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282.フィルオン公園音楽祭


いつもの時間にレンドルフは目を覚ますと、カーテンの向こうから太陽の光が滲んでいるのを確認してふと微笑んだ。そのカーテンの前には先日購入した鉱石蔓草が吊り下げられていて、カーテン越しの光でも小さな花が反射してキラキラと光っている。起きてすぐに植物が目に入るのも悪くないな、と思いながらレンドルフはゆっくりと伸びをしながら体を起こした。



顔を洗って着替えてから水を一杯飲み干し、愛用の模造剣を片手に外に出る。もう長年の日課なので、ほぼ考える間もなく勝手に体が動く。外の訓練場に向かうと、五人程がそれぞれ鍛錬をしていた。走り込みをしている者や、素振りをしている者など自分に合った鍛錬をしているが、相変わらず中央では上裸のヨシメが荷物を抱えてポーズを取っている。先日まで樽を使っていたが、今日はジャガイモの入った麻袋を片手に一つずつ持っていた。よく分からないが、あれが彼なりの鍛錬らしい。ほぼ毎日のことなので、隊員達も風景の一つとして特に気にしていない。レンドルフもすっかり慣れてしまっていた。


「おはようございます、ヨシメさん」

「おお!おはよう、レンドルフ殿!今朝も熱心ですな!」

「そちらこそ」

「はーはっはっは!本日も良き筋肉を育てましょうぞ!」


重たい麻袋を抱えて無理な体勢を取っているのに、ヨシメはいい笑顔で動かないまま返して来た。動きは少ないが近寄ると体表はツヤツヤと汗で光っていて、寒い日には湯気が立ち上っているのを確認出来るそうだ。


レンドルフも広く空いているところを選んで、軽く準備運動をした後に模造剣を構える。最初は一つずつ動きを確認するようにゆっくりと、やがて鋭い動きに変わりビュッと空気を切り裂く音が周囲に響く。その頃になると体も温まって、うっすらと額に汗が滲んで来る。鍛錬の目的は人それぞれだが、レンドルフの場合は精神統一が主な目的だ。勿論筋力を向上させることもあるが、無心に剣を振っていると何も考えない時間が発生して、その後色々と思考がスッキリと整理しやすくなることに気付いて以来、このスタイルが定着した。


こめかみから顎を伝って汗が滴り落ちるくらいになると、レンドルフは大きく息を吐いて動きを止める。鍛錬の賜物で、何となくではあるが体感の気温と汗の流れ具合で大体の時間が把握出来るようになっている。敷地内にある食堂の外壁に掛けられている時計に目をやると、大体一時間が経過していた。これで引き上げて、一度部屋に戻って汗を流してから朝食の為に食堂に向かうことがレンドルフの日課だ。これは王城の団員寮にいた時からほぼ変わらない習慣だ。

駐屯部隊で少し違うところと言えば、食堂利用に前もって食券を申込む決まりがないことくらいだ。


王城の団員達が利用する食堂はベテランの姉妹が切り盛りしていて、彼女達の作る料理は大変評判が良い。その為かつては違う部署からも人が通うようになってしまい、肝心の団員が食事にありつけなかったことがあって、事前予約の食券制になった経緯があった。それに騎士団の予算には税金が使われているので、あまり食材を無駄にするのは宜しくないと食券の予約数で食材の仕入れも微調整しているそうだ。


しかしここの駐屯部隊に併設されている食堂は、予算内であれば上限いっぱいまで食材を購入しても良いことになっている。ただし余程の特殊な物でない限り、エイスの街で購入する決まりになっている。そうやって駐屯部隊も街の一員として売上げに一役買っているのだ。そして余ってしまった料理や食材などは一度エイスの街の神殿に寄付され、その神殿から近隣の孤児院や治癒院、平民向けの学校などに配られる仕組みが出来上がっているので、決して無駄になる訳ではない。

王城がそれをしてしまうと、さすがに恩恵は中心街だけに留まってしまうため不公平が生じてしまう。その為王城付きの騎士団を始めとする各部署では、予算は余らせず且つ無駄なものを出さないように常に考えられて、余ったものは不足しているところに融通して王城内で消費出来るようにされていた。夜会などの多い年の瀬になると、王城の経理担当部門は不夜城と化していると聞く。反面駐屯部隊は王城直属の組織ではあるが、地域に根差した特性を持つので地方経済を回す一助となっているのだ。


「レン先輩!おはようございます!」

「おはよう。今日は休みなのに熱心だな」

「それを言うならレン先輩もでしょう」


鍛錬を切り上げて、レンドルフは訓練場の隅に設置されている大きな箱に向かった。ちょうどその箱の前では、イルシュナも鍛錬を終えたのか模造剣を片手に上気した顔をして立っていた。レンドルフが近付いて来るのに気付くと、振り返って人懐こい笑顔を見せる。よく注意しないと分からないが、人狼族の血を引いているからなのか普通の人間よりも少しだけ犬歯が長めだ。

訓練場の隅に設置されている箱の蓋を開けると、そこには畳まれたタオルが入っている。これは鍛錬後にかいた汗を拭く為に設置してあるものだ。これは敷地内の雑務を担当している寮母達が揃えてくれている。この箱に入っているタオルは駐屯部隊に所属しているなら騎士でなくても使用出来る。そしてその隣には使用済みのものを投入する籠も置いてあり、その籠に入れたものは寮母達が洗濯をして再び箱に戻してくれるようになっていた。


レンドルフは箱の中からタオルを取り出すと、ガシガシを頭を顔を拭いた。何度も洗濯をされて少しゴワついているが、清潔感のあるタオルをいつでも使用出来るのは非常にありがたい。


「体調は問題ないか?」

「はい!他の二人も大丈夫です。昨日三人で盛り上がって夜更かししてしまいましたが」

「それなら良かった」


昨日もレンドルフは新人の実践演習に同行していた。今回はイルシュナの他にもうすぐ騎士になって一年になる青年と、先月新人研修を終えたばかりの少年が参加していた。今回はエイスの森の深度も中程度の場所でそこまで危険な魔獣は出て来ないということで、同行するベテランはレンドルフだけだった。その際に、中型よりも大型に差し掛かる、といった体躯のワイルドボアに遭遇した。イルシュナはその前に同程度の大きさのミノタウロスの討伐をしていたのでそこまでではなかったが、他の二人はこれまでの遭遇した中では最大だったらしく少々腰が引け気味だった。彼らは攻撃魔法をそれなりに使えたので、レンドルフの指示のもとイルシュナを攻撃の要にして二人を後衛と補助に回し、新人三人だけでワイルドボアの討伐に成功したのだった。

ある程度討伐に慣れているなら一人でも仕留めることは可能だが、新人三人だけで倒すには上々な戦績だった。余程嬉しかったのか、持ち帰ったワイルドボアの肉をその日のうちに解体して夜は食堂で焼いてもらい祝杯をあげていた。レンドルフ自身は手は出していないのだが一応同行者として乾杯程度だけつき合って、後は楽しそうな彼らだけにして中座したのだ。どうやらイルシュナの話では、その後彼の寮の部屋に移動して、明け方近くまで話し込んでいたらしい。イルシュナと少年は未成年だったし、一番年上の青年は下戸だったのでアルコールは一切なしでそこまで盛り上がったようだ。

仲の良いことはいいことだ、とレンドルフは微笑ましい気持ちになる。


「あ、今日は食堂担当にミレーユさんがいるみたいです。きっと混みますよ!」

「それは良いことを聞いたな。急いで汗を流して向かうことにするよ」

「お役に立てて良かったです」


レンドルフとイルシュナは使用済みのタオルを籠に入れると、それぞれの部屋に引き返した。このタイミングならばまた食堂で顔を合わせるだろう。


エイスの駐屯部隊の食堂の運営も、寮母達の仕事の一つだ。基本的に独身男性が多いので、寮母の募集は比較的年上の既婚者という条件を付けている。名称は「寮母」となっているが、男性も数名いる。多いのは、駐屯部隊に所属している隊員の配偶者だ。家族寮と職場が近くて融通が利きやすいことが好条件の一つらしい。外から通いで来る者は、基本的にエイスの街の住民から選ばれていた。

その中で今日の食堂担当をしているミレーユも、夫が駐屯部隊の事務官をしている。彼女はとても料理上手で、特にパイが絶品なのだ。だからどこからかその情報を入手した隊員達はいそいそと食堂に赴くので通常よりも混み合っていて、場合によってはすぐに無くなってしまうこともあるのだ。


レンドルフは急いでシャワーを浴びると、見苦しくない程度に髪が生乾きのまま食堂に向かったのだった。



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朝食を終えたレンドルフは、ユリとの待ち合わせよりはずっと早い時間ではあるが出掛けることにした。朝食に出されたミレーユのパイがあまりにも美味しくてつい食べ過ぎてしまったのだ。少し早めに行って腹ごなしをしておきたかった。


「今日はタイミングが合いますね」

「そうだな。イルも外出か」

「はい。俺は実家の方に顔を出すんですけど。レン先輩のデートとは違って」

「いっ、いや…その…デートとは…」

「そういうことにしておきます」


ノルドを迎えに専用の鞍を片手に厩舎の方へ向かうと、ちょうど黒い毛並みの魔馬に荷物を積み込んでいるイルシュナの姿があった。昨日仕留めたワイルドボアの肉を買い取って、実家の差し入れに行くということだった。詳しい家族構成は聞いたことはなかったが、随分大きな包みを幾つも積み込んでいる。


「こうやって自分の仕留めた魔獣の肉を持って行くのって初めてなんで、何だか嬉しいです」

「この前のミノタウロスは持って行かなかったのか?」

「ウチの一族、牛系の肉はあんまり好まないみたいで。肉…というか、骨髄なんですけど。牛系は雑味が多いとか」

「そうなのか。初めて知ったな」

「人狼族は肉よりも骨とか骨髄を好むタイプが結構多いんですよ。ウチの一族は特に猪系が好物なんです!昨日知らせたら親戚まで呼んで待ち構えてるらしくて」


そう言いながらイルシュナは次々と魔馬に大きな荷物を積み込んで行く。さすがに魔馬の限界までは乗せないが、それでもかなりな量だ。


「特に祖母が一族の中でも大食いで有名なんですよ。多分この半分は食べるんじゃないですかね」

「健啖家だな」

「ははは、それ良いですね!俺も今度からそう言います」


レンドルフの故郷でも王都に比べて獣人は多い方だが、人狼族はあまり馴染みがなかった。冬が長く夏も比較的気温の低いクロヴァス領は、人間よりも獣の姿に近い獣人が暮らしやすいのもあるかもしれない。


「じゃあ、気を付けて」

「はい!お先です!」


最後の荷物を乗せ終えると、イルシュナは手綱を引いて先に出掛けて行った。レンドルフはいい笑顔で手を振るイルシュナを見送ってから、ノルドに鞍を着けるべく厩舎の方に向かったのだった。

辺境領はノルドでも往復ひと月は必要だ。だから一度王都で職を得てしまえばまず帰れることはなく、故郷には学園を卒業する直前に帰って以来なのだ。常に国境の守りと魔獣を警戒しなくてはならない領地なので家族が王都に来るのも基本的に難しい為、手紙のやり取りが普通という感覚だなのだ。ただ、イルシュナのようにああしてすぐに会いに行けることが少しだけ羨ましくなった。



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レンドルフは、ユリとの待ち合わせ場所に向かった。

今日はエイスの街ではなく、フィルオン公園方面に向かっている。フィルオン公園は何代か前の国王の側妃が暮らしていた離宮で、身分が低かった為に王城に住むことが許されなかった為に作られた場所だ。中心街に隣接した広大な土地に、不遇な側妃を慰める為に大量の資金が注ぎ込まれ多くの娯楽施設が建設された。その側妃は生涯国王の寵愛を受け続けたが、国王の死後に離宮は王家から国の管理下に移され国営の娯楽産業の場所として一般に開放されたのがこの場所である。


以前もレンドルフは公園内の果樹園にユリと訪れていた。その後も他の施設に行こうと約束していたのだが、色々あってその約束は果たされずにいた。今日はやっと約束が実現したのだった。



フィルオン公園の最も広い広場では、期間限定の音楽祭が開催されている。各地から音楽家や吟遊詩人などが集まって、園内の劇場や野外などで演奏を披露しているのだ。それに合わせて王都から離れた地方の特産品の屋台なども出ていて、レンドルフ達はむしろそちらが目当てだった。


待ち合わせ時間には随分早かったので、レンドルフは少しだけ先に屋台のあるエリアを回ることにした。まだ早い時間なので、来ている人もまばらだ。しかし屋台の方は朝食がてら来る客を見越してか、大半の店が既に営業していた。屋台なので手軽に食べられる串焼きなどが多く、あちこちで香ばしい香りが漂っている。レンドルフは朝食を抜いてくれば良かったかとも思ったが、今日の食堂担当のパイ名人が作る朝食を見逃す選択肢はなかった。


入口で貰った地図を片手に何となくうろついていると、見慣れた酒瓶が目に入った。看板を見ると、やはりレンドルフの故郷のクロヴァス辺境領の特産品を扱っている屋台だった。チラリと覗いてみたが、やはり食べ物は日持ちのする薫製肉や干し肉が中心だった。何か目新しいものがあればと思ったが、並んでいる品はタウンハウス経由で頼めば手に入るものばかりだったので、ユリに勧められるものはなさそうだとそっとその場を離れた。


しばらくあちこちを眺めていると、待ち合わせの時間に近くなったので、レンドルフは入口近くの目印に向かうことにした。


「ん…?」


ふと遠くで目立つピンク色の頭が見えた気がしたが、それは一瞬のことだったのでそちらに顔を向けてももう見えなかった。何となくアイヴィーかアイヴィスの髪色と同じような気がしたが、もしかしたら探していた妹だったのではないだろうかと心の端に引っかかった。が、もう見失ってしまって見える範囲では特徴的な色は見当たらなかったので、レンドルフはそれ以上の探索は諦めてユリとの待ち合わせ場所に足を向けたのだった。



大分あちこちの地名が出て来たので、もっときちんとした地図を考えた方がいいような気がして来ました…。


感覚として、王都は東京都、中心街は都区内、中心街以外(エイスの街とか)は都下、のイメージで。

各領地は県で、領主は県知事的なポジション。広い領地になると分家や寄子などの貴族を据えていて、それは市長のような立場な感じ。

分家は領主の血縁で、寄子は血縁なしという分類です。寄子になるのは様々な事情で、国から領地を統合された際の元領主だった家とか、政治的な派閥とか、部下の功績の褒美で貴族位を与えたりとか諸々。歴史のある家だと、分家でも血筋が途絶えていて完全に血縁なしというのも珍しくないので、そのまま分家扱いするか寄子扱いするかは領主の采配。基本的に分家が譜代大名で寄子は外様大名みたいな扱いだけど、それも領主次第。

血縁なので分家が優遇されたとしてもトップがやらかすと連座で没落(最悪処刑)になることもあります。寄子は直接関わっていないと判断されれば、別の家が引き受けてくれて生き残る逃げ道もある為、どちらがいいかはこれも領主次第です。

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