけど、お互い気が合わんでね〜。あっちが『真実の愛』とやらを見付けたとかで解消したんよ。うちとしては諸手を上げて『はい喜んで〜』って感じで」

「は、はあ…」


ケラケラと無邪気に笑いながら言われてしまったので、レンドルフは毒気を抜かれたような表情になった。その顔を見て、アキハは柔らかく目元を緩めて紅茶をゆっくりと飲んだ。


「おじじ様…ユリちゃんの曾祖父様ね。そのおじじ様の紹介で婚約したんやけど。おじじ様も薬師だったのは聞いてる?」

「はい。とても優秀な薬師だったと」

「そうなんよ〜。何度も報賞をもらって国王様から直接お声掛けされたくらいの方でね。で、王家から薬草園の土地を下賜されたこともあるんよ」

「それは…本当にすごい方ですね」

「そんでうちが聖女の任命を蹴って治癒士になりたいの後押ししてくれてな〜。ま、だからボンク…んんっ、ちょお〜と頼りない孫の婚約者にならないか、って言われたら断れなくてね〜。うちも子供さえ作れば好きにさしてくれる言われたんで、ま、いっかってな」


うっかりアキハの本音が漏れかけたようだが、レンドルフは敢えて聞かなかったことにした。

以前にレンドルフはユリが持参して来た曾祖父が使っていたというワイングラスを見せてもらったことがあったが、王家から賜ったというすごい逸品だった。どんな功績なのかまでは聞いていないが、何度も、という事は叙爵を受けている可能性に思い当たった。最初に出会った印象から、ユリは裕福な平民で学者系の家の出身なのかと思い込んでいたが、もしかしたら貴族かもしれないと考え始めた。もしユリが貴族ならば、当人が大丈夫と言ってももっと距離を保たねばならない。むしろ自分が近付かない方が将来的にユリの為なのではないか。そう思った瞬間、レンドルフは急に息苦しさを感じたような気がした。


「今は手が回らなくて返上したみたいやけどね〜」


それを聞いて、レンドルフは曾祖父の代で一代限りの爵位だったのかもしれないと思い直す。もし王家から直接賜った土地なら、貴族であるなら何が何でも死守するだろうと思ったからだ。そう考えつくと途端にスッと胸が軽くなったようで、あまりの分かりやすさにレンドルフは自分でも内心苦笑せずにはいられなかった。

しかしレンドルフは、すぐには出来なくてもいつかユリにはきちんと確認しなければならない、と心に留め置く。今は何となくではあるがユリも聞かれるのを望んでいないような気がしたのだ。そしてレンドルフ自身も、ただ今のままで隣にいたいと思ってしまっている。



実のところ、どんな場所であれ王家から土地を賜るというのは普通の貴族ならば代々子孫に受け継ぐくらいの名誉なのだが、むしろ既に広大な領地も豊富な資金も有しているアスクレティ大公家からすれば、報賞という名で薬草を育てるのが精々で人も住めないのに税収だけは広さに応じて決められている厄介な土地の世話を押し付けられたというのが現実だった。なので、別にそんな土地がなくても名誉でもなんでもない大公家では理由を付けてさっさと返上したのだった。ちなみにこの時の理由は、ムクロジが推薦して王命が出された孫の婚約を孫自身が勝手に破棄してしまったのでその謝罪という形だった。が、本音としては要らない土地を押し付けて来たのだから、押し付け返しただけなのであるが。



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アキハはオベリス王国で最東端の離島の出身だ。一応歴史と伝統のある五英雄の一家と伝えられる領主一族の生まれではある。領民と垣根のない大らかな一族、と言うと聞こえはいいが、実際は古いだけの貧しい家門で平民と同じ生活水準でしか暮らせないだけだった。そこの末娘として生まれたアキハは、幼い頃から聖魔法を駆使して独学の治癒魔法で島民達の怪我や病の治療を行っていた。島には名ばかりで申し訳程度の治癒院が一つしかなかった為に、アキハは島の聖女として慕われていたのだ。

そんな事情から、数年も王都の学園に通うことは難しいと入学辞退の申請をしたところ、当時のアスクレティ大公家当主、ユリの曾祖父であるムクロジが直接アキハを尋ねて来たのだ。


アスクレティ大公家は、始祖より「国内のどの場所でも等しく医療を受けられる」ことを理想としている大貴族で、アキハの暮らす離島の状況を聞いて視察に来たのだった。

ムクロジはこの島の医療の遅れを真摯に詫び、あっという間に複数の治癒士を送り込んで、回復薬や薬草の定期便を実現する為の港の整備も整えてくれた。そしてアキハが学園できちんと学ぶ機会を与えてくれたのだった。


だがやはり貴族の支援には裏があり、優秀な治癒魔法の使い手だったアキハを孫の婚約者に据えたいとムクロジから打診があった。ムクロジは息子(レンザ)は優秀で次代については一切の不安はなかったが、更にそれを継ぐ孫については可愛がってはいたが当主目線では全く不向きだと思っていた。誰に似てしまったのか魔力量も少なく、それを補う為の知識の習得や努力も嫌っていた。だからこそ孫は名と血筋を繋ぐだけお飾りの当主にして、優秀で魔力の強い令嬢を妻に求めていたのだ。

一応断っても構わないとは言われていたが、アキハの実家は更なる支援を結びつけられる可能性と、大公家との縁戚になる機会を逃してはならないと、一族で圧を掛けて彼女に頷くように迫った。アキハ自身も、ムクロジや次の当主はともかく、既にお飾り当主と確定している程の問題児の代になって島の援助が気まぐれに打ち切られる可能性もあることを危惧して、話を受けることに抵抗はなかった。


こうしてアキハは、顔も知らないユリの父と婚約を結んだのだった。



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「ユリちゃんのご両親のことはどのくらい知ってるん?」

「殆ど聞いていないです。幼かったので覚えてないと。ただ…」

「ただ?」

「俺の勝手な想像なので、失礼なことだとは思うのですが…その、ご両親のことは、あまり良い印象がなかったのではないかと…」

「ユリちゃんがそう言って?」

「いいえ!あのただ…祖父殿の話をする時のユリさんは幸せそうな顔をするのに、ご両親の話の時は…あ、あの、覚えていないのなら違うかもしれないですし」


ユリの家族の話はそこまで沢山聞いている訳ではない。それでもレンドルフにも分かるくらい、両親のことを話す時の様子が明らか表情や目に翳りがあった。三歳のときに亡くなっているのならユリの言うように記憶にないのかもしれないが、それでも周囲から聞かされることはあっただろう。それで色々と思うことがあったのかもしれない。


「ユリちゃんが覚えてるかいないかはさておき、正直あまり良い親ではなかったと思うわ」

「そう、ですか」

「なんて言うか、夢見がち?お花畑?ユリちゃんは…ちょっと難しい子だったから。自分達の理想の家族像や子育てとは違ってたのを受け入れられなかったんよ。だから…まあ育児放棄って感じやね」


不意にアキハの耳に微かではあるがミシリ、と聞き慣れない音がして、その音のする方に視線を向けた。見ると、テーブルの上に置かれたレンドルフの手がキツく握り締められていた。その為テーブルにも力が掛かっているのか、少し天板がたわんだ音だったようだ。


「幸い御ぜ…おじい様に保護されたし、今はすっかり元気になって自分の夢を叶える為に頑張ってるから大丈夫。それはレンくんも知ってるでしょ?」

「は、はい…」


力を込め続けていたレンドルフの手をアキハが軽くポン、と触れると、ハッとしたように僅かに力が緩んだ。そして恥ずかしそうにゆるゆると手を解いて、ソッとテーブルの下の膝の上に戻したのだった。



祖父のレンザに保護されてもすぐにユリの境遇が改善することがなかったのは、アキハも知っている。後継からは外されていたものの大公家の直系の夫妻を事故に見せかけて手を下した勢力や、筆頭分家の愚行などによって当時の大公家には多くの混乱が生じた。そのため顔も見たことのないユリへの対応は後に回され、最終的に母方の実家に丸投げされた。その先でも、ユリは両親達の仕打ちよりも長い期間、悪質な虐待に晒されていたのだ。

そこからやっと助け出されたユリは回復に何年も掛かったが、ここ数年はようやく自分のやりたいことを見付けてより普通の人間へと近付いている。



「ユリちゃんの周りには、あの子を大事に思ってる人間が沢山いるの。レンくんもその一人、よね?」

「はい。そう思ってます」

「ん、いい返事やね」


躊躇いなく真っ直ぐな目を向けて来たレンドルフに、アキハは満足そうに笑って残った紅茶を飲み干した。



「今日はもう帰っても大丈夫やで〜。ゴメンな〜随分待たせて」

「いいえ。聴取にはいつでも応じますので、何かありましたらギルドか駐屯部隊に連絡を下さい」

「ん、分かった〜。気い付けて帰るんよ〜。あ、今の話はユリちゃんには内緒な〜」

「分かりました」


アキハは飲み終えたカップをゴミ箱の中に放り込んで、ヒラヒラと手を振りながら先に退出した。そのアキハを見送るようにレンドルフは立ち上がって深々を頭を下げていたのを横目に、アキハはパタリと部屋の扉を閉めたのだった。



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「随分とスレスレのとこまで話したもんだね」

「あらあ〜嫌やわぁ〜盗み聞きなんて〜」


アキハはそのまま建物の外に出て、すっかり暗くなった空に向けてグッと両手を伸ばした。その少し離れた場所の壁に凭れ掛かるようにセイナが立っていて、くわえた煙草にマッチで火を点した。一瞬赤い光が彼女の顔を照らし出し、煙草の先に小さな赤い光を残して消える。一拍遅れて離れた場所のアキハの鼻にも、マッチ特有の軽い硫黄臭とセイナの好む煙草の銘柄の渋みのある香りが漂って来た。


「若い男と密室で二人なんだ。アンタが襲わないとも限らないだろ」

「そういやそうやったね。惜しいことしたわ〜」


お互い冗談だと分かっているので、顔を見合わせて軽く肩を竦める。


この距離ではあの部屋の会話など普通では聞こえないので、役職権限で魔道具を使用して内容を聞いていたのだろう。この治癒院では、重職に就いている者に声や映像を聞いたり記録したりする防犯用の魔道具が持たされている。セイナもアキハもその魔道具の使用権限を有していた。

基本的には薬品を扱う倉庫や金銭を管理する金庫室、重要書類の保管室などにそういった魔道具を設置してあると職員にも周知しているが、それ以外にも密かに持たされているのは、職員同士などのトラブルや業者との癒着などを防止するだけでなく、身分を隠して匿われている入院患者などを狙う暗殺者などを捕らえることにも使う為だ。


「まあ、聞いてた通りの御仁で良かったじゃないか」

「大公家の影の情報網が間違うわけないやない〜」

「そりゃそうだ」


セイナは吸った煙を吐き出しながらククッと軽く笑った。


「でも御前の機嫌は悪くなりそうだけどね。ユリちゃんが好感度を下げる要素がありゃしない」

「下がったら下がったで怒りそうやない?」

「言えてる」


ユリの祖父レンザはたった一人の孫娘を溺愛しているので、レンドルフの評価が高ければ面白くはないし、かといってレンドルフに幻滅すればユリがそれなりに傷付くことは簡単に予測が付くのであって欲しくない。なかなかに複雑な祖父心なのだ。


セイナは三度程早いペースで煙を吐き出すと、ポケットに入れていた缶型の灰皿の中に吸い殻を投げ入れる。それからすっかり習慣化している流れるような動作で、別のポケットから紙に包まれた飴を取り出して口に放り込んだ。これは煙草の香りをすぐに消してくれる特製飴だ。入院中の患者に禁煙を命じておきながら、自分が吸っているのが知られるのはあまり体面の良いものではないからだ。


「明日の朝には中央神殿から魔石が三つ届くそうだよ」

「思ったより手配が早かったな〜。一晩徹夜だけで済みそうやね」

「エイスの神殿からも緊急じゃない患者を回してくれるからね。どうにかなりそうだ」


二人はどちらともなく軽く互いの拳を合わせると、キュッと襟元を引き締めて彼女達の戦場とも言うべき治癒院の中に戻って行ったのだった。



ちょっと補足


アキハが島に戻っていないのは、ムクロジに縁談を打診された時に今までずっと聖女扱いで頼りにして来た一族含め周辺が、今後の利益の為に迷わずアキハを差し出すことを選択したことに疑問を持ち、島民の為に国に縛られる聖女ではなく治癒士を望んだのに、国から莫大な報奨金が出る聖女の道を選ばなかったことを暗に非難された為に共依存から抜け出したからです。


治癒士と医師と薬師の違い

一応資格試験があるので、受かったら名乗ることが出来る。複数持っている人は任意。


・治癒士

聖属性の治癒魔法が必須。基本的に目に見える外傷や、患者の自己申告を元に治癒をするので、鑑定魔法を併用出来ないと活躍の場が限られる為、医師や神官などとセットで行動することが多い。


・医師

治癒魔法や鑑定魔法があるとより良いが必須ではない。医学的な知識と、外科的な処置の技術が重要視される。体内に残ってしまった異物や、治癒魔法では完全に除去出来ない病巣などへの対応が必要。外科医的なポジション。


・薬師

調薬などの薬剤師な立場と、医師の診察から必要な処方を行う内科医、麻酔科医的なポジションも担っている。あらゆる毒や劇薬の所持や取り扱いが申請無しで合法的に可能なのは薬師だけ。


資格はなくても基本的な医学知識がある人が多いので、ふんわり兼任していることもあります。

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