295.離れた場所でも思い合うこと
ロンは丁寧に手にしていた彫金細工を箱に戻し、今度は別の方を手に取った。
「こちらは素材自体が魔力を通すのに非常に向いていますね。さすが質が素晴らしい。ご当主様にお贈りするのでしたら、多少重くなりますがタッセルの代わりに複数の魔石を連ねて魔力を補う形にしては如何でしょう」
「ああ、おじい様なら激しい行動はしないものね。それなら出来そう?」
「この最後の項目をもう少し詰めさせていただければ、ご希望に近い形に出来ますかと」
そう言ってロンは、先に依頼としてもらっていた書類にツイ、と指を這わせた。そこまで大柄ではない体格だが、長年付与師としてあらゆる素材と魔力に触れていたせいで体にそぐわない程に手は節くれ立ってゴツい。そして職業病とも言うべき指先の硬化とその影響で数本爪がなくなっていた。これは付与師が強力な付与を施す際に魔力制御に失敗して起こすことがしばしばある為だ。すぐに手当をすればその場で完治するのだが、それが何十、何百にも及べば少しずつ積み重なって次第に回復しなくなって来る。ある意味ベテランの付与師には勲章のようなものだとさえ言われていた。
今は腕を認められて一代限りの爵位を得ているロンだが、生まれは平民だった。王家に並ぶ地位の大公家のレンザと知り合った切っ掛けが、この指先の硬化の症状だった。当時の専門の付与師の間では、指を硬化させて爪を全部飛ばした回数こそ誇るべきという認識が大半だった。そんな職人気質な者が多かった為に付与師はあまり人気のない職業だったのだ。
しかしレンザは調薬や研究の為の道具に複雑で繊細な付与を掛けてもらう機会が多く、その現実を知って激怒した。そんなやり方をしていては付与という生活する上で必要な技術がやがて壊滅する、と。ちょうど同年代でまだ駆け出しの付与師だったロンを説得し、付与の際に起こる負傷に特化した回復薬を試させたのだ。効果があり過ぎて自分の身長程の爪が一気に生えて来たり、逆に全く効き目が無かったりと試行錯誤を繰り返し、今では付与師専用の回復薬が出回っている。
そのおかげで怪我をしてしまうのは変わらなくとも、後遺症である指先の硬化の症状を軽減して遅らせることが可能になった。一時期はなり手が減っていた付与師も、簡単な付与を付けるだけの副業としている者と、強力な付与を施す専門職に役割が分かれ、携わる者も増えて来ていた。裾野が広がったことにより、数少ないベテランに仕事が集中することも防ぐことにもなったので、更に安全に作業出来るようになって行った。
今ではロンのように指先の硬化の症状がある者は、下の世代になるほどいなくなっている。ロンは自身が旧友と最初に切り開いた道の証しだと、ユリに誇らしげに何度も話していた。
「この万一の時、という条件をもっと細かい設定にしなければ正常な動作は難しいでしょう。怪我と病じゃ条件も違いますし」
「それもそうね…うーん…心拍数?でも興奮状態と意識低下じゃ違って来るし…そうよ、意識のない状態の時の対策が必要よね」
ユリが希望しているのは、薬瓶一本分の小規模でいいので空間魔法と時間停止の付与だった。そこに特級回復薬を一本収納したかったのだ。それならば万一のことがあった場合、生き延びられる可能性が高くなる。落ち着いているように見えて思いの外無茶をするレンドルフに、ユリとしては何としても無事に帰って来て欲しいという祈りを込めたい。むしろ祈りという曖昧なものではなく、即物的な解決策ではあるが。
「回復薬の薬瓶と同時に気付け薬が出て来るとか…でも瓶に入ってたら意味はないわね。いいタイミングで気化するような素材に入れて…ああ、あまり強いのだと瀕死状態だったら却って毒になるわ」
薬草オタクの気があるユリは、つい我を忘れて色々な素材に思考を没頭させてしまった。ロンも慣れているので止めるようなことはしないが、少々困ったように苦笑していた。なかなか現実に戻って来ないユリを見兼ねて、後ろで控えていたミリーが咳払いをする。この咳払いは大公家別邸最強の一人と言われるメイド長直伝のものだ。勿論ユリを溺愛しているが、厳しいところは厳しい。反射的に当人がいなくてもユリがハッと我に返ったので、メイド長の存在は絶大なようだ。
「え、ええと、ちょっと考えておくから、薬瓶一本と少しくらいの空間を予定してもらえる?」
「畏まりました」
ひとまず今度は大きさを揃えた魔石を準備するということで、本日の打ち合わせは終了となる。ロンはユリから受け取っていた発注書をくるくると丸めて丁寧に筒の中にしまう。
「お嬢様、ご当主様や騎士様ならご自身の怪我の具合は判断して取り出せるのではないですか?」
ユリの希望する付与は、落としたり奪われてしまっても本人の手元に戻る紛失防止に、壊れたりしないように頑丈にする強化。そしていざという時の為に回復薬を備えておけるように空間付与と時間停止を希望した。そこまでならロンも希望通りの付与を施すことは可能だ。だが、更にユリが上乗せして拘ったのは持ち主に万一のことが起こった際に自動で収納しておいた空間から回復薬が出て来る仕様だ。そのタイミングや意識の有無などを設定する基準が大変難しい。深い傷を負って死にかけているなら出血の度合いで計ればいいのだが、頭部の負傷などで死にかけている場合はその判断が出来ない。様々な場合を想定した上で作動する付与なので、やたらと難易度が高くなってしまっているのだ。
ロンの提案するように、自分で判断して取り出すようにするならその付与は必要なくなる。
「おじい様ならともかく、その、騎士様には内緒にしておきたいって言うか…目の前に怪我人がいたら、その人の為に使ってしまうような方なので…」
「正しく『騎士様』でいらっしゃるのですね」
「ええ…」
ロンの言葉に頷いたユリの顔は、困ったような誇らしげなような、複雑な表情をしていたのだった。
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レンドルフとナナシが調査を開始して10日が経過したが、初日以外はほぼ代わり映えのない状況だった。襲撃者はあれからピタリと止まっているし、禁輸の魔道具も回収したのは結局三つ留まりだ。別に何か揉め事が起こって欲しい訳ではないが。囮役としても調査の方も何ら進展がないので全く解決していないことになる。さすがにこれ以上人を寄せないようにするのは無理があるので、明日から多少の見張りは立つものの立入り禁止は解除されることになっている。早速採水地には神殿から水を汲みに神官見習い達が来ることになっているそうだ。
「わたシが、見える範囲、異常ハないです」
「やはり人が入れるようになってからそれに紛れるつもりですかね」
「そレでも、範囲いレばわたシには、分かるです、大丈夫」
「そうですね。頼りにしてます」
10日も一緒に行動していれば、レンドルフもすっかりナナシに慣れていた。最初はほとんど肉のない痩せぎすのナナシの体力を考慮して気遣っていたが、どうやらその辺りも彼は特殊らしく、ほぼ一日レンドルフと行動を共にしていても全く疲れる様子は見受けられなかった。それが互いに分かって来るとどんどん行動範囲が広くなって行き、調査した場所を地図に書き込んでギルドに提出しているのだが、あまりにも広範囲になっていたので副ギルド長のサムが直々に無理をしていないか確認しに来た程だった。
レンドルフとしては、ナナシの感知のおかげで魔獣との遭遇が低く済むので全く無問題だったのだが、サムにはまるで信じられないものを見るかのような目を向けられてしまった。
昼を過ぎて大分歩き回ったので、一旦小休止を入れる為に水辺の大きな石のあるところに腰を降ろして、レンドルフはドライフルーツを摘んでいた。火を熾す程ではないので飲み物はナナシと同じ水だ。
「末端の囮役の動く担当ですから、考えるのは俺の役割じゃないのは分かってるんですが、犯人は一体何がしたいんでしょうね」
「…考えタこと、なかッたです」
「すみません、多分俺の方が余計なことを考えてるんです」
多分レンドルフの耳に届いていないだけで、おそらく上の方ではそれなりに色々動いている筈だ。禁輸の魔道具を使っていると言うことは、他国が絡んでいる可能性は高い。初日に捕らえた襲撃者は様子見の捨て駒だったのか、こちらを甘く見ていたのかは分からないが本気で暗殺に掛かって来たようには思えなかった。だからこそ捕まった時のことを考えて重要な情報は一切与えられていなかったと聞いている。オベリス王国側もレンドルフ達のことを同じように思っていると予測が付いた。そうそう向う側の手に落ちるような実力ではないが、万一こちらの手の内が筒抜けにならないように実行担当には情報を極力抑えているのだろう。
だからこそ余計な詮索はしないに越したことはないのだが、それでもついレンドルフは色々と考えてしまう。囮役という任務に就いているのだから、ナナシのように余計なことを考えない方が正しい姿であるのは分かっていた。
「たダ…悪意を感じナいのは、フしぎです」
「悪意を?」
「あノ魔道具、誰かを助けタいという気持ち、込めラれていました」
「魔道具に?ナナシさんはそんなことまで分かるのですか」
「ぼンやり、ですが。多クの人の手、渡ッたので、色々な思い、乗ってイます。でモ、作り手の気持ち、一番強イ」
「魔道具を作った人は、誰かを助ける為の道具を作っていたんですね…確かに使う人次第だ」
元々この禁輸の魔道具は水の少ない国で、少しでも安全な水を得る為に開発された魔道具だ。それを他の悪意のある人間が作り替えて、その国以外では使えなくさせてしまった。その国だけでなく水の少ない国はある。本来の目的で欲していた場所は他にもあっただろう。
そう思うと、レンドルフは何となくドライフルーツの微かな苦味が舌の根に強く感じたような気がした。
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「今日もお疲れさま」
「ありがとうございます」
特に成果もないままギルドに戻って来て、報告はナナシに任せてレンドルフはミキタの店に向かった。ここ最近連続で夕食を食べに訪れているが、ミキタのレパートリーは広く毎日違うメニューが出て来るので一向に飽きることはないのだ。
「今日は塩漬け豚肉のパイ包みが夜のオススメだよ」
「是非それをお願いします」
「はいよ。厚切りにしておくよ」
「楽しみです。それと赤スグリの炭酸割りと日替わりスープと…ええとオススメセットを」
「毎度あり」
昼はランチメニューで全てセットになっているが、夜は酒場になるので自分で色々と選べる。その中でオススメセットと言うのは、ランチで余ったメニューを少しずつ盛って皿にまとめた前菜のようなものだ。とは言ってもそのまま出されるだけではなく、ドレッシングや味付けを少し変えたりして提供される。ランチでも通常メニューでも食べられない完全ミキタ任せの料理なので何となく特別感があって、レンドルフはそれを知ってから必ず注文していた。
まずサーブされた日替わりスープは、貝と根菜の入ったクリームスープだった。白くとろみのあるスープが柔らかな根菜にたっぷりと絡んでいる。ランチよりも少し大きいボウルに入った器の隣に、スライスされたパンが添えられている。切り口はほんのり焼き色が付いて、溶けた黄金色のバターと緑のパセリが散っている。少し遅れて軽くガーリックの香りが漂って来て、その香りだけでレンドルフの腹が小さく鳴った。
まずスープだけをフウフウと息を吹きかけながらハクリと口に入れると、濃厚な貝の旨味と舌の上で解けるようなジャガイモの風味が豊かに混じりあった。そこに付いていたパンを浸して齧ると、薄く塗られたバターの塩味とガーリックの香りが優しい味わいのスープをキリリと引き立てる。夜は酒の肴の意味もあるのでハッキリした味のものが比較的多い。このスープは優しい味わいも楽しめるので、レンドルフは夢中になってあっという間にボウルの中身を空にしてしまった。
最後の一口を口に入れて少々名残惜しい気持ちでいると、すぐにオススメセットとメインの塩漬け豚肉のパイ包みがテーブルの上に並んだ。そしてこの店名物の食べ放題のパンも一緒に置かれた。
「これは匂いだけでパンが進みそうですね」
「嬉しいこと言ってくれるね〜。まだたっぷりあるから追加注文も受け付けるよ」
「ありがとうございます」
大きな塊の塩漬け肉を、パイ生地で包んでじっくりと焼いたものが分厚く切り分けられている。脂の少ない部位の肉であったが、十分に旨味が閉じ込められてしっとりとした肉の表面がキラキラとして見える。その上には粗く切って形が残っているトマトソースが掛けられていて、こちらにはしっかりとニンニクが使われているのか周囲にフワリと良い香りが広がる。早速ナイフを入れると、周囲のパイ生地はサクリとよい手応えがして、塩漬けなので程良く引き締まった肉の繊維が伝わって来る。硬くもないし柔らかすぎない、まさに肉の歯応えを存分に楽しめそうな感触だ。
少し大きめに切り分けてしまったが、レンドルフはトマトソースを絡めて一気に口の中に入れてしまう。少々口の端にソースが付いてしまったが、あとで拭けば済むことなので気にせずにそのまま噛み締める。
塩漬けでも塊肉なので芯まで塩辛くなっておらず、噛むと次々と湧いて来るような肉汁がまるでスープのようだ。パイの内側はその旨味を吸ってしっとりと、そして外側はパリパリとした食感と惜しげもなく使われたバターが存分に香る。あっさりとした肉に濃厚なバターの風味がよく合っていた。掛けられていたトマトソースは酸味が強めで煮込みも軽くしてあったので、温かいがフレッシュな味わいも残っている。トマトの酸味が肉の塩気を中和して、その上からローストしてあるガーリックの香ばしさでいくらでも食べられそうだ。故郷では肉料理には強めのガーリックを使ったメニューが多かったせいか、レンドルフからするとガーリック風味というだけで食欲が湧いてしまう。
ふと、レンドルフはこのトマトソースはユリが好きそうだな、と思い当たった。ユリは何でも食べられるが特にトマトとチーズを好んでいる。よく煮込まれたトマトを幸せそうに食べているが、こうしたあっさりと生の風味を残しているトマトソースも好みそうだ。
「今日のランチは鶏肉のソテーにこのトマトソースを掛けたものだったよ」
背の高いグラスに細かい氷を入れて、赤スグリのシロップの上から炭酸水を注いだグラスをミキタがテーブルの上に置いた。敢えて混ぜないで下の方に沈んでいる濃い赤を目で楽しめるようになっていた。
「それも合いそうですね」
「ユリちゃんはちょうど昼間にギルドに薬の納品に来てたから、ウチで昼を食べて行ったよ」
「そ、そうなんですか」
「一口食べて『このガーリック風味、レンさんも好きだと思う!』って言ってたよ」
「そう、ですね。好きな、味です」
まさかユリも同じようなことを思っていたとは思ってもおらず、レンドルフは少しだけ顔が熱くなるのを感じた。しかも自分はユリが好きそうな味だと口に出していないのに、ミキタには完全に筒抜けだったようだ。慌てて冷えた炭酸飲料をゴクゴクと飲んで気を落ち着かせようとしたが、却ってその行動が焦っていることの証左になっていた。そんな反応をミキタは目尻を下げて眺めながら、「仲の良いのはいいことだよ」と言いおいてキッチンに戻って行った。
レンドルフはなかなか治まらない動揺を抑えつつ肉をペロリと平らげ、しっかりともう一切れ追加していたのだった。
この世界の付与魔法は、魔力があってやり方さえ分かればある程度簡単なものなら誰でも出来るものです。ただ、複雑なものや強力なものなどを施すにはきちんと学んで修行や研究は必要です。やり方も人それぞれで、自分に合ったスタイルを見付けることが上達の一歩と言われています。
ベテランの元で師事するのも一人で研鑽を積むのもいたりと学び方は様々です。そうやって専門的な付与師になる者と、そこまで色々出来る訳ではないけれどお金が取れるレベルの付与が可能で副業にしている人、DIY感覚で自分用にだけ付与を掛ける人など、関わり方は割と自由です。
レンドルフとユリも一応簡単な付与なら可能です。けれどそもそも二人が使うような道具への付与は付与師に任せるレベルだし、平民の仕事を奪わずに注文を出して対価を支払うことで経済を回すことが貴族の義務と教えられているので、感覚的に付与は専門家に頼むもの、という意識が強いのです。