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閑話.マギーとダリウス


マギー・ストライト


あたしは、すごく幸運だと思ってた。



マギーは孤児だ。幼い頃に両親を事故で喪って孤児院に引き取られた。

孤児院での扱いは良くもなかったが悪くもなく、ただうっすらと記憶にある両親の顔と、まるで鏡に映したみたいな同じ顔をした双子の兄ダリウスがいるので、生まれてすぐに孤児院に連れて来られた子や、天涯孤独な子に比べれば、ずっと幸運な人生だと思っていた。


更に幸運は続き、子供のいない貴族の家に兄妹で引き取られることになった。普通ならば跡取に望まれるのは男の子が多かったので、きっとダリウスとは離ればなれになるだろうとうっすら覚悟していたが、こんなに仲の良い兄妹を引き離すことは出来ない、とまとめて迎え入れてくれたストライト男爵夫妻がマギーには神様よりも偉く見えた。

領地を持たない末端の貴族であったのであまり平民と変わらない生活であったが、そこまで困窮する訳でもなくただ穏やかに何気ない日常の幸福に感謝して暮らして行けるのだと思っていた。


しかしそんな折、夫人が病に倒れた。病は重く、完治の見込みは薄く、ただ高額な薬を飲み続けることだけが唯一の対策だった。それでも夫人をこよなく愛していた男爵は、静養に向いていると勧められた王都から遠い領地に移り住み、そこで臨時の教師の職を得た。

本当の親子のよう、とまでは言えなかったが、マギーもダリウスもきちんと教育も穏やかな生活も与えてくれた男爵夫妻の為に何かしたいと、王都に残り働くことを決めた。まだ貴族が通う学園に入学する年齢ではなかったので共に来ていいのだと夫妻は勧めてくれたが、二人とも社会勉強だからと言ってそのまま王都で暮らすことを選んだ。本当の理由は、静養先の場所は穏やかな田舎街らしいが仕事を見付けて稼ぐには不向きなところだったからだが、そのことについては二人とも触れなかった。


兄ダリウスは聖魔法の使い手だったので、中央神殿で神官見習いとして雇われることが出来た。だがマギーは、魔力はそれなりに多いのだが外部に向けて発現が出来ず、一般的に「魔力無し」と見なされた。

もともと孤児院では手に職を付けられるようにと訓練は受けていたので、それを生かして縫製工場に住み込みで働くことになった。給金はあまり高くなかったが、住むところだけは確保されていたのでマギー一人で生活するくらいはどうにかなった。


(本当は給金を養父(とう)さんに送りたいけど…せめてあたしに掛けるお金がなくなった分だけでも養母(かあ)さんに回してもらえれば)


ダリウスの方はマギーよりもずっと稼ぎがよく神殿に衣食住は保証されているので、定期的に仕送りを送っていると聞いていた。そのことに焦りを感じないと言えば嘘になるけれど、男爵家とは言っても令嬢に掛ける金額は令息よりも遥かに多いので、その差し引きで今は大目に見てもらおう、と自分に言い聞かせていた。



「僕は、裕福な貴族の婿になろうと思う」

「は…?ちょ、ダリウス、何言って」

「だからマギーは婿を取って、ストライト家を継ぐんだ」

「待ってよ!だって、ダリウスが養子になったのって、跡継ぎにする為」

「僕一人ならね」


ある日、会えないかとダリウスに呼び出されたマギーは、指定された個室のレストランに赴いた。少し裕福な平民でも使える店だが、そんな店に初めて入ったマギーには大貴族のお屋敷のように思えたため、こんな場所に来て大丈夫なのだろうかと顔色を悪くしながら案内をされた。

水だけでいい、と主張したマギーだったが、その方が却って失礼だとダリウスは勝手に二人分のコースを注文してしまった。メニューも見せてもらえなかったマギーは最初のアミューズで卒倒しそうになったが、ダリウスは「僕が呼び出したんだから、僕が奢るよ」と涼しい顔で皿に美しく盛りつけられた鴨のコンフィにナイフを入れた。

仕方なくマギーも複雑過ぎて美味しい以外によく分からない料理を平らげ、最後のデザートが出て来た時点でそんなことを言い出したダリウスに目を白黒させていたのだった。


「今だから言うけどね、本当はストライト男爵家に引き取られるのは僕だけだったんだ。でも僕はどうしてもマギーと一緒じゃなきゃ嫌だって言い張って、優しい夫妻は我が儘を聞いてくれた」

「え…今更!?何で今更そんなことバラす訳?そういうのは墓場まで持って行ってよ!」

「だから僕がその償いに婿に行くんだ」

「待ってよ!その話だと、あたしが家を出るのが普通でしょうが!」


ダリウスに面と向かって言われたのは初めてではあったが、マギーも引き取られた時点で薄々感じてはいたのだ。領地もなくそこまで裕福ではない男爵夫妻が、手のかかる子供、ましてや同い年の子を二人も引き取るのはおかしいと孤児院を出る時にやっかみ混じりで他の子達にさんざん言われていた。今は女性も当主になれるらしいが後継にするならやはり男の子の方が何かといいらしいし、女の子の縁組みを望む家は政略の駒としての将来性を見越した外見の子を選んでいる現実があった。マギーも物心ついた時から、孤児院に来る里親希望から滲み出る空気は肌で感じていた。だからこそ何の取り柄もなく、目立った容貌でもないマギーが引き取られたのはひとえにダリウスが望んだからだろうと感覚的に理解していたのだ。


「あの時は僕も物知らずだったからね。女性にあんなにお金が掛かるなんて想像もしなかったから、図々しいお願いが出来たんだよ。物知らずの子供って怖いね」

「それをしたのはダリウスじゃないの…」

「うん。だから償いなんだよ」

「意味が分かりませんけど?」


マギーは個室で他の人の目が無いのをいいことに、皿の上に並んだ小さな赤いクリームの乗ったケーキをフォークで上から刺すと、一口で口の中に入れた。甘酸っぱいベリーの風味が口一杯に広がるマギーの好きな味だったが、ダリウスの話のせいで半減したように思えた。


「マギーを嫁に出すには、持参金が必要だろ?男爵家と言っても貴族だ。その額は平民の年収の何倍にもなる」

「あ…」

「まあ誰かに見初められて熱心に…って話になれば持参金は要らないと言われることもあるけど」

「あたしには無理」

「だよね」

「失礼な!…で、でもまあ、無理なのは分かる」

「うん」


こんな話は普通に言われれば噴飯ものな内容ではあるが、生まれた時から一緒にいる同じ顔をした相手に言われてしまうとマギーも頷くしかなかった。マギー自身も、どちらかと言えば可愛らしい部類ではあるが「絶世の」と冠する程ではないことは承知していた。それに何よりも圧倒的に見た目が幼い。正直自分の見た目に惹かれてやって来る男性はロクなのがいないと思っているので、相手からアプローチされたら全速力で逃げる未来しか見えない。強いて言うなら魔力量は多い点が売りになるが、魔法を使うことが出来ないので次代に期待を繋げるという随分とギャンブル要素が強い。血筋も平民出身の孤児であるし、勉強の出来も程々だ。


つまり持参金は要らないから、と言って熱烈に求めて来るような相手と運命の出会いは期待出来ない。


「だから、さ。僕が貴族の令嬢を射止めて婿入りして、男爵家の援助を得る。それでマギーは養父(ちち)上の伝手かなんかで堅実な相手を婿に迎えることが全部丸く収まるんだよ」

「待ってよ、それじゃダリウスは?あんたはそれでいいの?」

「いいに決まってるじゃないか。僕は勉強も嫌いじゃないし、領地経営ってのにも興味あるしね。それにさ、妻一人を大事にすればいいだけだし。僕には大したことじゃない」

「そ、れは」


同じ顔をしていても、性別が違うだけでダリウスは昔から良くモテた。性別不詳の中性的な見た目なので女性は気負わず近付けるらしく、そこに頭の回転が速く相手の望むことをすぐに察して惜しげもなく言葉にできるダリウスに、近付いた女性達は少し言葉を交わしただけで次々と陥落するのだ。それこそダリウスが女性だったら「持参金は要らない」と言い出す相手が何人も現れたかもしれない。


「僕はさ、あんなに優しい人達が報われないのを見ていたくないんだ。だから僕が、僕の力で報われるようにするんだ」

「そんな神様みたいなこと…」

「僕は神様はあまり信じてないんだ。だって僕が神官見習いになっても、何のお咎めもなかったし」


ダリウスはそう言って、マギーと同じ顔なのにマギーでは絶対に出来ないような腹黒さを滲ませた笑顔で言い切ったのだった。



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ダリウス・ストライト


僕が、全ての黒いものを引き受けた。


ダリウスには、双子の妹マギーがいる。ミルクティー色の髪に、ピンク色の瞳まで揃いの双子だ。時折同じ顔をしていると言われる度に「ちゃんと目付いてます?」と冷笑で返したくなるのだが、そこは堪えて言わずに適当に合わせて答えを返していた。

確かに顔の造作は似ていたが、表情があんなにも違うのに何故気付かないのだと苛つくのだ。


両親は事故で亡くなり、兄妹で孤児院に引き取られた。親の顔は全く覚えてなかったが、マギー曰く髪は父親、目は母親に似ていると言うことだった。だがダリウスは他の孤児達よりも親を知っているという悪気のないささやかな優越感が産み出したマギーの想像の産物だと思っている。が、敢えてそれを指摘する程()()()()()はなかった。


マギーは辛く苦しいことがあっても、持ち前の明るさでどんどん前に進んで行く。その分無鉄砲で考えなく突っ込んで行くところもあるが、ダリウスはその後始末をしながらフォローして行く方が性に合っていた。マギーが好き放題荒らした道を、まるで何事もなかったように誰にも気付かれずに整えて振り返った時が何よりも好きだった。そのことに誰にも気付かれずひっそりとほくそ笑むことが最高の気分だったのだ。

物心ついたときからそんな性格だったので、きっと母親のお腹の中でマギーの黒い部分を全部貰ったのだろうと思っていた。


そんな自分が、何故か聖属性だと判明した時は、思わず笑うことも忘れて呆然としていた。そして頭の片隅で「ああ、神様は本当にいい加減で信用ならないんだな」と理解してしまった。

そのすぐ後に、ダリウスには何件も養子の話が来た。孤児院の教育では限りがあるが、その中でも非常に優秀な成績を修めて、しかも聖属性持ちならば将来的にも有望なのは確約されているようなものだ。しかし話を申し出た者達に、ダリウスはマギーと一緒に引き取ってもらえることを条件に出した。勿論妹のことを心配していたのもあったが、ダリウスにとってはいくら優秀で人格者な振りは得意でも四六時中ではボロが出ると分かっていたので、マギーが掻き回すことで目を逸らしてもらおうという自分本位の気持ちの方が強かった。


その中で条件を受けてくれたのは、ストライト男爵夫妻だった。条件を聞いて唯一理由を問い質すことも不満を漏らすこともなく、むしろ「気が回らずに申し訳ないことをした」と頭まで下げて来たのでダリウスは絶句した程だった。あまりにも人が良過ぎて心配になったが、ダリウスは将来的に男爵家を自分が好きに出来ると期待込みでストライト男爵家を養子先に選んだ。


そこからはしばらく穏やかな日々が続いていたが、夫人の病によって脆くも崩れ去ってしまった。


男爵は神学研究者であるからなのか、非常に信仰心の高い人物だった。愛する妻と子を成せなかったことや、更にはその妻が病を得たことでもその信仰心は揺らがなかった。夫人も男爵と同じように優しく常に神に感謝して生きているような人物だった。ダリウスからするとこんなに心の奥では不信心で不敬極まりないことばかり考えている自分が聖属性を発現して、彼らが不幸に見舞われることが納得行かなかった。

最低限夫妻を悲しませないように表面上は大人しくしていたが、ダリウスの中には神への信頼はなく、自分の力で財を築いて男爵家を大きくして行くのだと心に刻んだ。



ダリウスが仕えていた中央神殿には、多くの貴族が神官として働いていた。神官になるには明確な資格はないが、やはり治癒や浄化を扱える者が多かった。そして神殿が一手に製造を担っている聖水は聖属性の魔力が必須になる為、聖属性の者は特に優遇されていた。ダリウスもそこまで魔力量は多くないが聖属性を有している為、すんなりと中央神殿で働くことが決まった。見習いであっても普通にどこかで働くよりも給金の条件が良かったので、おかげで随分男爵夫妻に仕送りをすることが出来たのだ。


神殿は等しく神に仕える者達が集う場と言われているが、やはり明確な身分差は存在する。高位貴族であれば魔力量が多くなるので、自然と神殿内での地位も高くなるので当然のことであった。


ダリウスはその中で、自分が孤児院にいた時と同じようにモテることを確認して、一時的な箔を付ける為に来ているような貴族令嬢に取り入って婿に選んでもらうことを思い付いた。学園に通うようになればまた出会いもあるだろうが、少しでも機会は多い方が良い。それに神殿に仕える者は女性の方が多いのだ。学園に行くと男女比は同じくらいと聞いているので、有利なうちに婚約までは確約させたいと考えていた。ダリウスは人の良さそうな笑顔を浮かべながら、裕福そうな貴族令嬢をさり気なく観察し始めた。



「どうかなさいましたか?」

「あ…」


ダリウスは休憩の為に一人になれそうな穴場を見付けていて、今日もそこに向かったのだが残念なことに先客がいた。一瞬、つい顔が険しくなりそうだったが、小さく膝を抱えて座り込んで膝頭に顔を埋めているような姿勢の人物は、顔は見えなかったが着ている神官服の生地の質や髪の艶の差から明らかに貴族令嬢だと気付いてダリウスは優しげな表情に切り替わった。

基本的に神殿に仕える神官や神官見習いは身の回りのことは自分でするように言われているが、貴族出身の者は広い部屋を与えられて生家から連れて来た世話係が付いている。特に年若い未婚の貴族令嬢ならば、護衛を潜ませていることもある。令嬢だけでなく周囲を固める者にも好印象を与えることは重要事項の一つだ。


ダリウスが十分に気を遣って優しく問いかけると、相手は驚いたように顔を上げた。艶やかな黒髪に切れ長で知的な金茶の目をした大人びた印象の令嬢だった。どうやら先程まで泣いていたのか、今は涙は出ていなかったが目の回りが赤くなって、睫毛が濡れて束になっているのが分かった。


「あ、申し訳ありません!すぐに立ち去りますので」

「あ…あの…」

「大丈夫です。誰にも言いませ…いえ、見なかったことにいたしますので」


あくまでも紳士的な態度でダリウスはすぐにその場を辞した。ダリウスは婿入り先を探してはいるが、いきなり令嬢と二人きりになるような距離の詰め方はよろしくないのは分かっている。それに誰かに見られてダリウスが泣かせたなどと噂を立てられても困る。あくまでもダリウスは自分本位に退散しただけなのだが、座り込んでいた令嬢はダリウスが去った後を姿が見えなくなってもしばらく潤んだ目で見つめていた。背を向けていたダリウスは、その視線に全く気付いていなかったのだった。



数日後、ダリウスが例の穴場でのんびりと休憩をしていると、先日の令嬢がやって来た。

彼女はクリスティアと名乗り、先日のことを誰も噂にもしていないので約束通り黙っていてくれたことに付いて礼を言う為にわざわざやって来たらしい。


そんなことが切っ掛けで、ダリウスとクリスティアはこの場所で言葉を交わすようになって行った。

ここに来る際には、近くの聖堂で祈りを捧げるのを途中で抜け出しているらしく、侍女も護衛も同行していなかった。勿論長く席を空けていれば発覚してしまうので、ダリウスと言葉を交わすのは10分程度だ。最初は面倒だと思いつつも追い払う訳にも行かずに、適切な距離を取りつつ紳士的に振る舞っていたダリウスだったが、段々とクリスティアと過ごすこの僅かな時間が楽しくなりつつあった。


交わす会話は取りとめのない日常のことが主だったが、時折クリスティアの言葉の端々に滲み出る苦悩を読み取れるようになると、自分よりもずっと大人びた顔立ちの彼女がひどく頼り無さげで幼く見えた。まるで迷子のような表情に、ダリウスはどうにか笑顔になってもらいたいと思うようになって行った。


「わたくしは、どんなに頑張ってもお兄様やお姉様のようにはなれないのです。何の取り柄もない落ちこぼれなのです。それなのに…」

「私には貴女は努力という才を持っているように思えますが?」

「そうでしょうか…」


クリスティアには優秀な兄姉がいるらしく、尊敬していると同時に彼らに対して劣等感を抱いているようだった。その最大の理由が、現在話が進められているクリスティアの縁談だった。


「本当はお姉様がなる筈でしたの。けれど、年齢的な理由でわたくしが選ばれてしまったのですわ。もしこの縁談が成立して嫁ぐことになれば、一番の落ちこぼれのわたくしがお兄様やお姉様よりも身分が高くなってしまうことが恐ろしいのです」


クリスティアは別に実家で冷遇されていると言う訳ではなかった。ダリウスに何もかも正直に話してはいないだろうが、聞いた限りでは貴族らしい一家、という印象だった。クリスティアの言う「恐ろしい」とは、優秀な人間を差し置いて自分が上に立ってしまうことへの重圧の類に近そうだと思いながらダリウスは相槌を打つだけにしていた。


(他に縁談が進んでいるなら適当にあしらって距離を取るべきだ…)


末端の男爵家であるし、まだ未成年のダリウスは貴族社会には明るくない。高位貴族の子女ならば幼い頃からお茶会などに連れて行かれて顔を広げることをしたり、親から相手の家格や家庭環境などを教えてもらうのだろうが、ダリウスにはその方面への知識が全く無い。

少し距離が近くなったクリスティアは、高位貴族であり裕福な出身なのは察したが、長子でもなければ既に身分の高い者との縁談が持ち上がっている為、ダリウスの望む婿入りの話はまずないだろう。本来ならば、これ以上仲を深めずに自然と距離を取るべき相手なのはよく理解していた。相手に気付かれないように、不快感を抱かれないように円満に距離を取るのはダリウスの得意とするところだ。

しかしダリウスは何故か、高位貴族の箱入りのご令嬢には珍しく高慢なところのない、むしろそんなに気も押しも弱くて貴族社会で生きて行けるのか心配になってしまうクリスティアから離れられずにいた。


「ダリウス様の前ではいつもみっともない言い訳ばかりしてしまいますわ」

「それで貴女のお気持ちが少しでも楽になるのなら、いくらでもお聞きしますよ」

「…それでは貴方のご負担になってしまいます」

「こうしてお話し出来ることが私の楽しみなのですよ」


彼女と付き合っていても利はない、とダリウスは分かっていても、どうしても遠ざかることが出来ないまま密かにクリスティアとの僅かな逢瀬は半年程続いていた。勿論距離は十分に取っているし、指一本触れたことはない。それでもダリウスはその時間を心待ちにしている自分に気付いた。



「お父様が、不正をしてまでわたくしの縁談を成立させようと…わたくしが出来損ないだったばかりに、お父様まで悪事に手を染めさせてしまいましたわ…!」


そんなある日、珍しく先に来ていたクリスティアが、初めて会った時のように座り込んで顔を伏せていた。あまりにも様子がおかしかったのでダリウスが色々と尋ね、彼女は大分言い渋っていたがとうとう堪え切れなくなったのかまるで血を吐くような苦しげな声で絞り出すように驚愕の事実を告げたのだった。


クリスティアは、やはり高位貴族だけあって魔力量も多い方ではあったが、聖属性の魔法の中で最も求められる治癒魔法が使えなかった。彼女が行使出来る魔法は浄化魔法と、弱い結界魔法だけだったのだ。彼女の魔力量のままに治癒魔法が使えたなら、間違いなく神官長に選出されていただろう。今のままでも神官長の地位は得られるかもしれないが、その場合は実家の後ろ盾と莫大な寄付によって設えられた椅子であって、実力で選ばれたとは言い難い状況だ。実家の力も実力のうち、と思い切れればいいのだろうが、彼女の性格では「金で買った地位」と揶揄されれば針の筵になるのは明らかだ。


クリスティアの話によると、聖水を作る原料となる聖魔法が含まれている水を指定された採水地よりも魔力の濃い上流で密かに採取して来て、それに金を払って優先的に回してもらい精製する聖水の量を実力よりも多く見せかけているというものだった。現在指定されている採水地は、周囲の環境を壊さず安全が確保されていることを入念に調査して国が決めた場所だ。その場所以外で大量に採水すれば、最悪聖魔法を含んだ水を入手することが出来なくなる危険性もある。それを分かっていて、クリスティアの父は高額な金を出してまで娘が高い実力を有していると思わせたいようだった。


近頃のクリスティアは魔力が不安定で、聖水を精製する量にも著しく差があった。しかし最近は以前のように安定して、前以上の精製が可能になったので安堵していたのだが、その心の余裕が違和感を覚えさせた。そしてよく観察してみると、自分の扱う水と他の者が扱う水とでは明らかに含まれている魔力が違っていたのだ。

幼い頃からずっと姉のように慕っていた侍女兼護衛のエイリに調べてもらったところ、自分の父が不正を知りながらも魔力を多く含んだ水をクリスティアに行くように手を回していたのだと発覚したのだった。


治癒魔法を使えないクリスティアは、それでも誰よりも大量の聖水を作り出せるということで少しでも優位に立たせたい親の思惑に心を痛めていた。


「では、禁じられている採水地以外での水を汲んでいる者がいるのを表沙汰にしてはどうでしょう」

「え…?ですがそれは」

「私も聖水の精製作業をしていますが、明らかに実力以上の量を精製している令息が何人もいます。ですから元を断ってしまえば、買っていた者達はそのまま有耶無耶になりますよ」

「そんなこと…買った者も不正を行ったのに…」

「確かに不正かもしれませんが、今のところ大きな損害は出ていないですし、少しでも神官の負担を軽くしつつ大量の聖水を作りたかった、くらいの理由で済むのではないでしょうか。今ならまだ軽い罪で終わる筈です」

「そう、でしょうか」


ダリウスも聖水の精製作業をしていて、自分よりも魔力量が少ないのに親が高位貴族の令息達が大量の聖水を納品しているのには気付いていた。ダリウスだけではなく、聖水の精製作業に携わる者の大半は気付いている。今まで数本しか作れなかった者が数十本も完成させるのだから、怪しまれて当然だ。しかし相手が高位貴族なので誰もが口を噤んでいる。

もし不正を誰かが糾弾しても、彼らの実家が揉み消すだろう。だから末端を正すよりも、元の水の供給を断ってしまえばいいとダリウスは思ったのだ。そうすればあの親の七光りだけで威張り散らしている令息達も、再び聖水の精製数は最下位に落ちる。どちらかと言うとダリウスは、そんな彼らの悔しがる顔の方を見たいと言う気持ちの方が大きかった。


「それにもし全ての不正が明るみに出れば、貴女のお父上も罪に問われるかもしれません」

「そんな…!それはわたくしが落ちこぼれだからいけないのに…お父様の責任では」

「ですから、今のうちに止めてしまいましょう。私が次の採水に参加すると希望を出します。そこで採水地以外で水を持ち出している者を突き止めて明るみに出します」

「でも、それではダリウス様に危険が」

「それなら大丈夫です」


採水地に行く場合は非戦闘員の神官見習いに護衛が付くが、その護衛にバレないように別の場所で水を汲むとなると魔獣の襲撃に遭う危険度が増える。個人で結界の魔道具などを所持していれば安全は確保出来るかもしれないが、結界の魔道具は高価でダリウスが入手出来るものではない。

しかしダリウスは、保管期限が切れた聖水を処分する水槽があるのを知っていた。それを知ったのは偶然ではあったが、そこには効果がなくなってしまった聖水が溜められているということになっているのだが、まだ完全に抜けてはいないのだ。万一効果が弱まっている物を販売しては信用に関わるので、保管期限は確実に効果が維持されている期間を設定している。つまり処分された物にも、まだ十分聖水としての効果が残っているのだ。それをそのまま下水に流すと問題なので、その水槽に一定期間溜め置いて完全にただの水になってから廃棄している。

つまり廃棄前の水槽の水を全身に浴びて行けば、ただ同然で魔獣避けの聖水の加護を得られるのだ。


「私にお任せください。貴女がこれ以上心を痛めないよう、上手く穏便に済ませてみせますよ」


ダリウスが胸を張ってそう言うと、クリスティアは花が綻ぶような笑みを浮かべた。まだ目の端に残っていた涙がその弾みでポロリと頬を伝ったので、ダリウスは考えるよりも早く思わずその涙を自分の指の腹で受け止めていた。


「…!し、失礼しました!」

「い、いいえ…」


自分の行動に驚いたダリウスは慌てて手を引っ込めて深々と頭を下げた。しかし、初めて一瞬だけ微かに触れたクリスティアの柔らかな頬の感触は、ダリウスの胸を必要以上に弾ませていた。


「その…お気を付けてくださいませ、ダリウス様」

「はい、必ずや貴女の憂いを晴らしてみせます」


どうしても顔を上げることが出来ないダリウスは、俯いたままその場を走り去った。


(何やってるんだ、僕は!)


走りながらダリウスは、頭の隅で「今日は気温が高いだけだし!」と火照る顔を自覚しながらどこへともなく言い訳をしていたのだった。



ダリウスくんは頭が良い分「みんな僕の本当の姿を知らない(暗黒微笑)」みたいな年齢由来のハシカ的な感じです。多分数年後に頭抱えて悶えるヤツです。

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