288.任務の目的
回収した魔道具を馬車の鍵付きの箱の中に厳重に封じて、レンドルフは持って来ていた服と靴に換える。そう汚れたわけではないので干しておけば問題ないだろう。生活魔法が使えれば乾かすのも簡単だが、残念ながらレンドルフもナナシも使うことが出来ない。魔力量が多いと使えないと言われているので、魔力と血統を重視して来た貴族階級はほぼ使えず、魔力量が少ない平民は大半が使える。騎士として討伐で外に出ることの多いレンドルフからすると生活魔法が使えるのは羨ましいのだが、貴族の中には下賎な魔法と蔑む者もいる。
「話に聞いてはいましたが、あそこまで捕獲に手こずるとは思いませんでした」
「見た目、弱イ。前回、わたしモ失敗、シた」
確かに見た目はただの一枚の紙で、川の中を遡って来ることだけを除けばすぐに拾えそうな気がした。しかしその行く手を阻もうとされた瞬間、恐ろしく機敏で強力な反応を返して来た。あれほど薄い紙状のものなのに、土壁に一撃でヒビを入れる出力はおかしいとしか言いようがない。魔力感知が出来るナナシが見ても外部に漏れている魔力はそこまで強くないそうで、それで最初に発見した際に強さを見誤ったのだ。
「さすがに禁輸になるだけのことはありますね」
「使ウ人、次第」
「そうですね…」
この禁輸になった魔道具は、元は砂漠の国で安全な水源を確保する為のものだった。飲用には向かない僅かな水でもその魔道具に触れさせると水源に向かって移動して行き、その場所に到達すると付与しておいた浄化魔法を発動させて安全な水源を作り出す用途として作製された。その為、水源に向かって行く際にあらゆる困難を想定して、それを回避出来るだけの性能を付与してある。何せ砂漠で貴重な水源の確保は命を繋ぐ為には必要なもので、失敗は出来なかったからだ。
しかしこの魔道具を利用して、水源に到達した際に発動する浄化魔法を毒魔法や感染性の病に書き換えてよからぬ目的で使用する者が出て来た。その為この魔道具は砂漠の国で目的以外で使用することが禁じられ、他国へ持ち込むことも厳禁となったのだ。
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「来まシたね」
「そうですね」
レンドルフとナナシは回収した魔道具を置いて馬車から離れて再び採水地へと向かう途中、背後から少しずつではあるが誰かが近付いている気配を感じた。魔道具相手では分からないが、人の気配ならば足音や呼吸音でレンドルフの身体強化でも察知出来る。足音に混じって微かではあるが金属の擦れる音と薬品の匂いもする。おそらく強力ではないが身体の自由を奪う毒を持参しているのだろう。
こちらが気付いているとは悟られないよう、レンドルフ達は歩く速度を変えないようにしつつ、周囲に気を張り巡らせた。
ナナシが最初に見付けた魔道具から禁輸のものであると発覚し、その周辺のエイスの森に流れる川という川の探索が行われた。それは緊急でありながら膨大な手間がかかるものだったが、以前レンドルフがユリと共に川辺に咲く花の色の変化と周辺の水質の異変に気付いたことをステノスに伝えたことにより優先的に調査する場所を絞れた。そのおかげでバラまかれた魔道具を速やかに回収が出来たのだ。花の色の変化が見られた支流の水源で既に発動している魔道具が数点発見されたが、幸い回収が早かったおかげでその後も特に大きな影響は見られなかった。
しかしその魔道具をどこから何の目的でバラまいたのかは未だに調査中で、犯人も掴めていない。しかも全て回収されてから時間が経ってほとぼりが冷めたと思われたのか、ここ最近再び魔道具が発見されるようになった。勿論、騎士団と冒険者ギルドが連携して、いつも以上に水源付近の見回りを強化していたので発動前に事無きを得ている。だが、このまま犯人が捕まらなければいつまで続くか分からない。
その為、優秀な調査員を派遣し王城の騎士を直接護衛に付けて犯人に辿り着く為の調査を本格的に開始した、と情報を流した。それに付随して、目立つ容姿のナナシを前もって調査員と称させてあちこちに出没させた。そして今日、本格的な調査を開始するとして、しばらくは採水の為の神官見習いも森には入らせないようにすると通達を出したのだ。
人の目が極限まで少ないところで密かに調査を行い、護衛も最低限。犯人にしてみれば、優秀な調査員を消し去る絶好の機会だ。
あまりにも犯人への手掛かりが見つからないので、今回課せられたレンドルフ達の任務は、向こうを誘い出す為の囮役だったのだ。
おそらく遠くから二人が魔道具を見付けて回収するところを見ていて、確実に調査員であり他に人を連れていないと確証したので出て来たのだろう。
「足止め、頼メる、まスか」
「落とし穴でいいですか」
「お願いシます」
目の前の大きな岩に登りたいとナナシが指し示したので、先にレンドルフが登って後ろを向いてナナシを引き上げるような形になる。ごく自然に振り返るような恰好になったレンドルフは、潜む者達は目には見えていないが聴覚と嗅覚でより正確な位置を把握した。これまでの動きからすれば、ナナシはこの程度の岩に登るのは何の問題なく自力でこなせる。敢えてレンドルフを振り返らせて狙いを定めやすくするために頼んだのだと理解する。言葉も短く表情も分かりにくいが、何となくナナシとはやりやすさを感じていた。
「アースウォール」
「ぐわっ!?」
レンドルフが相手に察知される前に一気に複数の狙いを定めた場所の地面を落とした。今回は強度はむしろない方がいいので、単純に下に向かって細長い壁を出す。まさか足元がいきなりなくなるとは思わなかったのか、複数の声が上がる。襲撃するつもりだったのかは分からないが、咄嗟の場合に声が上がってしまうのはあまり慣れた者ではないのかもしれない。
「ーーー」
やはりナナシの魔法は特殊なものなのか、何を言っているか全く聞き取れない。が、その声自体が奇妙な肌感覚を有している。何か皮膚をニョロリと直接撫でられたかのような一瞬の不快感が駆け抜けて行く。次の瞬間、地面から黒い蛇のようなものが湧き出して来て穴に落とした黒衣の男達が拘束されて引きずり出された。一応自害などしないように手足だけでなく口回りも黒い何かが巻き付いている。
「これデ全員、です。ありがトうございます」
しばらく拘束された男達はもがいていたが、すぐにクテリと力無く静かになった。目的は生きたまま捕らえて雇い主を白状させることだったので、ただ眠らせただけだろう。相手は全部で五人だった。
「部隊の合流を待ちましょう」
「……」
「ナナシさん?」
「来ル」
ナナシの呟きとほぼ同時に、レンドルフの耳も風を斬るような笛にも似た甲高い音を捕らえた。その音の正体が何なのかを理解する前に、反射的にレンドルフは腰の剣を引き抜いて頭上に掲げた。
ギィンッ!!
鈍い音が響き渡るのと、巨大な黒い影が頭上から覆い被さって来るのは同時だった。レンドルフの構えた剣から衝撃が伝わって来て、腕がビリビリと痺れた。
「コカトリス!?」
上からのしかかられているので逆光になってはっきりとは判別し切れないが、巨大な鳥のシルエットの向う側にウネウネと蠢く鞭のようなものが見える。鶏によく似た体に蛇の尾を持つ大型の魔獣と言えば、おそらくコカトリスだろう。顔が鶏に似ているだけで実際は肉食なので、その爪は鋭く曲がって猛禽類と同じ形状をしていて、鹿や羊程度なら一撃で切り裂いて連れ去ることも可能だ。まだ幼体なのかそこまで大型ではないが、それでもレンドルフよりは一回りは大きい。鳥の体の方は爪とクチバシに注意すればいいが、蛇に似た尾の先には刺があり毒を有している。即死するような猛毒ではなく狩りをする為の麻痺毒ではあるが、人によっては死に至ることもあるし中毒死以前に動けなくなって餌にされて死ぬ確率が高い。
切れ味の良い筈のレンドルフの大剣でまともに受け止めたのだが、硬いコカトリスの足の皮膚には一向に食い込みそうになかった。バサバサと上から羽ばたいて体重を掛けて来る相手に、レンドルフは大きく足を開いて押し戻そうと一瞬力が拮抗する。
「ーーーー!!」
『ギャッ!』
隣にいたナナシが何かの魔法を発動させると、レンドルフを打ち据えようと振り上げられた蛇の尾が根元から切れて上方に跳ねとんだ。切り離された尾は、勢いよく宙をうねりながら飛んで行き、地面に落ちるとその場でグネグネとのたうち回った。
尾を切られたことでコカトリスはバランスを崩し、一瞬力が緩んだ隙にレンドルフが剣を横薙ぎにしながら自分の体を移動させて素早く脇に回り込み、少々無理な体勢にはなったが渾身の力を込めて翼の付け根に刃を叩き込んだ。ちょうど羽根を動かす関節部分に狙った通り刃が入って、一瞬だけ抵抗があったが拍子抜けする程あっさり大剣が振り抜けた。そのまま大きな羽根が血飛沫を上げながら離れたところに飛んで行き、バランスを失って失速した本体もレンドルフ達が乗っている大岩の上から転げ落ちて地面に叩き付けられた。
片羽根と尾を落とされただけではまだ生きているコカトリスに、レンドルフは一気に大岩から飛び降りて一撃で首を落とした。レンドルフの体重と大剣の重さで呆気無い程大きな頭が落とされて、コカトリスは二、三度痙攣しただけでそのまま動かなくなった。いくら人を襲う魔獣でも無駄に苦しみを長引かせるのは本意ではないので、可能な限り迅速に命を狩らねばならない。
レンドルフは立ち上がって、血の付いた大剣を片手で一閃して付いた血を振り払うと鞘に納めた。視界の端で、生命力が強い為に体から切り離されてもまだのたうち回っていた蛇の尾が、ザラリと砂かなにかのように砕けて地面に落ちるのが目に入った。少し遅れてナナシの魔法特有の気配に気付いて、彼が何らかの魔法で処理したのだろうと皮膚感覚で理解した。
コカトリスの肉は不味くて食用には向かないが、尾が持っている毒は精製すると薬の原料となる。少々惜しい気もしたが、今は別の任務中で回収する手間を割くわけにはいかない。
「…隷属の足輪…」
この森はコカトリスの棲息域ではない。レンドルフは念の為確認すると、コカトリスの足の付け根に金属の輪が装着されていて、思わず眉を顰めてしまった。これは魔獣を飼い馴らす為に装着する魔道具ではあるが一部の魔獣にしか効果がなく使い辛いということで、テイマーを雇う方が確実な為にあまり人気がない。今のように目的を定めずに敵陣を襲わせて混乱を招く程度ならそれなりに役立つので、使い捨てにされることが多い。
「タイミングが、妙だな…」
もし混乱を招く目的でコカトリスを連れて来ていたのなら、まずレンドルフ達にけしかけてから襲撃して来るだろう。彼らが捕まってしまってからでは、却って自分達も巻き込まれて襲われかねない。隷属の足輪ではコカトリスを思うように操ることは出来ないのは分かっている。
「誰か…イる」
「!どっちですか」
「アっち…一人、だ」
ひとまず拘束した襲撃者五名をロープで拘束しなおして猿轡を噛ませて、レンドルフが作った大きな穴の中に落とし周囲に結界の魔道具を作動させた。こうしておけば後から部隊が彼らを回収するまでは身の安全は保障されるだろう。ついでに絶命したコカトリスも別の場所に穴を作って埋めておく。上から聖水を掛けておけば、血の匂いを辿って他の魔獣が呼び寄せられることはない。
「一人…奴らの首謀者でしょうか」
「イや…とても、小サい。子ドも、か」
「まさかここまで迷い込んだ…?すぐに保護した方が良さそうですね」
色々と疑問に思うことはあるがそれは後から来る者達に任せて、ナナシの指す方向へレンドルフは急いで向かったのだった。