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289.それぞれのタッセル


「お嬢様…」

「言わないで、ミリー」


ユリの手元には、何だかよく分からない物体が並んでいた。パッと見は多頭の黒い蛇のようにも見えるが、長さもバラバラで何を目指していたのかも不明だ。それに付き合っていたミリーが作った美しいフリンジのタッセルが隣に並んでいるので、より謎が深まっている。


「これじゃ、レンさんのご家族といい勝負じゃない…」


レンドルフと出掛けた音楽祭でアスクレティ領の特産品の一つでもある彫金細工をこっそり買い求め、今度はそれを使って一からレンドルフに贈るタッセルを作製しようと思ったのだ。以前に一度レンドルフにタッセルを贈っているのだが、最初は剣の鞘に付けていたが、今は付けている様子がなかった。無くしてしまったのなら向こうから言い出しそうな気もするので、もしかしたら大事にし過ぎてしまい込んでいるのかもしれない。お守りの代わりにもなるタッセルなので出来れば身に付けていて欲しいのだが、レンドルフの性格だと一つだけだから余計に大切に扱っているのではないかとユリは予想したのだ。だからそれが気にならないくらいに今度はもっとしっかりとしたタッセルを作ろうと考えたのだった。

が、初めて挑戦してみて分かったのだが、ユリはこういった小物作りは壊滅的にセンスが不足していた。専属メイドのミリーに教えてもらって、手順通りに作業している筈なのだが、気が付くと謎の物体が出来上がっている。前回贈った物は出来合いのパーツを組み合わせただけだったので、まさかここまで自分のセンスが家出しているとは思ってもみなかったのだ。

調薬などの細かい作業はいつも苦もなく器用にこなしているので小物を作るのも大丈夫だと思っていたのだが、それとこれとは全く違っていた。そもそも貴族女性が嗜む刺繍なども基礎以外は一切習っていないので、手芸関連が苦手だと気付いていなかった。


「彫金細工が複雑で美しいですから、シンプルに紐を付けるだけにしては?」

「うう…もうちょっと自分で手を掛けたい…」



ユリが買い求めたのは、丸いコインくらいの大きさの物で、その小さな面積に関わらず一面に複雑な紋様が刻まれている。ユリ自身もそこまで詳しくないが、その紋様だけでミズホ国の古代信仰の神を表しているのは知っている。ミズホ国では名前は違うが、この世界で最大の信仰を集めている主神キュロスを中心に、周囲に眷属を配置していると言われる典型的な守護を司る紋様だ。小さな意匠一つ一つが神を表す紋章のようなものだと聞いているが、非常に細かく複雑であるので、専門家ではないユリにはどの紋様がどの神の眷属を示しているのかまでは判別が付かないが、少しずつ違う紋様はじっくり眺めているといつまでも飽きない。

そしてその中に色の違う小さな石が四つ埋め込まれていた。これはかつてミズホ国を交替で治めていた四頭の神獣を表すものだ。彼らは強大な力を均等に有し長らく国を治めていた伝説を持つため、安定と平穏の象徴として扱われるモチーフだ。文献に残っていないので定かではないが、アスクレティ大公家の始祖はこの神獣の一頭の系譜だったと伝えられている。


これらの紋様は、持ち主の安全を願うものとしてよく使われるものではあるが、ここまで細かく繊細なものは滅多に見ない。ユリは一目見た瞬間、これでタッセルを作ってレンドルフに渡したいと衝動的に思って購入したのだった。



「レン様なら喜んでくださると思いますが」

「それでも!私がちゃんとしたものを贈りたいの!」

「喜ばないようだったら処しますしね…」

「今なんか不穏な言葉が聞こえた!?」


しかしいくら気持ちだけは込めても、急にユリの器用さが上がるものではない。妙に色々なものを込め過ぎるせいか、作れば作る程奇妙な状態になって行く気がする。


「いっそ革で作るのは如何でしょう」

「革かあ。そうね、革なら切り出すだけだもんね」

「革なら丈夫ですし、この細工物が豪奢な分他がシンプルな方が男性には付けやすいかと」

「そうね!」


フリンジを最初から編み込んで作ろうとするところで躓いているので、革ならば切るだけだ。ユリとしても調薬で切る作業は慣れているので、ミリーの提案にすぐに飛びついた。それに魔獣の素材ならばいくらでも在庫がある。


「何かいい付与を付けられるような…でも出来れば他に干渉しないように…」


幾つかの候補を思い付いたのか、手元のメモにカリカリと書き留める。素材自体に力がある物か、後から付与専門の魔法士に付けてもらうか悩むところだ。他にも手触りや染めが可能かどうか、そして頑丈さも拘りたい。


真剣な顔をして熱心に候補を考え込んでいるユリの邪魔をしないように、ミリーはそっとテーブルの上に並べた謎の物体を紙に包んでお仕着せのエプロンのポケットにしまい込んだ。これに気付けば、ユリは赤い顔をして「捨ててしまって!」と言って来ることが予想がつくので、それに気付く前に全て回収して当主のレンザに回してしまうつもりだった。ユリの行動は全てレンザに報告されているし、レンドルフに贈る為にタッセルを手作りしているのも筒抜けだ。そしてミリーは失敗作でもユリが渡さなかったタッセル全てを回収して来るように厳命を受けていた。大変不機嫌そうな空気が駄々漏れではあったが、他の男性に渡すものでも可愛い孫の手作りを捨てるのは許せないらしい。


「お嬢様、一緒に旦那様にもお贈りしてはどうでしょうか?」

「おじい様に?でもおじい様ならもっと質の良い物を注文した方が…」

「ユリシーズお嬢様の手作りなら、どんなものでもお喜びになりますよ」

「そう…?それならおじい様の分も一緒に作ろうかな」

「是非!」


ミリーの妙な勢いには気付かずに、ユリは「それもいいわね」と再びメモに書き加えた。

タッセルを渡すのは、実戦に出る騎士や冒険者など、その身に危険があるような職業に就いている者の安全を祈る行為だ。そういった荒事に遠い立場の者に渡す風習はあまりないので、ユリは当主であり薬師である祖父レンザに渡すことは全く想定していなかったのだ。貴族男性に渡すのであればカフスボタンやクラバットピンなどの宝飾品か、刺繍入りのハンカチーフなどが一般的だ。文官であればペンや文鎮などの文具の場合もある。レンザはどちらかと言うとそちらの立場の人間なので、ユリの頭にはタッセルを贈るという選択肢がなかったのだった。

高位貴族になると自身で手作りするよりは、希望を伝えて専門店経由で職人に作ってもらうことが殆どだ。ユリもレンザにプレゼントした物は自分で選んではいるが自作はしていない。


ミリーはどうやら作戦が上手く行ったらしいことに、ユリには見えない角度でニンマリと笑ったのだった。



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「何なんだよ!お前ら!!離せよ!!離さねえと痛い目に遭わせっぞ」


レンドルフの目の前では、どう見ても未成年の少女とも少年ともつかない人物がもがいていた。言葉だけは威勢がいいが、レンドルフの土魔法で拘束されていて足をばたつかせるのが精一杯の様子では全く説得力がなかった。


「先に向かって来たのはそっちじゃないか」

「うっさい!」


ナナシが気配を感知したので採水地の近くに行くと、水場の近くで様子を伺うようにしている人物を見付けた。冒険者のような出で立ちではあるが、見た目は10歳前後の未成年のように思えた。ただ見た目と実年齢が違う異種族はそれなりに存在しているので、その人物もその類なのかもしれないと警戒していると、レンドルフ達に気付いて腰の剣を抜いていきなり襲いかかって来たのだ。

思った程戦いに慣れた動きではなかったので、レンドルフが魔法で拘束するとあっさりと捕まった。


「いくらこの辺りが採水地であまり魔獣は出ないとは言っても、子供一人で来るのは危険じゃないか」

「魔獣よりもお前らの方が危険だろーが!!この変質者!!」

「そうは言ってもな…」


問答無用で襲いかかって来たのを拘束しただけでレンドルフは指一本触れていないし、そこまでキツく締めてもいない。


先程から噛み付かんばかりに吠えている人物は、淡いミルクティのような直毛を後ろで一つに束ねていて、柔らかなピンク色の瞳をしていた。色合いも顔立ちも可愛らしいのだが、とにかくギャンギャンと暴れているので落ち着いて話が出来ない。一旦こちらに敵意はないと示す為に少し拘束を緩めたのだが、そのまま逃走を図ったので仕方なく再度縛り上げることになってしまった。


「こノ子供、女」

「ひっ!」


音も無くナナシが近付いて行ってヒョイと顔を覗き込んだ。その際に彼の顔が見えたらしく、その子供、少女は引きつった声を上げた。


「たくさン、聖水浴びテる。だカら、一人、平気」

「なるほど…君は、冒険者見習いか?」


レンドルフは相手が少女だと知って、逃げられない最低限の拘束に留めた。それが分かったのか再び少女はもがいたが、絶妙な力加減で逃げられないことを理解したのかすぐに大人しくなった。幼いとはいっても女性なのは変わりがないので、レンドルフはあまりジロジロ見ることはしないようにチラリと彼女の装備に目をやった。ギルドで貸し出しているような最低限の装備ではないが、そこまで上質なものでもない。着ている服や髪や肌の状態からすると、平民の中でも生活水準は中の上、といったところだろうか。その割には、聖水を全身に浴びているのは身にそぐわないような印象を受けた。


聖水は魔獣避けに使われる為、魔獣の屍骸に掛けて使用することが最も効果的だ。死んだものならば掛けておけば数日は効果があるが、生きている者には代謝があるので当然効果は短くなる。人も大量に直接浴びれば半日くらいは持続するが、聖水は小さな瓶でしか販売していないので相当の本数が必要になる。十分な効果を得られるだけの量に使うくらいならば、その代わりに程々に腕の立つ冒険者に護衛依頼を出した方がむしろ安上がりなくらいなのだ。


「…お前らがダリウスをけしかけたのか?」

「ダリウス?誰のことだ」


少女がボソリと呟いたことに聞き返すと、彼女は一瞬だけ顔色を悪くして後は口を噤んでしまった。この少女は何らかの目的でこんなところに一人で来たのは間違いないだろうが、理由を話す気はないようだ。それよりも、今のレンドルフ達は禁輸の魔道具の調査を妨害しようとする者をおびき出す囮役として来ている。このまま彼女をここにおいていれば巻き込むことになりかねない。レンドルフとしては穏便に帰ってもらいたいところだが、出会い頭に斬りつけて来た相手には無理なような気がしていた。何せ小柄な少女からすれば天を衝くような大男と、顔に傷のある盲目の男の二人組だ。信頼度は地を這うどころかめり込んでいる状態だろう。


「仕方ない。後から来る騎士に引き渡しましょう」

「げっ!」

「ここにいるのは危険だ。騎士に保護してもらって…」

「ヤダヤダヤダ!!絶対帰らねえ!」

「アまり騒がなイ」

「イーーーヤーーーダーーー!!」


あまりこのままにしておくことは出来ないので、レンドルフは仕方なく黙ってもらおうと持って来ていた布を腰のポーチから取り出した。何かあった時に血止めに使う為の布なので清潔なものだ。これで猿轡を噛ませて、しばらくは大人しくしてもらうしかない。小さな少女にするには少々良心が痛むが、騒ぐままにしておいては却って危険になる。


布を出した時に、ポーチの内側に結びつけていたタッセルのフリンジが一瞬サラリと手の甲に触れてひんやりとした感触を残した。ユリから貰ったタッセルは、最初は剣の鞘に付けていたのだが引っ掛けて落としてしまいそうで心配になったので今はポーチの内側に括り付けて、自分にしか見えないようになっている。そしてポーチから物を出す度に手に触れる感触を密かに楽しんでいたりする。いつかユリにも話そうと思っているのだが、何だか自分の行動を気持ち悪がられはしないかと少々自覚があったのでつい言い出せずにいた。



「静かニ」


ナナシの声が一段低くなり、一瞬にしてピリリとした空気を放った。少女の方もその異質さに気付いたのか、騒いでいた口を即座に閉じた。レンドルフも迷うことなく剣を構えたので、より一層大きく見える姿に怯えたのかもしれない。


「ないトウルフ、ゴ体。任せる、いいデすか?」

「大丈夫です」

「わたし、こレ、守る」


ナイトウルフは真っ黒な毛並みの狼型の魔獣だ。体格は普通の狼と大差なく顎の力が非常に強いが、口がそこまで大きくない分一撃で致命傷を負うことはあまりない。群れで行動することが多く、二桁になると一、二度は噛まれることは覚悟しなくてはならないが、ナナシが感知した五体程度ならレンドルフ一人でも十分対処可能だ。それにナイトウルフは火魔法に弱いので、十分に魔力も残っている今ならそこまで苦戦はしない筈だ。


「お任せします」

「分かっタ」


不意にナナシは纏っていたローブの前を開けたかと思った瞬間、拘束されて座り込んでいた少女が一瞬にして掻き消えたのだった。



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