284.不思議な楽器エアーリス
「レンさん、そんなにソイを気に入ってたの?」
「そうなんだ。前に教えてもらった店だと小さい瓶のものしか扱いがないから」
あちこち回り道をしてやっとアスクレティ領の特産品を扱っているエリアに来ると、レンドルフは販売している中で一番大きな調味料ソイの入った瓶を真っ先に抱え上げていた。業者用に樽も持って来てはいるが、こちらはさすがに個人に販売はしていない為、個人でも入手出来る中で一番大きなものを選んでいる。かなりの重さがある筈だが、レンドルフは軽々と持っているし、規格外に大柄な彼が手にしていると普通サイズに見えてしまう。
「ユリさんがくれる海藻粉でスープを作って、ほんの少しソイを垂らすと簡単に違う味になるから全然飽きなくてすごくいいんだ。あと、目玉焼きに垂らしても美味しいことを最近発見したんだよ!」
本気で気に入ってるらしいレンドルフの様子を見て、ユリは嬉しくなって思わず目を細めていた。
「ユリさんは欲しいものはない?」
「私はおじい様の伝手で手に入るから大丈夫」
「じゃあちょっと会計済ませて来るけど…」
「うん、私はこの辺の品物を見てるね」
「大丈夫?何かあったらすぐに知らせて」
「すぐの距離だし人も多いから平気だって。レンさんってば過保護だなあ」
それでも「すぐに戻るから」と念を押してレンドルフは両手に色々抱えて、会計の方へと足早に向かって行った。レンドルフが選んだのは、瓶入りのソイの他に黒塩と呼ばれる砂のような見た目の塩や、薬効のあるハーブを数種類濃縮させたシロップ、領地で特殊な製法で作られた最高純度を誇る蜂蜜飴などだった。どれも医療と薬で有名なアスクレティ領の誇る健康に良いものばかりだった。
ユリはレンドルフがこちらに背を向けて購入したものを包んでもらっているのを確認すると、そっと小さな細工物を扱っているコーナーに近寄って、予め目を付けていた金色のボタンくらいの大きさの品物を手にして素早く売り子の女性に渡した。金色の金具に細かい彫金が施してあって小さな四つの石が埋め込まれているもので、ミズホ国では護符や身代わりなどのお守りに使用される意匠なのはすぐに分かった。これだけはレンドルフに気付かれずに自分で購入したかったのだ。
「包まなくていいので、すぐにお願いします」
「畏まりました」
並んでいると目立つ容姿の二人の様子を見られていたらしく、ユリがコソリと小さな声で呟くと売り子もすぐに承知したとばかりに手の中に隠すようにしてギルドカードの支払いを済ませた。そしてユリの手の中にそっと商品を手渡して来る。手の中にヒヤリとした金属の感触がして、素早くユリは腰に付けたポーチの中のハンカチに挟むようにしまい込む。ユリは殆ど口の動きだけで「ありがとう」と告げると、すぐにレンドルフの元へと近寄って行った。
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短めの金髪を揺らしながら小走りに連れの青年の元へ駆け寄って行く後ろ姿を、売り子の女性は少女の淡い想いを応援するような気持ちで見つめていた。まだ未成年かと思われる少女は冒険者風の出で立ちだったが持ち物は上質なもののようだったので、もしかしたら裕福な家のお嬢様ではないだろうか、などと想像する。側に付いていた男性はお嬢様に付いている護衛で、お互いの気持ちに気付いていないか身分差とかがあって遠慮しているのか…などと密かに恋愛小説好きな彼女は頭の中で色々と思いを馳せていた。まさか領主の孫娘だとは夢にも思っていない。
「どうだ?順調か?」
「はい、それなりにお買い求めいただいてます」
フワフワとした気持ちで楽しく空想していた女性の思考を遮るように声を掛けて来た中年の男性は、今回持ち込んだ特産品の管理と責任を一手に扱っているアスクレティ領職人ギルドのギルド長だった。遠い領地から運搬する途中で破損や盗難などがないように、ギルド長自らが出向いて来ているのだ。
アスクレティ領は大きな港を有していて、国内唯一のミズホ国との貿易だけでなく多くの国との国交があり、物だけでなく人や文化の交流も多い。その中でも独自の進化を遂げた彫金細工などは非常に評価が高いが、どちらかと言うとミズホ国寄りの意匠なのでオベリス王国よりも異国からの要望が多い為にあまり王都には卸していない。今回持参して来た細工物は、まだ一人立ちしていない若手の作品を中心に並べている。名人と呼ばれる職人のものは、既に数年先まで異国の王族などの予約で埋まっていて、持参出来る品自体がないのだ。ただその分手頃な価格帯にしているおかげか、売上は悪くなかった。
「ん?数が一つ合わないようだが」
「え?今日は買って行くお客さんもまばらですし、間違う筈ないんですけど…」
「いや、一つ多く売れている」
ギルド長は手元の商品一覧と売上数を確認して、テーブルの上に並べている商品の数を数えた。朝に並べた時は複数で確認しているし、彫金細工はそこまで大量に並べている訳ではない。しかし手元の売上数と在庫が明らかに違っている。売上数よりも在庫数が少ないと、売り子の目を盗んで持ち去られた可能性があるが、今回はその逆だ。誰かが支払いだけして商品を置いて行ってしまったことになる。
「ちゃんと品物はお渡ししましたよ」
「どんな物が売れたか覚えているか?」
女性も並べるのを手伝っていたので購入された商品は覚えている。その話を聞いて、ギルド長は彼女よりももっと何度も確認しているので、それらの商品が並んでいたのは間違いないと分かる。そしてテーブルの上の在庫も見覚えのある物ばかりだ。それなのに二人で何度数えても数が合わないという奇妙な現象が起きていた。
「あー…ちょっとそこらで菓子を調達して来る。テーブルの端にでも供えといてくれ」
「あ…了解です」
その不思議な出来事に、ギルド長はこの世界を作ったと言われる主神キュロスの神話を思い出した。
子供の姿をして性格も子供そのものな悪戯好きな神は、子供達の中に紛れて一緒に遊んでいることがある。だから大人が菓子を配ろうとして何故か一つ足りないのにそこにいる子供は全員顔見知りという奇妙な現象が起こる時は、神が紛れているのだという言い伝えがある。子供ではないが、今起こっている現象はまさにそのものだ。ギルド長は何となく察して、神に供える菓子を用意することを思い付いたのだった。彼女も同じことを察したのか、得心が行ったように頷いた。よく分からないが、損をしている訳ではないのだ。
(あのお嬢様金髪だったし、もしかしたら神様の眷属の末裔だったりして)
主神キュロスは金髪に金の瞳をした姿で、太陽や光を司ると言われている。そしてその眷属も体のどこかに金色を受け継いでいると伝えられているが、金髪の人間はそこまで珍しいものではない。しかし彼女は、既に会計を済ませたのか立ち去ってしまった可愛らしい金髪の少女と大柄な護衛の青年の姿を思い出して、そうだったら物語のようで素敵だと再び楽しい空想を思い浮かべていたのだった。
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「レンさん、入口で荷物預かり所があるから一旦戻ろう?」
「ごめん、俺が買い過ぎたね…」
「ふふ、沢山のお買い上げありがとうございます」
アスクレティ領の特産品を買い込んでうっかり大荷物になってしまって悄気ているレンドルフに、ユリがクスクス笑いながらピョコリと頭を下げた。ユリが生まれたのは記憶になくてもアスクレティ領であるし、一応出身地でもある。気に入ってもらえたのならユリとしても喜ばしい。
おそらくかなり重いのだろうが、レンドルフが持っていると全くそうは見えない。当人もあまり負担になっていなさそうでも、嵩張っている分人通りの多いところでは幅を取ってしまう。そうなるとユリに何かあった時にすぐに動けないし、動けたとしても周囲に被害が及んでしまう。レンドルフは素直に預かり所まで戻ることにした。
「ねえレンさん、近くの野外劇場で異国の楽器演奏がもうすぐあるみたい。良かったら行ってみない?」
「音楽は全く詳しくないけど、俺にも分かるかな」
「私も全然だよ。でもこの説明、何か面白そうじゃない?あ、でもレンさんが他のところ見たいなら…」
「せっかく音楽祭に来たし、俺も聞いてみたい」
「じゃあ行ってみましょう!」
ユリが手にしていたチラシには「魔法を使わない魔法の楽器・エアーリス」と書かれていた。そして指揮者らしき男性の肖像画が印刷されているが、どんな楽器なのかは描かれていない。全く想像しようもないので、却って気になってしまった。
ユリに先導されるように野外劇場に行ってみると、思ったよりも人が集まっていた。野外なので舞台の上に屋根はあったが、客席側は椅子もなく広場になっている。
「ユリさん、見える?」
「んん〜ちょっと隙間からなら何とか」
「俺が前の方に行くと迷惑がかかりそうだし…抱き上げてもいいかな」
「え!?え、ええと…」
「あ、嫌なら無理には」
レンドルフの申し出にユリは一瞬慌てたようにひっくり返った声を上げてしまったが、謎の楽器を見たいという好奇心に勝てなかった。周囲を見ると抱きかかえられているのは子供くらいしかいなかったが、その羞恥心と心の中で綱引きをした結果、僅かに見たいという欲が上回ってしまったのだ。
「…あの…その…お願い、してもいい…?」
「…!も、勿論」
少し躊躇いがちな様子で、レンドルフの袖を軽く引いて片手で口元を隠しながらほんのりと顔を赤くして頼んで来るユリに、レンドルフは即答以外の選択肢はなかった。
後ろに人がいる場所でユリを抱き上げてしまうと人の視界を遮ってしまうので、レンドルフはユリを連れて一番後ろにまで一旦下がった。
レンドルフはユリの足元にしゃがみ込んで、腕に座らせるようにすると真っ直ぐ立ち上がった。ユリは軽いので、レンドルフの体が揺らぐことは一切ない。ユリの体がぐらつかないように巻き込むように彼女の足に腕を回しているが、触れているのはブーツの部分だ。安定を良くする為に自身の胸板に凭れ掛からせるようにしているので、そこまで上に持ち上げている訳ではないが、それでもユリが普通に立っているよりもずっと視界が高くなっていた。程良い弾力と温かさのレンドルフの胸筋を背中に感じて、ユリは思わず口角が上がってしまいそうになるのを隠す為に両手で頬を押さえた。
「見える?もう少し持ち上げようか?」
「だ、大丈夫。良く見えるよ。それよりもレンさんは疲れない…?」
「全然。これなら何時間でも大丈夫」
「それは大袈裟じゃない?」
ユリは負担にならないように気を遣ってくれているレンドルフの冗談だと思ってクスクス笑ったが、実際レンドルフは言葉通り大丈夫だと思っていた。しかし柔らかくて良い匂いのするユリを何時間でも、と本気で取られたらそれはそれでマズいような気がして、レンドルフは冗談に取られて良かったと思い直した。
「…もしかしてあれが楽器?」
「そうなのかな」
舞台の中央には、ポツンと足の長いテーブルのような物の上に、四角い箱が置かれているだけだった。よく見ると、チラシに描かれていた指揮者のような人物の前に一緒に描かれているもののようだ。一見指揮者の姿かと思っていたので、その箱が譜面台に見えてしまったのだ。実物を見ると全く譜面台とは違っているのだが、それでも楽器にも見えなかった。やはり集まった観客も同じことを思っていたようで、舞台上の謎の箱を指差したりして不思議そうな顔をしている。
しばらくすると、舞台袖から一人の人物が現れた。黒の燕尾服を纏ったスラリと細身の人物で、その顔は20代半ばくらいに見えて、随分と若い印象を受けた。
「ようこそお越し下さいました」
その人物が挨拶をして優雅に頭を下げると、一瞬会場内がどよめいた。その声は、少々低めではあったが女性のものだったからだ。確かに見た目も細身なので女性と言われれば納得は行くが、短い髪を後ろに撫で付けて、着ている燕尾服は男性用のものだったので、中性的な男性だと誰もが思っていたのだ。
「わたくしがこの楽器『エアーリス』の製作者であり、この世で唯一の演奏家でもあります。こちらの箱がその楽器でありますが…まずは実際にお聞きいただいた方がよろしいでしょう」
そう言って彼女は箱の底面に触れた。その部分に起動させるスイッチがあるのだろう。ほんの微かではあるが、その箱から魔力の揺らぎが発生した。
「魔石が入ってるみたい…風と…何かしら。この感じだと小さな魔石ね」
「俺はそこまで感知出来ないな。そこまで強い魔力じゃないみたいだ」
「うん、そうね」
さすがにこんな人が集まるところに危険物は持ち込ませていないだろうが、日用品に魔石を仕込んで武器に改造する暗殺者も存在するので、一瞬だけレンドルフは反射的に身構えてしまった。それをユリも悟ったのか、少しだけ目を眇めるように箱に神経を集中させていた。
「それでは」
彼女が箱には直接触れずに、そこから少し離れた何もないところに手を翳して滑らせるように空を切った。次の瞬間、どこからともなく弦楽器に似た「ブォン」と空気を震わせる低い音が響いた。一体どこからその音が聞こえたのかと人々はキョロキョロしたが、次第に舞台の上のただの箱に視線が注がれ始めた。そのタイミングを見計らっていたのか、彼女がニヤリと笑って箱の周囲で両手を動かす。まるでピアノを弾くかのように指をバラバラに動かすと、今度は打楽器のような音が響く。これはハッキリとその箱から音が出ているのだと分かった。その不可思議な現象に、観客の間でザワザワと戸惑いが広がって行く。
それから彼女はたっぷりと間を取って視線を集めてから、今度はまるで指揮者のように両手を振り始めた。するとまるで目の前に楽団でもいるのかと錯覚する程の多彩な音と、優雅な曲が流れ出した。その曲は初めて聞くような、懐かしいような心地好さで、最初は驚いていた人々も次第にうっとりとしたように耳を傾けていた。
フッと消え入るように音が止むと、一瞬の間の後に大きな拍手に包まれた。
「すごいな。まるで幾つもの楽器があるみたいだった」
「うん、魔法みたいだけど、魔法じゃないのよね」
ユリを抱えているのでレンドルフは拍手出来ないが、その代わりにユリが拍手をする。
演奏者の彼女の仕草は大変優美で、舞踊とも指揮とも違う不思議な動きをしていたが、妙に人を魅了するものがあった。
「この楽器は、箱周辺の空気の流れを感知して、それを音にして発するという仕組みになっています。構造としては大変に簡易なものですので、誰でも音は出せますし魔道具に詳しい方ならば作ることも容易でしょう」
彼女は朗らかな口調でそう言うと、最前列にいた数名の子供を促して舞台上に招いた。そして実際演奏して構わない、と勧めている。子供達は恐る恐る手を伸ばして箱に手を寄せると「フォン」とオルガンのような音がした。それが面白かったのか、皆目を輝かせて次々と手を振ったり周囲で踊り出したりし始めた。その動きに合わせて「エアーリス」は様々な音を奏でているが、なかなかに無秩序で曲にすらなっていない。
「ですがどのような場所にどの程度の速度で手を動かすかで狙った音を出せるようになるまでには、非常に繊細で難しい操作が必要なものです。ですから演奏が出来るのは現在わたくし一人だけなのです」
まだ遊び足りなさそうな子供達を宥めて一旦席に戻ってもらい、彼女は楽器の説明などをしながら手を動かし美しい音色を奏でて行く。彼女の出身国のことや、この楽器の元になった古い伝統楽器のことなどを飽きさせないように曲を奏でつつ語っていく。その手法は、音楽とともに歌や詩の朗読で物語を綴って行く吟遊詩人と似ているが、楽器や演奏方法が違うだけで随分と印象が変わる。特に彼女の動きは、そこに踊り子の要素が加わっているかのようだ。
「さて、この楽器の原初は神に捧げる神子の舞と共に演奏されたものですので、長らく祭で使用されて来ました。本日はその原点に帰って、祖国の踊り手達と共にお楽しみください」
彼女の言葉に、舞台袖から数組の男女が登場した。基本的な服の形はオベリス王国の平民のものとあまり変わりないが、服の襟や裾に小さな金属板を幾つも付けていて、動きに合わせてシャラリと小さな音が鳴る。その金属板を縫い付けている刺繍糸が色鮮やかで、それはこの国のものとは違う意匠だった。
彼女が明るく華やかな曲を奏で出すと、登場した踊り手達が一斉に踊り始めた。クルクルと跳ね回るステップを踏むことで服に付けられた金属板が煌めいて、まるで光の精霊が飛び回っているかのように美しかった。
やがて会場内もその音楽に釣られて、見ている観客も一緒に手拍子をしたり、見様見真似で子供達も踊り出している。
「さあ、皆さんもご一緒に!」
彼女がそう声を上げると会場は一気に盛り上がりを見せて、舞台上も客席の広場も共に同じ熱量で踊り始めた。まさにその空間は祭そのものだった。
「レンさん、踊ろう!」
「う、うん、踊ろう」
レンドルフに抱きかかえられていたユリも、頬を紅潮させて顔を上げた。いつもとは違う澄んだ湖水のような青い瞳の中にある金の虹彩が、光を浴びた湖のように煌めいている。一瞬レンドルフはその色に見蕩れるように引き込まれそうになったが、すぐに我に返ってユリをそっと地面に降ろした。
レンドルフの体格で人に紛れて動き回るとあちこちに被害が出るので会場の隅の方ではあったが、ユリが楽しそうに跳ね回っているので問題はない。夜会などで踊るようなダンスとは違い、手さえ繋げれば身長差は気にしないでいいのも気が楽だ。そして舞台の踊り手達の真似をして、レンドルフも時折ヒョイと自分の目よりも高い位置に抱き上げると、ユリは歓声を上げながらも笑っていた。その様子に、レンドルフも気が付けば声を上げて一緒に笑っていたのだった。
エアーリスのイメージはテルミンです。