300.三人の女性
本編300話目です!お読みいただきありがとうございます!
まだゆっくりと書きたいものを書いて行きますので、今後ともよろしくお願いします。
流血表現あります。ご注意ください。
レンドルフが勢いよく扉を開けると、奥の窓際にベッドが置かれていて、そこにはミルクティー色の髪をした人物が横たわっていた。顔色が真っ白で頬が痩けてはいるが、目を閉じていてもマギーとそっくりだということはすぐに分かった。その人物こそが、マギーの兄ダリウスなのだろう。
そのベッドの枕元に置かれた椅子に伯爵令嬢は座っていて、彼の顔を覗き込むようにしていた。そしてその手元は、眠っている彼の口元に添えられていた。
「ひっ…!」
突然扉が開いたかと思ったら、片手を血に染めた巨体の男が入って来たのだから彼女にとっては恐怖以外何者でもなかったろう。引きつったような短い悲鳴を上げて立ち上がった。体が離れたおかげで、レンドルフの目には彼女が手の中に小さな薬瓶を握り締めているのが見えた。
「失礼しました、ご令嬢。少々お話を伺いたいのです。どうか落ち着いていただけますか」
レンドルフはすぐに怪我をした方の手を背中に隠して、入口の辺りで片膝を付いた。いくら焦っていたとは言えども初手から失敗してしまったと内心苦い思いがこみ上げて来るが、もう過ぎてしまったことはどうしようもない。ここは少しでも相手の令嬢を落ち着かせて保護してもらうことが最優先だ。レンドルフは見上げるような大男ではあるが、顔立ちだけは柔和に見えると自覚している。こうして膝を付いて相手の目線よりも低い位置で顔を見せて、更に柔らかい口調で話しかければ多少は印象が良くなることは経験で知っていた。
「こちらの患者は決められた者以外の面会は出来ぬ規則になっております。おそらく手違いでご案内してしまったのでしょう。どうか騒ぎになる前に」
「あんた、ダリウスに何したの!!」
マギーの証言から意識はなくともダリウスの身も危険に晒される可能性もあるとして、ギルドから護衛が付けられていた。その為この部屋に入ることが出来るのは治療や世話の為の医師や職員の他には家族くらいしか許可されていない筈だと考えて、レンドルフは手違いで見舞いに入って来てしまったことにしてここは穏便に引いてもらおうと思ったのだ。が、それをぶち壊すようにレンドルフの背後から鋭い声が飛び込んで来た。
「ダリウスから離れて!この人殺し!!」
「ち、違…わたくしはただ…」
「あんたがダリウスをこんな風にしたんでしょ!悪事がバレないように魔獣に襲わせて殺す気だったんだ!!」
「落ち着け!刺激するな!」
レンドルフの声掛けにほんの少しだけ体の力を抜きかけた彼女が、飛び込んで来たマギーに再び固まってしまった。薬瓶を握り締めた手に力を込めているのか指先が白くなって、小刻みに震えている。マギーは頭に血が上っているのか、完全に興奮状態で今にも掴み掛かりそうな勢いで彼女を怒鳴りつけている。しかし今一番ダリウスの近くにいるのは彼女だ。追い詰めてしまうのはどう考えても悪手なのに、マギーの勢いが止まりそうにない。レンドルフは思わずマギーの腕を掴んで小声ではあるが耳元で鋭く制した。
「わ、わたくし、は、ダリウス様に、回復薬を…」
「嘘付くな!!」
「これ以上は…」
頭に血が上ったマギーは、彼女を刺激すればダリウスが危険になることも分かっていないようだ。レンドルフはあまりやりたくはないが、多少強引にマギーを部屋から放り出す手段を選ぶしかないと考えていた。
「ほ、本当に…」
「お嬢様!お逃げください!」
「エイリ…」
扉の前で護衛の女性をマルセルが制圧していたのだが、口を塞ぎきれていなかったらしい。余程必死に抵抗したのか、彼女のひび割れたような声が部屋の中に響く。それを耳にしてしまった令嬢は、既に顔色を失っていたが更に真っ白な顔色になっていた。令嬢の金茶の瞳が小刻みに揺れて、紅も差していない唇が紫色になっている。その様子にレンドルフはマズい、と思ってマギーを手放して令嬢の身柄を確保しようと腰を浮かせかけた。
「わ、わたくしは!ダリウス様を助けに来たのですわ!!」
レンドルフが立ち上がって駆け寄ろうとするよりも一瞬早く、彼女が甲高い叫び声を上げて護身用の短剣を抜いていた。そしてレンドルフでさえも思わず見惚れる程の躊躇いない所作で、自らの喉元に切っ先を突き付けた。状況としてはそれどころではないのだが、さすが候補とは言え王族の婚約者として名を連ねるだけのことはあるのか自らの矜持を守るための教育が行き届いているとレンドルフは頭の隅で感心すらしていた。
「これ、は、回復薬です。ダリウス様の意識が、も、戻りますようにと、特別に用意していただいたものですわ」
「この嘘つ…モガッ」
そんな状況でもマギーが噛み付きかけたが、背後から誰かが口を押さえて部屋から引きずり出した。レンドルフは目の前の令嬢の方を向いていたのでハッキリと見えなかったが、視界の端にチラリと映った服の色は先程治癒院の入口でマルセルに声を掛けて来た男性だった気がした。確かマルセルが病室に向かう際にマギーを強引に押し付けられていたので、こちらに来てしまった彼女を追って来ていたのかもしれない。
レンドルフは自分の喉元に短剣を突き付けている令嬢と対峙して、緊張で背中を冷や汗が伝うのを感じていた。職務柄、襲撃者や凶悪な魔獣などと向かい合うことはあった。それに比べたら非力な貴族令嬢はすぐに制圧することは出来る。が、その際に僅かでも怪我を負わせたら大問題に発展しかねない。ここは治癒院であるし、万一怪我を負わせてしまってもすぐに治療は出来るだろうが、王城の騎士が令嬢を傷付けたことがどんな方向に影響を及ぼすか分からないのだ。状況的に保護する際に怪我を負わせたと証明は出来るかもしれないが、それでも無傷で押さえることに越したことはないし、レンドルフとしてもか弱い令嬢相手に力加減が分からないので違った意味で恐怖を感じていた。
「これは、ほ、んとうに回復薬ですのよ。なかなか効き目が、出ません、けれども。い、今、証明して差し上げますわ」
「待っ…」
令嬢は短剣はそのままに片手で持っていた薬瓶の蓋を外した。その蓋が小さな音を立てて床に落ちると同時に、彼女は一気に残っていた中身を飲み干した。レンドルフは止めようと手を伸ばしかけたが、それよりも飲むだけの動作の方が早かった。確かに回復薬は特殊な体質でもない限り害はないが、健康な人間が飲むのは推奨されていない。怪我や症状にあわせて適切な種類で適切な量を飲むことが肝要なのだ。特に強い回復薬になればなるほど、許容量以上を飲んだ時は体への反動の方が大きい。
「ほら、なんともありませんで…」
顔色が無いまま貴族の微笑みを湛えている彼女が、不意に言葉を切った。そして掲げた手の中からカラリと薬瓶が床に落ちた。
「ご令嬢!」
「クリスティア様!?」
彼女の鼻から前触れも無くタラリと赤い筋が落ちた。そして次の瞬間、ゴボリと口からも大量の真っ赤な液体が吐き出され、ビチャビチャと嫌な音を立ててあっという間に足元に血溜まりを作った。彼女はまだ自分に起こったことが理解出来ていないような固まった微笑みのまま、カクカクと操り人形のような奇妙な動きをし始めた。まだ短剣を握りしめていた手も大きく震えて、その切っ先が彼女の白い頬に触れて幾筋も小さな赤い筋を残した。
もはや未婚の令嬢に触れる許可など取っている場合ではなく、レンドルフはすぐさま彼女を抱きかかえるように腕と体を掴んだ。だが、一体どこからそんな力が出ているのか、多少気遣いはしていると言えレンドルフでも押さえるのが困難に感じる程彼女の体はガクガクと跳ねて、短剣を握り込んだ手を外すことが出来なかった。
「お嬢様!クリスティア様!!」
廊下の方から彼女の様子が見えていたのか、拘束された護衛の悲鳴が聞こえて来る。レンドルフは暴れながらも吐き続ける血をまき散らしている彼女の体を必死で抱えながら、頭の隅で「ああ、確かこの伯爵令嬢はそんな名前だったな」とぼんやりと思い出していた。
----------------------------------------------------------------------------------
「交替します!」
「すぐに鑑定を!」
誰かが呼んだのかバタバタと複数の足音が近付いて来て、数名の白衣を着た人物がレンドルフの周囲を取り囲むようにして来た。この治癒院の職員だと分かって、レンドルフはまだガクガクと激しい痙攣の治まらない令嬢を慎重に手渡す。相手は慣れているのか、レンドルフよりも細身な男性であったがすぐに握り締めていた短刀を彼女の手から外した。更に追加で駆け付けた職員らしき人物がダリウスの方に駆け寄って、室内は急に慌ただしくなった。
後は専門家に任せると、レンドルフは邪魔にならないようにその場から離れて廊下に出た。廊下に出た瞬間、集まっていた人々が一斉に引いたような気配があった。何かあっただろうかとレンドルフは首を傾げたが、ふと自分の体を見下ろすと体の前面がほぼ血で染まっていたのに気付いた。必死に彼女の体を押さえていたので、必要以上に吐血を被ってしまったようだ。
「あの…お怪我は…?」
「あー…手を少々。あとはほぼあのご令嬢の返り血かと」
「そ、それでしたらまずは血を洗い流してお着替えを。何らかの毒物や感染症の危険がありますので」
「はい」
周囲を見回すと、マルセルが護衛のエイリと呼ばれていた女性騎士を拘束した状態で押さえていて、真っ青な顔をしたマギーは先程の冒険者に支えられていた。他にも治癒院の職員や警備員が何人も集まっていたが、その中にナナシの姿が見えなかった。彼のことならば大丈夫だと思うが、どうしたのだろうと気にしつつレンドルフは職員の一人に職員用のシャワー室へと案内されたのだった。
「傷の手当は…」
「軽症ですから、通常の回復薬で十分です」
「そうですか。血の付いた防具と服は緑の籠に入れておいてください。こちらで浄化しておきますので」
「ありがとうございます」
「あちらの棚にクリーニング済みのタオルと服が入っておりますので、ご自由にお使いください」
案内してもらった職員から簡単に使い方の説明を受けて、回復薬の瓶を渡された。念の為手の傷の確認もされたが、身体強化を掛けていたので表面が切れているだけで筋や血管には届いていない。ただ少々範囲が広かったので傷の深さの割に血が多く出たように見えただけだった。職員もレンドルフの申告通り軽症だと確認したので、回復薬だけで大丈夫だと判断したようだ。
しかし一見どちらも普通の会話をしていたが、やはりどこか気がそぞろになっていたらしい。特にレンドルフはシャワーで血を洗い流した後シャワー室に置いてあった服のサイズが全く合っていないことに気付いた時には、既に血の付いたものを入れたカゴが回収されていたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
「れんどルふ殿」
腰にタオルを巻いただけの状態で呆然と佇んでいたレンドルフに、扉の向こうからナナシの声が聞こえた。
「ナナシさん!あ、あのお願いが」
「着替え、持ッて来マした」
「え、あ、ありがとうございます!」
シャワー室の扉が少しだけ開いて、そこからレンドルフの荷物が入っている鞄が差し入れられた。それをすぐさま受け取って、中から持ち歩いている着替えを引っ張り出した。
何せレンドルフは規格外な体格なので、服に問題が起こった際にすぐに入手出来ないのだ。シャツ程度なら前が閉まらなくてもそこまで問題ではないし、最悪着ていなくても毛布などの大きめの布があればそれを羽織ればその場は凌げる。しかしズボンや下着などの主に下半身の衣服に支障が出た場合、多少サイズが小さくてもどうにかなる類のものではない。こちらも大判の布さえあればどうにかならないでもないが、色々な尊厳の為にも出来ればそれは避けたい。だからレンドルフは最低限の着替え一揃えと、靴だけは余程のことがない限り常に持ち歩いているのだ。
今回は街中のことであったし、すぐに戻るつもりだったので荷物は馬車の中に置いて来ていたのだ。ナナシがすぐに動いてくれていたらしく、レンドルフはおかげで事無きを得たのだった。