292.事情聴取とギルド長の本心
サムが戻って来るまで、と部屋の棚の中にセットされていた茶器を取り出して、グランディエが手ずからお茶を出してくれる。ナナシの前にはお茶ではなく水を差し出す。これは差別をしたわけではなく、彼が口に出来るのは水と回復薬くらいしかないからだ。
「テイマーがけしかけて来たのはコカトリス一体とナイトウルフ五体、ですか。それをお一人で殲滅するとは、やはりお強いですね」
「どちらもナナシさんの手助けがあったからです。一人ではやはり苦戦したでしょう」
「勝てなかった、とは仰らないのですね」
「いや、その…」
実際その程度ならば無傷とは行かなくても負ける気はしなかったが、あまりはっきり言ってしまうと尊大に取られないだろうか、とレンドルフはつい口ごもってしまった。そんな反応を見てグランディエはクスクスと笑いを零して「素直な方ですこと」と呟いた。確かナナシにもそう言われたので、とっくに成人を越えている年齢にもなって日に二度も「素直」と評されるとは思ってもみなかった。
「もし任務でなければ冒険者としての実績になりましたのに」
「私の本分は騎士ですから」
レンドルフは間を置かずにそう答えると、出された紅茶を一口飲んだ。カップに顔を寄せても普通の紅茶のようだったが、一口口に含むと甘い香りが広がった。そこまで強い香りではないからかこうして口に入れないと殆ど存在が分からないのだが、ほんのりと酸味のある清々しい胸の空くような爽やかなものだ。
「お気に召しまして?こちらはレンカの実をブレンドしてあります」
「レンカの?以前に薬草茶で飲んだことはありますが、随分と違いますね」
「薬効成分が強いのは葉と根ですから。こちらは実をほんの少しだけ風味付け程度に使用しているだけですわ。薬草茶、ということはパートナーのあの薬師見習いのお嬢さんから?」
「ええ、はい」
レンドルフはほんのりと頬を染めるように口角を上げて、追加で味わうようにカップに口を付けた。
グランディエはパーティメンバーともっと深い意味での両方でパートナーと言って反応を探ってみたのだが、何とも初々しい反応が返って来て彼に分からないように少しだけ目尻を下げた。
グランディエはギルド長権限で冒険者に登録した時点で二人の身分は確認している。レンドルフとユリはお互いに高位貴族であるし、平民とは違って正式な婚約の手続きをしていない以上ある程度の距離感を保ったつき合いなのだろうと察する。かなり耳聡いと自負しているグランディエにもそういった情報は届いていないが、そこは王家と同等、或いはそれ以上かもしれない大公家の縁談であるのでギルド長ごときが捉えられるわけがないと最初から承知している。ただ二人の様子からおそらく水面下で話が進んでいるだろうな、と予想していた。
実際のところ、全くそんな話は水面下でも進んでいないので情報が入る筈も当然ないのである。グランディエは完全に見誤っているのだが、まさかギルド内の職員の間で「薬草姫と護衛騎士」と二つ名で呼ばれている程堂々と睦まじい姿を見せている二人がそんなことだとは全く考えていなかったのだった。
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「お待たせしました」
レンドルフが出された紅茶をほぼ飲み終える頃、テーブルの上に置かれたベルが小さく一度チリン、と鳴った。グランディエはそのベルを手にすると、返答を返すようにチリリと振った。すると壁の一部が開いて、手に書類を持ったサムが入室して来た。
「マギー・ストライト嬢ですが、五年前に双子の兄と共にストライト男爵の養子に引き取られた孤児です。現在、どのギルドにも冒険者登録はされておりません」
「やはりか。そうじゃなきゃ未成年が単独で採水地に行くようなことがあれば報せが来るからね」
冒険者登録をすると貰えるギルドカードは、未成年も登録は出来るが受けられる依頼や行動が制限されている。新人で自分の実力を把握し切れていない年頃の若手が実力以上の依頼を受けたり無茶なダンジョンに挑んでしまわないように、居場所がギルドで把握される設定になっているのだ。勿論常に見張っているわけではなく、制限以上の場所に入り込んだ場合警告が出るのだ。その場合はギルドからカードに警告のメッセージを出し、一度の警告で引けばペナルティは付かない。もし迷い込んでしまった時はそのまま救助要請を出せば、一番近いギルドから救助が出されるようになっているのだ。
あの少女が採水地に来ていたのに一番近いエイスのギルドに警告が来なかったので、グランディエは未登録だと予想したのだ。
「これ以上のことは、お嬢ちゃんに直接聞いてみるか」
グランディエは軽く胸の前でパチリと手を合わせると、事情聴取の為に使われる部屋へ移動するようにレンドルフに告げたのだった。
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案内された部屋は、シンプルであったが清潔感のあるごく普通の部屋だった。が、それは見た目だけで、壁や窓には魔法を無効化する付与と、ワイルドボアが全力でぶち当たっても傷一つ付かない程の強化が施されているそうだ。そしてさり気なく壁に掛けられた鏡は、隣の部屋からはガラスのように覗くことが出来る仕掛けになっていた。これならば犯人と直接顔を合わせずに証人に確認してもらうことが可能だ。そしてこの中でされた会話は記録され、正式な裁判などの証拠にも使われる。
「出してやってくれ」
「はイ」
どうやって出すのかとレンドルフはナナシを凝視してしまったが、一瞬にして少女がナナシの腕の中に横抱きにして現れたので、見ていても全然分からなかった。彼女は眠っているようで、特に暴れたりもしなかった。そして部屋の隅の長椅子にそっと横たえると、部屋の外に待機してもらっていたギルドの女性警備員二名をグランディエが呼び入れ少女の手と足を拘束させた。一応報告で捕縛時に暴れていたことを伝えていたので、目覚めた時に暴れられると厄介だと判断したようだ。
「二人とは顔を合わせない方がいいでしょう。事情聴取を聞くなら隣でどうぞ。面倒なら帰還していただいても構いませんよ。気になるようでしたら後で報告書をお渡しします」
「本日は予定はありませんので、聞いて行きます。やはり気になりますし」
「そうですか。ナナシはどうする?」
「わたしモ、残るデす」
「じゃあ案内して差し上げて」
事情聴取はギルド長であるグランディエが行うようだ。養子とは言っても相手は貴族令嬢であるし、何より国と連携して調査している重要案件に飛び込んで来た相手だ。たとえ無関係だったとしても、慎重に対処しなければならない。
ナナシに先導されてすぐ隣の部屋に入ると、中は窓はなく薄暗くなっていて隣の部屋に設置された鏡から入る明かりだけが漏れていた。完全な暗闇ではないので不自由はないが、大人が四、五人くらい入れば一杯になってしまうような部屋なので多少の閉塞感は否めなかった。反対側から見ると透明なガラスになっている鏡の方に向けられるように、二人掛けのソファと、壁に添うように小さな机と椅子が置かれていた。
「どウぞ」
「ありがとうございます」
ナナシはレンドルフにソファを勧めて、自分は壁際の椅子に腰を降ろした。通常サイズの二人掛けなので、体の大きなレンドルフからすると正直ありがたかった。ナナシは平均よりもずっと細身なので並んで座れなくもないが、確実に必要以上に密着してしまうのは明らかだった。ないとは思うが、万一身じろぎした際に骨折でもさせてしまったらと考えると落ち着かないし、多分自分と密着するのは暑苦しいだろうと無駄に気を遣いそうだったからだ。
ソファに座って正面を眺めると、思ったよりも隣の部屋全体が見渡せた。こちらの姿は向こうからは見えないと分かっているが、それでもただのガラスにしか見えないのでレンドルフは何となく落ち着かない気分になった。
こちらから様子を確認しやすいように、向こうの部屋の机と椅子がちょうど真横から眺めるような配置になっている。グランディエは扉に背を向けて座り、その正面にまだ眠っている少女を警備員二人が抱えて座らせた。最初に見た時は10歳くらいかと思ったが、ナナシの鑑定では13歳と言っていた。それが分かって改めて見ても、やはり実年齢よりも幼くレンドルフの目には映った。
警備員の一人が、懐から小瓶を出して蓋を取って彼女の鼻先に近付けた。おそらく気付け薬だったのか、彼女が顔を顰めて身じろぎをした。ゆっくりと顔を上げた少女は、一瞬自分の置かれている状況が理解出来なかったのか何度も目を瞬かせていた。
「な…何だよ、ここ!?アンタは…」
「初めまして。アタシはエイスのギルドで長をしているエヌゥだ」
「ギルド…マスター」
「あらあら、お嬢ちゃんは名乗った相手に自己紹介も出来ない程の赤子なのかね」
「…!」
煽るようなグランディエの物言いに、瞬時に少女は顔を真っ赤にして椅子の上で暴れた。しかし両手足を拘束されていたのと、すぐに警備員が彼女の肩を押さえたのですぐに大人しくなった。
「それで、お嬢ちゃん…」
「…マギー」
「マギーはあの場所で何をしていたんだい?今日は立入り禁止になっていると通達されている筈だが」
「し、知らなかった!ギルドなんて行かないから、あたしにはそんなのは」
「街道や森の入口で自警団が見張ってたんだけどねえ」
「それは!そいつらがサボっててあたしを見落としたんだ」
「ふうん」
彼女達の話す声は、隣の部屋にいるレンドルフにもハッキリと聞こえた。魔道具で音声を隣にも伝わるようにしてあるのだろう。こうして離れたところで俯瞰で見ていなくても、マギーは必死に何かを誤摩化していることが丸分かりだ。先程から拘束されている手の指先が忙しなく動き、視線も頻繁に斜め上の何もない場所を彷徨わせている。対峙しているグランディエも笑顔を貼り付けているものの、少々呆れたような色が浮かび始めていた。
「そ、それに、いたのはあたしだけじゃない!あいつら…怪しい二人の男が入り込んでた!あたしはあいつらが悪いことをするのを押さえてやろうと…そうだよ、悪いのはその男達で、あたしは正義を」
「随分と無謀だねえ。冒険者でもなんでもないヒヨっ子が、何ふざけたこと抜かしてんだい」
話しているうちにいいことを思い付いたと言わんばかりにヘラリと笑ったマギーに、グランディエがとうとう笑みを消して一際低い声を出した。隣の部屋にいるレンドルフでさえ、その瞬間に空気がピリリとするのを感じた。視界の端で、遮るもののない同室にいる警備員二人も思わず姿勢を正しているのが見えてしまった。
そしてその空気をまともに正面から浴びているマギーの顔色がどんどん白くなって行く。
「だ、だって…」
「じゃあアンタは何でここにいる?そいつらに保護されてギルドまで連れて来られたと思わないのか?」
「だってあいつらいきなり」
「襲われたとでも?だったらアンタはとっくに死んでるか、どこかに売り飛ばされてるだろうね」
「う…」
「正直に話したらちょっとは目こぼししてやろうと思ったけどね。アタシは何でも人のせい、自分は悪くゴザイマセン、って態度のヤツが大嫌いなんだ」
グランディエの声色は温度を失い、それどころかマイナスにまで下がっているように感じさせた。燃えるような赤い髪に、服も化粧も赤でまとめた炎の精霊のような姿の彼女が、今はブリザードでも吹雪かせているような空気を纏う。
「大丈夫」
息を呑んで向こうの部屋を見つめていたレンドルフに、部屋の隅で気配を消すように座っていたナナシがポツリと呟いた。振り返ったレンドルフに、フードを被って顔の見えないナナシが軽く頷いているのが辛うじて分かった。
「ぎるド長、本気、怒ルと、手が出マす」
「あれは本気ではないということですか?」
「はイ。あノ娘、心配シてる。ぎるド長の手の平、とてモ痛イ」
「ナナシさんは本気で怒られたことが?」
「とてモ、痛かった…」
通常は感情の分かり辛い平坦なナナシの声が妙にしみじみ聞こえてしまって、レンドルフは思わず笑いそうになってしまった。しかしそれは笑うところではないと慌てて顔を引き締める。
「う…ぅぅぅ…うええええぇぇぇぇっ!!」
目を逸らしている僅かな間に何があったのか背後から奇妙な声がして慌ててレンドルフが振り返ると、ガラスの向う側ではわあわあと大きな口を開けて子供のように号泣しているマギーの姿があった。その向かいではグランディエが「やってしまった」と言わんばかりに眉を顰めながら額に手を当てていて、泣きじゃくるマギーの後ろに立っていた警備員二人は呆れたような眼差しでグランディエを眺めている。その目線は、どう見てもギルド長に対するものではなかった。
「…これ、事情聴取出来ますかね?」
「無理ナ、気がシます」
結局、大泣きし過ぎて吐き気を催してしまったらしいマギーに、向こうの部屋が混乱に陥った時点でレンドルフとナナシはそっと退室した。未成年とは言え女性の失態を覗き見る気にはならない。
部屋の外に出ると書類を持ったサムがやって来るところだったので、レンドルフは事情聴取の部屋がちょっと騒ぎになっているので今日は帰還することにすると伝えた。
「明日以降も予定通りに調査に向かいますが、何か変更がありましたら連絡をお願いします」
「畏まりました」
ナナシは表の通路は使用出来ないということだったので、途中で別れてレンドルフは慣れた受付カウンターのある正面口から外に出た。
空を見上げると、もう日が暮れかけていて半分は紺色、半分はオレンジ色に染まっていた。
(ちょっと早いが、ミキタさんのところに行こうかな)
今日は早めに携帯食のスープとパンで軽く済ませただけだ。夕食には少し早いが胃は既に臨戦態勢だ。レンドルフはギルドの裏手にあるミキタの店に向けて足を向けた。今日のメニューは何だろうと思うと、思わず弾むような足取りになっていたのだった。