286.合掛けオムレツ
ユリは馬車に乗り込んで窓の内扉をしっかりと閉ざしてから、照明の魔道具を灯した。外からの視線を完全に遮る為の内扉なので光も入らず、こうして日のある時間でも照明が必要になる。カーテンでも問題はないだろうが、僅かな隙間から誰かが伺わないとも限らない。馬車の脇でノルドに騎乗して並走しているレンドルフがそんなことをするとは全く思っていないが、万一馬車の中を探るような第三者にユリの本来の髪色が漏れるのはよろしくない。
「ふう…」
被っていたウィッグを外すと、ユリは大きく一つ息を吐いた。質の良いウィッグで通気性も良くする付与を施してはあるが、やはり多少の煩わしさはある。ウィッグに収める為にきっちりと纏めていた髪を解いて、少し開放感を味わう。肩までの長さになった白い髪が、顔の脇で揺れる。目元に掛かる髪が、魔道具の淡い黄色に染まっているのが透けて見えてしまう。元々色が無くなってしまって白く見えるだけの髪だ。光の色が変わればそのままの色に染まって映るのだ。染め粉で色を付けることも出来るが、どういった仕組みなのか元の色の失われた髪は通常の人よりも色が抜けやすく、一週間程度でほぼ元に戻ってしまう。目立たないようにするには、変装の魔道具で髪色を変える方法が最も確実で楽なのだ。
(いつか…レンさんにも話すことになると思うけど…)
殆ど記憶にはないが、ユリが赤子の頃に馬車の事故で死にかけた為にこの「死に戻り」と言われる特徴的な白い髪になってしまったと聞いている。息を吹き返しこの世に戻って来る際に多くの人が神から与えられるという「加護」を持っていたら、もっと違った人生を歩んで来たかもしれない。少なくとも貴族としての価値はあっただろう。
しかしユリは「加護」無しのまま死に戻った。今は根拠はないと言われているが、昔から加護無しの死に戻りは神の国に入ることを拒否された者という俗説は根強く残っている。そこまで信仰の強い国ではないが、それでも神に拒否されたと言われれば遠巻きにされる対象なのだ。
レンドルフは加護無しの死に戻りだったとしてもそれを理由に態度を変えるような人間ではないと信じてはいるが、それでもユリはまだそれを明かす自信がなかった。
馬車の中にしまっておいた変装の魔道具を取り出すと、いつも通りに設定されているのを確認してからブーツを脱いで足首に装着する。基本的に変装の魔道具は丈夫に出来ているが、万一壊れて困ったことにならないように足首に装着することが一般的だ。女性の場合、服装次第で二の腕や太腿などに装着することもある。
一緒に置いてあった鏡で確認をすると、すっかり素顔よりも見慣れている黒髪に濃緑の瞳をした顔が映っている。これまでは腰の辺りまであった重みで緩くうねる程度の髪だったが、今の長さになってから随分と自由奔放な髪質だったと判明した。特に肩に触れる毛先はまとまりが悪くあちこちに跳ね回っている。
(もうちょっと…ちゃんとミリーに習っておけば良かった…)
一応簡単に扱える髪留めを持って来てはいたが、揺れる馬車の中ということもあってなかなか上手く留められない。身支度は自分でも一通り出来るが、髪が長かった方が扱いやすかった。悪戦苦闘してどうにか見られるくらいのハーフアップに整え、鏡の角度を変えておかしなところがないか丹念に確認する。ユリとの身長差だと、正面から見るよりもレンドルフの視界は上から見下ろす形になるので、特に上からの確認は入念になった。
「…これで、どうにか…」
多分おかしくない、と納得するまで必死に鏡を覗き込んでユリが小さく呟いたところで、馬車が静かに止まったのだった。
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「その…ミキタさんの店に行く前にちょっとユリさんに選んでもらいたいものがあるんだけど…いいかな?」
「うん、大丈夫。予約の時間にはまだ早いし」
エイスの街に到着すると、少し日が傾いて建物がオレンジ色に染まって来ていた。まだ帰路に付くには少々早い時間帯で、空気には昼間の熱気がまだ色濃く残っている。
レンドルフに連れられて慣れた道を行くと、その先には一軒の花屋がある。ユリは以前にレンドルフがその花屋で花を買っているのを陰からこっそりと覗いていたことがある。その時はてっきりどこかの令嬢に贈るのだと思い込んでモヤモヤしながら声を掛けられなかったが、結局巡り巡ってそれはユリの手元に届いたのだ。その時に身を隠した道の脇にある樽は、まだ同じ場所にある。何だか黒歴史を刺激されるような気がして、何の変哲もない樽なのについ目を逸らしてしまった。
「いらっしゃいませ…あ、先日のお客様」
「この前はありがとうございます」
「この前?」
「うん、何日か前にここで買い物してね」
「買い物…」
ユリは以前のことを思い出したばかりなので、一瞬だけ眉根を寄せてしまった。しかしすぐにレンドルフの肩越しに見えたものに目を奪われてしまった。
「これ…!鉱石蔓草!え?こんなに小型化したの?」
「さすがユリさんだ。すぐに分かるんだね」
店先に吊り下げられている鉱石蔓草を見て、ユリは思わず声を上げていた。彼女は目をキラキラさせながら近寄って見上げている。小柄なユリには少々遠いので、店員が気を利かせて一つを下ろして手渡してくれた。ユリは礼を言って、目の高さに丸い形に整った蔓草を間近で眺めている。レンドルフはその楽しげな横顔を微笑ましい気持ちで見つめていた。
「すごい…こうやって商品化するってことは、水分量の問題も解決してるのよね。誰の研究成果かしら…」
「これならユリさんにプレゼントしても大丈夫そうだね」
「へ…!?え、いやいやいや!そういう意味じゃなくて」
「そのつもりでつき合ってもらったんだ。ほら、観葉植物も生き物だから、勝手にいきなり渡すよりはちゃんと確認を取ろうと思って」
花束くらいならば数日間の世話なのでそこまでではないだろうが、長く手間を割くような生き物は相手の都合を考えずに渡すのは悪手だと故郷の長兄から懇々と諭されていた。何でも父も、長兄次兄も似たようなことを妻にやらかしたことがあるらしい。長兄は婚姻前に義姉にワイバーンの卵を贈ったことがあると聞いている。自分が知るものの中で最も高価で役立つもの、という認識だったそうだ。その時は「一体誰が世話をするのだ!」と説教したとレンドルフは義姉本人から聞かされた。具体的な例を聞いたのは長兄だけだったが、今のところクロヴァス家存命の直系が全員やらかしているそうで、せめて末弟だけはその轍を踏まないようにとしっかりと言い聞かせられていたのだ。
「レンさんてそういうのすごく気が付くよね。私も見習わないとだなあ」
「ただの先人の知恵だから…」
父や兄達のおかげでレンドルフはどうやらあれこれ助けられているようである。レンドルフはそっと心の中で彼らに祈りを捧げて、何か王都で喜ばれそうなものを贈ろうと考えていたのだった。
「ええと、ユリさんはどの色がいい?」
「これがいい!…って、ホントにいいの?」
「勿論。今日はユリさんのお祝いだから」
「ありがとう…じゃあ遠慮なく」
レンドルフが聞くと、ユリは迷うことなく幾つかあるうちの一つを指し示した。色とりどりの光る小花が並んでいたが、ユリの選んだのはピンク色のものだった。ユリは持ち物や服のポイントなどにピンク色が入っているものをよく好んでいる。レンドルフは自分と出会う前から使っている物などもあるので偶然だろうと思いつつも、自分の本来の髪色を好んで選んで貰っているようで密かに嬉しくなる。実のところ、レンドルフが自覚しているよりも以前に出会った影響なので、正しくユリはレンドルフの髪色を意識して選んでいるのだが、彼は未だに気付いていない。
レンドルフが購入した時と同じように飾りを付けられると店員が見本を並べてくれたが、どれも比較的無難なデザインのものなせいか、これといった決め手がなくて悩んでいた。
「先日お買い求めになったものは問題はありませんでしたか?」
「今のところ特に。殺風景な部屋に植物があるのも良いものですね」
ユリが選んでいる間、レンドルフが購入した時と同じ店員だったのでそう話しかけて来た。
「レンさんもこれ買ったの?」
「ユリさんに渡す前に俺も試しにと思って。ユリさんのおかげでちょっとだけ植物にも詳しくなった気がしたし」
「レンさんは飾りはどれにしたの?よかったら同じにしていい?」
「俺が選んだのは…これ、かな」
鎖の先に小さな金属の鳥が二羽吊り下がっているようなデザインの飾りを指し示す。しかしよく見ると少しだけ色味が違うように感じた。僅かに首を傾げたレンドルフに気付いたのか、店員が「デザインは同じですが、金属の色味が違いますね〜」と補足してくれた。店側からするとおまけで付けているようなものなので、同じ品を常に揃えている訳ではないようだ。
「でもこの色、この花に良く合うし、これにします」
「はい、取り付けますので少々お待ちください」
同じデザインでも、今残っているのは少しピンクゴールドがかった金属が使われているものだ。偶然ではあったが、ピンク色の鉱石のような花の色に良く合っていたので、ユリはそれを付けてもらうことにした。
「他に何か気になるものはある?」
「あの鉱石蔓草で十分。きっとあれを見たら、レンさんが勧めなくても絶対選んでたと思うもの」
「そうなんだ。気に入ってもらえたなら嬉しいよ」
店員が取り付けた飾りを見せてから、特製の紙筒に入れて可愛らしいピンク色のリボンを掛けてくれた。レンドルフはそれを片手にぶら下げて、ミキタの店に向かったのだった。
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ミキタの店に行くと、いつもの席にテーブルを付けて広くした状態にしてくれていた。その上には既に軽く摘めるような冷菜が並んでいた。カリカリに揚げたクルトンとチーズの乗ったレタスサラダに、トマトのマリネ、小エビとマッシュルームの蒸し焼きなどが一つの皿に盛られて、それぞれが取り分けられるようになっていた。まず軽い酒精のカクテルで乾杯をしてからそれを摘んでいると、揚げたてのジャガイモとパイ生地で蓋をしてオーブンで焼き上げたスープが出て来る。サクリとスプーンでパイを崩すと、中からフワリと良い香りが立ち上る。
「これ、月光茸ね。スープの深みが違うわ」
「ちょうど迷宮ダンジョンに行く機会があったから、採って来たんだ。干すのとかはミキタさんにお願いしたんだけど」
「レンさんが?何かありがたみが増して来た…」
白い月光茸を一度干してから戻し汁と共に煮込んだスープは、それに塩を加えるだけで旨味のあるスープになる。更に数種類の茸も入れているので、豊かな滋味に満ちた味わいになっている。あっさりとした具材だが、バターを重ねたパイ生地を一緒に食べることでより風味が加わる。
「さあ、レンくんが仕留めてくれた肉で作ったメインだよ。おかわりもあるからね」
ミキタが大きな白い皿をユリの前に置く。温めておいた皿に温かいメインが湯気を立てている。ユリは見た瞬間に今日一番目を輝かせていた。
「ここここんな夢のようなメニューがあってもいいのかしら…?」
「好きなだけ食べとくれ」
皿の中央にはツヤツヤの黄金色のオムレツが乗り、その右側にはサギヨシ鳥のクリーム煮、左側にはミノタウロスのトマト煮込みがソースのように掛けられていた。卵の色に赤と白が目にも鮮やかで、どちらもゴロゴロと大きな肉と根菜が角が丸くなる程柔らかく煮込まれている。
まずサギヨシ鳥をフォークで刺すと、程良い弾力が返って来る。白くとろみのあるホワイトソースをたっぷりと絡めて口に頬張ると、うっすらと付いている皮の部分が蕩けて脂の甘みのあとにムッチリとした歯応えのある味の濃い肉の旨味が舌の上に広がる。クルミのような香ばしさは、煮込む前に焼き色を付けているからだろうか。そのおかげで旨味がしっかりと肉の中に残っている。
それからミノタウロスの肉は軽く突ついただけでホロリと崩れてしまう程に柔らかい。繊維の中に細かい脂が混ざっているので、蕩けるような脂の部分と柔らかな肉の部分が酸味を残したトマトソースに良く絡む。惜しげもなく赤ワインを使用しているのか、酸味の中にほのかにある渋みが良い風味を残していた。
ユリはじっくりと二種類のソースを味わってからオムレツにナイフを入れると、とろりと半熟の卵と中に入ったチーズが蕩けてソースと混ざり合うのを見て思わず幸せそうに口角を上げた。まろやかな卵に混ざって少しソースの味が薄くなる分、チーズの塩気が追加されてまた違った美味しさが生まれる。
もう好物しか乗っていないメインに、ユリはすっかり興奮して頬を赤く染めている。普通の鶏や牛よりも味が良いと言われている魔獣の肉だ。しかもそれを仕留めたのがレンドルフだと思うと感激もひとしおだった。しばらく無言で噛み締めるように味わっていたが、一通り味を確認するとホウ…とうっとりとした溜息を吐いた。
「美味しい…すごく美味しい…」
「ミキタさん、美味しいです」
「そりゃ良かった。たっぷり食べて行きなよ」
「「はい!」」
籠の中には、肉の味が濃いので今日は敢えて比較的あっさりした風味のパンを取り揃えた。あまり皮が硬くないミルクをたっぷりと使った丸パンと、表面に胡麻を散らしたパンには切れ込みを入れて間に好きなものを挟めるようにしてある。
二人は早速パンの間に好きなものを挟んだり、たっぷりとソースを浸したりして好きなように楽しげに食事をしていた。ミキタはその姿を眺めながら、釣られて笑顔になっていた。ミキタもユリの出自を知っている者の一人だ。レンドルフが辺境伯当主の末弟だということも。貴族の中でも上から数えた方が早い高位の身分を持つ二人が、貴族的なマナーや所作などを気にせずただ食事を自由に楽しんでいる姿は微笑ましく映った。
「おかわりはいるかい?」
「お願いします!」
「私は煮込みだけで!」
「はいよ〜」
皿の中身が大分減って来ていたタイミングでミキタが声を掛けると、元気な返事が戻って来た。
ミキタは新しいオムレツを焼きつつ煮込みの鍋を火にかける。フライパンの上を注視しながらも、チラリと向かい合って笑い合う二人を見ながら、いつまでもこうしてこの店に食べに来て笑ってくれることを願わずにはいられなかった。