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287.採水地に迫るもの


ユリと共に充実した休暇を過ごしたレンドルフは、翌日からナナシが別任務から帰還したのでいよいよ彼と任務に就くことになった。ナナシは昨日の夕刻にエイスのギルドに戻ったと聞いて、体を休めなくていいのかと心配になったが、ステノスに「あいつは休むのを極端に嫌がっててな」と言われてしまったので、告げられた通りにナナシと組んで森に調査に向かうことになった。実際、嫌がるからといって任務に支障が出るなら強引に休ませるのだが、ナナシは連続で任務をこなした方が体調が良いという実績があるので当人の望むままにさせているらしい。

とは言え、レンドルフがそれに付き合うことはしなくてもいいとステノスから直接注意を受けていた。レンドルフの性格だと、ナナシを一緒に休暇も無しに任務に邁進しそうだと見抜かれていた。


「よろシく、お願いしマス」

「こちらこそよろしく」


早朝にエイスのギルドに赴くと、既にナナシが待っていた。黒いローブ姿で頭からフードを被っていて、目立つ傷のある顔は隠されている。そのローブの上からでもかなり痩せていて、極端な猫背だということが分かる程だ。そのせいか、朝靄の中に佇んでいる彼は実体のないゴースト型アンデッドのようにも見えてしまう。だからこうして人通りの少ない早朝に待ち合わせになったのだ。深夜も同じくらい人通りは少なくなるが、ナナシを夜に見かけたら腰を抜かすか問答無用で討伐に向かって来るかの二択になるらしく、人前に出るのは日があるうちと決めているそうだ。



今回の任務は、ナナシと二人だけの調査だ。

以前ナナシがエイスの森の定期討伐の為に斥候に赴いた際、川を遡上するかのように流れて来る禁輸の魔道具を発見した。そこまで強力な魔法が掛けられているものではないとナナシはその時は判断したが、明らかに異質なものであったので防ごうと試みた。が、気配の弱さと裏腹に、それを止めることが出来なかったのだ。ナナシは仕方なく、自分の魔力遮断の為に幾つもの付与が掛けられた自身の杖でその魔道具を川底に縫い留めた。そこまですればさすがに魔道具は壊れると思ったが予想に反して壊れることはなく、辛うじて杖の力で外部に影響を漏らさないようにその場に留めるだけしか出来なかったのだった。

ナナシは特殊魔力持ちで、失った視力を感知することで補っている為に常時大量の魔力を放出している。それは無意識下で行使されているので、その杖がないとナナシがいくら強い魔力を持っていたとしてもしばらくすれば制御しきれずに魔力切れで身動きが取れなくなってしまうのだ。だからといってもその杖を引き抜いてしまえば再び魔道具は移動を開始してどんな影響をもたらすか分からない。禁輸の魔道具である以上危険度は未知数であるので、仕方なくナナシは杖をそのままにしておくしかなかった。

結果的に杖無しで帰還しようとしたナナシだったが、不運が重なって魔力切れを起こして倒れていたところを当時定期討伐に参加していたレンドルフの保護されたという出会いだった。


任務は出来る限り日帰りを推奨されてはいるが、調査に時間が掛かった場合はその場の判断で森での野営になることも想定されている。ナナシは特殊魔力を普段は杖で遮断しているので、鋭敏な感覚を持つ獣人や魔力感知が非常に強い体質でもない限りそこまで支障はないが、眠る時には杖を手放すので特殊魔力が駄々漏れになる。特殊魔力のおかげで魔獣が一切近寄らないと利点がある為なのだが、側に誰かがいると影響を受けてしまうという欠点もあるのだ、その為、万一野営になった際に影響が少ない人間が同行しなければならなかった。以前にレンドルフが魔道具が壊れて行き倒れていたナナシを平然と助けたこともあるので、それが今回の任務に呼ばれた切っ掛けになった。

それに調査の方も、呪詛の魔道具を仕掛けた犯人と目的に繋がる証拠を見付けるものなので、レンドルフからすれば既にナナシを助けた時点で案件に片足を突っ込んでいるようなものだ。


「馬車は、お願いシます」

「承知しています。他にも何かありましたら仰ってください」

「アりがとう、ございます」


中型の幌馬車に、通常の馬二頭で森の採水地付近まで向かう。通常の馬と言っても、大分大型で力の強いものを借りている。本当は魔馬を使いたいところであるが、魔力の高い魔馬はナナシの影響を受ける可能性も鑑みて避けられたということだった。

ナナシは視力がなくても周囲を感知する魔力で見えている人間と同じことが出来るし、馭者をすることも問題はないのだが、人前でそれをすると周囲を騒がせてしまうのでレンドルフが担当することになっていた。


荷台に乗り込んだナナシが設置された魔力遮断の魔道具が起動したのを確認すると、レンドルフは静かに馬車を発進させた。



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「本当に食事は必要ないのですね…」

「はイ。お気に、なさラず」


最初の調査地点に一番近い街道の安全地帯に馬車を停めると、少々時間は早かったがその場で食事を済ませることにした。レンドルフは手早く火を熾して湯を沸かすと、粉末スープを溶かしてそこに乾パンを浸した。チーズ風味のスープにしたので、パングラタンのような味わいになる。

準備したのはレンドルフの分だけで、ナナシはただ水を飲んでいるだけだった。ナナシは事情があって殆ど経口摂取をしないと予め聞いていたが、思わず確認してしまった。水分や回復薬などは飲めるが、他の栄養は特殊な魔道具で補給するらしく、あまり人前で見せられるようなものではないらしい。


「わたし、不気味、デしょう?」

「あ…いや、その…申し訳ない」

「あなタ、素直」


ナナシにどう対応していいか分からず、レンドルフが無言でスープを食べて終えてもう一杯飲もうかと考えていると、不意にそんなことを言われてしまい言葉に詰まってしまった。恐れや蔑視しているつもりはないが、あまりにも特殊過ぎて気味が悪くないと言えば嘘になってしまう。即答出来なかったことが既に肯定に繋がってしまうことになってしまったので、レンドルフは誤摩化さずに頭を下げた。しかしナナシにはむしろその反応が良かったのか、微かに喉の奥でくぐもったような声を漏らした。どうやらそれが彼の笑い声らしいと気付いたのは、ほんの僅かだが口角が上がっていたのを確認してようやく分かった。


「わたし、罪人、とうぜン。でも今、人の役タつ、約束。だかラ、安全」

「そう…ですか」

「わタし、昔『ミコ』だっタ。いつかカミ、なると先のカミに言わレた。でも、人のカミ、じゃなかッた」

「ミコ…?」


レンドルフはナナシの「ミコ」という単語をどこかで見た覚えがあった。「ミコ」だけならピンと来なかっただろうが、それに付随する「カミ」で記憶が繋がった。休暇中にミズホ国の古い神話や伝承が記載されている文献を読んだ時に、「ミコ」と呼ばれる職種が出て来ていた。確か神殿に仕える神官のような役割で、神の言葉を民に伝える能力者だったと記載されていたのを思い出した。その時はこのオベリス王国を含めた大陸でいうところの「未来視」の加護持ちか「預言者」といわれる者に近い印象を受けた。このナナシもそうだったのだろうか。


「カミない、なった時『ミコ』でハなくなった。それなノに『ミコ』続けした、わたし、咎ビトとなッた」


ナナシは異国出身の罪人であるので色々と制約があると聞かされていたので、レンドルフとしてもどこまで踏み込んでいいものか分からず、ただ黙って聞くことしか出来なかった。無意識に困った顔をしていたのだろう。ナナシは言葉を切って「申し訳なイ」と軽く頭を下げて来た。


「ええト…わたし、この仕事始めて、40ねンくらい、ナる。だから、安全」

「そんなに長いんですか!?あ、あの、ナナシさんの実力はよく分かりました」

「良かッた」


ナナシの話は少々分かりにくかったが、レンドルフはやっと自分の不安を和らげようとしてくれているのだと理解出来た。この仕事というのは、この国で罪人となって労役している期間のことだろう。外見からは全くの年齢不詳だが、思ったよりも歳を取っているらしいことにレンドルフは驚いてしまった。顔を隠していると一見枯れた老人のようにも見えるが、動きなどを見ると壮年くらいかと思っていたのだ。約40年もの間問題を起こさず労役をこなしているのだから、ナナシは法スレスレの悪事を行う小猾い者よりも遥かに信頼できる相手なのはよく分かった。罪人は再犯を防ぐために色々な行動制限の誓約を結ばされるが、それでもその穴を突いて新たな罪を重ねる者は少なくない。そうなるともっと重い労役を課せられて厳しい条件になるのだが、同じ労役を長年続けているというのは一切問題行動を起こしていないという証しにもなる。



手早く後片付けをすると、安全地帯に馬と馬車を置いてそこから目的地まで徒歩で向かう。

途中、まるで見えているかのようにヒョイヒョイと木の根を避けて進むナナシに、レンドルフは改めて感心せざるを得なかった。更にナナシはレンドルフよりも早く魔獣の接近を察知し数や種類も正確に知らせてくれるので、討伐か回避かの判断を付けるのが容易かった為に順調に進むことが出来た。


予定よりも一時間以上早く、レンドルフとナナシは聖水の原料の採水地まで到達していた。



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この場所から更に奥の源流は、聖魔法を含んだ水が湧き出している。そこは湧き水をそのまま飲むだけでも中級以上の回復薬並みの効果があると言われている。だが森の深度が最も深い場所でもあるので、その周囲には強力な魔獣が出現する為簡単には採取することが出来ない。他の支流と混じり合って薄まってはしまうが、どうにか安全に水を持ち帰ることの出来る釣り合いの取れた場所がここなのだ。ここから運び出される水は王都最大の中央神殿に運ばれて、聖魔法の使い手達が魔力を込めて聖水を作り出している。かつてこの水に聖魔法と薬草を混ぜて回復薬や毒消しなども作っていたこともあったが、長年の研究により聖魔法以外の魔力でも同品質の回復薬が作れる技術が広まったので、今は聖魔法でしか作れない聖水のみの精製に使われる。

聖水は魔獣避けの為にはなくてはならないものだ。だからこそこの採水地を含む水源は大切にされていて、悪意の有無にかかわらず汚そうとした場合は重い罪に問われる。



「この周囲におかしな気配はありますか?」

「…近くニはないです」

「では離れたところに?」

「恐らク」


採水地には、魔獣が浸入しないように頑丈な作業小屋と小さな倉庫が建てられている。ここには定期的に神殿から神官見習いが訪れて水を汲む作業を行っている。護衛に神殿が冒険者などを雇って来るのだが、今日は敢えて誰も来ない日を選んでいる為、周囲には誰もいなかった。


「ではそちらに向かいますか?」

「移動、しテます。ここの近クで、待ちましょう」


ナナシに案内されて、採水地より少し下流に下った場所で待機する。ナナシ曰く、この川を遡るように流れて来ているということだった。レンドルフは索敵魔法は使えないので、気配を察することは出来ないが、身体強化魔法で視力を最大限に引き上げる。


「…魚…ではないな。あれ、ですか?」

「あレを、回収します」


レンドルフの強化した視力でギリギリではあるが、下流の方から何か白っぽいものが奇妙な動きをしながら遡上して来るのが見え隠れしていた。流れに逆らうのならば生き物の可能性が高いが、それにしては動きが妙にぎこちない。


「前後に壁を作ッて、動きを止めル、お願いシます」

「分かりました」

「壁、高ク」

「はい」


光の反射で見え辛かったが、次第に近付いて来るとはっきりとレンドルフの目にも形が分かるようになって来た。その遡上して来るものは、見た目はただの紙切れのように見える。しかしただの紙ならば、あんなに流れに逆らって動くことは有り得ない。まるで意思を持っているかのように、ヒラリヒラリとうねりながら近付いて来る。あれが禁輸の魔道具なのだと理解はしたが、あんなにどこにでもある紙のような見た目とは思わなかった。


レンドルフ達が待ち受けているのは、川幅が少し狭くなっている場所だ。あの紙のようなものがどんな動きをするか全く読めないが、ここ数日晴れていたので水量は多くないしほんの僅かな間なら完全に川を塞き止めてしまってもそう影響はない筈だ。思いもよらない動きをするかもしれないので、レンドルフは川幅一杯に思い切って壁を作ることにした。


「アースウォール!」


それが目の前近くに来たタイミングで、レンドルフは先に川上に壁を出現させてすぐに挟み込むように川下にも続けて魔法を発動させた。


「なっ…!?」


ナナシに言われたように自分の身長よりも高めの壁を出したのだが、壁の前に来ると魚のように水面に跳ね上がるとクネクネと身を捩らせるようにして宙に飛び上がった。飛び上がると言うより、まるで蝶のような動きで舞い上がったような動きだ。しかも蝶のような速度ではなく、それよりもずっと速い。


「アースウォール!!」


軽々と川を塞き止める壁を飛び越えられそうになって、レンドルフは慌てて更に上流にもう一枚壁を出現させた。今度は最初の壁よりも更に高くしたが、出現速度を優先させたので厚みは半分以下になった。それは最初の壁を悠々と飛び越えようとしたが、次の壁に阻まれてぶつかる。その紙切れのような見た目とは想像もつかない程の硬い音がして、強度の弱い壁にヒビが入ったことにレンドルフは少々焦った。弱いと言っても人の力では簡単には割れない程度の強度はあるのだ。


「ーーーーー!」


聞き取れない言語が体の脇を掠めるような質感を持って、レンドルフの前方に飛んで行く。


ギン…ッ!!


耳を突くような硬質な音が響き、今まさに壁を割って突破しようとしていたそれの周囲に、一瞬で透明な箱のようなものが構築される。


「捕らエた」


ナナシの魔法がそれを捕らえたらしい。が、閉じ込められた瞬間に箱の中で跳ね回って暴れた。紙のように薄いものなのに、恐ろしく硬い音が響き渡る。しかしナナシが作り上げた透明な箱は壊れることなく、レンドルフの作った壁に添うように力を失ってポチャリと川の中に落ちた。


「回収して大丈夫ですか?」

「問題ナい」


そこまで大きな川ではないが、壁で塞き止めていては色々と支障が出る。レンドルフはナナシに確認してから躊躇なく川の中に入って透明な箱を拾い上げる。上流側に壁を築いているので一時的に水嵩が減って、中央付近に落ちている箱を拾い上げに行ってもレンドルフの太腿までが濡れる程度で済んだ。

どういった魔法なのかは分からないが、箱の中で暴れ回っているそれの勢いの割りに、衝撃はあまり外に伝わって来ない。透明なので中身はよく見えたが、近くで改めて確認してもただの紙にしか見えなかった。


「これを、コこに」


レンドルフが川から上がって来ると、ナナシは懐から麻袋のようなものを取り出して広げたのでその中に入れる。手を差し入れた時に、何だか妙な感覚がしたので何か強力な付与が掛かっているのだろう。


「ヒとまず、戻る」

「ありがとうございます」


作った壁を崩して川の流れを正常に戻していると、ナナシはレンドルフの足元を指差してそう言った。何となくナナシの言いたいことが分かって来たレンドルフには、濡れた服を着替えに戻るように提案をしてくれたのだと察して素直に礼を言ったのだった。



ナナシの言う「ミコ」は、彼は元皇族だったので「御子(皇子)」という意味ですが、レンドルフが読んだ文献の「ミコ」は「巫女」または「神子」の方なので微妙に意味合いが違います。

「カミ」というのも「上(皇帝)」の意味ですが、レンドルフは「神」のことだと思っています。ただ会話上支障はないので、お互いの微妙な齟齬に気付いていません。

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