291.ギルド長との邂逅
エイスの街のギルドに到着して、ナナシに案内されて職員の通用口から一緒にレンドルフも中に案内された。普段入ることがない場所なので、レンドルフはつい物珍しくてあちこち見回してしまった。
何度も増改築を繰り返しているので、表に比べて裏側は随分と複雑な構造をしていた。入り組んだ廊下の途中には幾つものドアがあって、何の目的かは分からないが小さな部屋が沢山ある。どれも特に何の部屋かの記載はないので、これは場所を覚えるだけでも大変そうだな、とレンドルフはナナシの後について行きながら考えていた。
「火事、などあッたら、ココ、見なガら進む、いい」
何度も廊下を曲がったり階段を上り下りしたりして、すっかり来た方向が分からなくなった頃にナナシが廊下の下の方を指し示した。言われるままに視線をやると、廊下の壁の下に白っぽい線が引かれていることに気付いた。その白い線は矢印の形になっていて、よく見ると一定の方向を指し示している。
「ああ、出口への避難経路ですか」
これを知っていれば、帰りに一人で帰されたとしても安心して出口に辿り着けそうだった。下の方に書いてあるのは、火事などで煙が充満している中でも案内が見えるようにと考えられているのだろう。
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最後にやや長い階段を登り切って他の部屋よりも明らかに分厚い扉を開けると、そこはそこまで広くはないが質の良い艶のある飴色オークの調度品が並び、落ち着いた色の毛足の長い真紅の絨毯が敷き詰められた部屋があった。一歩中に入ると、フワリと少し苦味のある独特の香りが鼻をくすぐった。一瞬煙草の香りかと思ったが、それ以外の要素も含まれている。レンドルフはその中に嗅ぎ慣れた成分が含まれているのに気付いたが、微か過ぎて心の端に引っかかるだけで記憶と上手く繋がって来なかった。
ナナシに促されてソファに掛けてしばらくすると、壁だと思っていたところが不意にポッカリと開いて、そこから燃えるような真っ赤な髪を無造作に束ねただけの妖艶な美女が現れた。露出のないスーツを着込んでいるのだが、そのしっかりした生地すら押し上げているボリュームのある胸元が歩くだけで扇情的に揺れている。赤い髪に合わせてあるのか、同じ色の真っ赤な口紅と爪がやけに目を惹いた。
「ああ、そのままで。このエイスのギルド長グランディエ=エヌウと申します」
「王城第四騎士団より参りましたレンドルフ・クロヴァスです」
「今回は色々と世話をかけております」
元々ナナシはギルド付きの斥候として務めているが、今回の件は禁輸の魔道具が関わっているため国も動いている。勿論ギルド長のグランディエもナナシとレンドルフが囮役を引き受けていることも把握済みだ。
立ち上がって礼を取ろうとするレンドルフを制して、彼女は正面のソファに座って右手を伸ばして来た。貴族的な挨拶ではないが、別にレンドルフは気にならない。素直に手を伸ばして彼女の手を握ると、長めに伸ばした爪が僅かに手の甲に触れて固い感触を残す。その時にフワリと漂って来た香りがこの部屋の残り香と同じ物で、それはレンドルフが愛用しているクロヴァス領特製の香水と言う名の匂い消しに使用されている薬草の一つだとようやく気付いた。この薬草は特に血の匂いに反応して、血液特有の生臭さを分解して別の香りに変える特性を持ったものだ。魔獣の解体を専門に行う者などには必須の薬草だ。しかし決して人間にとっては良い香りではないので、大抵は別の香料と組み合わせて用いられている。
冒険者であれば荒事に無縁ではないので使用するのは分からなくもないが、ギルド長の地位に就いているこの美しい女性が使うのはそぐわない気もした。が、レンドルフは個人の好みの問題かもしれないので深く追及はしないことにした。
「ぎルど長、気になル娘、保護しマした。許可を」
「気になる娘…どっちの意味だい」
「?」
「冗談だよ。保護…ってことは、こちらのクロヴァス卿に見せたんだね」
「はイ」
見せたのというのは、ナナシの胸の下の黒い空間のことだろう。それを見せるには先に許可を取らねばならないことだったのだろうかとレンドルフは心配になったが、先に察したグランディエが「それはナナシの判断に任せてますよ」とすぐにフォローを入れた。
「これに関してはどういう仕組みなのかは分かりませんが、ナナシが言うには異界に繋がっているとか」
「それは聞きました。空間魔法のようなものだと」
空間魔法とは鞄などの中に異空間を作り出す付与魔法の一種で、見た目よりも大きなものを収納出来てその空間内は重さも影響しない。更にその上に時魔法を付与すると時間経過も影響を受けなくなるので、食料品などを入れて置くと腐らずに済むどころか、出来立ての温度を保つことも出来るのだ。ただ空間魔法も時魔法も使い手は非常に少なく、魔力量によって空間の大きさにかなり差が出る。更に空間魔法の上から付与する時魔法は、空間魔法よりも強い魔力でなくてはならないので、時間停止などのついた鞄などは利便性はあるが容量があまり大きくないのが難点だ。しかもこれらを付与した鞄などは非常に高価で、国やギルドなどで貸し出すような形で所持している以外では、相当裕福な貴族が一つ二つ持てるくらいだ。ランクの高い冒険者などは、高い貸出量を支払ってギルドから借りていることが殆どだ。
この空間魔法は生物に直接掛けることは出来ないとされているし、収納も弾かれると言われている。厳密に言えば不可能ではないのだが、誘拐や暗殺などに簡単に転用出来てしまうので空間魔法の使い手と分かった時点で制限が付けられるのだ。時魔法ならば生き物に掛けることは可能であるが、完全に時間を止めてしまうのには膨大な魔力を消費するため、そこまで長い時間は止められない。
それを踏まえると、ナナシの体は異様と言ってもいいだろう。しかしナナシは罪人の為に悪意のある使い方は出来ないように色々と誓約はされている筈なので、レンドルフは驚いたもののそこまで脅威には感じられなかった。
「何でも完全に飲み込んでしまうと異界に送り込まれて戻れなくなるそうで、浅いところで留めておく…まあ口の中に頬張ったままみたいな感じだそうですが…それだと一時的な保護状態で、すぐにこちら側に吐き出せるそうですよ」
「そういうものなんですか」
「それでこうやって一時的に取り込んでいる対象に対して、彼は鑑定が出来るのです」
「鑑定が…」
能力が限定されているとは言え、ナナシはその状態でも難しい魔法を軽々と使っている。一体元の魔力はどれだけあったのだろうと思うと、従順に服役していることが心底ありがたいことなのだと実感した。
「さて、ナナシ。あんたが気になると言う根拠は?」
「コの娘、きョう、採水地、来てまシた。冒険シャ、禁止知ッてるはずです」
今日は調査目的で採水地周辺を他の人間が立ち入らないように、ギルドや駐屯部隊からエイスの街と周辺地域に通達が出されていた。本来は中央神殿から聖水の原料となる水を採取に来る日程だったが、それも中止してもらうように根回し済みだ。聖水は生活必需品の一つであるので神殿側は渋ったようだが、今回は後日エイスの街から無償で運搬して中央神殿に直接納入することで納得してもらっていた。
念には念を入れて、森の入口や街道周辺に駐屯部隊の騎士やエイスの街の自警団が巡回をして、関係者以外は採水地周辺に近付かないように注意を呼びかけていた。
ただ彼らには正規のルートや方法で森に入ろうとする者を止めるだけで、密かに浸入する者は敢えて探さないように伝えていた。立入り禁止を知っていてわざわざ入ろうとする者は、目的は不明でもそこに悪意や思惑が存在することは明白だ。そしてそれは調査されて困る者達がレンドルフ達を狙っている可能性が高い。わざとそういった者を誘き寄せることがレンドルフ達の今回の任務の役割だったのだ。
「その娘が怪しいと?」
「ていマー、娘狙ッていまシた。誘拐目的、シては娘、装備貧しいかったです」
グランディエが確認するようにレンドルフにも視線を送って来たので、少女の装備は悪いというわけではないがそこまで良いものでもなかった、とレンドルフも口添えをする。顔を合わせるなり短剣で斬り掛かって来たが、腕前も体さばきも完全に素人の動きだった。あの程度でたった一人で森の中程度の深度の採水地まで来るのは考え無しの無謀か、何らかの目的があったとしか思えない。
「目的については当人に聞くしかないが、厄介な背後がいると問題だね。いいよ、やっとくれ」
「分かりマした」
鑑定魔法は、悪用しようと思えばいくらでも出来てしまう類の魔法の為、使用出来る範囲が厳格に決められている。その決められた範疇以上の鑑定を行うと、厳しい罰則が下るのだ。ナナシの鑑定魔法は、相手の名前や年齢、属性などが一通り分かる程度が許可されている範疇であり、更に監視下に置いている責任者の許可があって初めて行使可能になるそうだ。現在の責任者はギルド長のグランディエになる為、その許可が必要だった。
ナナシが脇に置いていた杖を片手で掲げて、もう片方の手をローブの上から胸の辺りに添える。そして口の中で何か聞き取れない言葉を呟くと、杖の魔石が幾つか光を帯びた。レンドルフが一度見た時とは違う石が光っている気がするので、使う魔法によって違う属性の魔石を使用しているのかもしれない。
「…マギー・ストライト。13歳。女。リバスタンの縫製工場勤務。兄、ダリウス・ストライト」
しばらくすると、ナナシが感情の抜け落ちた声で喋り始めた。まるで何かを読み上げているかのような平坦な口調で、少々異国訛りのある普段の発音とは全く違っていた。
「マギー・ストライト…ストライト男爵家の者か?しかし兄妹なんてあの家にいたかな。少なくともウチのギルドで冒険者登録はしてないね」
ナナシの言葉を聞いて、グランディエはすぐにその言葉が出て来る。その迷いのない言葉に、レンドルフは内心舌を巻いた。彼女の様子だと、相当末端までの貴族を把握しているようだ。
社交を嗜む貴族でも高位になると、ほぼ国内の貴族の家名や家族構成、親戚縁者なども頭に叩き込まれている。中央政治に関われば関わる程、付き合う相手や発言に気を配らなければ足元を掬われることもあるからだ。ギルドは国を越えて独立した組織であるのでギルド長になるには必ずしも貴族位を有している必要はないが、施設を構えている国の貴族とは無関係ではいられない。貴族からの依頼もそれなりにあるので、やはり広い知識と情報は上に立つ者程必須なのだ。
グランディエはテーブルの隅に置かれたベルを鳴らすと、間を置かずに先程彼女が入って来た壁が再び開いて、眼鏡を掛けた男性が入って来た。細い銀縁眼鏡で神経質そうな印象の男性は、レンドルフには見覚えがあった。以前にレンドルフにランク昇格試験を勧めてくれた副ギルド長のサム・タッカルタだ。
「ご無沙汰しております」
「そ、その節はお世話になりました」
「サム、マギー・ストライトの登録を調べてくれるかい。ウチで登録してないけど、余所で手続きしているかもしれないからね。まあ多分未登録だろうけどね」
「挨拶くらいさせてください。私が非常識だと思われます」
「別にもう顔を知られてるんだから時間を使わなくてもいいだろう」
「それを貴方が言いますか…」
サムは一応上司である筈のグランディエに対して、不服げな表情を取り繕いもせずに眉間に皺を寄せた。しかし彼女は一切気にも留めないように口角を上げて優雅に足を組みなおした。それだけのやり取りで、レンドルフは何となく彼らの力関係を理解したような気がした。
結局、サムはそれ以上は言い返さずに手元の手帳に書き付けると「少々お待ちください」と慇懃に頭を下げてすぐに部屋を出て行った。
「わたくしは職務上、このギルドで登録した者全員の出自は確認しております。貴方様が『レンリの花』のパーティリーダーをなさっていることも」
「…恐縮です」
「全く問題はございませんよ。冒険者は偽名を使う者が半数はおりますから。それに…」
グランディエはグッと身を乗り出して顔を近付けて声を小さくした。
「正直、貴方様の参加した定期討伐は非常に良い成果でした。ギルド長としても感謝を」
「それは何よりです」
少し安心したようにレンドルフが微笑むと、グランディエもこれまでの妖艶な雰囲気とは打って変わって何とも可愛らしい表情で破顔したのだった。
ナナシの腹は、異界(異世界)への転移の入口になっています。
収監されて再教育中に世話係だった少女の為に自分の体を媒介にして異界への道を開きました。その少女と関わることによって、ナナシは人として生きることを理解することが出来たのでその礼のつもりでした。
もし彼女が異界に馴染めずに帰還を望むことがあるかもしれない為に、ナナシは入口を開きっぱなしにしています。その為に自身の時間を止めているので、外的要因で傷付く以外はそのまま半永久的に生き続ける予定。
一応エピソードは考えていましたが、閑話に収まる長さではないのでざっくりと概要だけ。