302.多重厄介な案件
「患者はクリスティア・ホライズ、14歳女性。魔力量はCの上からBの下。属性は聖で…潜在属性も聖、と。一応既往症もなさそうだ」
「摂取量は〜薬瓶半分程度だけど〜。五倍希釈だから両手両足分は優に越えとるね〜。うん、ヤバいわ」
部屋の中には、真っ直ぐな黒髪の少女がベッドに横たわっていた。治療の妨げになるので、身に付けた魔道具や装身具は全て外されている。意識はないらしく表情は何もないが、顔色が白いを通り越して土気色に近い。唇や目の周辺の皮膚の薄い辺りはもはや紫に近くなっている。口には酸素を送る医療用魔道具が挿管されていて、その動きに合わせて胸が上下しているような状況だった。
「どこに装着しますか?」
「うううん。やっぱり内蔵の修復最優先にしたいし、お腹回り辺りに付けてもらえる〜」
「分かりました」
ユリは自分の胸の下辺りに巻き付けている装身具を引っ張り出した。それを巻き付けやすいようにセイナがクリスティアの上に掛けてある布を捲り、治療の為に切られている服の前面を開いた。完全に脱力している彼女の体を少しだけ抱きかかえるように浮かせて、ユリが手早く背中に手を差し入れて装身具の体に巻き付けた。
体の小さいユリには少々大変な作業ではあるのだが、この装身具は万一のことを考えてユリが装着から起動までの一連の動作を行わないと発動しないように条件付き付与が掛けられているのだ。この装身具はあらゆる解毒が可能ではあるが、悪用する方法も幾らでもある諸刃の剣のような道具だ。今のところいくら制限を付けて一部の人間にしか使用出来ないようにしたとしても、法的な抜け道が無限に存在している。その為まだ時期尚早とレンザが判断して、この装身具は大公家の力を持って秘匿しているのだ。
そこまで厳重な管理を必要としている装身具であるので処置に当たるのはユリ以外は大公家諜報員の二人のみではあるが、この二人は院内でも一目置かれている程の実力なので人払いしてもそこまで不自然ではなかった。それにユリが師事している薬師セイシューは、医療従事者の間では伝説扱いの凄腕薬師だったのだ。彼の名を出して「弟子が試作薬を持って来た」と言っておけば周囲は納得するだろう。
「このご令嬢、どうして五倍希釈の魔力回復薬なんか…」
「まだ全部の聞き取りが終わってないから推測だけど、彼女は『特別な回復薬』と言われて渡されたらしい。ま。あくまでも現段階では『らしい』に過ぎないけどね。この娘の思い込み、ってこともある」
「…そうですね」
ユリが横たわっているクリスティアをみてポツリと口をついて出てしまった呟きを、鑑定魔法を掛けながら慎重に装身具を外して治療に移行するタイミングを計っているセイナが拾って返した。
体の怪我などを治す回復薬は、怪我の状態によって等級が違うものがある。何でも強いものを摂取していては却って体に負担が掛かる為に推奨されていないので、専門家がいない場合は基本的に効き目の弱いものから試すことが一般的な知識として広く知られている。騎士や冒険者などの使用頻度の高い職業の者は、体感的に怪我の度合いを理解しているので専門家がいなくてもそれなりに正しい対処が出来る。
しかし魔力回復薬は一種類しかなく、一定数の魔力を回復させるものなのだ。その為、魔力量が少ない者は一瓶でほぼ全回復するし、多い者は数本飲んでやっと半分の回復ということにもなる。魔力回復薬がそうなっているのは、効能の強いものを摂取すると、一気に自身の魔力が暴走して周囲や自分自身を破壊する恐れがある為だ。基本的に魔力は上限がなく、あるとすれば自身が持つ体の器と言われている。器以上に魔力が溢れると最悪な事象を引き起こしかねない。その為、魔力回復薬は効き目の弱いもののみにして、量で調整する方式がとられているのだ。
それでも特に魔力量の多い者には、特別な許可を得る必要があるが希釈して効き目を強くした魔力回復薬を使用することが可能だ。それこそ数十本も飲んでもなかなか回復しない程規格外の魔力量の者に限られる。魔力を持っている者は、自己の生命維持にも魔力を常時消費しているので、完全に枯渇してしまうと命に関わる場合もあるからだ。魔力量が多く、その溜める器が大きい者はそれだけ消費量も多い。魔力の枯渇でうっかり死なないように、許可を得て希釈タイプの魔力回復薬を使用するのだ。
このクリスティアが飲んだのも、そういった規格外の魔力量と器の者だけが飲めるもので、彼女の魔力量ではとてもではないが体が保たなかったのだ。強力すぎる回復薬は毒と同じ、或いはそれ以上に彼女の体を破壊してしまった。すぐに治癒士が駆け付けて傷付いた体の回復を行ったので辛うじて一命は取り留めているものの、体の中で膨れ上がった魔力をどうにかしなければそう長くは保たない。そもそも飲んだものが毒ではないので、通常の解毒薬では対処しようがないのだ。それこそ、あらゆる効果を打ち消す万能の装身具でもない限りは。
しかしユリの持って来た装身具でもまだ体内に吸収されていない魔力回復薬を分解してこれ以上の魔力の肥大は止められるが、既に吸収されてしまったものはどうにもならない。
魔力が器に収まらないほどになって周囲にその力が溢れてしまうと、魔力暴発と呼ばれる現象が起こることがある。その人物の持つ魔力が大爆発を起こして、属性と魔力量によっては大惨事を引き起こす。そうならないように幾つかの手段はあるが、一番手っ取り早く効果があるのは同属性の空の魔石に魔力を充填させることだ。或いは、当人の意識がハッキリしている場合は、害の及ばない人里から離れた場所で攻撃魔法などを使用して発散させるという手もある。しかしクリスティアの場合は攻撃魔法を持たない聖魔法の使い手であるし、そもそも意識がないので発散させる手段がない。
「アキハ、この患者の魔力を吸い取れる?」
「一時凌ぎ程度やね〜。でもまあ、しないよりはマシか」
「頼んだ」
「頼まれた」
魔石というのは、魔獣の体内から取れるものが大半だ。中には鉱石のように地中から採掘されるものもあるが、最も流通しているのは魔獣のものだ。魔獣の持っている魔力の元と呼ばれる核のような存在で、属性はその魔獣の種類によって変わる。しかし魔獣の中で、どうしても聖魔法属性の魔石だけは生まれることがないのだ。そもそも魔獣は地上の生物とは異なる存在で、創造と太陽を司る主神キュロスと対立関係にある破壊と夜を司る女神フォーリが唯一産み出せる生命と言い伝えられている。そのため極々例外を除き、魔獣の聖属性魔石も存在しないと言われているのだ。ただ採掘などから聖属性の魔石が採れることはあり、その数は極めて少量だ。
その貴重な聖属性の魔石は、中央神殿と王城の宝物庫に保管されていて、事情を説明すれば貸し出してもらえるが時間が掛かる。そこで同じ聖属性のアキハが、彼女の体内の魔力を吸い出して時間を稼ぐことにしたのだ。とは言え、属性が同じでも人それぞれ魔力の質は異なるものだ。そこまでの量は吸収出来ないが、既に申請を出した魔石が届くくらいまでの時間稼ぎにはなる筈だ。
「内蔵の修復はあたしの水魔法で行う。これ以上聖魔法は入れたくないからね。アキハは魔力の吸収を」
「りょーかい〜。あ、後で神殿にこっちに怪我人じゃんじゃん回すように言っといて〜。魔力使った分それだけ吸収出来るしな〜」
「もう話は回したよ」
「ほほう、アンタも十分手ぇ早いわぁ〜」
「煩いよ」
互いの会話は軽いが、視線は患者のクリスティアに固定されたまま一切の隙もなく見つめている。
「ユリちゃん、発動を止めて」
「はい」
セイナの声と同時にユリは装身具を停止させ、クリスティアの体から引き抜くように外した。それと同時にセイナが彼女の胸の上に手を翳して水属性の治癒魔法を掛け始める。
「私、先に外に出てますね」
「ええ〜ユリちゃんがいてくれると癒されるのに〜」
ひとまず自分の役割は終わったのでユリは治療の邪魔にならないように装身具を装着しなおすと、まだ出番のないアキハに小さく声を掛けた。アキハは残念そうに眉を下げると、ユリをギュッと抱きしめて旋毛に遠慮なく頬擦りを始めた。
「ああああ、ユリちゃんの魔力は癒される〜。それに柔らかい女の子って最高〜」
「私の魔力でそう言うの、アキハお姉さんだけですって」
ユリも特製の魔道具で徹底的に隠してはいるが、やはり人に影響を及ぼす質の特殊魔力の持ち主だ。かなり出力を強めて魔力を抑えているので、相当魔力の感知能力が高くないと分からないのだが、このアキハはそれだけの能力があり、しかも何故か特殊魔力に不快感を示さない特異体質だった。何せ祖父であるレンザも、そしてユリの中でごく遠い記憶ではあるが両親でさえも、ユリの特殊魔力に酔ってしまうのだから、アキハだけが奇妙な体質であるのは間違いない。
「これ以上私がいても役には立たないですから」
「あらあ、あのカレシさんのことが心配?」
「なっ…え、ええと、カレシとかじゃないですけど、心配は心配です」
「いやぁ〜これは本格的にお祝いせんとなあ?セイナ?」
「煩い」
魔法に集中しているセイナは、いつも以上にぶっきらぼうに返して来た。しかしそれに慣れているアキハは、小さくチロリと舌を出して「おお怖〜」と全く悪びれない様子だった。
「ま、あちらさんもよく分からなくて心配してるだろうし、行っておいで〜」
アキハはそう言って、少し名残惜しそうではあったがユリから手を放した。ユリは二人に向かってペコリと頭を下げると、そっとドアを開けて病室の外に出て行ったのだった。
「噂通りいい子やね〜あのレンドルフくん」
「そうじゃなかったらとっくに御前に処されてるでしょ」
「そらそうやわ」
「そろそろ肺の修復が終わる。あんたは魔力吸収の準備を」
「いつでも行けるで〜」
セイナの額からは、いつの間にか幾筋も汗が伝っていた。もともと水属性の治癒魔法は魔力の消費が激しいがそこまで効果が高い訳ではない。確実に治療をするならやはり聖属性の治癒魔法の方が段違いではあるが、水魔法は水属性の魔石に治癒魔法を充填させたりして非常に使い勝手が良い。そんな特性があるので、重傷は聖属性、軽傷は水属性と自然に住み分けが出来ている。しかしこのセイナは最上位と言っても過言ではない水魔法の使い手だ。損傷した内臓の修復も水魔法で不可能ではないのだ。
「吸収を」
「はいよ〜」
治癒魔法を掛け続けていたセイナが手を離すと、すかさず同じ場所にアキハが両手を当てる。そして目を閉じるとほんの僅かではあるがその手の接している場所が淡く発光し始めた。それを確認すると、セイナは素早く顔の辺りに回り込んで、クリスティアの呼吸音に耳を傾ける。
「ちゃんと戻って来なさいよ…」
クリスティアの小さな変化を見逃さないように、セイナは治癒魔法で半分以上の魔力を使ってしまっていたが、今度は途切れることなく鑑定魔法を彼女に向かって掛け続けたのだった。
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ユリが部屋の外に出ると、その前の廊下で小さな椅子に窮屈そうに座っているレンドルフがいた。実際は普通サイズの椅子なのだが、レンドルフが座るだけで不便そうに見える錯覚というやつである。
「ユリさん、大丈夫だった?」
「うん、私はちょっと手伝っただけ。もう出来ることはないから、後は二人にお任せして来た」
「そうなんだ。お疲れさま」
「そう言われるのが恥ずかしいくらい何もしてないからね?」
ユリの姿を見てすぐに立ち上がって側に来てくれたレンドルフに、ユリは安心感を覚えて珍しく自分からレンドルフの指を握り締めていた。
「その…あのご令嬢は…」
「まだ分からない。あのお二人が全力で対処してくれてるから…大丈夫だと、思いたい」
「うん。そうだね」
ドアは閉じられているので向こうで何をしているかは分からないが、必死にクリスティアを救う為に手を尽くしている人がいる。ユリはまだ少女とも言える年頃の彼女に何があったのかは分からないが、それでもこのまま神の国に旅立たせてはいけないと感じていた。
「お疲れでしょうから、下の部屋に飲み物などを準備しております。どうぞそちらでご休憩なさってください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、少し休憩させてもらいますね」
「後で副院長に確認を取って、お話を伺わせていただきたいのですが…お時間は問題ないでしょうか」
ユリが出て来たことが分かったのか、制服を着た女性職員が階段を登って来た。彼女は白衣を着ておらず、制服の感じからすると事務担当のようだ。
「俺は大丈夫です」
「私も問題ありません」
二人とも承諾すると、女性職員に案内されて一つ下の部屋に案内された。簡素な机と椅子が並んでいて、壁際には専門書が入った棚がある。テーブルの上には使い込まれた湯沸かしの魔道具と、使い捨てのコップが重ねてあった。もしかしたら職員の休憩所のようなところかもしれない。
レンドルフとユリは備え付けのお湯を注ぐだけの紅茶とコーヒーを銘々淹れて、暫し無言でゆっくりと飲んで息を吐くことを繰り返していた。
「…助かると、いいな」
「うん、そうね」
ポツリと呟いた言葉は、静かな部屋の中では随分と大きく耳に響いた。
魔力量も冒険者ランクのようにF〜SSでクラスが分かれていますが、総量と使用量は器によって違うので、目安は器(使用可能な量)で付けられています。
ざっくりと区分け
F・平民の六割くらいがこの辺り。基本的な生活魔法程度。
E・平民の一割から二割程度。上位の生活魔法が使える者が多い。
D・この辺りから貴族も含まれる。下位の属性魔法と生活魔法を使える者も割といるので、最も使い勝手がいいと言われている。
C・平均的〜そこそこ優秀な貴族の魔力量の目安。殆どが属性魔法使用者だが、生活魔法が使えなくなるラインでもある。
B・強力な上位の属性魔法や、複数属性を持つ者が多い。これ以上になるとほぼ生活魔法は使えない。
A・複数属性の上位魔法、召喚魔法なども使う。王城の魔法士になれるのはこのクラス。
S・判明した時点で国の保護下に入る。当人の希望はある程度考慮されるが、国に所属することはほぼ確定。聖女、聖人はこのクラス。
SS・現在は存在が確認されていない。災害級と言われているので、発覚した時点で魔力か命を絶たないと国が滅ぶとされている。
SS以外はどのクラスにも貴族も平民もいます。あくまでも一般的な目安なので、Bクラスで生活魔法を使える者もいます。
ユリとレンドルフはBクラス相当。ナナシは現役最盛期時代にはおそらくSSクラスだったと思われます。