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283.シーサーペントの紙包み焼き


待ち合わせ場所の「鈴の樹」に到着すると、時間前なのでユリはまだ来ていなかった。

基本的にレンドルフは可能な限りユリよりも早く来るようにしている。ユリの顔見知りも多く自警団がしっかりしているエイスの街ならともかく、他の場所ではユリは妙に絡まれやすい。小柄で可愛らしい容貌なのに、体型は蠱惑的というアンバランスさが不埒な輩を引き寄せやすいようだ。当人もそれを自覚して対策はしているが、だからと言って不快な思いをすることには変わりはない。以前に一度、急な案件で引き止められて待ち合わせ時間ギリギリにレンドルフが駆け付けると、ユリをナンパしようとする男性が絡んでいたことがあった。その相手はすごい勢いで走って来たレンドルフを見てそそくさと退散したのでトラブルにはならなかったが、それ以来レンドルフはユリよりも早く待ち合わせ場所に行くようにしていた。


この待ち合わせ場所の「鈴の樹」は、本物の植物ではなく彫刻だ。大きな石の巨木の像に、枝先に沢山の鈴が付けられている。風が吹くとシャラシャラと涼しげな音が鳴る作品で、目立つ為に待ち合わせ場所にする人間が多いのだ。


「レンさん、お待たせ!」


声を掛けられるよりほんの一瞬だけ早くユリの姿を見つけたレンドルフは、小走りに駆け寄って来るユリに向かって自分からも大股に近付いて行って、あっという間に距離を詰めた。


「今日はその姿なんだね」


周囲に聞こえないように少しかがみ込んでレンドルフが小さい声で囁く。


今日のユリは、短い金髪に青い目をした少年のような装いの冒険者風だった。オーバーサイズの綿のシャツにデニムの短パン、厚手のタイツと冒険者向けの革のショートブーツという出で立ちだ。緩いシャツの上からポーチ付きのベルトを締めているので、体型は分かりにくいが細い腰だけは強調されている。


「ここは中心街にも近いし王城勤務の人達も沢山来るだろうから、念の為。あ、でもエイスの街に行く時は戻すよ」

「そのままでもいいのに」

「ううん、あっちでレンさんの隣に見慣れない人物がいたら目立っちゃうし」

「そうか。手間掛けさせてゴメン」

「大丈夫。戻すだけなら簡単だから」


レンドルフが「じゃあ」といつものように手を差し出すと、全く躊躇なくユリが手を重ねる。ユリが普段と違って中性的な雰囲気の服装と髪型のせいかいつもよりも手をしっかり握り込んで来るような気がして、レンドルフは少しだけ顔が熱くなるような気がした。天気も良くこれから気温も上がって行くことが予想されるので、レンドルフは手袋をして来て良かったとしみじみ思ったのだった。

握られている手にチラリと目を向けると、華奢な彼女の手に緑がかった淡褐色の石が嵌まった指輪が見える。外側にカバーのような装飾を付けて雰囲気を変えられるようにしているそれは、今は周囲を可愛らしい猫の足跡が囲むような模様が入っている。少しだけ遊び心のあるデザインの指輪なので、これが実は国宝級の石を使用しているなどとは誰も思わないだろう。



「ユリさんは今まで来たことある?」

「うん、二回来てるよ。何年か前におじい様とで、一昨年は『赤い疾風』のみんなと。レンさんは?」

「俺は初めて。王都に来てそれなりに長いけど、祭とかは全然行ってなかったな」


学生だった頃は、同じ騎士科の同級生に人気のカフェに引っ張り出される形だったり、王都での保護者代理をしてくれた両親と親交の深い伯爵家などが家族旅行に参加させてくれたりしていたが、自分から動いたことはあまりなかった。そして卒業して王城騎士団所属になってからはレンドルフにとって休暇と言えば鍛錬三昧で、外出も生活必需品を買い足しに決まった店に行く程度だった。今考えると、本当にレンドルフの世界は狭くて偏っていた。


「じゃあ今日は私がレンさんをエスコートするね!」

「うん、よろしく」


普段よりも幼く見えるユリが、胸を張ってレンドルフの大きな手を掴んで先導しようとする姿が何だか可愛らしく、レンドルフは頬が緩んでしまうのを堪えられなかった。ひどく自分が締まりのない顔をしていると自覚があったのだが、ユリに「レンさん楽しそうだね」と言われたので、そこまでではないと思いたいところだ。


「オススメはペアーマン男爵領直送のフルーツかな。王都に卸してるのはあっちで早めに収穫した物が普通なんだけど、こういう時は完熟のを持って来てジュースにして売ってるの。すごく甘くて美味しいよ」

「へえ、それは楽しみだ」


ペアーマン男爵領は、年中温暖な気候で質の良い果物が有名なところだ。あまりブランドに拘らないレンドルフでも、ペアーマン産のフルーツの美味しさは知っている。国王主催の夜会でも必ずと言っていい程使用されるくらいだ。それがジュースとは言え完熟のものが味わえるのは滅多にないだろう。もう想像しただけで美味しいことが分かる気がする。


「レンさんが気になるところがあったら教えてね」

「そうだな…アスクレティ領、かな」

「えっ!?」


思わず妙な声が出てしまったユリは軽く咳払いをして誤摩化しながら、レンドルフに「何かお目当てでも?」と動揺を隠しながら尋ねた。


「ユリさんに教えてもらったソイとか、何か珍しい調味料とか手に入らないかなと思って。色々と紹介してもらったのは全部良かったから、多分俺の好みに合うんじゃないかな」

「そ、そうなんだ。それなら良かった…」

「他に、二人とも知らない領の特産品とかあったら食べてみたいかな」

「あ、それいいね!面白そう」


本当は音楽祭がメインなのだが、二人ともすっかり各領の名産品巡りが主になっていたのだった。



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「あと五分程で出来上がりますので、いかがですかー?」


まずはアスクレティ領の品を扱っている場所を目指して行く途中で、何やら奇妙な一角を見かけた。思わず見入ってしまったレンドルフに気付いたのか、側に立っていた売り子の女性が声を掛けて来た。奇妙に思ったのは、何やら人が近寄れないようにロープで仕切ってはあるが、その場所にはただの剥き出しの地面があるだけで何をしているのかさっぱり分からなかったからだ。ユリも不思議に思ったのか、地図でどこの領か確認していた。


「レンさん知ってる?」

「名前は分かるけど、行ったことはないな」


辺境とまではいかないが、かなり王都から遠く離れた西側の領地だった。名前を聞いてもあまり馴染みのない地方のせいか、正確な場所や特産品がさっぱり思い当たらない。社交に力を入れている高位貴族ならばそういった情報は完璧に頭に叩き込まれているのだが、レンドルフもユリも社交界には程遠い立場だ。こういった催事に来るのも平民が殆どなので、何をしているか分からずに全く人が集まっていない。


先程話していた「二人とも知らない領」に該当するので、互いに顔を見合わせて側に行ってみることにした。


「あ、熱気が」

「こちら、紙焼きという料理を作っている最中なんです」


側に近付くと、何もない地面からフワリと熱気が立ち上っているのを感じた。よく見ると、土かと思っていたが少し周辺より白っぽい色をしていて、灰を被せてあるように見えた。


「この紙が領の特産品でして、非常に燃えにくくて水にも強いのが特徴です。ですから魚や肉を包んで、熾火と灰で蒸し焼きに出来るんですよ」

「前にレンさんが作ってくれた木の葉包みに似てるね」

「あら、お兄さん山間部のご出身です?」

「いや、料理を教えてくれた人が」

「ああ、なるほど。川魚は匂いにクセがあるので葉の風味で中和するんですけど、ウチの領は海魚を主に使うんで素材の味を邪魔しない紙が向いてるんです。そもそもこの料理は、熱い灰の中に魚を丸ごと埋める料理だったのですが、王族の方が視察に来た際に灰が付いた食べ物はお出しする訳にはいかないと紙で包んだことが始まりです」


売り子の女性は自慢げにサンプルの紙を手にして、近寄って来たレンドルフ達を逃すまいと勢いよく紙の説明をしてくれた。その領で自生している植物を二種類混ぜて作るもので、一つは繊維が丈夫で燃えにくく、もう一つは粘り気のある樹液が防水効果をもたらすそうだ。彼女はその場でサンプルの紙を折り畳んで、箱のようなものを作った。そしてその中にザバリと水を注ぐ。さすがに領の誇る特産品だけあって、水が染みて破れるような気配は全く無かった。この状態で火にかけると簡易鍋として利用出来ると言うことだった。そう何度も使える訳ではないが、二、三回なら許容範囲らしい。

思わずレンドルフは、遠征に鍋など持参して行くよりはこの紙を数枚で済むのなら重量も幅も取らなくていいのではないかと考えてしまった。試しに数枚購入して、クロヴァス領に送って長兄の判断を仰ぐのもいいかもしれない。


「あ、そろそろ焼き上がったと思うので、掘り出しますね!本日はシーサーペントの幼体と、豚ヒレ肉の塊を焼いてますが、どちらを召し上がりますか?」

「両方一つずつで」

「はーい、ありがとうございます!」


売り子の女性が周囲に合図をすると、体格のいい男性二人が木製の柄の長いスコップを持って出て来た。そしてロープの張られた内側に入ると、手慣れた様子で地面を掘り始めた。土に見えても実際は灰なので、いとも容易くザクザクと掘り進んで行く。今まで塞がれていた熾火が外気に触れて、周囲の気温も少し上がったように感じられた。最初は何をしているか分からず誰も立ち止まっていなかったが、何やら地面を掘り始めたことで興味を惹いたらしく少しずつ立ち止まる人が増えて来た。

大体成人男性の腕の半分程度の深さまで掘ると、中から紐のようなものが現れる。男性二人がその紐の先を手繰り寄せて、合図とともに一気に引き上げた。次の瞬間、紐の先に括り付けられていた塊が地面の中から顔を覗かせた。燃えにくい紙に包まれていても、さすがに長時間埋められて蒸し焼きになっていたので、表面は黒く焦げている。その塊を引き上げた男性達が耐熱付与がしているであろう革手袋をして表面の焦げた部分を毟り取ると、周囲に付いていた灰と共に下に落ちて、中から驚く程真っ白な包みが現れた。売り子の女性の説明を聞かずに途中から見物していた人の間からは「あれ、紙?」「燃えてないの?」と驚きの声が上がる。


汚れを落とした包みが二つ、少し離れたテーブルの上に置かれると売り子の女性がレンドルフ達に向かって手招きをした。近くまで行くと、紙製の皿と木製のカトラリーを手渡される。


「お二人がご注文一番乗りだから、お好きな部位を切り分けますね〜。近くで開けるのをご覧になってください!」

「ありがとうございます!ワクワクするね、レンさん!」

「そうだね」


テーブルの近くまで来ると、立ち上る湯気から香ばしい香りが漂って来る。

女性がハサミを片手に大胆に真ん中から切り開いた。そこから一気に湯気と香りが広がって、周囲に美味しそうな匂いが漂い出した。


「わあ…美味しそう」


豚ヒレ肉はすっかり火の通った白い色になっているが表面はしっとりと艶めいていて、一緒に包まれていたジャガイモやキノコが下に溜まった肉汁を吸い込んで見るからに美味しそうな仕上がりになっている。

もう一つはシーサーペントの幼体ということだったが、ユリが手を広げたくらいの大きさの切り身の状態だった。身幅から推察すると、おそらく全長はレンドルフくらいあっただろう。銀色の皮は剥がされているので、ふっくらとした白身が湯気を立てている。身の間からジュワリと脂と水分が滲み出して来るのが見えて、こちらも食欲のそそる良い香りを振りまいていた。ほんのりと胡椒の香りもするが、素材の味を生かす調理法なのかごく僅かにしか使用していないようだ。

シーサーペントは海に出現する魔獣で、魚と言うよりも蛇に近い姿をしているが分類上は魔魚にあたるらしい。大きなものになると大型の外洋船も一撃で沈めると言われているが、基本的に海の深いところにいるので滅多に遭遇することはない。まだ泳ぎの上手くない幼体が嵐などに流されて浅瀬まで来たところを捕獲されることが多く、人の口に入るのはそんな幼体ばかりだ。成体になると皮が硬くなり過ぎて調理が困難になるのもある。シーサーペントの身は、骨があまり多くなく白身の割に脂がよく乗っているので食材としては人気があるが、蛇に似た姿を嫌がる人も一定数いる。


「ユリさんはどっちも大丈夫?」

「うん、どっちも好き」

「仲がよろしいですね」

「え、ええ。はい」


女性ににこやかに言われて、レンドルフは少し照れながらも素直に肯定する。それを聞いて隣にいたユリも頬を赤らめているのを見て、彼女は「じゃあサービスしますね〜」と微笑みながら肉の最もしっとりしている真ん中を厚めに切り出した。じっくりと蒸し焼きにされた塊肉は芯までしっかりと火は通っているが旨味や肉汁をたっぷりと繊維の中に封じ込めているので、多少力を掛けて切り出しても切り口には僅かに水分が滲むだけだ。きっと噛み締めると口の中に旨味が一杯に広がるだろう。

シーサーペントは軽く表面に焼き目が入っている端の方が風味が良いので、そこを中心に分けて皿の上に乗せた。その上から身の下に溜まっているエキスを回し掛けてレモンを搾る。それだけで上等なソースになるのだ。


「お待たせしました!」

「ありがとうございます」

「よろしければあちらのテーブルをご利用ください」


レンドルフがギルドカードで支払いを済ませて、両手に皿を持つ。今日は予めユリには先日ご馳走になっている分、今度は自分の方が一日全ての支払いを受け持つと告げてあるのだ。

レンドルフ達の後ろには、匂いに釣られて来たのか行列ができていた。一番乗りだったおかげで、テーブルは空いていたのでタイミングが良かったようだ。並んでいる人数を見ると、設置されているテーブルでは席が足りなさそうだ。


「レンさん、ありがとう。でも本当にいいの?」

「勿論。今日は俺がユリさんのお祝いをする側だから」

「じゃあお言葉に甘えて…」


席に着くと、レンドルフはこの領で扱っているという飲み物も調達して来た。紅茶ではあるが少し独特の香りがした。産地によって茶葉の香りと味は大きく違うと聞いたことがある。それと一緒に「必要でしょ?」と別の取り分け用の紙皿も渡してくれた。そんな細やかな気配りが何だか温かかった。


「「いただきます」」


皿に盛った蒸し料理を三等分に分けて、それぞれ皿に取り分ける。ユリも女性にしてはよく食べる方だが、やはり体格差もあってレンドルフの方が倍近くの量を食べる。最近ではこうしてシェアする場合は三等分してまずそれぞれ一切れずつ食べて、ユリがまだ食べられそうなら残っている一切れをいる分だけそこから切り分けてもらう。そしてもう食べられそうにないなら、レンドルフが貰うことになっていた。いつの間にか何となく決まったことではあるが、残してしまったり食べかけを貰うのも嫌かもしれないということで、最初から切り分けてしまうことにしたのだ。


「うわ、シーサーペントの身が甘いよ!蒸してるからなのかホクホクしてて」

「豚肉も甘みがよく出てるな。しっとりした歯応えでいくらでも食べられそうだ」

「普通に蒸し器を使ったのとは違うのねえ。家でも試してみたいし、少し買って行こうかな」

「俺も買おうと思ってた。鍋の替わりになるなら数日の遠征とかでも使えるかもしれない」


やはり香りと周囲で舌鼓を打っている人間が増えて来たので、それに釣られたのか料理を取り分けるテーブルの前には列が途切れていない。食べる為に設けられたテーブルも、気が付けばほぼ埋まっている。あまり長くここを占拠しているのは悪いと、レンドルフとユリは顔を見合わせると黙ってせっせと口に運ぶことにした。結局ユリは最初に取り分けた分だけで満足したので、残りはレンドルフがペロリと平らげてしまった。こういった催事場ではあちこち食べ歩きをする人が多いので、もともとそこまで量は乗っていない。


「美味しかったね、レンさん」

「うん。早速希望を一つ叶えたね」


空になった皿をゴミ箱に入れて、領の特産品を扱っているテーブルの上を眺める。先程の蒸し焼きに使った紙に特に力を入れているらしく、色々な利用方法を記載したポスターが大きく貼られていた。


レンドルフはお試しと言うことで小ぶりの10枚セットを二つ買って、一つはユリに渡す。


「ありがとう。でもこれくらいは自分で買うのに」

「今日は全部俺に任せていいから。何かユリさんの方で面白い使い方とか思い付いたら教えてくれる?」

「うん、分かった。レンさんも教えてね」

「うーん…俺に思い付けるかな…頑張ってみるよ」


この後もレンドルフとユリは目に付いたあちこちの領の名産品巡りをしながら歩いていたので、目的のアスクレティ領のエリアに到着した頃には持って来ていた鞄にほぼ一杯になってしまっていたのだった。



紙の包み焼きのイメージは奉書焼きです。

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