293.正義感の齎すもの
レンドルフ達が囮役の任に就いて四日が過ぎたが、二つの魔道具を回収した以外は襲撃などはなかった。最初に捕らえた者達は王城まで運ばれて取り調べを受けているらしいが、レンドルフのところにまで情報はまだ降りて来ていない。立場としては一番下なので、全て終わってから公表出来る範疇のみを知らされるのかもしれない。近衛騎士をしていた時は公表出来ない内容の方を知らされることが多かったが、今はただの平騎士なのでそんなものだと理解している。
森の中を歩き回って、時折出現する魔獣を討伐して戻る。多少は疲れるが、ナナシが魔獣の警戒範囲よりも広く感知が出来るため、討伐するか避けるかの判断が付くおかげで精神的に非常に楽だった。通常ならばいつ何処で、どんな魔獣がどれだけ襲って来るかは分からないのだ。臆病な小型魔獣ならば向こうから逃げてくれることもあるが、肉食や好戦的な性質の魔獣は襲って来ることも多い。それが事前に把握してもらえるので、回避するにも迎え撃つにも心持ちが違うだけで随分と戦いやすさが変わるのだ。
「お疲れさまです」
一日を終えてギルドに戻って来ると、副ギルド長サムが出迎えてくれた。いつもは特に出迎えられることはないので、何か任務の変更などがあったのだろうと察する。
「ギルド長がお話をしたいと申しておりますが、お時間はよろしいでしょうか」
「はい」
頷いたレンドルフをサムが職員通路からギルド長の執務室へと案内する。以前もナナシに連れて来られたが、あまりにも複雑過ぎて前回と同じ通路を使っているのかも記憶が怪しい。ただ、最後の長い登り階段だけは記憶に残っていた。登り切った突き当たりの重厚な扉を開けると、見たことのある部屋が目の前に開けた。
「帰るところを申し訳ありません」
「いいえ、問題ありません。何か任務のことでしょうか」
「まあそんなところです」
部屋の中には既にグランディエが待っていた。赤いワンピースに臙脂色のジャケット姿だったが、全体的にタイトなデザインで前回と同じように露出は少ないが妙に扇情的なスタイルだった。無造作に高く結い上げた髪が幾筋も項に掛かって、匂い立つような色香を放っている。その姿には同性であっても肢体に釘付けになりがちなのだが、レンドルフは一切視線をグランディエの目から動かすことはないことに気付いて、グランディエは僅かに目を細める以上は表には出さなかったが内心感心していた。
レンドルフは近衛騎士であった頃に、護衛対象に不躾な視線を向けてはならないと徹底して教育された。特に護衛対象が女性であれば、どんなに蠱惑的な服を着ていても絶対に体に視線を送るなと厳命されていた。異国の賓客であればそれぞれの国の文化に従うが、基本的には護衛対象の周辺か、直接話す時は目以外を見てはならないことが身に付いているのだ。
「先日のマギー・ストライト男爵令嬢のことですが、報告書を送るよりも直接話した方が良いかと思いまして。形のある物に残すのは少々難ありなものですから」
「承知しました」
レンドルフがグランディエの向かいのソファに腰を降ろすと、まるでタイミングを計っていたかのようにサムがティーポットとサンドイッチと焼き菓子を持って入って来た。
「少々入り組んだ話になりますので、どうぞお召し上がりください」
「恐れ入ります」
我慢出来ない程ではないが、一日森を歩き回って空腹だったのでレンドルフはありがたくいただくことにした。ハムとチーズが挟まったシンプルなサンドイッチだったが、たっぷりと塗られたバターとマスタードの風味が良い。一緒に来ているナナシは少し離れた椅子に腰を降ろして、相変わらず水だけを静かに飲んでいた。
あっという間にサンドイッチを食べ終えて、落ち着くまで待っていてくれたのか、レンドルフが紅茶を一口啜ったところでサムがテーブルの上に書類を差し出して来た。
「これは…」
置かれた書類に目を走らせると、昨年に起こった採水地での魔獣襲撃についての報告書だった。
森の採水地には、天候や季節にもよるが月に五回程度中央神殿から神官見習いが聖水の原料になる水を汲みに訪れる。なるべく安全に水を得られるよう全体に影響が出ない程度に周辺の森を整備して、護衛には腕の立つ冒険者などを雇っていた。念の為周辺には結界の魔道具などを配置している筈なのだが、何故か魔獣に襲撃された。そしてこの時は不運が重なって、休憩の為に護衛から少々離れた場所にいた神官見習い五名が重軽傷を負った。死者こそ出なかったが、内二名は重傷で意識不明で治癒院に運ばれたと記載されていた。
「ご存知ではありませんでしたか」
「ええ…この時は配属先が違っていましたので」
食い入るように書類を眺めているレンドルフに、グランディエが訊いて来た。その頃のレンドルフは、まだ近衛騎士団で副団長を務めていた頃だ。魔獣討伐が主な任務にしている第四騎士団ならば多少情報は入っていたかもしれないが、王族などの護衛が専門の近衛騎士団には市井の事件はほぼ知らされることはない。
「…ダリウス・ストライト」
「先日保護したマギー嬢の兄ですよ。もっとも双子なので同い年ですがね」
重傷者二名の名前の片方に、ストライトの名を見付けて思わず呟いていた。書類には退院の文字がないので一年経った今も治療を受けているということは分かるが、どういった状態なのかまでは記載されてはいない。
『お前らがダリウスをけしかけたのか?』
マギーはレンドルフ達に対して噛み付くようにそう言っていた。不幸にも魔獣に襲われた彼女の兄に、一体何をけしかけたのだろうかと、レンドルフの頭に疑問が浮かぶ。
「あの娘が言うには、兄ダリウスは幼い頃から非常に賢く、聖魔法の使い手だったそうですよ」
親と死に別れた双子は孤児院に引き取られていたが、ダリウスの才能の片鱗に気付いた院長が子供のいなかったストライト男爵に紹介をした。ストライト家は領地を持たない文官で、代々神学関連の研究と神殿にも深く関わっている家系だった。神官ではないが神官以上に真面目で清廉な男爵夫妻に、院長はダリウスを養子にすることを勧めたのだ。ダリウスは、妹も一緒に迎えてくれることを条件にストライト男爵の養子になった。
ストライト男爵夫妻は、実の親子…とまでは行かなくても互いに不器用ながらも穏やかで良い関係を兄妹と築いていた。そんな折、夫人が病に倒れてしまった。完治の難しいもので、症状を抑える為に高価な薬を飲み続けなければならないと言う難病だった。兄妹は引き取って育ててくれた恩に報いる為に、金策に走った。兄ダリウスは聖魔法の使い手だったので神殿に神官見習いとして入り、報酬を少しでも多く稼ごうとしていた。
マギーは魔力自体はあるようなのだが、外部に発現することが出来ずに魔力無しと同じ状態だった。そのせいで割りの良い魔法関連の職には就けなかったが、彼女も家計の足しにしたいと縫製工場で働いていた。
「今、神殿には第二王子の婚約者候補の伯爵令嬢が神官見習いとして滞在しておられるのをご存知ですか?」
「はい。何度か警護の任に就いたことがありますので。とは言っても令嬢であるので私は近寄らぬように配置されていましたが」
レンドルフはその体格故に、貴族令嬢から怯えられがちだった。騎士の家門の出や、ある程度年配の女性には却って安心感があると重用されていたが、年若い令嬢にはレンドルフの存在自体が落ち着かないらしい。その為、遠くからの護衛に回されるので、レンドルフは護衛対象の令嬢の顔は知っているが、あちらはレンドルフの顔も知らないかもしれない。
今の王太子の異母弟に当たる第二王子エドワードは、昨年成人を迎えて王族ならば婚姻していてもおかしくない年齢に達してはいるが、未だに婚約者が確定していないのだ。これには王太子ラザフォードの後継、次期王太子が確定していないことが影響している。そもそも王太子は現王の側妃の子でエドワードは正妃の子なのだ。幸い妃同士も兄弟の仲も良好であるので、長子相続の法に則ってラザフォードが王太子になるのは何ら問題はなかった。
ただ次期王太子候補のラザフォードの子供達が、王太子正妃と王太子側妃の長子が数ヶ月差の同い年ということに問題があった。基本的に長子相続なのではあるが妃の実家と血統に歴然とした差があり、数ヶ月遅れで王子を産んだ王太子側妃の方が上であったのだ。現在はどちらの長子も幼いということで、資質を見て判断すると先延ばしにしている状況だ。
口にこそ出さないが、二代続けて血統の劣る方が王位に就くのに思うところがある貴族も多い。そしてまだ幼い子供が不幸な突然死に見舞われることは珍しいことではないと思っている。そうなると、まだ王位継承権第二位のエドワードに玉座が回って来る可能性もあるのだ。その為エドワードは玉座には全く興味のない証しとして、異母兄の後継が確定するまで伴侶を決めないと早々に宣言していたのだ。
さすがに全く話を進めないと言う訳にはいかないので、婚約者候補として王太子妃よりも家格の低い令嬢数名が指名されていた。
「聖女になれる程の魔力量はありませんが、神官長は目指せるだろうという才と後ろ盾があると評判の令嬢なのですが…マギーが言うには、身分の低い下位貴族の子女を脅して、自分を優位に見せている、とか」
グランディエの口から思わぬ話が出て来て、レンドルフは思わず言葉を失って息を呑んだ。
神殿は基本的に政治とは切り離された組織とは言われているが、同じ国内に存在する以上は無関係ではいられない。表向きは神に仕え奉仕する場であるものの、人が関わり生きて行く以上は多かれ少なかれ暗い部分はある。しかしそれでも神殿に仕える者には、市井に生きる人々よりも正しく清廉であることを求められる。
もともと主神キュロスの性格が気まぐれで子供のようと伝えられているので、そこまで厳しい戒律はない。しかしだからと言ってあまりにも勝手なことをすると、想像を絶する苛烈な天罰が下されることもあるのだ。特に神殿はどこよりも神に近しく声が届く場所と言われているので、善く生きることが望ましいとされる。
「見習いとは言え、よく神殿でそんなことを…」
「まだマギーの証言だけですから裏取りは必要ですが…ただ彼女がそんなことを言っても何の得もないですからね」
「確かにそうですね…」
候補とは言え王族に嫁ぐ可能性のある伯爵家ならば、同爵位の中でも家格が上位の家だろう。その家の令嬢を貶めるような発言をすれば、領地を持たない貴族の末端のような男爵家は簡単に潰されかねない。たとえ証拠があったとしても、余程の味方がいない限り太刀打ちは不可能だ。
マギーの証言では、汲んで来た水に聖魔法を付与して聖水を作る作業をするのだが、その伯爵令嬢には原料の水を採水地よりも更に源流に近いところから採取したものを渡していたらしい。源流に近くなれば水に含まれる聖属性の魔力が高くなるため、僅かな魔力で大量の聖水を作ることが出来る。彼女はそうやって規定以上の聖水を納品することで評価を上げていたということだ。そしてその水は、採水に行く神官見習いに密かに命じて休憩時間に護衛の目を盗んで上流で採取させていたそうだ。
「では一年前に起こった事件は…」
「少しでも源流に近い場所に行く為に護衛の元を離れ、そこを魔獣に襲われた、といったところでしょうね」
聖属性の魔力は魔獣があまり好まないので、普段はその水辺に近寄って来ることは少ない。しかしそこに簡単に狩れる餌が来たならば、多少の不快感など簡単に吹き飛ぶ。それらにとって冒険者のように武器や魔法の攻撃手段を持たない神官見習いは簡単に得られるご馳走だ。
そうやって襲われたとき、まだそこまで護衛から離れていなかったことが幸いして死者は出なかったらしい。
「その書類にある通り二名が重傷で、なかなか意識が戻らなかったのですが、数ヶ月前にやっと一人が意識を取り戻しました。残念ながらマギーの兄ダリウスではありませんでしたが、ダリウスとは仲が良かったそうです。彼は神殿を辞して田舎に帰ることになり…罪悪感か正義感か…それは分かりませんが、その前にマギーに自分達がやらされていたことを密かに教えてくれた、と」
「それを調べる為に彼女が?」
「どちらかと言うと、その伯爵の弱みを握って金銭を要求するつもりだったようです。全く無謀というか考え無しと言うか…」
グランディエはその話を聞いた時のことを思い出したのか、その美しい眉を顰めてしかめっ面を作った。
マギーとダリウスは幼い頃の環境の影響か揃って成長が遅く、まだ顕著な二次性徴が現れていない為に良く似ていた。重傷で意識を失っていた二人のうち片方が目覚めたという情報は伝わっているだろうし、その一人に顔がそっくりな人物が採水地をうろついていれば犯人が接触して来るのではないかとマギーは考えたらしい。そして口止め料をせしめて、ダリウスと養母により良い治療を受けさせるつもりだったようだ。しかし現実は甘くなく、彼女はおそらく闇ギルドで雇われたテイマーに命を狙われた。たいした装備もなく訓練も受けていない少女が採水地に足を踏み入れて魔獣に喰い殺された、と見せかけるつもりだったのかもしれない。
グランディエの言葉ではないが、マギーのあまりな計画の杜撰さにレンドルフも思わず目眩を覚えてこめかみに指を当ててしまった。
「今彼女の身柄はどうしていますか?」
「ギルドが保護しています。当人は監禁と思ってるかもしれませんが。一応男爵家と職場には『とある事件の目撃者の可能性がある為ギルドに留まっている』と伝えています。念の為男爵家と治癒院に腕利きの冒険者も付かせています」
「それなら良かったです」
もしマギーが兄の怪我の原因を知らされて行動していなかったら、少なくとも彼女と養父母のストライト男爵夫妻はそのまま日常生活は送れたかもしれない。しかし相手を刺激してしまった以上命が危険に晒されていると思うべきだろう。レンドルフとしても、神聖な筈の神殿で行われている不正は許し難いとは思うが、もう少し周囲への影響を考えて欲しかったと思わずにはいられなかった。