304.詭弁か優しい嘘か
ユリが引き上げた後、様子をどこかで伺っていたのかすぐにナナシが現れ、一足先にギルドに戻って捕らえている護衛と神官見習い達を引き渡して来ると告げた。本当はレンドルフも戻って報告した方がいいのだろうが、まだ事情聴取も受けていないのでナナシの申し出に甘えることにした。
「それでは、よろしくお願いします」
「馬車ハ、ぎルどから人をやッて回収しマす。遅くナるでシたら、そのマま直帰するよウにぎルど長、連絡来テます」
「お気遣いありがとうございます」
レンドルフの方にも、今日は治癒院を辞する際にギルドカードで連絡を入れてくれればそのまま駐屯部隊の寮に戻って構わない、と副ギルド長サムから連絡が入っていた。一応明日も予定通りに森に向かうが、もしなにかあれば変更の連絡もくれるようだ。これから捕らえた者達を調べるのだろうから、あちらはあちらで色々と分かることがあるかもしれない。
ただ一人残されたレンドルフは、静かに状況を整理していた。
クリスティア・ホライズ伯爵令嬢。第二王子エドワードの婚約者候補の一人で、以前に婚約者候補達とのお茶会の護衛の為に渡された資料には「神官見習いではあるが、近い将来神官長になれるであろう才と清廉さを持ち合わせた人物」と書かれていた。ホライズ家は現国王の外戚に当たる宰相とは血縁がある一族だ。エドワードの母親は正妃であり、祖父が宰相なので、地位を盤石にする為に婚約者候補には血筋の繋がる者を入れたらしい。さすがに他の派閥との兼合いもあるので全てを宰相の身内にする訳にはいかなかったようだが、候補四名中二名が宰相の縁戚なのでそれだけの影響力を持つということだ。
エドワードの異母兄王太子ラザフォードの妃二人は侯爵家の出身なので、王族内で無駄な争いを引き起こさないように王子妃候補は侯爵家の中でも家格の低い者か、伯爵家を中心に選ばれていた。国法では余程のことではない限り長子相続が望ましいと定められている。今の王太子ラザフォードは側妃の息子ではあるが、王位に就けない程血筋が低い訳でも能力に問題がある訳でもない。むしろ思慮深く博愛主義な性格だと評判も高い。彼が立太子する時も、正妃と宰相の顔色を窺う者はいたが、表立った反対はなく満場一致で決定された。
エドワードも異母兄を慕っていたので、彼の治世を滞りなく支えて行けるように、と早い段階で自身の婚約者を決めるのはラザフォードが後継を決定してからと宣言していた。ラザフォードの後継を決定するのはまだ数年は掛かるだろうと言われているので、エドワードの婚約者候補達はまだ年若い令嬢が中心に揃えられている。エドワードと同じ年頃の令嬢では、婚約者から漏れた者が次の縁談を探すには困難な年齢になっていると判断されたからだった。
(あのご令嬢は、あまり殿下とは合わないように見受けられたが…政略にそこは関係ないか)
レンドルフはかなり遠くから警護を任されていたが、周囲を警戒する為に身体強化魔法は常時使用していた為に令嬢達の様子もよく見えていた。エドワードは騎士や冒険者などに憧れて自分の体を鍛えることが好きなタイプなので、どちらかと言うとハキハキと受け答えをする相手の方が好ましいようだ。婚約者候補達の令嬢は、何とかエドワードと友好を深めようと色々と話題を持ちかけていたようだが、クリスティアはそれでも一歩引いているように見えた。元々控え目な性格だったのもあるだろうが、遠目から見ていたレンドルフでさえ彼女があまりこの縁談に乗り気ではないことが分かってしまった。
マギーが証言した、聖魔法が濃く混じっている水を使って聖水の製造量を増やし、能力が高いように見せかける不正をしていたという話も、クリスティアが主動で行っていたのではないように思えた。積極的に婚約を望むのならば少しでも有利に働くように自分の評価を上げる為に行ったと思われなくもないが、どちらかと言うと父親の伯爵が熱心に動いてそれに従うしかなかったのではないだろうかと予想がつく。
(ああ、確かあのご令嬢の姉上が…)
不意にレンドルフは、エドワードと婚約者候補達の交流のお茶会が終了した後、その令嬢の身内が迎えに来たと言ってエドワードに近付いたのを思い出した。候補者よりも年上と思われる所作や出で立ちの艶やかな黒髪の女性で、周囲の騎士達が止めようとしたのをエドワードが「学友だから」と諌めて少しの時間立ち話をしていたのだ。レンドルフの位置からはその女性の顔は見えなかったが、その時のエドワードの表情がお茶会の最中では一度も見せなかった自然な笑顔になっていたのは遠目からも明らかだった。レンドルフと同じ位置で遠巻きに警護していた騎士達からは、退出する令嬢達を最後まで見送らずに候補者でもない令嬢に笑顔を見せる王子の姿がよく見えてしまい、周囲の空気がヒヤリとしたのを感じた。
他の三名の令嬢はすぐに退出したが、そのまま所在なげにエドワードと姉の側で佇んでいたのは確かにクリスティアだった。その姿は、事実を知らない人間から見ると、どちらが婚約者候補なのか分からない距離感だったろう。
その後レンドルフは同じ騎士仲間から、あの女性はクリスティアの姉で、エドワードと同い年で本当に学友だったと教えられた。学園に在学中、女子学生の中では成績は常に上位で全体でも10番以内から落ちたことのない優秀な成績を残し、水と風の複数属性を持っていて魔力量も豊富だという。そして家格や血筋も申し分ない令嬢で、実際エドワードとの婚約の話もあったそうだ。しかしエドワード自身が兄の将来に影を落とさないように婚姻は先延ばしにすると宣言し、同い年の令嬢が婚約者では無駄な時間を過ごさせてしまうことになると自ら断りの話をしたそうだ。
現在の第二王子の縁談はそういった事情を鑑みて、将来的に婚姻をする時期に成人を迎える年頃の令嬢が候補として選ばれている。その中に、姉は年齢的なことで叶わなかったがちょうど望まれる年齢の妹がいたことで、クリスティアが候補の中に入ったのだった。
口さがのない一部の者は、姉とも縁が切れないで済むことをちらつかせてホライズ伯爵は妹を婚約者候補に捩じ込んだのではないかと邪推されることもあった。このまま王太子の後継が決まれば、万一の予備としての立場だったエドワードはそれなりの地位を賜って臣籍降下することになっている。その際にクリスティアが妻となっていれば、裏で姉を愛人に据えて寵愛することも可能ではないかと下衆な考えを述べるものさえいた。護衛などでエドワードの人柄はそれなりに知っているレンドルフは、それを聞いて酷く気分が悪い思いをしたのを覚えている。いくら予備とは言っても第二王子と言う身分なので、王族の中では大分自由に生きることが許されている。そのせいかエドワードは裏表のあまりない闊達な性格で、少々思い込みが過ぎるきらいはあるが真っ直ぐなところが騎士達の間では好ましい人物と評されている。
あの時のクリスティアの姉との様子は、多少婚約者候補の令嬢達に対して気の回らないところはあったにしろ、ただ単に久しぶりに学友に会えて嬉しくなってしまっただけだと思われた。少なくともレンドルフがそう思うくらいには、エドワードが姉を手に入れる為に妹を蔑ろにするような真似はしないと信じていた。
レンドルフは近衛騎士だった頃は、どちらかと言えば王太子付きの護衛が多かった。その為エドワードの婚約者候補達についての進捗状況はあまり詳しくなかった。しかも今は近衛騎士を解任されて役職も何もない平騎士になっているので、そんな情報は入っても来ない。
しかし何となく、クリスティアが正式な婚約者に選ばれることはないような気がしていた。候補四名の令嬢の中で、おそらく最も有力なのはクリスティアではない方の宰相の縁戚の令嬢ではないかと最初から名が挙がっていた。そちらの令嬢は宰相の孫、つまりエドワードの母方の従妹になる。もし一つ瑕疵になるとすれば、その令嬢の父の身分が低かったことくらいだろう。それくらいならば宰相や正妃の後ろ盾でどうとでもなる程度だ。それにエドワードの後ろ盾として息の掛かった者を嫁がせるなら、クリスティアでなくてもいい訳だ。
(おそらく今回のことで婚約者候補からは脱落するだろうな…いや、今後の縁談も難しいだろう。…気の毒なことだな)
もしクリスティアが不正を行っていたとしても、ダリウスに間違った回復薬を投与したとしても、そこまで大きな問題にはならない筈だ。それを揉み消すくらいはホライズ伯爵にも出来る立場であるし、もしそれが出来なくても更に上の者がどうにかするだろう。しかし、彼女があんな風に体に影響のある薬物を飲んでしまったことが問題だ。
高位貴族や王族は、その血統を守り維持して行くことが重要な義務の一つだ。それは各家が所持している血を引く者のみが使える古代遺物であったり、豊富な魔力量であったりを失わない為でもある。だからこそ、次代を生む女性の体に少しでも問題があることを必要以上に忌避する風潮が色濃く残っている。もし体に影響のある毒などを摂取してしまった場合、いくら神官や医師が健康上問題ないと証言しても、将来的に何らかの影響が及ばないとも限らないと縁談を避けられることがあるのだ。勿論そこまで気にしない者も多いが、王家は王都全体に敷かれた防御の陣に魔力を注ぐ役目が王族のみである故に、当人達の意思ではなく国の安全と存続の為に血統の維持は最重要なのだ。
もしレンドルフが以前に見た印象のままクリスティアが縁談に乗り気ではないのなら、もしかしたら候補から外れることは幸いなのかもしれない。が、だからと言ってその後の彼女の人生に暗い影を落としかねないことなのは変わりがない。
まだ年若い令嬢がむざむざと瑕疵を作るような真似を止め切れなかったことは、レンドルフを石を飲み込んだような重い心地にさせたのだった。
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「ああ〜レンくんここにおったのねぇ〜。あ、レンくんて呼んでもいい?うちのことはアキハでええで〜」
「はい、勿論です。その、あのご令嬢は…」
「まだ意識は戻らんよ〜。ひとまず小康状態ってとこまで来たんでぇ、うちはちょっと休憩取らしてもらった〜」
「あ、それなら俺は外しますね」
「いいよいいよ〜。一人でいると絶対寝るから、ちょっとだけ話相手してて〜」
外は日が暮れてすっかり暗くなった頃に、部屋にアキハがやって来た。その顔には随分と疲れが見えたが、レンドルフの顔を見るとパッと明るい表情になった。
レンドルフが疲れている彼女の負担を少しでも減らそうと置かれていたカップに紅茶を注いでアキハの前に差し出すと「男前の淹れたお茶や〜」と妙に喜ばれた。
「なあなあ、レンくんはユリちゃんのこと大事にしとる?」
「ゴホッ…は、はい」
唐突にアキハに訊かれて、レンドルフは思わず噎せかけてしまったが、どうにか堪えて返事をした。一瞬喉が詰まってしまったからなのか、それとも別の理由からなのか顔が熱くなった気がした。
「ユリちゃんはうちの娘みたいな子やから、粗末に扱ったらタダじゃ済ませんよ〜?」
「それは当然です。絶対にしません」
「泣かせたりはしてない〜?」
「う…そ、それは…申し訳ありません…」
探るような上目遣いでアキハに覗き込まれて、レンドルフは素直に頭を下げた。その反応を見て、レンドルフは気付かなかったが彼女の紫色の瞳に冷たい色が浮かぶ。レンドルフは決してユリを粗略に扱う真似はしていないと断言は出来るが、泣かせていないかと言うと実際泣かせてしまったことがあるのでそこは謝るしかない。
「それは何で?」
「俺が未熟だったからです。怪我をして心配をかけさせてしまった結果です」
「そのことについては今後はどうするつもりかな?」
「…そうさせないように肝には命じますが…しかし、きっと同じようなことはしてしまうでしょう」
「……レンくんは『騎士様』なんやね」
頭を下げたままの姿勢で、レンドルフは膝の上に置いた手をギュッと握り締めた。出来ることならばユリを不安にさせたり泣かせたりするようなことはしたくない。それでもレンドルフは怪我と無縁ではいられないことも分かっている。以前ユリにも言ったことだ。
言葉ではいくらでも「もうしない」と言うことは出来るが、レンドルフはそれだけはしたくない。それは絶対に嘘になるからだ。どんなに責められても正直に答えることがレンドルフにとっては最も誠実な対応だった。
不意に、頭にフワリと柔らかな感触がした。驚いて顔を上げると、正面に座ったアキハがレンドルフの頭を撫でていた。弾かれたように顔を上げてしまったので、額の辺りに彼女の小さな手が乗せられているような姿勢になってしまった。ユリよりは指の長い手だが、少しだけ荒れた指先とひんやりとした感触がユリを彷彿とさせた。
「いやぁ〜レンくんも息子みたいにいい子やわ〜」
「弟ではなく、ですか?」
「あらぁ〜お固そうに見えて口も上手いとはね〜」
ユリから聞いた話だとアキハはレンドルフの兄とほぼ同世代なので、レンドルフの感覚からすると間違いではないのだ。
「ユリちゃんから聞いてる、うちのこと?」
「ユリさんの主治医だったことと、元聖女候補だったことは。それと彼女のお父上と旧知だと」
「…ああ、そういう説明したのね」
レンドルフの答えに、アキハは少しだけ困ったような表情になって微笑んだ。レンドルフはもしかしたら聞いてはいけなかったことを聞いてしまったのだろうかと不安になった。その考えをすぐに察したのか、アキハは「そうじゃなくて」と慌てて首を振った。
「旧知っていうか、ユリちゃんの父親の元婚約者なんよ、うち」
笑いながら告げたアキハの爆弾発言に、レンドルフは言葉もなく目を見開いたのだった。
そのうち何らかの形で絡んで来るとは思いますが、現在の王族の状況をざっくりと。
貴族の間ではふんわりと穏健派(国王)と革新派(宰相)と中立派という派閥があります。大半は中立派だけれど、革新派の声が大きいので目立ちがち。
国王
正妃(宰相の娘)・第一王子(故人)、第二王子エドワード
側妃(中立派)・王太子ラザフォード
他に王女もいますが、他国に嫁いでいます。元々第一王子が長子だったので次期国王でしたが、立太子直後に死亡した為、ラザフォードに王位継承権が移りました。正妃は10年近く次子を授からなかった為にラザフォードの立太子も賛成していましたが、その直後にエドワードが生まれた為に少々複雑な立場に。
王太子ラザフォード
王太子正妃(穏健派)・第一王女、第二王子
王太子側妃(宰相の孫)・第一王子、第三、四王子(双子)
現在後継は確定しておらず。第一王女の方が数ヶ月生まれが早いので、将来的な火種になると危惧されています。正妃と側妃の差は、先に子を産んだ方を正妃にするという王太子の宣言で差が付いただけで、家格は側妃の方が上です。
第二王子エドワード
婚約者候補が四人いますが、特に贔屓はいない模様。
内訳は、侯爵令嬢(穏健派・旧家だが貧乏で政治的影響力は皆無)、伯爵令嬢(中立派)、伯爵令嬢(宰相の孫)、クリスティア(革新派・宰相の縁戚)
レンドルフのような武門の家系は中立派が殆どです。
アスクレティ大公家はどこにも属していない特殊な立場で、大公家自体が一つの大きな派閥のような扱いです。