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297.緊急の依頼


準備が終わったようなのでレンドルフだけが挨拶に向かった。ナナシはフードを目深に被って顔を見せないようにしているが、近付けばさすがに顔の傷を見られることになる。冒険者ならともかく、荒事に慣れていない神官見習い達には少々刺激が強いと思い、代表してレンドルフだけが挨拶に行くことにしていた。


「ご連絡しました通り、本日は近くで調査をしております。お邪魔になるようなことはないと思いますが、何かありましたらお声をおかけください」

「こちらも何かありましたらよろしくお願いします。ウチのメンバーはベテラン揃いなので大抵のことはこなせますので、人手が必要な場合は遠慮なくお申し出ください」

「お気遣いありがとうございます」


挨拶に向かうと、大柄なレンドルフが近付いて来たので神官見習い達は少々引き気味な様子を見せた。レンドルフとしてはよくあることなのでさして気にはならなかったが、周囲を固めている護衛達も表情が固くなっていた。何となく、負ける気はしないが争いになったらそれなりに厄介そうな相手なので穏便に済ませたい、という空気が彼らから出ている。レンドルフは敵意はありませんよ、となるべく柔らかさを意識して微笑んだ。近衛騎士団にいた頃はよく作っていて最終的には無意識でも楽に出来た顔だが、何だか随分久しぶりなので上手く出来ているか少々分からなくなっていた。

リーダー格の男性はこういったことに慣れているのか、特に変わらぬ様子でレンドルフににこやかに挨拶を交わしてくれた。彼はポートと名乗り、身長はレンドルフの胸の辺りなので男性にしてはやや小柄な方だ。しかし胸板や二の腕ははち切れそうな程張りがあって筋肉質な体型をしていた。


当初は協力を申し出ようかと考えたレンドルフだったが、目的は分からないが大胆な方法で外部のものが潜入している以上下手な刺激は禁物だ。当初の予定通り、近くで調査をしながら付かず離れずで様子を見ることにしたのだった。

ついでに商家側の代表にも挨拶をしておこうと何気なく見回すと、視界の中に見知った顔が入って来てレンドルフは一瞬だけ動きを止めた。しかし不審に思われない程度にすぐにグッと顔に力を入れて、表情を押し隠した。


(何故こんなところに…?)


レンドルフの視界に入った見知った顔は、不正の疑いがあると聞いている件の伯爵令嬢、当人だった。以前第二王子の婚約者候補達とのお茶会の護衛の為に庭園の外側を回っていたことがあるので、婚約者候補の令嬢達の顔は把握している。さすがに髪色は変えて来ていたが、目立たない茶色の髪にしていても一人だけ手入れされている艶は隠し切れていなかった。体型が分からないようにポンチョを纏っているが、それでも肌や顔立ちは彼らの中では少々異質だった。神官見習いの中にはまるきり子供のような顔立ちの者もいたので、おそらく化粧もしていない彼女もそこまで令嬢らしくは見えないが、明らかに高位貴族だろうと簡単に予想がつく。辛うじて背が高めな令嬢なので、顔さえ見えなければ何とか紛れられると言ったところか。


頭の中にひたすら疑問符が浮かんだが、今はそれを言及している場合ではない。どうやらあちらはレンドルフの顔を知らないのか、他の神官見習いの後ろに隠れるようにしてこちらには目も向けないようにしている。レンドルフはひとまず何もなかったように、商家側にも挨拶に向かったのだった。



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「アれは、少女、護衛のヨうですね」

「そのようです。ですが一応警戒は引き続きお願いします」


少し離れたところで見守ろうと思ったが、あまり離れ過ぎても不測の事態が起こった際に駆け付けるのが遅れてしまう。どの程度の位置にいるべきかと悩んでいると、ナナシが周囲に存在を希薄にする闇魔法を掛けてくれた。レンドルフも姿を見え辛くする隠遁魔法は使えるが、これは相手が一度こちらを認識してしまうと殆ど効果のない目眩まし程度のものだ。ナナシの魔法は、うっすらと認識はしているが距離感が掴みにくくなる性質のもので、比較的近くで様子を見ていてもずっと遠くにいるように相手には感じられるそうだ。斥候などで一人で森の最深部などに赴く際に、これを使っていると魔獣は距離があると思って通常通りの行動を取るので、生息域や巣にいる個体数などを把握するのに役立つという。



ナナシのおかげで比較的大っぴらに注視することが出来たので、彼女の様子をつぶさに見守ることが出来た。やはり少年風の恰好はしているが力仕事など無縁な令嬢であるので、桶から水を汲むのも半分以下で持ち上げることが出来ず当然桶から瓶に移すことも出来なかった。仕方なく空になった桶を水瓶から水場に戻す作業をやらされていたが、数往復で既にフラフラしていた。

深窓の伯爵令嬢が文句を言わずに頑張って作業をしようとしている姿は感心はするが、だからと言って彼女の働きではただ足を引っ張っているだけだ。明らかに高位貴族なのとそれでも必死に頑張っている姿勢を察して周囲は何も言わないでいるが、作業効率が明らかに悪くなっているので端から見ているレンドルフからするとハラハラしてしまう。

しかしその中で、本当にさり気なくフォローをしている人物が一人だけいることが分かって来た。髪も短く中性的な顔立ちをしているが、令嬢に躊躇いなく触れて転びそうになっているのを支えたりしていて、彼女もそれを拒否する様子はない。どこに属しているか分かりにくいように程々の質の防具を身に付けているが、手首や肩の骨格からすると令嬢専属の女性騎士か何かだろう。


何の目的で身分を誤摩化して採水作業に参加しているのは不明だが、ただ令嬢が誰にも言わずに単独で来た訳ではないようなのでレンドルフは少しだけ安堵した。もっとも、実家の伯爵が許すとは思えないので、ほぼ単独に近いのかもしれないが、護衛がいるのといないのでは大違いだ。


「あっ!」


不意に声が上がった方に視線を向けると、疲れで足が縺れたのか一番小柄で幼く見えた神官見習いが水の入った桶を持ったまま転んでしまった。そして不運にも、それを連携して受け取ろうとしていた次の者を巻き込んで二人とも頭から水を被るような状態になって地面に倒れ込んだ。


「これは着替えが必要だな。二人程着いて行ってやってくれ」


寒い季節ではないので冒険者ならばそのままでも構わないが、さすがに神官見習いをずぶ濡れのままにさせてはおく訳にはいかない。ポートが声を掛けると、すぐに二人が名乗り出て着替えの為に離れた場所にある馬車へと戻って行った。


「…なあ、調査のお二人さん。そこにいるんだろ?そのままあいつらを追ってくれやしねえか」


その彼らを見送ってから、ポートはレンドルフ達が潜んでいる辺りに横顔だけ向けてポツリと低く囁いた。通常では聞こえない程の声量だったが、様子を伺う為に身体強化していたレンドルフにはしっかりと聞こえた。

ナナシの闇魔法は感覚を狂わせるものなので完全に潜伏出来る訳ではないが、それでも他の人間には気付かれていないようだった。しかしこの護衛のリーダーを務めているだけあるのか、それともナナシの抑えている筈の特殊魔力を感知できるのか、ポートは位置を正確に把握していたらしい。そして周辺の調査と言いつつも、どちらかと言うと採水に来た人間を調査していると勘付いていたのだろう。それを咎めなかったところを鑑みると、もしかしたら彼にも何か思うところがあったのかもしれない。


「分かりました」


レンドルフも同じくらいの声で囁き返すと、返事は返って来なかったがポートの眉が微かに上がったのが見えたのでそれを承諾の意と受けることにしたのだった。



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「はい、今回は全て買い取りになります」

「ありがとうございます!」


ユリはエイスの街のギルドに持参した回復薬と傷薬が全て査定が通ったことを知らされて、思わずはしゃいだ声を上げてしまった。納品に来るようになってから初めてのことだったので、つい嬉しくなってしまったのだ。前回受けた薬師資格試験は落第してしまって数日は落ち込んでいたが、次に受ける時にはもっと基礎を完璧にしておこうといつも以上に回復薬の基礎になる調薬を繰り返していた。特に魔力量も多く一定の出力を苦手とするユリに取っては大変集中力と根気のいる作業なのだが、その成果が結果となって現れたようで非常に達成感があった。


ユリはすぐにでも祝杯を上げたいような気分になったが、どうせなら一緒に喜んでくれる人と共有したい。ずっと見守って背中を支えてくれる祖父レンザは、残念ながら今はミズホ国からの貿易船の到着に合わせて領地に行っていて、あちらの国の貿易商の歓待が終わるまでは戻って来ない。


(レンさんも、きっと喜んでくれるよね)


レンドルフは出向の形でエイスの駐屯部隊に来ているので近くにはいるのだが、任務の為にほぼ一日中森に行っているらしく偶然に顔を合わせることもない。


ユリも薬草採取の為に森に入ることもあるが、基本的に一人で動くの時は魔獣のあまり出ない浅い場所にしか行かない。どうしても必要な薬草がある時は大公家からギルドに依頼を出して採取して来てもらうか、ユリ自身が見極めたい場合は護衛に着いて来てもらっている。本来のユリの身分ならば全て人任せにすることも出来るが、薬師を目指す以上は市井のことを知り、本物の薬草を見る目を養うべきだというレンザの教育方針の為だ。それでも孫娘を溺愛しているので、レンザ自身もその狭間で色々と思うところはあるようだが、基本的にユリの身に危険が及ばない範疇で自由にさせてもらっている。


実際は何度か偶然を装ってレンドルフがいそうな奥まで行ってみようかと思うこともあったが、さすがにレンドルフに迷惑がかかってしまう。今も任務で忙しいだろうに、毎日夜に手紙を送ってくれるだけでも十分気を遣ってくれているのだ。これ以上は負担はかけられないし、それに二日後には休暇が重なるので会う約束をしている。ユリは今日の手紙に持ち込んだ回復薬などが全て納品出来たことを知らせて、二日後に一緒に祝杯を上げたいことを伝えようと考えていた。



納品書にサインをしながらも、ユリはつい頬が緩んでしまう。頭の中では、レンドルフと行くならミキタの店にしようか、それとも新しい店を探してみるのもいいかもしれない、などと気持ちが別のところに飛んでいた。


「?何かあったのですか?」


サインを終えて受付の女性に書類を渡すと、受付窓口からは見えないが奥の方で何やらザワザワとした気配がしていた。ユリに応対していた女性も、少しだけ眉を顰めて背後を振り返っていた。はっきりとは分からないが、どこか慌ただしいような、不安を煽るようなざわめきだ。ギルド内がこんな風にざわめくことは、余程の緊急事態でも起こらない限りない筈だ。


「治癒院で保管していない解毒薬があるか、こちらの在庫を至急確認しなさい!あとは薬師ギルド担当者に…」


奥の扉が勢い良く開くと、そこから真っ赤な髪を美しく結い上げた赤いドレス姿の女性が良く通る声で指示を出しながら出て来た。その炎の化身のような妖艶でありながら苛烈なまでに強烈な姿に、一瞬にしてギルド内にいた人間全ての視線が集まる。

ユリは滅多に表に出ることがないギルド長グランディエ=エヌゥだとすぐに分かった。直接話したことはないが、遠くから何度か見かけたことと他のギルド職員から噂くらいは聞いたことがあった。確か先代ギルド長が有能さを買われて異国から家族ごとオベリス王国に移住して来て、その娘であったグランディエが次のギルド長に任命されたという経歴の持ち主だ。そもそもギルド長は血縁で選ばれる訳ではないのだが、二代続けて選出されるということは優秀な家系だったのだろう。



グランディエは早口にあちこちに指示を飛ばしている最中に窓口のカウンターからギリギリ顔が見えているユリを見付けると、言葉を切ってカツカツと一直線に近寄って来た。実際は進行方向に机などがあったので真っ直ぐではないのだが、まるで獲物でも見付けた肉食獣のような勢いで近寄って来たので、正面から受け止めているユリには一直線のような錯覚を起こしたのだった。


「ユリ嬢ですね?薬師見習いの。貴女、解毒の経験は?」

「え…は、はい!あります」

「それではすぐに北東にある治癒院に向かってください。ギルド長権限で依頼します」


グランディエは手首に巻いていた赤い石の付いたバングルをサッと外して、カウンター越しにユリに差し出した。ユリがそれを手に取ると、バングルの内側に彼女の名が刻まれているのが見えた。これは何か緊急時に、ギルド長自らが名を示す物を持たせて対応に当たって欲しいという特別な依頼だ。本来ならばユリに個人的に依頼を出すなら、パーティのリーダーになっているレンドルフの許可が必要だ。しかしその正規の手順を踏んでいる時間がない程の事態が起こった場合、全責任を負う形でギルド長権限で半強制的に依頼が出来るのだ。

一応拒否権も存在しているが、緊急時に拒否されるような無茶な依頼をする無能なギルド長はどのギルドにも存在していないので、基本的に断られた試しはないと言われる。


「何があったのですか?」

「中毒患者が出たそうですが、解毒薬が効きません。追って他の薬師も派遣しますが、ユリ嬢が一番速く駆け付けられるでしょう。まず患者の確認と、可能ならば対処を」

「は、はい、承ります」


まだユリは薬師見習いなので、扱える薬にも限りがある。この場に薬師がいればそちらに依頼しただろうが、どうやら近くにはユリしかいないらしい。しかし治癒院ならば、治癒士や専属の薬師が常駐している筈だ。そんな彼らが対処し切れない中毒症状ならば、ユリも対処出来るか自信はなかった。が、それでも行かないという選択肢はユリにはなかった。まだ半人前であっても、何らかの中毒で苦しんでいる者がいるなら行かなければならない。


「では、よろしくお願いします。表に馬車を回します」


グランディエがカウンター越しにユリの手を握り締めた。その仕草は不安気なユリを励ますように見えたが、ユリは自分の手の中に小さなカサリとした感触が押し付けられたことに気付いた。


「それでは、すぐに向かいます」


ユリが軽く頭を下げてギルドの外に出ると、美しい毛並みの栗毛の魔馬が引く馬車が既に停まっていた。グランディエの実際の仕事ぶりを目にするのはユリは初めてだったが、さすがに若くしてギルド長に就任した才媛と言われる一端を垣間見た気持ちになる。



馬車に飛び乗って走り出してから、ユリは手の中に握り締めた小さく折り畳まれた紙片をそっと開いた。そこには、中毒患者の症状について分かっている状況が簡潔に書かれていた。あの場では迂闊に口頭で説明する訳に行かなかった理由も、その書き付けを読んで納得した。


「この装身具が…必要になりそうね…」


ユリは機動はしていないが万一に備えて身に付けている、全ての毒も薬も無効化する諸刃の剣ともいうべき万能の装身具に服の上からそっと触れたのだった。



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